わたしのための一足

 
 

私は、ゴールデンウィークに妹と大坂に買い物に行きました。目的は、パンプス購入。私は足が大きいので、都会に行かないと足に合うサイズの靴がありません。目指すは、品揃え豊富なデパートの靴売り場。思っていた通り、大きいサイズの靴売り場がドーンと私を待っていてくれました。普段は、入らないと分かっているので試しに履いてみることさえしないのですが、ここは試し履きし放題ということで、気に入ったデザインの靴はあれこれ履いてみました。そして、中でも一番気に入った靴を2足選び、店員さんにサイズを言って持ってきてもらうことにしました。まずは、ちょっと変わったデザインのサンダルからと、ワクワクしながら履いてみたのですが、小さい・・・。25~26センチコーナーに展示していた靴なのに、店員さんからは24.5センチまでしかつくっていないと言われました。なら、なぜそのコーナーに置いてあるんだと思いましたが、サイズがなければ仕方がありません。許して愛して祝福してあきらめました。



そして、次はお目当てのピンクのパンプス…こちらもジャストサイズはなかったけれど、私的には少し小さめのサイズでも入ったので、よかったと思いました。すると店員さんが、「あぁ、ダメですねぇ。足に合っていませんねぇ。」と言うのです。「そうですか??」と言いながら足元を見ると、確かに隙間があいている…でも、それぐらいの隙間はできてもしょうがないと思って、今までは購入してきていた私。と言うのも、本当に足の形といい、甲の薄さといい、私の足は特徴がありすぎるのです。だから、細かいことを気にしていたら買うに買えません。そんな足をもつ私は店員さんにダメ出しされるのにも慣れていたのですが、今回の店員さんは私の足に特に厳しくて…まず、ピンクのパンプスは断固として買わせてくれませんでした。ピンクのパンプスはしぶしぶあきらめ、「じゃあこれはどうですか?」と他の靴を次々に聞いては履いてみたのですが、「う~ん、合いませんねぇ。」と言われ続け、しまいには、「それもダメですねぇ。履かなくても分かります。」と言われてしまいました。

わざわざ靴を買いに遠くから来たことも伝えて、絶対に靴を買いたいアピールもしたのですが、店員さんのOKは一切出ませんでした。それならばと、「私に合う靴は、どれでしょうか?」と聞いてみると、「う~ん、難しいですねぇ。お客様に合う靴は、なかなかないですねぇ。」と悩みながらもいろいろ探してみて下さり、「これならいいかな?」と一足だけ持ってきてくれました。それは、私が見向きもしなかったようなデザインの靴でした。「お客様は、足が薄いのでサイドがあいてるような靴のほうが楽だと思いますし、足首も固定されるほうが安定しますよ。」と説明してくださり、履いてみると、私みたいな足の人しか入らないのではないかというぐらいピッタリでした。ようやく店員さんからもOKが出て、足首に合わせてバンドの穴を二つ増やしてもらい、より足首が固定されるようにし、中敷きで細かい調節もしてもらいました。



結局私が購入したのは、この一足だけでした。私はもっと買う予定だったし、大坂に行けば色々気に入った靴が買えると思っていました。でも、イエス様はこの一足だけを私に与えてくださった…私はどうしてですか?と聞きました。すると、イエス様はたくさんのことを私に語ってくださいました。

まず、あの店員さん。普通なら、売り上げのためにお世辞を言って買わせることだってできるのに、逆にダメ出しをしてまで私に買わせようとしませんでした。店員さんは、自分の利益ではなく、本当に私に合う靴を納得できるまでとことん選んでくれました。そこに私に合う靴がなければ、きっとあの店員さんは一足も売ってくれなかったでしょう。店員さんのプロ意識にも感心しましたし、何よりこれが私(お客)に対する愛だったのだなと思いました。

皆さんはいかがですか?そんな店員さんがいたら、いちいちダメ出しをしてうるさいなぁと不愉快に思いますか?私が気に入ってるんだから、それでいいでしょ!買わせてよ!と思いますか?服でもそうですよね、似合ってない服を「あなたには似合ってないよ」と言ってくれる店員さんや友達をどう思いますか?今までの私は偽善者で、それを言うと相手を傷つけてしまうと思っていました。



余談ですが、お昼を食べた老舗の中華料理屋で、注文した焼きそばの中に髪の毛が入っていたのですが、それを伝えることさえ躊躇してしまうほどの偽善者の私。妹に促されて伝えると、丁重な謝罪のあとに、新しいものとサービスでデザートもつけてくれました。お店の格が問われることにも繋がるのであれば、言ってあげることが愛なのだと教えられました。もちろん言い方はあると思いますが、本当に相手のためを思うなら、その場しのぎのお世辞や偽善の思いからくる我慢は違うなと語られました。相手のため?それとも自分の身を守るため?本当に自分のためを思って言ってくれる愛ってどういうことでしょう??今までは受け入れられなかったことも、改めて振り返ると「愛だったんだ」と思えることがたくさんありそうです。



私は、あの店員さんはイエス様が私のためにつかわしてくださった人だと分かり、感謝しました。それと同時に、身の丈にあったものを買うことも語られました。どんなに気に入った靴でも、きれいに履きこなせなければ意味がありません。無理に履いたら歩き方が変になって、結局恥をかくのは自分です。

私の妹は今回の買い物で、買いたいと思っていたデザインの服があったのですが、どこの店で試着してもそのデザインの服は妹のきゃしゃな体には合わず、結局買えませんでした。私は靴がほしくなる度に、「なんで私の足はこうなんだ」と思っていましたが、今回のことを通して、「神が組み立ててくださった私の体なんだから、そのことに感謝して私に合うものを履いて、着ればいい。これが神が愛して下さっている私なのだ」と目が開けました。

私には私に合うもの、妹には妹に合うものがある。私に合う服が妹に合うわけではないし、妹のきゃしゃな体に合う服を私がきたらみっともない。それでよし!背伸びする必要も、無理する必要も、欲張る必要も、誰かと比べる必要もない。自分の体格、身の丈に合ったものを早く見つけて、上手に着こなしていくこと、まずは自分を知ることが大切なんだと思いました。



そして、もう1つ。どれだけたくさんの靴が目の前にあっても、私にピッタリ合ったのはたった一足だけです。まるでシンデレラのガラスの靴のように、私のために備えられた一足でした。それと同じように、たった一人の神が備えて下さっているパートナーも、ダメ出しなしの、ピッタリ合う人でなければならないし、そういう相手が一生共に歩いていけるパートナーなんだなと思いました。妥協して選んでも、靴擦れしたら痛くて歩けませんから…。イエス様が与えて下さった私にとっての最高の一足を、これから大事に履いていきたいと思います。



ピリピ4:19
「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」

アーメン。イエス様に感謝します。