「美女と野獣」には、愛のメッセージがいっぱい!!

 
 

「美女と野獣」には、愛のメッセージがいっぱい!!

劇団四季の「美女と野獣」を見に行ってきたのですが、とても霊的なお話で、たくさんのことが語られました。

まずは内容を知らない方のために<あらすじ>と<登場人物>を紹介したいと思います。

<あらすじ>
森の奥にある城にとても傲慢な王子が住んでいた。ある日の夜、醜い老女が城を訪ね、一輪のバラをあげるかわりに城に一晩泊めてほしいと頼む。しかし王子はそれを断り、老女がもう一度頼んでも王子は聞く耳を持たず、追い返そうとした。するとその瞬間に老女は美しい魔女に変わり、優しい心を持たない王子と、王子をそのように育てた召使いたち、さらにその城全体に魔法をかけてしまう。そして王子は恐ろしい野獣の姿に、召使いたちは家財道具の姿になってしまった。魔女はどんな物をも映し出す魔法の鏡、そして初めに見せた一輪のバラの花を置き消えていった。そのバラの花びらが全部散るまでに、王子が人を愛し人に愛されるという「真実の愛」を見つけなければ、王子たちにかけられた魔法が解けることはない。

それから十年ほど後のこと、街の発明家モーリスの娘・ベルは街一番の美貌の持ち主で、読書と空想が大好きな父親想いの娘だった。ある日、モーリスは父の発明を心から応援するベルに見送られ、今度こそ1位を獲るのだという希望を胸に、馬のフィリップと共に街の発明大会へ一人向かう。

そんな中、彼女に街一番の狩人ガストンがベルに結婚を申し込む。色男で人気者だが高慢で意地悪な性格であるガストンは、ベルの気持ちも確かめずに一方的にプロポーズを繰り返し、結婚を迫るのだった。

ガストンの執拗なアタックに疲れてしまったベルは草原を歩いていると、フィリップだけが慌てた様子で走って戻ってきた。その只ならぬ様子に、父に何が悪い事が起こったのではと心配になり、フィリップを連れて父を探しに出たベルがたどり着いたのは、野獣に変えられた王子が住む魔法をかけられ呪われた城だった。モーリスが野獣に捕らわれていたことを知ったベルは、自分と引き換えに父を解放してほしいと野獣に頼む。こうしてモーリスは城から解放され、ベルは野獣と共に暮らすことになった。

城でベルは、蝋燭のルミエール、置き時計のコグスワース、ポットのポット夫人と、その息子でコーヒーカップのチップたちの歓迎を受けるも、礼儀を知らないわがままな野獣には手こずってしまう。しかし、やがて一人城を飛び出して野生の狼に襲われたところを、野獣が負傷しながらも助けたことがきっかけで、野獣と心を通わせるようになる。また、野獣もベルと触れ合ううち、徐々に優しい心を身につけていき、自分を恐れず一緒にいてくれるベルに想いを寄せるようになり、いつしか二人は惹かれあうようになっていた。しかし、野獣が貸してくれた魔法の鏡によってモーリスが病身の上に苦境にあることを知り心配のあまり狼狽するベル。自分がベルを愛していることに気付いた野獣はベルの気持ちを思い、ベルに魔法の鏡を贈って城から解放し、街へ帰すのだった。

街へ戻ってきたベルは、ガストンがモーリスを利用してベルと結婚しようと画策しており、ベルが結婚に応じるまでモーリスが狂気に陥っているとして無理やり入院させようとしていたことを知る。ベルはガストンの求婚を拒絶し、モーリスが「娘が野獣に捕らわれた」と町民に話していたのを知ると、父の発言が正しいことを証明するため、魔法の鏡で野獣の姿をガストンに見せてしまう。ところが、この様子を見たガストンはベルが野獣を好いていることに気づき、ベルとモーリスを地下室に閉じ込め、町の人々を煽動して野獣を討とうと城へ向かう。こっそりベルについて来ていたチップの助けにより脱出したベルは、野獣を助けようと再び城へと急ぐ。

勇んで城に乗り込んだ大半の町民は、ルミエールたちの奇策によりあえなく敗走する。しかしガストンだけは、ベルと別れた悲しみに浸る野獣を見つけ出し、戦いを挑む。始めこそ戦意など微塵も無かった野獣だが、駆けつけたベルに気づいた瞬間立ち上がり、ベルを巡って戦いを始める。野獣である野獣は優勢となり、ついにガストンを降参にまで追い込む。ようやく野獣のもとへたどり着いたベルと再会の喜びを分かち合うものの、卑劣にもガストンによって背後から剣を突き立てられてしまう。そのガストンもまた足を滑らせて城から転落した。

野獣はベルの介抱を受けるも、ベルへの愛を言葉にしながら命を落とす。いよいよバラの最後の花びらが散る寸前、ベルは野獣を抱きしめて愛を告げる。その時、ベルと野獣のまわりを不思議な光が包む。そして、光放ちながら野獣は元の人間の王子へと戻り、城と城の皆も呪いの魔法が解け、一同は抱き合って喜び合う。王子は改めてベルと愛を確かめ合い、ふたりは永遠に結ばれたのだった。


<登場人物>

ベル
物語のヒロイン。容姿も心ばせも美しい娘。本の虫で、町の人からは少々風変わりな娘だと思われている。父モーリスがビーストの城で捕らえられ、父の身代わりとして自分が城で暮らすことを決める。そして、短気で乱暴だが根は優しいビーストと次第に心を通わせ、ついに結ばれる。「ベル」とはフランス語で「美しい」という意味。

野獣(ビースト)
呪いをかけられ、醜い野獣の姿となった王子。魔法のバラが全て散るまでに「真実の愛」を見つけなければ人間の姿に戻ることができないという呪いを掛けられている。絶望の内に日を送っていたが、ある日偶然捕えたモーリスの身代わりとなったベルと城で過ごす内に人間としての感情を取り戻してゆき、最後はベルの愛によって呪いから解き放たれ彼女と結ばれる。イノシシ、クマ、オオカミなどの動物をあわせたデザインになっている。

ルミエール
城の給仕頭で、呪いで蝋燭(ろうそく)の姿になっている。ゲストのもてなしが得意。スマートで陽気、城の中に敷かれた規則を気にしない大らかな性格からコグスワースから文句を言われることも。あせると蝋燭がとける。

コグスワース
城の執事頭で、呪いで時計の姿になっている。生真面目で口うるさい性格のためにこの姿になったようだ。時計の針がくるくる回る。

ポット夫人
城のメイド頭で、呪いでポットの姿になっている。優しく温かい性格で、ベルには母親のように接する。

チップ
ポット夫人の子供。呪いでティーカップの姿になっている。モーリスのおひげにくすぐったがる。ベルを好いていつも傍にいたがる。同じ姿の兄弟が何人もいる。

フェザーダスター
ルミエールの恋人。呪いで羽根ばたきの姿になっている。ラストでベルと人間の姿に戻ったビーストがダンスをしているとき、ルミエールの目の前を通っていく。

ワードローブ
呪いで洋服ダンスの姿になった女性。元の姿はラストシーンの後姿のみしかでてきていない。

モーリス
ベルの年老いた父で発明家をしている。森で狼に襲われて道に迷い、辿り着いたビーストの城で暖を求めたがビーストに一蹴されて牢屋に入れられる。その後かけつけたベルが代わりに捕らえられたことで解放され、一方的に城から追い出されてしまう。病気で体が弱い。

ガストン
ハンサムで力持ちな町のリーダー的存在。狩りの名人で女性にも人気がある。一見すると良い男だが、内面は野獣そのもので、乱暴で教養は低く、ナルシストで傲慢な性格をしている。ベルの美貌に惚れ込んでいるが、ベルからはその性格の悪さから嫌がられている。力ずくでベルと結ばれるよう陰謀をめぐらすが、最期は殺そうと迫った野獣の城から転落してしまう。東京ディズニーランドのイベントにも登場。

ル・フウ
ガストンの手下で、いつもガストンについて回っている小太りの男。茶目っ気がありどこか憎めないが、ガストンのためなら何でもする。






…ということで、語られたことを書きたいと思います。

私は、野獣は今サタンの支配下で本当の自分を出せずにもがき苦しんでいる人たちを表していると思いました。素直に正直に誠実に相手と向き合うことができない人、コンプレックスを抱えて前向きに生きれない人は皆、呪われた城に閉じ込められているのです。それは、王子のしつけをしてこなかった召し使いたちのように、本人だけではなく家族や家庭教育にも問題があったのかもしれません。私は、召し使いまでが家財道具にされた理由を昨日初めて知り、今牧師を通して語られている家族・家庭のあり方の大切さとつながりました。



そして、この物語は野獣が人を愛するだけではなく、人からも愛してもらわなければなりません。野獣の外見に怯え、関わりたくないと思っていたベルが、次第に野獣が持っている優しさに気づき、心を通いあわせていく姿は、私たちクリスチャンに神が求めておられる姿だと思いました。



サムエル記上15:7
「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人と異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。」



まさにこのみことば通りだと思いました。本当に大事なものは隠れて見えない…みんなサタンによって肉(魂・体)を攻撃されたため、霊が小さくなってしまっているだけで、内側には光輝くダイヤモンドのような霊が眠っています。その霊は、たとえ魔女(サタン)に呪いをかけられて野獣になっても、必ずその人の内に存在します。だからこそ、まずは福音によってイエス様と聖霊様に入っていただき、霊を復活させること、そして相手の霊に優しい言葉、命の言葉(神の言葉)をかけてあげること、相手のためを思って全身全霊で神の愛を注ぐこと、たとえ相手の肉の状態がどうであっても見たとこ状態に左右されず、どんな時も相手の霊に目を向けることが大切なのだと語られました。外見はいいけど、内側は野獣のような心の持ち主であるガストンと、醜い姿であっても内側は神に喜ばれる清い霊をもった野獣…物語の中で対比されている二人の姿からも、「あなたは、今まで相手のどこを見てきたか!?」とイエス様に心をノックされ、まだまだ人を見かけで判断していた私は悔い改めに至りました。

霊的に神の子であるベルの存在は、野獣にとって呪いを解いてくれる光となり、野獣自身も前向きに変わろうとしていきました。特に、自分の気持ちをうまく伝えられずに癇癪(かんしゃく)ばかり起こしていた野獣が、ベルとの関わりを通して素直になっていく姿は印象的でした。



自分が変われば相手も変わる…牧師にいつも言われていることですが、相手をとらえていた霊力を切るためにはまず自分自身が変わること、そして自分の心が180度変わったとき、それが相手にも伝わり、相手も素直に正直に誠実になっていくのだと改めて語られました。



箴言16:7
「人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。」



私はこれらのことを通して、美女と野獣のテーマである【真実の愛】とは、【神の愛】のことなのだと教えていただきました。【真実の愛】は、たとえどんな相手とであっても一つになれる力をもっているのだと改めて確信しました。そしてその愛が、相手を縛り付けていたサタンの呪いを解くことも!!

今人間に必要なのは、【真実の愛】=【神の愛】だと思います。皆にこの愛があれば、今問題になっているようないじめもありませんよね!?そして皆が皆の隣り人にその愛を示せば、世界は1つになれますよね。



ガストンに刺されて死にかけている野獣に、ベルが「私とあなたは一つ。愛してる…」と言うのですが、それは生い立ちや境遇、外見、立場などあらゆる肉の状態が違っても、霊では一つになれること、愛することができることをイエス様が教えてくださっていると思い、感動しました。

また、「人から愛されなければ、この呪いは解けない」と野獣が嘆く場面も、今の時代を象徴していると思いました。人間はみんな"誰かに愛されたい"、それが本音ではないでしょうか?だからこそ、何よりもまず、神はいつも人間を愛しておられること、救い主として受け入れたイエス様はいつもそばにおられること、【神は愛】であることを、ますます伝えていきたいと思いました。



ヨブ記33:14
「神は一つの方法によって語られ、また二つの方法によって語られるのだが、人はそれを悟らないのだ。」



イエス様、私はたくさんのことを悟れたことに感謝します。まだまだ、見れば見るほど新たなことが語られる…そんな気がします。

劇団四季の皆さんにも、イエス様からの100倍、1000倍の祝福が注がれたことを感謝します。