自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい

 
 

私は足が太いというコンプレックスがあり、いつも猛暑日の中、スカートをはけば必ず黒いレギンスをはいていました。
“暑いけれど、足が太いからレギンスをはかないとだせないし、足をだすんであれば絶対細い方が良いし・・・だけどスカートははきたいし・・・だから、レギンスをはいて隠そう。黒は引き締まって見えるみたいだから、少しでも細く見えるように…”
という肉の思いがずっと私の内にあり、私をとらえていました。

そして、私が見えていないことを今回牧師が教えて下さいました。

「あなたは、何でこの暑い日に黒いレギンスをはいているの?」
と聞かれました。
私は今まで当たり前のようにはき、むしろ自分では良かれと思ってはいていたので、“えっ”と思いました。

牧師は、
「暑いのに、何で隠すの?足を出していけばいいじゃない。自分の足を凄くにぎっているし、肉の思いでしょう。肉の思いは死でしょう?あなたはもうクリスチャンとして180度生まれ変わっていなければならないのに、古いもの(クリスチャンになる前の自分)がいつまでも過ぎ去っていないことになるよ。いくら、他の人に福音をして良い事を言っていても、あなたのその服装を見て、‘この子は暑いのに何で黒いものをはいているのかな?足に傷でもあるのかしら?’と思うわよ。それでは逆に神の栄光をあらわすどころか、人につまずきを与えてしまうでしょう。クリスチャンは人につまずきを与えてはいけないし、服装も隠すのではなくて、自分の体型にあった服をイエス様にもっと聞いていって、祈り求めていきなさい。必ずあなたにしか合わない服が用意されていて与えてくださるから。」
と、語ってくださいました。


それとともに私は周りに‘見られる’と意識していたからこそ隠そうとしていたので、自分の中に【高ぶり、プライドの霊力】があることも明らかになりました。

私は気付かされた事に感謝をし、にぎっていたこと、自分の頭で考え、占い自分のやり方をしていたことを悔い改めました。
自分の中にあった高ぶり、プライドの霊力を縛り上げました。
そして、自分に合う服を与えられるよう祈りました。

ヨハネ16;24
『今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。』

あまりにも、私生活の中で当たり前となり、にぎりすぎていたので自分でもわからずにいました。

前にも同じようなことがありました。
私は化粧をするときに、必ずつけまつ毛をつけていました。
それは目を大きく見せるようにするためです。そして、素顔を人に見られたくないと思っていたので、濃い化粧をしていました。

私は、絶対に化粧をしなければ外出はしなかったですし、化粧品をたくさん持ち歩くため、ポーチは常に大きい物を使わなければ入りませんでした。
その頃の私にとって、つけまつ毛は絶対になくてはならない物でした。
当時は、あまりにもつけまつ毛をにぎりしめていたため、それが当たり前のことだと思っていました。
周りから見たら長すぎる不自然なまつ毛に見えますし、何より化粧の時間が長すぎて福音にすぐに出掛けることもできませんでした。

その時にも牧師を通して、
「不自然なまつ毛で、福音を聞く相手はどう思うかな?それに、濃い化粧をして化けても、あなたにとってのたった一人の人に素顔を見せれないのは苦しいでしょう。ありのままの自分を好きになってもらわないとね。あなたは神によって大切につくられた作品なんだから素顔を隠さなくていいのよ。」
と語られました。


そのあとからは、つけまつ毛をつけずに化粧をするようになり、時間も短時間ですむようになりました。
化粧ポーチも今では小さい物になりました。
にぎっているからこそ、最初は肉の思い(絶対につけまつ毛なしじゃ無理)の葛藤がありましたが、一歩踏み出してやってみました。

そうしたら、凄く解放されました。
今ではつけまつ毛をしていた自分が信じられません。
自分を取り繕うことなく、ありのままの自分を出して生活していくことが、こんなにも楽だっただなんて…。

今回のレギンスのことと、つけまつ毛のことは同じだと語られ、自分自身でも、‘そうだ’と思いました。
気づかせていただけたことに感謝をします。
服装も化粧も神の栄光をあらわすためにしていくことも語られ、一つ一つ吟味していきたいと思いました。

第一コリント6;19~20
『あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。』

第一コリント10;31
『だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。』

ガラテヤ2;19~22a
『わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。』

ローマ8;6
『肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。』

第二コリント5;17b
『古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。』

アーメン。
全ての栄光はイエス様に帰します。