神癒~芽生えた兄への愛~

 
 

私は、クリスチャンになって5年が過ぎました。今回、私は神癒を体験しました。

私には兄が二人います。一番上の兄とのことです。私の家族は今まで、楽しいこと、例えば誕生日があっても共に喜んだりしたこともなく、人のことはどうでもいい!無関心な家族でした。兄は、話しをしても返事もなく、笑顔も出せない無表情な兄でした。ですから、兄と顔を会わせて話をすることは、圧迫と恐れがあり、できるだけ会話をさけ、逃げていました。そして今まで、私自身も誕生日だからといって、両親や兄に、お祝いしてもらったことがなかったので、愛を知らないまま生きてきました。イエス様を知り聖霊をいただいて、クリスチャンになった私にイエス様は愛を教えてくれました。



1ヨハネ4:18~21
愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。



マルコ12:29~31
イエスは答えられた。 第一のいましめはこれである。【イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ】第二はこれである。【自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ】これより大事ないましめは、ほかにない。



私はいつも自己愛が強く、自分を一番にかえりみてしまい、自分に甘く、人に対して、関わりたくない場面にぶつかると逃げていました。恐れがあるのは、その人を裁いていたり、憎んでいるからと、牧師を通して教えていただいていました。私はイエス様の無条件の愛、許しがあって今、平安に生き生活させていただいています。自分だけよければいい!神は無条件の愛と言われているのに、今まで、兄のことを親身になって考えたことがありませんでした。



兄は家族と一緒に住んでいても、何かをする時以外は、部屋にこもってしまい、コミュニケーションもなく、外食もしたことがなく、共に喜んだり、悲しんだりしてくれる人もなく、孤独な人生だったのだとわかりました。そうわかった時、今月は兄の誕生日だということを思い出し、今までにない気持ちが溢れ出ました。兄に誕生日プレゼントをしようと思う気持ちが凄く強く私の中に生まれ、サプライズでプレゼントを渡しに行きました。何も知らない兄はプレゼントを渡した時、表情は強張った感じで、プレゼントを手で払いのけ部屋に入ってしまいましたが、私はどこまでも神の愛で接することをイエス様に言われていたので、部屋に行き「お誕生日おめでとう、これプレゼントだよ、気にいってくれるかわからないけど、気持ちだよ。今度は家族で食事に行こうね」と話しかけました。すると兄の表情が柔らかくなっていくのがわかりました。今までの人生、愛を知らない兄は、突然の出来事で、どうしていいのかわからなかったと思います。プレゼントを手で払いのけてしまったことは、本当は嬉しくて、喜びたいのに、裏返しの態度をとってしまったんだと、イエス様から教えていただきました。そんな兄の状態を見て以前の私だったら、自分を傷付けたくないし逃げていたでしょう。お兄さんに対してプレゼントを渡したい気持ちになったのも、逃げずに愛でぶつかっていけたのも、イエス様を知り、聖霊をいただいたからこそです。私は、当たり前と思っていたことが、神からのメッセージである聖書を学ぶことによって正されていきました。そして、ただ学んだだけではなく、私の中には聖霊が共にいて下さり、古い自分には何も良いことがなかったと気が付き、変わりたいと思った時に、聖霊の力が助けて下さり、変わることができました。兄も今までになかった、コミュニケーションができ、家族の中も変わってきています。神癒とは古い自分を捨て神に喜ばれること、そして新しく生まれ変わることです。180度変わることは、聖霊によらなければできません。自分が変わることで、周りも変わっていく、私はそんな体験をさせていただきました。イエス様に感謝いたします。すべての栄光をイエス様に帰します。