暗闇から光へ

 
 

ヨハネ11:9~10
イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。


私は現在22歳です。私が18歳の時、弟の交通事故がきっかけでクリスチャンになりました。2009年2月17日、弟は事故後のリハビリの為、浜松から兵庫の病院へ転院しました。私と母は病院の近くにアパートを借り、リハビリ治療に付き添っていました。

2009年4月4日、 転院先の病院に弟の野球部の先輩親子とぶどうの木の牧師親子が浜松からお見舞いに来てくださいました。偶然は無く、その場に父もいて、家族4人で初めてイエス様の話を聞きました。その時は、イエス様って言われても何が何だか分からないけど、弟が治る為なら宗教でもなんでも私に出来る事なら何でもしてあげようという気持ちでした。そして病室で私達家族は、イエス様を受入れ救われ、聖霊を頂きました。


私は中学生の頃から、非行に走りました。

<13歳>

初めて煙草を吸いました。昔から両親と祖母が煙草を吸っていたので、家のいたる所に灰皿や煙草が置いてあり、興味本位で吸いました。

<14歳>
ヒップホップダンスを始めた事により、他校の同級生との交流が増えました。一緒にダンスのレッスンを受けている人の中には、年上の人たちも沢山いたので、その人たちの影響もあり、髪を染めたりピアスをあけたりしました。

<15歳>
夜遊びや外泊が増えました。両親は弟の野球の練習や遠征などで付きっきりだった為、週末は友達の家に泊まりに行ったりしていましたが、特に怒られる事もありませんでした。その頃、同じように非行に走っている友達の繋がりで、簡単に手に入るシンナーやガスを周りの友達と吸っていました。若気の至りだし誰にも迷惑かけていないし、捕まらなければいいと思っていただけで、悪い事をしている感覚はありませんでした。万引きで補導をされたこともありました。

<16歳>
中学を卒業し、定時制の高校に入学しましたが、ほとんど行かないまま中退してしまいました。周りの友達は高校へは進学せず、夜の仕事をしていました。私もお金が欲しかった為、同じお店に入り夜の仕事を始めました。仕事が終わったら朝までみんなで遊びに行くという生活を繰り返していました。夜の仕事場で出会った10歳年上の男の人と交際を始めました。その彼は、元々ヤクザだったので薬などが簡単に手に入りました。違法なカジノをやっているところでの景品としてもらってきたりして、私は彼から覚せい剤をもらい、常用するようになりました。そんな生活の中で彼が警察に捕まりました。私も捕まってしまったらどうしようと怖くなり、サウナで汗をかいて覚せい剤を身体から抜こうとしたり、外出を控えたりしました。捕まった彼は、私の事は警察には話さずにいてくれたので捕まらずにすみました。

執行猶予で留置所から出てきた彼と、「もう覚せい剤はやめよう。」と約束しました。だけど、彼の交友関係や生活は今までと変わらなかった為、すぐに覚せい剤を手に入れることができ、また始めてしまいました。彼は身体に刺青が入っていました。そんな彼を私は、かっこいいと思っていました。付き合って行く中で、私も「刺青を入れたい」という思いになり、友達と一緒に刺青を入れに行きました。18歳以上でないと刺青を入れてもらえない為、先輩に保険証を借りて彫ってもらいました。

<18歳>
彼が二回目の逮捕で刑務所に行く事になり、今度こそ私も捕まってしまうと怖くなりここに居てはまずいと思いました。友達の家を転々としたり、遠くに泊まりに行ったりして、身体から覚せい剤が抜けるまで自宅に帰らず過ごしました。このまま彼と付き合っていてはいけないと思い、離れることを決め刑務所の中の彼に手紙で別れを伝えました。彼と別れた後も、夜仕事に行って朝まで遊んで家に帰るという生活は変わりませんでした。



そんな中、弟が交通事故に遭いました。その日も朝帰りをし、寝ようとしていた時に自宅の電話が鳴り、弟が事故に遭い救急車で運ばれたという連絡が入り、母と一緒に病院に駆けつけました。弟の意識はとてもしっかりとしていた為、大したことはなさそうだとホッとしていましたが、両親が検査の結果を聞く為病室に入っていくと、母が泣きながら看護婦さんに支えられて出てきました。何があったんだろうと思い、中に入って父に「どうしたの?」と聞くと、弟はもう歩けないと告げられ頭の中が真っ白になりました。私は怒りがこみ上げて来て、その場にいた加害者親子に「弟の人生を返せ!」と掴みかかりました。その時は弟をこんな目に遭わせた相手を絶対に許さない!絶対に復讐してやる!と思っていました。


それから私達家族の生活は、がらりと変わりました。母は病室に泊まり込み、付きっきりの生活、父も仕事と病院を行き来し、祖母も家事をしながら病院に通い、私は夜の仕事を続けながら病院に通っていました。3ヶ月間浜松の病院に入院をし、先生から兵庫県にリハビリ施設の整った病院を紹介してもらい、転院することになりました。母と私は病院の近くにアパートを借り、病院とアパートを行き来する毎日が始まりました。弟も一生懸命リハビリをし、パソコンを使えるまでに回復しました。



<19歳>
2009年6月 弟が兵庫県の病院を退院し、自宅に戻りました。最初は家族と一緒にぶどうの木の集会に行っていたのですが、弟が自宅に戻ったことによってどこかホッとし、私は元の生活に戻ってしまい日曜日を聖別することができなくなりました。その頃働いていた夜の店で9歳年上の男性と出会い、交際を始めました。交際を始めてしばらく経った頃、友達伝いに彼が妻子ある方だと聞き、私はビックリして彼に「妻子のある人とは付き合えない」と言って別れを告げたのですが、「もう離婚するつもりでいるから」という言葉を信じ、バレなければいいやという安易な気持ちで交際を続けていました。しかし、妻子ある人と付き合っている事が両親に分かり、父は「付き合いはやめてくれ」と彼に言いに行きました。その時は父の事をうっとおしく思い、別れたフリをして交際を続けていました。

<20歳>
周りの友達が夜の仕事を辞め、昼間の仕事に就く子が増えていきました。私もそろそろ昼間の仕事をしようと思い、靴屋の面接を受け昼間の仕事を始めました。他のスタッフの方ともすぐに打ち解け、毎日楽しく仕事に行く事ができましたが、昼間の仕事をしながらも私は夜の仕事をなかなか辞める事ができませんでした。私が夜の仕事を辞められなかった一番の理由は、お金でした。男の人から持てはやされ、高価な食事やプレゼントをもらったりと、私にとって得な事ばかりだったので、辞める気持ちになりませんでした。16歳から夜の仕事をしていても、両親から叱られる事もなかったので悪い事をしている感覚もなく、どうせ中卒だし自分がやりたいと思う職業には就けないし、もう仕事なんか楽して稼げたらそれでいいと思っていました。



彼と交際を始めてしばらく経った頃、刑務所に入っていた前の交際相手が出所し連絡をしてきました。私は交際をしている人がいること、もう連絡は取れないという事を伝えました。前の交際相手との事も、出所してからしつこく連絡がきましたが、不倫相手の彼と前の交際相手は、先輩・後輩の関係だったので、それが分かってからは連絡がこなくなりました。
前の彼が刑務所に入ってからは、覚醒剤をする事は無かったのですが、たまたま飲み屋で知り合った人からもらったのがきっかけで、また煙草を吸う感覚でマリファナを常用してしまいました。


2010年6月15日、私が20歳になった時に、牧師を通してイエス様からヨハネ11:9~10の御言葉を頂きました。

ヨハネ11:9~10
イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。 この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。


イエス様は全てご存じで、牧師に私の状態を示されました。両親は牧師から、「今すぐ娘さんを夜の世界から足を洗わせなさい。身体に刺青を入れさせてしまうような関係を断ちなさい。そして不倫の関係も解消させる事。サタンにチャンスを与えてはいけない。娘さんの一生が台無しになってしまう。大変危険な所にいますよ。」と言われたそうです。

兵庫の病院に牧師達がいらしてくれた時に、最初は弟を癒す為に来てくれたのですが、病室に入った瞬間、私達家族を見て弟ではなく「私を癒す為に来た」とイエス様に言われたそうです。私は病室で牧師達が祈ってくれている時に、突然気分が悪くなり、吐き気をもよおし我慢するので精一杯でした。

その時はどうしてか分からなかったのですが、今振り返ってみると、私の身体の中から覚せい剤が抜けていったのだと思います。薬を辞めても中毒症状が出る訳でもなく、その時に私は、覚せい剤から癒された事が分かりました。



<21歳>
前から両親にはもう一度勉強して、高校卒業の資格を取る事と、刺青の除去治療をすることを言われていました。中卒である私は、社会に対する視野も狭くなっていました。高卒の資格を取れば、大学でも専門学校でも道は開けてくる事も言われました。


2011年6月、刺青除去の治療の為、東京のクリニックに通い始めました。刺青を入れた時は、覚醒剤をやっていたので痛みは全然ありませんでした。しかし除去治療は、レーザー治療で火傷と同じ状態になり、治療をし、1週間はひどい痛みが続きました。2011年7月31日に一年ぶりにぶどうの木の集会に参加しました。

母が牧師達と韓国へ行っている間、弟は病院へ短期入所していたので、弟が集会へ参加するためには父と祖母の補助だけでは大変なので、私も一緒に行く事になりました。久しぶりに行った集会でも兄弟姉妹は温かく迎え入れてくれました。その時にholygirl牧師からみことばをいただきました。

マルコ10:27
イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。

私の仕事はサービス業の為、日曜日は営業日だったので、月に1~2回日曜日に休みを求め、集会に参加していました。



2012年4月、その頃父が癌になり、入院する事になりました。父が入院するとなると、家で弟の介護をする母の手伝いが必要にもなるし、毎週日曜日の集会に行く事を両親に言われました。とても好きな仕事だったので正直悩みましたが、父も癒されてほしいと思ったので退社を決めました。父が癌で入院している頃、私は妊娠している事に気付きました。彼に話しましたが、妻子のある人で返事を聞かなくても分かっていたので、おろすから大丈夫だよと伝え中絶手術にかかる費用をもらいました。家族には絶対に隠しておきたかったので、つわりがひどくても無理をしてご飯を食べたりしていつも通りを装っていました。中絶手術の直前のエコーの検査で双子である事が分かりその時に、本当にこの選択でいいのかと迷い涙が止まらず麻酔が効きませんでした。

その後、彼とはやっぱり一緒に居てはいけない人だと気づき、自分が今までしてきた事を反省し、彼に別れを告げました。


<22歳>
父は癌が癒されて退院しました。その頃前から両親に言われていた高卒の資格を取るということに意思が向き、2012年8月に高卒認定試験を受けました。一回目は自分がどの程度の力があるのかを試す為に一切勉強をせず、イエス様に祈りながら受け4教科合格する事が出来ました。残りの4教科を確実に合格するために9月から高卒認定試験の勉強を専門で教えている学校に通い、11月の二回目の試験では、3教科合格する事が出来ました。落としてしまった1教科も学校でレポートを提出して、テストに合格すれば単位が取得できるという制度があり、それも2月に合格する事ができ、高卒資格を取得する事ができました。高卒資格を取得する事によって、私の夢であった美容専門学校も合格する事ができました。その時に頂いたみことばが

マルコ16:17~18
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむでろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。

諦めていた人生も、意思を向けた事により、たった7ヶ月で私の人生が変わりました。イエス様に意志を向けた事で、無理だと思っていた高校の資格、行きたかった美容専門学校を与えて下さいました。

私はぶどうの木で沢山の事を学びました。


<許す事>
弟の交通事故の加害者本人、家族を許せずにいた私でした。ぶどうの木で同じ部屋で一緒に集会を行っていましたが、ずっと許せずにいました。ある日、自分の中で許せない思いが爆発し集会中に「私はずっとお前らの事を許そう許そうと思っても許せなくて、苦しくてしょうがなかった」と思いをぶつけました。“絶対に加害者を許すなんてできない。ありえない。”と思っていた私でしたが、ぶどうの木につながり聖書を勉強していく中で「許し愛し祝福し尊敬し」という事が何度も語られ、ある日スッとその思いが入り加害者本人、家族を許そうという思いになりました。今は普通に会話をしたりできる自分になりました。

マタイ7:1~2
人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

ヘブル12:14~15
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。



<コミュニケーション>
イエス様を知る前の私の家族は、会話は必要最低限の言葉しか交わさないという本当に会話の無い家族でした。私も中学を出てからは夜外出する事が多くなり、家族と過ごす時間が減り、うるさく言われたくないという思いだったので、家族を避けるようになりました。家族といるよりも友達といる方が楽しかったし、そんな中で家族も特にうるさく言う事もありませんでした。それぞれが常にピリピリしていて、とげとげしい言葉を発したり喧嘩になる事がたえませんでした。ぶどうの木に繋がり、相手は鏡という事を知りました。相手の言動、表情は自分だという事を教えてくれました。もっと相手の事を思いやり、関心を持つ事が大事だと言われ本当にそうだと思いました。

その事を知ってからもすぐには実行する事ができず、何度も何度も牧師から注意をされました。誰かの為にイエス様に繋がるのではなく、自分とイエス様なんだという事を教えられてからは、家族の一人一人がしっかりとイエス様に繋がり、言葉づかいや態度、表情が自然に変えられていき、家族のコミュニケーションが増えていきました。今までは食事以外はそれぞれ自分の部屋で過ごす事が多かったのですが、イエス様によってすべてが変えられてからはリビングで家族揃って過ごすようになりました。

詩編112:1~4
主をほめたたえよ。主をおそれて、そのもろもろの戒めを大いに喜ぶ人はさいわいである。その子孫は地において強くなり、正しい者のやからは祝福を得る。繁栄と富とはその家にあり、その義はとこしえに、うせることはない。光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。

ルカ11:41
ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。



<自分を大切にする事>
私は、お酒、煙草、刺青、薬物、妊娠、中絶を経験してきました。今の世の中でお酒、煙草、をしている人も珍しくなく、当時の私も「みんなしている事だし、何が悪いの?」と思っていました。薬物も若気の至りでずっとやるつもりはないし、辞めたいときには簡単に辞められると思っていました。“誰にも危害を加えてないし別にいいじゃん”という感覚でした。刺青は、かっこいいからという単純な考えで入れてしまい、彫り師の方に「もっと大きくした方がかっこいいよ、同じ値段で大きく彫ってあげるよ」と言われ、もともと考えていた絵の大きさよりも倍以上の大きさで入れてしまいました。入れてしまった時は自己満足で嬉しい気持ちになっていましたが、生活していく中で、大衆浴場やプール、洋服も刺青が見えない様な服を選ばなければいけなかったりと不自由な事が出てきて、入れてしまった事を後悔しました。

ぶどうの木ではもっと自分を大切にする事を教えて頂きました。当たり前のことですが当時の私はその当たり前の事も分からずにいました。

エペソ4:22~24
あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

マタイ5:8
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。



<いろんな世界がある事を知った>
ぶどうの木を通して知り合った人たちは、皆それぞれ仕事、家族など問題を抱えていて、救われた人たちばかりでした。兄弟姉妹は今までの人生の歩きを包み隠さず話してくれました。イエス様に祈り求めていったら、“日曜日休みの職場が与えられた”“家族内の関係が良くなっていった”“病気が癒された”などと、集会で会うたびに変えられていく兄弟姉妹達を目の当たりにしていくうちに、“この人も私と同じような思いをしてきたんだ”“この人はこんな思いで生きてきたんだ”、自分とは全然違う大変な世界で苦労をしてきたという事を知ると同時に、イエス様に祈り求めたら、悩んでいた事もこんなにもスムーズに変えられていく事を教えられました。それまでは、“他の人たちに私の悩みや、気持ちなんて分かる訳ない”“どうせ軽蔑されるのだから、話すだけ無駄。” という思いが強くあった為、自分の事を他人に話す事がなくなっていた私ですが、一見普通に見える人たちもこんなに大きな悩みを抱えていたんだと改めて思い、悩みを包み隠さず他人に話すという事は、恥ずかしい事ではないと思うようになりました。それからは自分の事を自然に話せるようになりました。

私は、自分が今まで生きてきた世界にしか目を向けていませんでした。ずっと夜の世界で生きてきた私は、お酒や煙草にまかれていました。悩み事があると、“人に話したって解決しない”、と人に悩みを話す事をせず、お酒と煙草に頼り、お酒に酔って忘れればいいと思って生きてきました。しかし、ぶどうの木の兄弟姉妹達から、色々な話を聞く事により“こんな世界もあるんだ”、“私が生きてきた世界と全然違う”、“こんな考え方もあるんだ”と自分の視野も広がり、人に悩みを話す事によっていろいろな答えが得られるという事を知り、 “自分の事をもっと聞いてもらいたい”、“一緒に答えを探してほしい”という思いになりました。

将来の事も、家族や兄弟姉妹が聖書に基づき、高卒認定試験を進めてくれたおかげで、高卒を取ろうという思いになり、高卒資格を取得する事が出来ました。私の為に祈り、背中を押してくれる兄弟姉妹になら、私の全てを話しても軽蔑されないだろうと思い、私は今まで家族にも話せなかった事を、姉妹達に話す事が出来ました。今まで誰にも話せず、隠し事をして生きてきて苦しかった事も、姉妹達に話す事によってスッと肩の荷が下り、とてもスッキリしました。私にその思いを入れてくれたイエス様に感謝です。

ヨハネ14:21
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

ヨハネ16:23~24
その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。



<サタン>
ぶどうの木でサタンというものの存在を知り、今まで自分がしてきた過ち、家族内の問題、弟の事故はすべてサタンのせいである事を教えて頂きました。サタンの存在を知ることにより、私は人を許すという事がとても簡単になりました。許しがたい他人の発言、行動、今まで簡単に許す事が出来ず私も同じようにカッとなって言い返したりしていましたが、すべてサタンの支配下にあり、サタンがさせているという事が分かってからは、穏やかに対応する事ができるようになりました。

使徒行伝4:12
この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

ヨハネ黙示録12:11
兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。



<弟に対しての希望>
弟が交通事故に遭い完全四肢麻痺となり介護が必要な身体になってしまい、私は父、母、祖母が亡くなってしまったらどうしていけばいいのだろう、と自分の将来や弟の将来が不安で不安で仕方ありませんでした。そんな中イエス様と出会い信仰で弟が立ち上がる事を教えられ、今までの不安が一気に無くなり心がとても楽になりました。弟もイエス様にしっかりと繋がり、信仰に立っているので、立ち上がり歩き出す事を約束されています。これからも私達家族一人一人も、しっかりとイエス様に繋がって信仰に立ち、感謝し、一致団結して弟の完全なる復活も祈っていきたいと思います。

マタイ6:33~34
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

Ⅰテサロニケ5:16~18
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

Ⅰコリント13:4~7
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

私達は、色々な霊力の中で生活しています。そのため、少しでも隙があればサタンの策略にはまってしまいます。そうならない為にも、イエス様にしっかり繋がり、みことばに従って忠実に歩んでいきたいと思います。


ホセア2章10~15
わたしは今、彼女のみだらなことをその恋人たちの目の前にあらわす。だれも彼女をわたしの手から救う者はない。わたしは彼女のすべての楽しみ、すなわち祝、新月、安息日、すべての祭をやめさせる。
わたしはまた彼女が先に『これはわたしの恋人らが、わたしに与えた報酬だ』と言った彼女のぶどうの木と、いちじくの木とを荒し、これを林とし、野の獣にこれを食わせる。また彼女が耳輪と宝石で身を飾り、その恋人たちを慕って行って、わたしを忘れ、香をたいて仕えたバアルの祭の日のために、わたしは彼女を罰すると主は言われる。それゆえ、見よ、わたしは彼女をいざなって、荒野に導いて行き、ねんごろに彼女に語ろう。その所でわたしは彼女にそのぶどう畑を与え、アコルの谷を望みの門として与える。その所で彼女は若かった日のように、エジプトの国からのぼって来た時のように、答えるであろう。


マタイ5:13~16
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。



私は、もうなんの役にもたたない人間では無くなった事。同じ苦しみを持った人たちの光となる事を約束します。全ての栄光をイエス様に帰して、アーメン。