救われたということ
~古い自分から180°変えられた歩み~

 
 

私は、44歳の男性です。救われてイエス様を受け入れてから5年が経ちます。 
この5年間は、それまでの古い自分から180°変えられていく、イエス様の真の救いの道のりでした。聖霊を受け、みことばに沿って真理に従っていったとき、自分自身も変えられ、そして周りも変えられていきました。
イエス様の御手の中ではない人生は、誰しもがなんらかの悪霊にとらえられ、自分では気づかないうちに滅びを刈り取っています。私自身のこの5年間のあゆみは、数々のイエス様の祝福の証をいただいたとともに、これまで自分をだましてきた悪霊が明らかにされ、解放されてきた歩みでした。救われる前の古い自分から180°生まれ変わったクリスチャンとして、私のこれまでの歩みを証させていただきます。

ヨハネ3:5-7
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。

【救われるまでの私】

私は大阪で生まれましたが、父が地元である鳥取で仕事をすることとなり、4歳の時に鳥取に転居しました。私は4人兄弟の2番目で兄が1人、あと妹と11歳離れた弟がいます。
私が小学1年の時、顔にあるほくろのことで同級生からからかわれ、いじめられた時より自分の容姿にコンプレックスを抱くようになりました。ただ、小学校低学年の時は成績の良い、いわゆる“優等生で”、むしろいろいろなことに気づき、口がたつ方であった記憶があります。しかし、ある時、担任の先生を通じ、掃除の時などに偉そうに人に指示ばかりしていると指摘されました。小学生ながら、そう指摘されたことにショックを受け、それ以降、人に指示したり、意見したりなるべくしないようにしようと心に決めたのを覚えています。
ちょうどその頃(小学校3-4年の頃)から、私の家は父親の仕事がうまくいかなくなり、貧困となりました。私の父と母の仲も悪くなり、ふがいない父親をわたしたち子供達も軽蔑するようになっていきました。
経済的に余裕がなくなり、貧困になっていく中で、ますます自分や家族に自信がなくなり、他人に対してもあまり自分の意見を言わないようになっていきました。小学校高学年から中学生くらいになるとますます、対人関係がうまくいかなくなり、仲良かったはずの友達から突然仲間はずれにされたり、孤立することも多くなりました。

家族の方は、父親の収入が少なかったため、母親が仕事に出るようになり、家庭においての父親の権威はさらに落ちていった記憶があります。

中学時代は貧困もピークを迎え、食べるものもろくになく、銭湯にも行けないような生活になりました。母親も働きに行くようになり、そのうち夜の仕事にもでるようになりました。その中で、中学時代には対人恐怖症に近い状態となり、不登校の時代がありました。児童相談所(学校の隣りだったのですが)までは行けても学校には行けないような状態が半年以上続きました。しかし、(今ではなぜそうできたか記憶にないのですが)、中学3年の2学期から吹っ切れたように学校に行けるようになりました。そして、当時の担任の先生の支えもあり、地元の進学校に進むことができました。

高校生になると、決して対人関係がうまくできていた訳ではなかったですが、中学の時のようなことはなく、勉強や部活動もそれなりにこなすようになっていました。しかし、やはり率先してリーダーシップをとるタイプではなく、あまり自分の意見を口に出すことはありませんでした。
家計の事情は決して好転することはなく、高校2年の時、父親が外に借金を作っていた事がわかり、そのことがきっかけで両親は離婚に至りました。その当時、父を軽蔑していた私は、外に借金を作っていた父を裁き、許せない思いで、両親が離婚することもむしろ賛成していました。そして、その頃より、自分自身も次第に自分の両親は頼れない思いが強くなりました。高校時代にはすでに授業料免除申請を自分で行い、小遣いは親戚の子を家庭教師して得ていました。

離婚後も、経済状態は思わしくありませんでしたが、自分が大学進学をすることは当然のように考えていました。そのうち、私は医師を志すようになり、大学医学部に進学しました。その時も、特に親には相談はせず、自分自身で決めました。大学進学にあたって、経済的に私立大学は不可能であったため、国立大学しか選択できませんでした。

大学進学後も、経済的に親には頼れないため、授業料は6年間全額免除申請し、もらえる奨学金は自分で調べて申請し、ひまがあればアルバイトをして大学を卒業しました。
大学時代はアルバイトも積極的に行っていたので、人との交わり、コミュニケーションは以前よりはできるようにはなっていきましたが、自分に自信を持っていたわけではありませんでした。その中でも、物事をすぐに行わず、後回しにしたり、責任ある仕事を率先してはやらなかったりする消極的な面が自分にはありました。そういった一面は就職し、結婚してからも続いていきます。

卒業後は医師となり、経済的には安定しましたが、そういうこれまでの生活の中で、実家との距離は次第に空くようになり、母親から連絡がある時にはお金の支援を頼まれる時だけになりました。そのうち、実家では弟が対人関係のこじれから高校をやめ、引きこもりとなり、そのことがきっかけでそれまで暮らしていた鳥取から母の実家がある広島に引っ越しをしました。 そのような実家の状態であったにも関わらず、私はあまり実家との連絡をとることもなく、“自分は自分”という感じで、実家をあまりかえりみず、お金をときどき送金するだけとなりました。

年齢も重ねるにつれ、自分自身も結婚することに対して意識はするようになりました。結婚願望はそう強い方ではなかったのですが、これまでの家庭環境と父親に対する嫌悪感から、「こんな父親にはなりたくない。」との思いを抱いていました。まずは経済的に家族をしっかり支えないと父親として失格であると考えていました。
その後、妻と出会い、結婚しました。しかし、その結婚という大事な人生の契機を向えると、自分の中の無知でおろかな面が露呈するようになりました。ただ仕事をして家計を支えることが父親としての最大の役目だと思っていた私は、家の中のことに気を配る訳でもなく、大事な場面でも家族をひっぱっていくこともできずにいました。
また、結婚後はますます実家をかえりみなくなり、時々かかってくるお金の支援の電話も疎ましくなり、定期的にお金を送金してあまり連絡もとらないようになりました。その間も弟は引きこもりの状態でしたが、私はあまり関わらないようにしていました。

2003年4月、仕事の関係で現在の浜松に転居しました。転居したばかりの際、新しく変わった仕事にばかり気が回され、実家に引っ越し先の住所等も知らせることを忘れていました。その時、母は妻に対し電話で強く非難し、妻の両親をも電話で非難しました。一方、私自身に対してはそのことについては何も非難することはなく、ただ何事も無かったような話だけでした。確かにちゃんと連絡をしなかった私が悪かったのですが、その当時その母の態度に対し怒りを覚え、それまで疎ましく思っていた思いがさらに強くなりました。ひどいときにはいっそ死んでくれないかと思う時さえありました。それが原因で実家との関係もますます悪くなっていきました。長男はアトピー性皮膚炎がひどくなり、妻のストレスも重なるばかりで、わたしも家の中でリーダーシップをとることができず、本当に崩壊寸前の状態でした。



【イエス様との出会い】

そのような状態の中で、私と家族はクリスチャンになり、救われました。
当時、次男の幼稚園の先生が勤めていた幼稚園を退職され、クリスチャン書店の店長となっておられました。店長就任のあいさつのはがきが来て、妻が子供を連れて行き、まず長男、妻がイエス様を受け入れ救われました。妻は先生のお母様から、数々の証を聞き、それを私に聞かせてくれました。しかし、私は当初はいわゆる宗教としか思えず、素直に信じる事ができませんでした。特に、病気、癌の癒しの証などは、医者である私には、科学的に根拠の無いことは信じられず、聞き流していました。しかし、その後家庭集会にも招かれるようになり、じっくりと話を聞いているうちに、「そういう事もあるのかも」と次第に思うようになりました。当時、ひとりの韓国人青年と出会いました。その青年はまだ半信半疑であった私に、クリスチャン書店でイエス様を受け入れることを勧めてくれました。その青年と家庭集会で出会った際、先生のお母様は私達を前に神の癒し“神癒”があることを語って下さいました。当時は神癒とは体、病気の癒しのことだけだと理解していましたが、後に“神癒”が私自身に起こっていくとは想像していませんでした。

2007年9月2日(日)、それまで家庭集会で行っていた集まりが、先生のお母様が牧師として立てられ、次男の担任の先生が副牧師とされ、ぶどうの木教会としてスタートする事となりました。私達家族はその1回目の集会に参加しました。そこで語られたみことばはヨハネ15章でした。

ヨハネ15:16-17
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

わたしは特に“わたし(神・イエス様)があなたがた(私)を選んだのである。”のみことばが心に残った記憶があります。当初、私が集会に行き始めたのは、当時家庭内の問題で悩んでいた妻が解放されることを願ってでした。自分自身のことはあまり考えていませんでした。しかし、そのみことばと、それまで妻を通して語られてきた証、そして妻自身の変化を感じ、自分も信じてみようかと思うようになり、共に集会に参加しました。そして、1回目の集会後、私はイエス様を受け入れ、救われました。そして同時に聖霊のバプテスマを受けました。

【クリスチャンは健康面でも、社会的にも、経済的にも祝福される】

わたしがイエス様を受け入れたとき牧師を通してのぞんだみことばは、2007年9月2日に詩篇128篇、そして9月3日に127篇でした。

詩篇128
すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう。あなたの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んでオリブの若木のようである。見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。主はシオンからあなたを祝福されるように。あなたは世にあるかぎりエルサレムの繁栄を見、またあなたの子らの子を見るであろう。どうぞ、イスラエルの上に平安があるように。

詩篇127
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてはならぬものを与えられるからである。見よ、子供たちは神から賜った嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

この最初のみことばでイエス様は私に、私自身、そして私の家族も祝福することを約束して下さっていました。そして、当初より牧師を通して語られていたことは、「クリスチャンは健康面でも、社会的にも、経済的にも祝福される」ということでした。

マタイ6:33
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

当時、私の長男と次男はひどいアトピー性皮膚炎に苦しんでいました。より有効な治療を求めて、月に1回名古屋にある診療所に通っていました。自費診療であったため、薬代も高価でしたが、子供達の症状が少しでも良くなればと通っていました。2回目の集会の日は、ちょうどその通院日にあたりました。牧師から、「癒されていることを証明してもらうため、行ってきて下さい。」と言われ、私は子供達をつれて行きました。その診察で、担当医師は、「二人とも良くなっている、もう通院しなくてもよいですよ。」と、本当に子供達が癒されていることを証明してくださいました。その後、現在まで子供達のアトピー性皮膚炎は完全に癒され、日常生活を何の不自由もなく送ることができています。イエス様は医師である私が最初は信じる事ができなかった神の癒しを、まずは私の子供達の癒しを通して示して下さいました。私にとって一番分かりやすい形で祝福し、ご自身の力を証して下さったのです。

そして、救われてから4週間経った日、妻が長女を妊娠していることがわかりました。医療が進んで、いろいろな病気が医学の力で治すことができるようになったと思われがちですが、実際は人の力ではどうにもならないことがたくさんあります。わたしは産婦人科医師をしているため、普段から妊娠、出産の神秘性を思い知らされています。特に妊娠については、人が直接手を下すことができない部分がたくさんあることを常日頃痛感しています。イエス様は神にしかできない方法でその存在と力をあらわして下さったのです。そのことを初めて牧師に報告した集会で、あらためて詩篇の127篇3-5が臨み、そしてゼパニヤ書3章17の賛美を歌いました。

ゼパニヤ書3:17
あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新たにし、祭りの日のようにあなたのために喜び呼ばわられる。

その後、妊娠中も守りの中でスムーズに過ごすことができ、2008年5月に私達に長女が誕生しました。私達夫婦は当初から「女の子ができるといいね」と話していたので、神にしかできない一番の祝福を私達に与えてくだいました。その後、牧師の解き明かしから3人の子供達の名がゼパニヤ3章17に記されていること(勇士、勝利、愛)を解き明かされました。そしてそのみことばをもって、私が救われた時にすでに、あなたを新たにすると約束して下さっていたことが、今、あらためてわかります。
そして、救われてから社会的にも経済的にも祝福されていきました。

わたしは救われるとき最初に引っかかったのが献金のことでした。当時家を新築したばかりでローンの返済も決して余裕をもった返済プランではありませんでした。その中で収入の10分の1を献金することは一家の主としての最初の決断でした。牧師は以下のみことばを通して、献金とは神が与えて下さった収入の10分の1は神のものであり、それを感謝して神にお返しするということ、そして唯一神がご自身を試しても良いといってくださっていること、そして必ず祝福すると約束して下さっていることです、と教えて下さいました。

マラキ書3:8-12
人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。

信じてみる気持ちになり、献金に対しても素直にやってみることにしました。当初は経済的にやっていけるか不安でしたが、実際、ふたを開けてみると家計が赤字になることもなく、ローンもしっかり支払いながらも、特に家計を切り詰めることもなく生活することができていました。さらに、何か必要が出た時などには病院から臨時にボーナスが出て補われるなど、イエス様は約束通り、経済的にも常に守って下さいました。

また、仕事上でも常にイエス様の守りの中にいました。当初、懸念していた事は日曜日を聖別することでした。産婦人科医は24時間365日拘束されるのが通常です。病院勤務においても日曜日の当直勤務は本来必ず行わないといけません。日曜日の当直を断ることが最初の信仰の行いでした。しかし、実際は特に同僚からとがめられることなく守られ、日曜日を聖別することが可能でした。さらに、日曜日以外はしっかりと診療をすることができました。自分が担当する患者さんの数は病院の同じ科の中で一番多くなりました。手術の際には必ずイエス様に祈り、イエス様の十字架の血をかけてから手術するようになりました。すると、難しい手術もこなすことができるようになり、患者さんも無事に退院していきました。また専門である不妊治療においてもイエス様に祈りながら治療していった時、その成績も上がっていきました。
そして、4年後には、私の仕事の様子を評価して下さった先生より誘っていただき、勤務病院を変わることとなりました。イエス様の経済的な祝福は大きく、結果、私の収入は二倍になりました。
イエス様はみことばどおり、大きな祝福を私達家族にもたらして下さいました。そして何より、自分自身が一番求めていた、家族の中に平安がもたらされた事が一番の祝福でした。



【真の解放、自分自身を根底から変えられる】  

クリスチャンになり、古い自分から180°変えられるということは、救われる前の人生の自分の中にあった神からは来ない性質と完全に決別し、内なるイエス様に従い、聖霊の導きにより歩む人生に変えられるということです。私の場合も多くの恵みを受けてきた中で、自分自身をとらえてきた悪霊の正体を明らかにされ、根底から変えられていきました。 

クリスチャンになって、しばらくたった2008年秋、私達は自動車接触事故(相手がぶつかってきました)にあいました。その事故相手を通し、私の母親の「ねたみの悪霊」を牧師は見分けました。そして、実家との関係改善、弟の自立が真の解放とわたしたち家族の幸福につながるとの“知恵の言葉”により教えられました。

まず妻が不仲であった母親を許し、謝罪と福音の手紙を送ったことから実家への働きかけが始まりました。
牧師からは「わたしたちがいるという事を知らせてあげなさい。安心させてあげて下さい。」と言われました。当初は私も実家のことを裁いていたため、弟の事に深く関わることに抵抗がありました。しかし、牧師を通して語られるイエス様からの知恵、そして母を許した妻の支えもあり、まずは弟の自立を願い、働きかけを始めました。まずは電話にて実家の様子、弟の状態を聞くようになりました。しかし、当初は母も「わたしたちのことは放っておいて」と言うばかりでした。弟は私が電話しても電話に出ることはありませんでした。 年末になり、休みを利用して、久しぶりに私は広島の実家に行くことにしました。イエス様はそれに際し、私に金銭面での支援もして下さいました。私は久しく顔を合わせたことのない弟と会い、話ができるか思い煩っていましたが、イエス様を信じて祈り、広島に向かいました。
広島では今まで電話に出なかった弟が自分の部屋から出てきていました。終始、弟は素直で私は広島に向かっていた時の思い煩いは無くなっていました。

私は自分の実家に働きかけはじめた当初は、まずは弟が自立できること、就職できることを求めていました。最初に実家に行った際も、就職を求めてどんどん外に出て行きなさいと促しました。弟を誘い、買い物に出かけました。いつでも就職できるようスーツをそろえる事を牧師を通して示されていた私は、弟を連れて紳士服屋に行きました。弟はスーツを買うことは初めてでした。そこで見せられたのは、試着の際は自分の上着を店の床に投げ出すように置いてみたり、二十代後半で相応のマナーや常識を身につけていない弟の姿でした。
久しぶりに再会し、すんなりと話し、外出することができたことに安心した私は、弟の就職に向けてさらに働きかけをしていきました。就職や今後のために必要であろうと、自動車免許の取得を弟に勧めました。そして自動車学校に入学することとなりました。自動車学校にはいるまでは、弟も素直に受け入れていました。しかし、実際に行き始めると、2日行っただけで行けなくなりました。原因は視力検査で視力低下を指摘され、眼鏡を作らなければいけなくなったという事でした。端から見れば、そんなことで、と思えることでしたが、そんな些細なことでもつまずいて自動車学校に行けなくなるほど、弟はサタンに翻弄されていたのでした。しかしながら、私自身はどうしてそんなことで行けなくなったのか理解できず、何度も電話で声をかけようとしました。しかし、それからしばらく、弟は私が電話をかけても出なくなりました。さらには電話の向こうで「絶対に電話に出てやらないからな!」と怒鳴る声も聞こえるようになりました。その働きかけの中で、母親からは、しだいに弟が引きこもりになった経緯やその時の様子が聞かれるようになりました。弟は高校時代に友人関係からつまずき、高校を中退、通信課程で高校卒業認定は受けましたが、その後外出もできなくなり、家の中ではカーテンも開ける事もできないほどであったとのことでした。さらに家の中では不満があると暴力的になり、どなって壁を蹴るなどしていたとの事でした。母親はその状態を恐れていたのでした。

かねてより牧師を通し、イエス様は私に子供達を実家に連れて行くことを勧めてくれていました。弟とは直接話できない状態が続いていましたが、思いが入り、2008年5月に長男を連れて広島に行くことになりました。当初は母も私が行くことに反対していましたが、長男を連れて行くことになると、喜んで迎えてくれました。しかし、弟は顔を出さず、「今回だけは勘弁してくれ」と母親に告げただけでした。母と兄と私と長男で食事に行ったり、ドライブに行ったりして過ごした後、実家にてしばらく話をしました。そこで見せられたのは癒されたはずの長男のアトピーの症状が出現し、かゆみが強くなった事でした。牧師からは、子供達を苦しめていたアトピーが私の実家の3-4代の血の中にある汚れの霊によるものだと解き明かされ、さらに弟の言葉より、「今回だけは勘弁してくれ」と言ったサタンにはもう力がないと教えられました。
その後、弟とはまだ話ができない状態は続きましたが、電話の向こうで暴言を言う様な状態は無くなっていき、徐々に弟は外出もするようになっていきました。

2009年9月、ぶどうの木に新しいトラクト「未来へのプレゼント」が完成しました。そのトラクトを弟に渡したい思いになり、同月、私はトラクトを持って実家に向かいました。「今回だけは・・・」と5月に言っていた弟は、その通りに素直に私の前に顔を出し、直接話ができました。私は弟を連れ出し、二人でこの半年間の状態を振り返り、話をしました。私はあらためて、サタンの存在を弟に伝えました。そして、できたばかりの「未来へのプレゼント」をもとに、弟は救われました。そして、聖霊も受けました。

その後、弟は徐々に変えられていきました。以前のように電話にも出ないようなことは無くなりました。弟とは普通に話ができるようになっていきましたが、就職、自立という部分ではもう一歩踏み出せないでいました。その中で、2010年5月私は再び、実家に出向く機会を与えられました。その際、私は母からひとつの告白を聞きました。それは弟が自動車学校に行った際の学費が実は返還されていたのですが、母はそれを生活費に使ってしまったと、申し訳なさそうに話したのでした。もともと教会から支援していただき、入学した自動車学校のお金ですから、使い込んでしまうことは常識外れな行為です。わたしもその話を聞いたとき、「とんでもない!」と心では思いました。しかし、聖霊にゆだねたとき、私は母を戒めたのですがその言葉は「どうして苦しかったのなら、連絡してくれなかったのか!」でした。この時、自分自身もそう強く戒めながら、なぜか平安で、自分自身を客観的にみている自分がいました。それまでの臭いものに蓋をする、家族に対しても無関心であった自分とは全く違う、これが聖霊の働きなのだと自分自身で体験した瞬間でした。
すると、隣で聞いていた弟は、今まで見せなかった態度で私に、これまで小学校時代から貧困でつらかったこと、そしてその中で大学に通っていた私に対し、とてもねたんでいたことを強い口調で告白してきました。わたしは弟をとらえてきたねたみの霊が表に出たことがわかりました。聖霊にゆだねたとき、本当のものが見えてくる体験をさせていただきました。

そして2010年秋には私達は妻と子供達全員で広島に行き、家族全員で食事をし、過ごす事ができるようになりました。その際は、弟は母と共に駅の改札に出迎えに来ていて、みんなで食事をした際も、終始穏やかに、普通の会話ができるようになっていました。

その後、2011年になり、弟の就職のために何か助けられる情報はないかとイエス様に祈りつづけていました。するとインターネットやテレビを通じ、就職を支援する公的なシステムがあることを示され、インターネットで調べたところ、実家の自治体にも就職支援のシステムがあることがわかりました。私は、それを弟に紹介しました。弟は自分自身も就職したい気持ちはあったが、どうすればよいかわからなかったといい、就職相談に行くことに前向きでした。イエス様の導きは必ず道が整えられます。この時も、私は丁度、転職のために休みを与えられていて、相談の予約もその休みにあわせるように取ることができました。ここまでの歩みのなかで、弟が苦しめられてきたこと、サタンにだまされてきた人は自分の想像できないような事でつまずいてしまうこと、相手の所まで下りていき、寄り添って導いていくことを、イエス様から教えられてきました。この時もわたしは広島まで出向き、弟の相談に立ち合いました。弟は相談員の方の質問にもしっかり答え、さらに職業訓練や社会体験などの様々なプログラムにも積極的に参加する意志も示しました。わたしもその場に立ち合い、相談員の方に直接事情を説明することができました。
 これをきっかけに、本格的に弟は自分の就職に立ち上がり、職業訓練のカリキュラムをこなし、コンピューター関連の資格を取得しました。さらに他人とのコミュニケーションもとれるようになり、接客のアルバイトもこなす様になっていきました。

使徒行伝16:31 
 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」



2012年4月、ぶどうの木には新しいトラクト「1つになろうよ!~命の絵本<命の糸に会う本>~トラクト版」が与えられました。ぶどうの木ではイエス様から家族の大切さを語られていました。聖書から語られてきた、社会の一番基本の単位である家族の在り方を、聖書に馴染みのない人たちにもわかりやすく、ストーリー仕立てにまとめたトラクトです。

2012年5月、私はこの新しいトラクトを持って、実家に向かうこととなりました。この時は、牧師を通し兄とコミュニケーションをとることを示されていました。私の兄は3歳年上で、高校卒業後就職し、実家の家計を支え続けていました。長男として、重荷を負っていないか、未だ独身の兄が将来に対して希望を持てているか、兄と話をする機会を求めて実家に向かいました。兄と二人で話す時間を求めていましたが、具体的な段取りを準備はせず、聖霊にゆだねていきました。すると、実家につくとすぐに母から、「母の日にあじさいの花が欲しい」と言われました。自然と兄と二人で買いに行くこととなり、兄と二人で話をする時間を与えられました。兄からはそれまで話したことがなかった兄の思い(母親は重荷にはなっていなかったが、弟の事は腹立たしく思っていた。しかし、弟は変わってきていて、そのことは兄も実感し、うれしく思っていること。結婚願望はあまりないことなど)を聞くことができました。私はこれまでの歩みは全てクリスチャンになって、イエス様から示されての歩みであったこと、弟の変化が何よりの証であると話しました。そして、「1つになろうよ!」のトラクトを直接わたし、兄自身の人生も大切にして欲しいと話しました。
兄と帰宅してからは、母も交えて話をしました。以前から母は人と話をしているときでも猛烈な眠気に襲われる事がありました。この時、私は母からその状態がさらに悪くなっていること(街で歩いている時や、自転車に乗っている時にでも眠気に襲われ、倒れることがあった)を聞かされました。私は母に「それはサタンによるもの、イエス様しかそれに打ち勝つことができない!」と話しました(後に牧師からはカルトの霊を示されました)。そして、“未来へのプレゼント”をもとにサタンのこと、聖霊のことを話しました。それはそういう原因不明の眠気状態の母を何とか救いたい一心でした。母は私の話を聞き、イエス様を受け入れる告白をし救われ、聖霊も受けました。私は眠気が襲って来た時には、イエス様の名を思い出して祈ることを伝えました。そして、母と弟にも「1つになろうよ!」を渡しました

2012年8月、私たちがイエス様に実家への働きかけを示されてから約4年が経とうとしていました。私たち家族は夏休みを利用して母や兄、弟に会うために、家族全員で広島へ帰省する思いが入りました。そのことを母に連絡すると、「貧血があり体調が良くない、会って話などできないから、絶対に来ないで!」と言われました。私は、救われる前の母との関係を思い出さされ、恐れの思いが来ました。しかし、牧師からは「ぜひ家族そろって行って下さい。そして、イエス様にならせていただいてきた実を確認してきて下さい。」と言っていただき、信仰に立って行きました。私たちは母に行くことを告げぬまま、実家に向かいました。私たちが駐車場に到着した時、ちょうど母が一匹の猫を抱いて玄関先で立っている姿が見えました。そして、次の瞬間、母はその場に倒れこんでしまいました。私たちは慌てて駆け寄り母を起こしました。その時、抱かれていた猫はさっとどこかに逃げて行ってしまいました。倒れ込んだ母の顔色は悪く、そして弱々しく、電話口でかたくなに来ることを拒んでいた姿はありませんでした。母には家の中で休んでおいてもらい、私たちは弟を誘い、1時間ほどドライブに出かけました。帰ってみると、母は顔色も良くなって元気になっており、私たちに何かお土産を持たせてくれようといろいろと準備してくれていました。そして、電話での拒否的な態度は嘘のように、話をしました。そして仕事から兄も帰り、家族そろっての再会が穏やかにできました。
イエス様はこれまでの歩みの中で、私だけではなく、私の実家の家族もみんなが変えられて来たことを、信仰を持って踏み出したとき、確かな証として示して下さったのでした。

2012.8.26、弟が初めてぶどうの木5年目を締めくくる節目の集会に参加することができました。かつて引きこもりの状態にあった弟は、この日、広島から浜松まで一人で新幹線を乗り継いで出てくることができました。そして、ぶどうの木の兄弟姉妹と共に食事をし、集会で交わりを持つ事ができました。弟にとって、家を離れ新幹線で何時間もかけて遠出をするという経験も初めてでしたし、たくさんの人の中で話をしたり、同世代の若者たちと交わりを持つ事も、本当に久しぶりの経験だったに違いありません。表情も終始明るく、まるで人が変わったかのようにはつらつとして広島に帰って行きました。その弟の姿を見て、母も「以前とは別人のように変わった。」と喜んでいました。弟はイエス様によって光の中を歩ける若者として生まれ変わったのです。

イエス様は私に、自分自身をだましてきた無関心の霊、自己愛の霊を、家族への働きかけを通じて明らかにして下さり、解放して下さいました。救われて聖霊を受けたとき、霊の思い(キリストの思い)に満たされると、それまでとは違う行動、言葉を発する自分がいました。救われて変えられるということは、自分自身が必死に変わろうとすることでなく、内にいてくださるイエス様の声(みことば)に従い、聖霊の導きに素直に従うだけだということを体感させられたのでした。
相手を先に変えるのではなく、私たちの方が変わり、偽物ではなく、本物のキリストの愛を注ぎ出した時、神はそれを見られて私たちと関わる相手を、初めて変えてくださいます。人間が人間を変えることはできない。クリスチャンはまずは、自分を吟味します。そして、自分が真理に従った時に初めて神の力によって周りを変えることができます、それは、神によって人が造り変えられる、神によって、サタンの支配で苦しんでいた一人の人がそこから解き放たれ光の中を歩ける者に変えられるということ。これが、一人の人が神から受ける癒し、“神癒”なのだということを学びました。



【ファミリアスピリットに打ち勝つ】

人は誰でも「自分とはこういう人間だ」という思いを持っています。それは生まれてから現在まで生きてきた環境や経験を土台として自分自身にすり込まれてきたものです。「わたしってこういう人」という思いは“ファミリアスピリット”という悪霊が働き、あたかも私自身だと思い込まされているだけです。

詩篇139篇1-4
主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。

詩篇139篇13-16
あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合されたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。

私たち人間は「母の胎内で神によって組み立てられる」と聖書には書かれてあります。そして、人は神が「この人はこの様に生きていくことが本当の幸せ、祝福である。」という一人一人に対して神からの祝福の計画(ブループリント)を持ってこの地上に生まれてきます。一人一人が神にとって「尊い一人」であるということです。誰もが違う姿、形、個性を持って生まれてきますが、それらを賜物(プレゼント)として神は、たった一人のあなたに分け与えておられます。救われ聖霊をいただくことにより、神が描いて下さった本来の自分に生まれ変わる事ができるのです。

救われる前の私は人とのコミュニケーションが不得意で、何も気づかないおろかな人間でした。そしてそんな自分に自信が持てず、家族を持ってからは、権威を持って父親として子と接することもできないでいました。救われてからも、イエス様は数々の証を私に示して下さっていたにも関わらず、私はすぐに昔の自分にもどり、イエス様の力を小さくしていました。古い自分=ファミリアスピリットが私を攻撃し、救われる前の自分に引き戻そうとしてきたのです。

そんな私をイエス様は2009年2月にぶどうの木長老として下さいました。決して私が良かったわけではなく、本当に無きに等しいものである私を選んでくださったのでした。その時、私にのぞんだみことばはローマ12章でした。

ローマ12章 
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。 
わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を超えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、勧めをする者であれば勧め、寄附をする者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい。

長老と任じられた時、最初に向き合ったのは韓国人の青年でした。彼はわたしがまだ救われていないとき、最初にイエス様のことを勧めてくれた青年でしたが、サタンの策略にかかりぶどうの木から離れていました。その彼が、東京に旅立つ前にイエス様は彼の前にわたしを1対1で置かれました。クリスチャンとしては明らかに彼の方が経験豊富でしたが、わたしはぶどうの木の長老として、また人生の先輩として彼に(イエス様に聞きながら)語りました。集会から離れていた彼に対し、神をおそれるということ、東京に行っても、聖書を開くことを怠らないようにと、語りかけていました。今思えば、わたしが言うべきことをイエス様はその時に教えて下さっていたと思います。すなわち、ぶどうの木において長老として、イエス様とつながり、愛と権威を持って真理を語ること、自分の意見ではなく、聖霊にゆだねて語っていくことを学び、経験させていただきました。

マルコ12:11
そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。

その後、その韓国人青年に対しては、イエス様、ぶどうの木に立ち返るよう働きかける機会を与えられました。かつての自分であったら、全く他人の青年に熱心に働きかけるような事はあり得ませんでした。しかし、イエス様はその青年に対しては何度も電話やメールで呼びかけ、そして時には直接会いに行くことも示して下さいました。その度に私は私の中のどこか他人に対する無関心な思い、他人に対する消極的な姿勢(古い自分)を明らかにされ、それを悔い改め、戦う訓練をされました。  

第1コリント16:13-14 
目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。いっさいのことを、愛をもって行いなさい。

2012年3月 イエス様から示され、その韓国人青年に対し、メール、電話でイエス様、ぶどうの木に帰ってくるよう働きかけを再び行っていました。しかし、彼はメールにも電話にも何も反応無く、無視し続けていました。2012年4月 ぶどうの木の姉妹に思いが入り、東京にいる韓国人青年に直接会いに行く事となりました。私は次男とともに東京に向かいました。電話にも出ないため、連絡せずに彼の職場に直接会いに行きました。職場に訪ねていくと、彼は留守中であったため、彼の上司が彼に電話して下さいました。すると久しぶりに彼は私に電話を返して来ました。しかし、その時私は消極的で弱い古い自分が現され、「電話に出ない、メールも返してこない。あなたが心配で直接会いに来た。何をやっているのか!」というまっすぐな思いをぶつけることができず、「東京に来たので、寄ってみた。せっかく来たのだから、会おう」のような弱々しい言葉を出していました。電話口の彼は「もう会う気持ちも、ぶどうの木に帰るつもりもない、職場に直接来るなどひどい」と暗い声で言うばかりで、最後は話も途中で切られてしまいました。その後は何度電話しても出ることはありませんでした。その後の私はせっかくのチャンスを取り逃した思いで焦り、その場に座り込んでメールするなど、突拍子もない、落ち着きのない行動を(自分では気付かずに)とっていました。後にその様子から、さらに私の中にあるカルトの霊を牧師から示されました。

そして家庭においてもイエス様とつながり、父親として愛と権威を持って家族を導くこと、それがイエス様の求める家族のありかた、父親のあり方であると教えられました。ある日、兄弟姉妹達と食事に出かける機会がありました。その時、私の子供達が使われ、子供達は落ち着きのない行動をしました。しかし、わたしはそれを父親として制することができませんでした。その姿を見た姉妹を通し、自分の中にあるファミリアスピリット、「自分は大した人間ではなく、自分が何か言ってもしょうがない、自分は父親、人間として失格だ。」と思わされる霊力を明らかにされました。

コロサイ2:10-12
そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。彼はすべての支配と権威とのかしらであり、あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。

ヨハネ1:12-14
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

現在、私はそれらの霊力に打ち勝って、クリスチャンとして生まれ変わった自分として、歩んでいます。決して自分が良かったからではなく、これまでのその歩みは自分がどういう霊力の中で生き、それによりどういう言動をとっていたかを明らかにされ、それと戦っていく歩みでした。

ヘブル 12:11-14
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。 また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。



2012年12月、島根の義父に胃がんができていることが判明しました。義父は手術を勧められたのですが、検査で肝硬変と食道静脈瘤があることがわかりました。胃がんは手術が必要と診断されましたが、食道静脈瘤はいつ破裂(大出血)してもおかしくない状態であり、手術リスクが高いと説明されました。
とても困難な状況となったのですが、今この時こそ恵みの時と信じ、妻は福音のため2012年年末に島根に帰省しました。義父は妻とともに祈り、信仰の告白をし救われ、聖霊を受けました。
年が明け、義父は治療方法に対し選択を迫られていました。胃がんに対し(比較的負担の少ない)腹腔鏡下で胃の部分切除を行い、術後落ち着いたら食道静脈瘤(肝硬変)の治療を行うか(この場合、術中および術後に食道静脈瘤の大出血のリスクが残る)、あるいは大きく開腹し、胃を全摘し、さらに(食道静脈瘤を改善させるため)脾臓を摘出するか(この場合、胃がんと食道静脈瘤の両者に対する治療になるが、手術負担が大きく、肝不全のリスクもある)のどちらかを選択しなくてはいけませんでした。義父もそして島根の家族もどちらにすべきか悩んでいました。
どちらを選択しても医学的には食道静脈瘤(肝硬変)の完治は難しいことはわかっていた私は、救われた今こそ、義父にはイエス様が頭で、信仰をもって立ち向かってもらいたいと思っていました。私は義父に電話をすることにしました。最初、電話口で義父は「どうなってもいい」と少し投げやりな言葉を出していました。私は、義父に心から「良くなってもらいたい」という気持ちを素直に伝えました。そして、「イエス様は癒し主です。どういう選択をしても、直してくれるのはイエス様しかいない。祈っています。」と伝えました。義父は「わかった。ありがとう。」と話していました。
救われる前の自分は自分の思いを素直に口に出すことはありませんでした。良くなって欲しい、と心から願い、そして医師としてではなく、ひとりの家族として、そして兄弟姉妹として信仰の言葉をかける事ができました。それまでぶどうの木で牧師を通してイエス様のメッセージを受け、兄弟姉妹達から多くの証を聞き、そして自分自身が訓練されたことにより、霊でこれまで受けてきたことを、心で感じ(相手のことを思い)、古い自分では考えられなかったような言葉を出すことができたのです。その時には医師としての医学的な常識を超越した思い、「イエス様こそが癒し主である」ということを、何の疑いもなく語ることができていました。これこそが、自分自身に起こった神癒であるとわかりました。
その後、義父は腹腔鏡手術を選択しました。牧師からは、食道静脈瘤については義姉と義父母のあいだに働いていた裁きの霊の現れであることが示され、手術の前に妻が使われ、義姉は悔い改めをし、妻と共に祈る事ができました。
手術は無事に終わり、術中も静脈瘤から出血することなく、無事に胃癌を取り除くことができました。術後、義父の口にした言葉は、ただ「感謝」のみでした。以前は口数も多くなく、素直に感謝の気持ちを言葉に表すことが少なかった義父は、今回救われたことで、素直に感謝の気持ちが口に出るよう、内面から変えられていたことがわかりました。
そして、手術から10日が経ち、義父は術後の検査で、食道静脈瘤が消失していることがわかりました。イエス様は食道静脈瘤を癒して下さったのです!それぞれが忠実に働き、信仰を持って行っていった時、義父の病は癒され、神癒は行われたのでした。

イエス様を受け入れ、180°生まれ変わるということは、それまでの自分とは全く違った新しい自分になって“生まれ変わる”ということです。「自分はこういう人間だ、こういう性格だ」という思いは、救われる前のサタンに翻弄されてきた自分に戻るということです。救われてクリスチャンとなった私達はそういうサタンからの思いに打ち勝つ力、イエス様の血の力が与えられています。自分は生まれ変わったのだと信じ、感謝し、私達は信仰に立って、ただイエス様の血の力を信じ、戦うだけなのです。

ルカ10:19
わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。


これまで受けてきた数々の証を振り返り、イエス様はことごとくわたしを強くして下さるよう恵みを与えて下さっていました。そしてファミリアスピリットの霊を明らかにして下さり、戦うことも教えて下さいました。そして長老という立場において下さることで、自分の意見ではない、聖霊により頼んだ、イエス様を頭として歩んでいくことを教えて下さいました。自分自身はもうそこにはいない、新しく作り変えられたのだとの確信を持ってイエス様と共に歩んでいます。

第2コリント5:17
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

そしてこれまでの歩みの中でそのことを本当に実感し、真の平安に満たされています。そしてこれからの人生においても平安に満ちた歩みとなることを約束して下さっていることに感謝し、これからもイエス様と共に歩むクリスチャンとして進んでいきます。