あなたの信仰どおりあなたの身(実)になる

 
 

僕が部活を決めるにあたっての証を書きます。
僕は4月から中学生になりました。中学校では小学校とは生活や勉強などが変わります。さらに、中学校では本格的に部活も始まります。僕の通っている中学校は、全員が部活に入るという決まりがあります。僕は小学校の終わりごろから、中学の部活はどの部活に入ろうかと考えていました。中学校での部活オリエンテーションを見て、初めはバスケ部に入ろうかと思いました。なぜなら、今までバスケをやったことがなく、新しいことに挑戦してみたいと思ったからです。さらに体力もつきそうだと思ったからです。また、部活体験期間という時間が、学校から与えられていて、その期間はほとんどバスケ部の体験の方に参加していました。
バスケ部も含む運動系の部活は日曜日に大会や練習があります。僕は、日曜日は集会に行って牧師さんの話を聞くことにしていました。だから、日曜日は集会以外の用事を入れたくありませんでした。部活動の大会や練習と日曜日の集会が重なることが、部活を決めるにあたっての、一番の問題でした。 
そこで、みことばを通して、イエス様に教えてもらう事にしました。


<ローマ14:6~8>
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。 すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。


僕は、「食べる者も主のために食べる」というところを「バスケ部にイエス様のために入る」また、「日曜日の大会や練習もイエス様の栄光のために参加する」ととらえました。
しかし、このみことばを牧師さんに報告すると、牧師さんは、「あなたがもらったみことばを読むと、『食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。』という一文が入っていて、これは『バスケットボールをやらないことも、主のためにやらない。そして、神に感謝する。』という事になるんじゃないかな。エペソのみことばにあるように、もう一度よくお父さん、お母さんと話し合って、どの部活動にするか決めなさい。」と話してくださいました。さらに、マルコのみことばをもって、「何も握らずに、すべてをイエス様の前に置いて、聞いていきなさい。自分が握っているものを捨てたら100倍にして返してくださるよ。あなたのことをすべてご存知で、あなたにとって一番いいものを与えてくださろうとしているはずだよ。神は奪う神ではなく、与える神だよ。」ということも話してくださいました。そこで、僕は両親ともう一度、部活について話し合う事にしました。


<エペソ6:1>
子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。

<マルコ10:29~30>
イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。


僕はバスケ部を握っていました。だから、一度、その握っているバスケを手離して(捨てて)、一から考え直しました。
入部の正式な申し込みはゴールデンウィーク前まででした。しかし担任の先生に、よく考える時間が欲しいことを伝えると、先生は「ゆっくり考えてからでいいよ。」と申し込みを提出する日をゴールデンウィーク後まで延長してくださいました。 
ゴールデンウィークの間、ゆっくり時間が与えられたので、僕はもっとイエス様に教えてもらえるよう、みことばをもらうため、聖書を読みました。そして、さらに4つのみことばをもらいました。


<イザヤ54:10>
山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない」とあなたをあわれまれる主は言われる。

<使徒行伝13:46~48>
パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。主はわたしたちに、こう命じておられる、『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。

<ヨハネ15:1~17>
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

<ローマ9:15~18>
神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。 ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。 聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。 だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。


これらのみことばから、「安息日は聖別しなさい、イエス様につながっていなければサタンの策略にかかる。」ということが語られました。また、これらのみことばを牧師さんに報告しました。
牧師さんからは『信仰』という言葉が一番強く語られました。


<へブル11:1>
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

<へブル11:6>
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。


さらに牧師さんは、「律法の下の行いの義ではなく、真のクリスチャンとしての『信仰』による義が大切だよ。その『信仰』をもって初めて神に喜ばれる行いができます。あなたがもらったみことばは、イエス様を信じる、という『信仰』を持つクリスチャンへのイエス様からのメッセージだよ。だから、喜んで、平安でいることができるね。すべてを捨てて、すべてをゆだねなさい。お父さん、お母さんに従って、よく話し合ってください。」と言われました。
また、集会では「アブラハムの信仰」について語られました。そこで「すべてのことをイエス様にゆだね、みことばに従いアブラハムの信仰をもって、部活を決めていきなさい。」ということを語られました。アブラハムの信仰は、イエス様の事を「信じて間違いない、唯一の神だ。と確信し、イエス様から言われた言葉、つまり、みことばを行うこと」です。
僕は、救われた時から、イエス様から様々な証をもらってきました。僕は、小さいころから、アトピーに悩まされていました。しかしイエス様を受け入れてから症状が消えていき、癒されました。医者から、「もう、通院しなくても大丈夫ですよ。」と言っていただきました。今はかゆみがなくなり、勉強も運動も集中してできるようになりました。また、一時期、友達とトラブルが続いたことがありましたが、その時もイエス様がみことばを通してどのように友達と関わっていけばいいかを教えてくださり、トラブルが解消されました。今では相手の友達と、とても仲良くなっています。また、僕の祖父の食道静脈瘤もイエス様に聞いてみことばをもらい、原因を解決したら、癒されました。さらに、一緒に集会に行って聖書を学んでいる兄弟姉妹たちも数々の証をもらっています。だから、僕はイエス様を信じて間違いない神だと確信しています。


<へブル11:8~12>
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。


ゴールデンウィークの間、両親と何度も話し合い、さらに牧師さんも親身になって相談に乗ってくださいました。その話し合いの中で出た結論は、「文化系の部活は運動系の部活に比べて帰宅する時間も早いので、その分、時間にゆとりができて聖書を読む時間も増えるし、家族との時間もたくさん取れる。何よりも、安息日である日曜日の時間はやはり集会に使いたい。だから、日曜日の活動のない文化系の部活に入ることにしよう。」という事になりました。しかし、文化系の部活の中でも、パソコン部に入るか、科学部に入るか、まだはっきりしていませんでした。
そんな時、牧師さんを通して、科学部に対して、「ユネスコ」という、知識の言葉が語られました。この知識の言葉をもらって、僕は、イエス様からの導きだという信仰で、科学部に入ることに決めました。科学部に決めたことに対して、牧師さんと弟から、「あなたの信仰どうりあなたの身(実)になる、だよ。」<マタイ9:29>と言ってもらいました。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、教育、科学、文化、コミュニケーションを通じて世界の平和に尽くすために、第2次世界大戦後の1946年に、人類が二度と戦争の惨禍を繰り返さないようにとの願いを込めてつくられた、国際連合の専門機関です。ユネスコ憲章には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」と記されています。
牧師さんから語られた「ユネスコ」という知識の言葉が、具体的に僕にどんな感じで関係してくるのか、今の僕には分かりませんが、イエス様がくださった知識の言葉なので、大切にしたいです。
部活動の申し込みの前日に、牧師さんを通してみことばをもらいました。


<イザヤ56:1~8>
主はこう言われる、「あなたがたは公平を守って正義を行え。わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」。主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。イスラエルの追いやられた者を集められる主なる神はこう言われる、「わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう」と。


このみことばから、安息日を聖別して、イエス様に従っていけば、すばらしい道が待っていると約束して下さっていると語られました。
両親は、「あなたにはイエス様の話を聞くことが何よりも大切な事だという気持ちがあり、その思いからイエス様は日曜日が聖別できる科学部に導いてくださったよね。それは、祝福の道でほかの道はサタンからの道だという事がイザヤのみことばによってはっきり示されたよね。科学部で頑張る3年間の道はとても安全で、それだけではなくあなたに対しての最高の祝福の道になるよ。聖書を学ぶために日曜日を聖別できることも祝福だし、これから起こる祝福は、すべてあなたのブループリント(人生の至福の計画)に書かれていて、それは、イエス様だけが知っているよ。そして、イエス様が喜んでくださるのはあなたが、自分の一部だけではなく、すべてをイエス様に明け渡すパウロのような器であること。そうすればイエス様と自分との関係がとても確かなものになるよ。それは、たくさんの人が得ようとしても得られない事、お金で買おうとしても買えない事、それぐらい大きな祝福だよ。それを思ったらいつも喜んで生活できるね。今日、信仰で一歩踏み出したのだから必ず道が続いているし、お父さんもお母さんも応援するからね。」と話してくれました。その話を聞いて、僕はバスケ部をやめる勇気と科学部に行けるという喜びがわいてきて、「科学部で3年間頑張るぞ。」という気持ちになりました。
ゴールデンウィークの間、僕はパウロの歩きをドラマにしたDVDを見ることになりました。僕はそのDVD から、「どこに出て福音をしても恥ずかしくないような言葉の賢さを身につけなさい。」ということを語られました。
僕たちが生きているのは、福音のためです。福音のために大切なことはコミュニケーション能力です。先日、科学部の活動説明会がありました。その時に、顧問の先生は、「科学部では人と協力したり、研究した内容を発表して相手に伝えたりするための力をつけていきます。運動部は体を鍛えますが、科学部はコミュニケーション能力を鍛えていきます。」と話してくださいました。僕はコミュニケーションの話が科学部で出てくるとは思わなかったので驚きました。そして、それは僕がパウロのDVDをとおして語られたことと一致していることに気づきました。科学部は、イエス様が与えてくださった、とてもぼくに合った部活だと、うれしくなりました。
イエス様は奪う神ではなく、最高の物を与えてくださる神です。だから、科学部だけではなく、中学生活、全てのことに祝福してくださることを信じています。このゴールデンウィークの間、時間を与えられたおかげで、たくさん聖書を読むことができました。もらったみことばをしっかりと握りしめ、中学校での3年間、イエス様に従って、喜んで過ごしていきます。