大阪への大学進学を通して語られたこと

 
 

私は、母がクリスチャンであった為、母のお腹の中にいた時からずっと教会へ行っていました。ですが、一度も自分の意思で教会へ行ったことはなく、いつも母に連れられているという感覚で、“親がそうだから自分もそうしなければいけない”という単なる宗教・キリスト教一家でしかありませんでした。
聖書に書かれてあることはどれも決まり事にしか見えず、教会の人たちは自分の生活で一杯いっぱいのように見え、いつも心の中で、「こんな教え何になるの?ばかばかしい」と思っていました。自分の将来に対しても、「きっと教会へ行っている人とでなければ結婚もしてはいけないのだろうな。そんなの絶対無理、嫌だ」と思い、「なんで私はキリスト教の家庭に生まれてきてしまったのだろう」とまで思うようになりました。
また当時の私が一番抱えていた問題は、「両親の不仲」でした。

私の両親は私が生まれる前から不仲で、私は両親が仲良く会話しているところを一度も見たことがありませんでした。母が夫である父のことを嫌い、酷い言葉ばかり投げかけている姿を毎日のように見せられ、そのような母を私は次第に嫌いになり、平気で乱暴な言葉を投げかけ、私と母との間には常に分派分裂がありました。母とは少し話しただけで喧嘩になり、まだ私が幼稚園児だった頃は心の中で“今日はお母さんと喧嘩する回数を昨日よりも減らせますように”と毎朝一番に意識するほどでした。両親からは何度も離婚話を聞かされ、幼い頃には実際に離婚届けを目にし、大きなショックを受けたことがありました。
傷つけば傷つくほど、その傷を隠すかのようにどんどん酷い言葉をお互いにぶつけ、平気で両親に死ねと言ったり、両親から「あんたはなんでそんなにいつもふてくされているのかね~」と言われると「両親にだけは自分の笑顔を絶対に見せたくない」と言ったりしてしまう子でした。

次第に母と一緒に行っていた教会も嫌になり、「そもそも教会へ行ったって何かが良くなっているわけではない。むしろ、どんどん家族がばらばらになっていっている。行くだけ無駄」という思いでいっぱいになり、高校2年生の時、母に猛反発し、教会へ行くことをやめました。

家族の関係もどんどん酷くなり、学校から帰ってきても一切会話をせず、自分の部屋に閉じこもる生活をしていました。学校ではいつも「明るい子」という印象を持たれていましたが、いくら表向きは元気であっても心はいつも暗く、自分の心の闇(家庭環境)に触れられたくないがための明るさであって、そのような偽物の明るさで取り繕う自分にも疲れていました。

また当時、高校卒業後の進路についても考えていました。
私は家を出たい思いが強く、また海外に興味があったことから、「空港で働きたい。空港で働けたら何でもいい」と、その夢を掲げ、東京の四年制大学への進学を希望していました。しかし、両親は「あんたなんかが大学に進学する資格はない」と反対し、一度こうすると決めたら人の意見に耳を傾けることなく、何がなんでも自分の意見を通そうとする子だった私は「別にアルバイトしながら生活すればいい話だし」と、とても安易な考えでいて、反対する両親と話し合う気持ちなど一切なく、「なんでこんな家に生まれてきてしまったのだろう」という思いばかりが残っていました。
そんな時、当時母が行っていた教会<ぶどうの木>の牧師とその長女である副牧師が家へ来てくださいました。母が以前からこのような家庭崩壊寸前の我が家の状態を牧師に相談していて、また当時二番目の兄が結婚を控えていたこともあり、実際に牧師親子が来て下さったのです。
リビングでは、私以外の家族が牧師達と話しをしていましたが、私だけは「絶対に会わない!相手は牧師さんだし、もし会ったらこれから教会に行かなきゃいけないことになる。だから何が何でも部屋からでない」と思い、一回目に来て下さった時は何度リビングから呼ばれても私だけは会いませんでした。

しかし二度目は私の進路のために来てくださいました。
最初は会う気は無かったのですが、自分の進路について聞いてくれる人が周りにいなかった分、聞いてもらいたく思い、また二度も我が家にきてくださる牧師達はどんな人達なのだろうという思いから会うことにしました。
私は牧師に、東京の大学へ行きたいと思っていることや今までの両親に対する許せない思いなど全てを話しました。きちんと相手の目を見て話すわけでもなく、最初からふてくされた態度をし、牧師たちが何か言っても「あなたたちに私の気持ちの何が分かるの!!」と泣きながら話す私に対し、牧師達はどこまでも親身になって聞いてくださり、そしてこれまでの自身の歩み(証)を話してくださいました。
牧師は、十万人に一人の難病にかかりこの世の医学に見放され、絶望でいっぱいだった自分を救ってくれたのは医学でも宗教でもなくイエス様であったこと、イエス様により完全に癒され、だから元気な今の自分がいるのだということを話してくれました。また、この世の中には「サタン(悪霊)」というものが存在し、生きている上で抱えている問題(家庭環境や学校生活、病気さえも!)は、その「人」ではなく、悪霊の仕業であること・それに打ち勝てるのはイエス様ただお一人であること・クリスチャンは「聖霊」の力によって悪霊に打ち勝つことができることを自身の証から教えてくださいました。そして私や家族一人一人に向けて、「母と娘がいつもぶつかり合ってしまうこと、夫婦が不仲であることは誰かのせいというのではなく悪霊の仕業です。また、お母さんの状態はいわゆる精神病状態です。そこからお母さんが解放されるにはご家族の協力が必要です」と話してくださいました。
私はその時初めて、今までどうしようもなかった家族の問題が悪霊の仕業であると知り、それはこの世の中では当たり前のように潜んでいる病気さえも悪霊の仕業であること。でも人間の力ではどうしようもないことも唯一の神・イエス様は何でもできるのだ!と、全ての解決策を知った気がし、牧師の話(証)を信じずにはいられず、自分の意志でその場でイエス様を信じ、受け入れ、クリスチャンとなりました。そして私だけではなく、父も兄もイエス様を信じ、受け入れました。
特に父は、今まで母が何度福音しても信じず、拒絶していたのにもかかわらず、牧師の話には夢中になって聞き、涙まで流すほどでした。その今までみたことのない父の姿からも、“イエス様って本当にいて、何でも変えることができるんだ”とイエス様の力を見せられました。

実は私の名前「かおり」は、母によって聖書の御言葉から名づけられています。

第二コリント2:14~17
「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを至る所に放って下さるのである。わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。後者にとっては、死から死に至らせるキリストのかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務にだれが耐え得ようか。しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売り物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。」

母はこの御言葉から、「キリストのかおりを放つ子になって欲しい」という願いを込めて名づけました。
ですが、私はずっと聖書・キリスト=宗教としか捉えていなかった為、なんて宗教くさい名前なんだ!と思い「かおり」という名前が嫌でした。しかし、そのような母の願いやイエス様を宗教としか見ることができない私の心も全てご存知のイエス様は、私にまず本当のイエス・キリストとはどんな方かをぶどうの木の神の家族を通して教え、真のキリストのかおりとして立つ道を用意してくださっていました。そしてその道は、牧師を通してイエス様を信じ受け入れたその日から、一歩ずつイエス様と共に歩んでいくこととなりました。


<大阪への大学進学>

私の中にあった大学進学への思いに対し、牧師達はどこまでも親身になって聞いてくださいました。言葉遣いも悪く、話す内容は好き勝手な意見ばかりの私でしたが、そんな私にどこまでも忍耐を持って当時の私が直面していた問題に共に向き合ってくださいました。私だけではなく両親の言い分も聞いた牧師は、私に御言葉を通してどのように歩むべきかを教えてくださいました。

エペソ6:1~3
「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。『あなたの父と母を敬え』これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、『そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう』。」

牧師は私にこの御言葉をもって、まずは両親を敬い、従うようにと言いました。
その言葉を聞き、“無理。親を親とも思っていない私がどうやって従えばいいの?両親を敬うだなんて一生できない”と思っていた私に、イエス様は牧師を通し「まずはこれまでの自分の態度を両親へ謝り、その上で自分の大学へ行きたい思い・誠意をしっかり伝えてごらん」と言い、両親を敬うとは実際にどのようなことなのか、その《知恵の言葉》によって教えてくださいました。

この《知恵の言葉》により、御言葉の言っていることは分かるけどできないと思っていた私が心や知性でも分かるようになり、一切迷うことなくすんなりと言われたことを主にあって行動に移すことができるようになりました。そして、今まで絶対に両親へ謝ったことがなかった私が、心から謝り、自分がどうして大学へ行きたいのか、その思いを伝える私の変化により両親の心が変えられ、地方の大学への進学を許可してもらうことができたのです。

いざ大学進学への道が開き、実際にどこの大学へ行こうかと考えていた時、ずっと東京の大学へ行くことを考えていた私がふと“大阪の方が自分に合っている気がする”という単純な思いから、大阪の大学を探すようになりました。その中で目についた大学は、私が学びたかった観光学について学べる「国際観光学部」という学部があり、この大学へ行きたいと思い、牧師にその大学のパンフレットを見せました。すると、そのパンフレットに卒業生として載っていた方が牧師の知り合いだったのです。
イエス様によって歩く道は、何一つ偶然はありません。ましてや当時の自分がなりたいと思っていたキャビンアテンダントとしてその先輩はパンフレットに載っていた為、私は何度もそのページを読み、憧れの先輩となっていました。牧師たちは私の進路についてゆっくりと話す時間を作って下さり、ある日私をドライブへ連れて行ってくれました。
そのドライブで、色んな浜松の観光地を見せて下さり、今まで知らなかった地元・浜松の魅力・観光地を知ったことで、イエス様は牧師を通して自分の視野を広げてくださいました。その中で牧師は、「『国際観光学部』でいくら国際的に観光学を学んだとしても、相手の国の言語を話してコミュニケーションがとれなければ意味がない。ならば、同じ大学でもその学部ではなく『国際コミュニケーション学部』を受けてみたらどうか。仕事の幅も広まると思うよ」と言ってくださいました。私はすぐにそうしようと思い、大阪の大学の国際コミュニケーション学部を高校の推薦で受けることとなりました。

そして2009年10月、念願の志望していた大学へ合格し、夢の大学進学の道が叶いました。
家では、昔から教会へ行っていた私や母以上に父が自ら聖書を読むようになっていて、教会へも進んで行くようになりました。私と母は喧嘩になると、すぐに「もう今日は集会へは行かない!」と言っていましたが、父だけはそんな時でも一人で集会へ行き、今までの父とは違う、生まれ変わった父となっていました。

また、以前は両親が揃って行動することなんてあり得ないと思っていたのですが、イエス様は大阪での下宿探しを通して心の願いを叶えてくださり、父と母と私の三人で、車で大阪へ行くことができたのです。娘として、今までの辛かった思いが一気に吹き飛んでしまうくらい嬉しく、幸せな時間でした。住まいも、学校から近く、部屋の作りも条件に合った最高の部屋を与えられました。

そして2010年3月28日。
私は大阪へ引っ越す前の最後の集会で、牧師を通し第2コリント2:14~17を頂きました。当時は漠然と、自分の名前が書かれてあるからこの御言葉を頂いたのかなと思っていただけで、御言葉の意味をちゃんと理解していたわけではありませんでした。ですが、この御言葉を持って私の大阪での生活がスタートしたのです。



<大阪での生活①>

知り合いが大阪にいるわけでもなく、全て一から作り上げていくという環境の中で、私は日々大阪での生活に慣れることに一杯いっぱいでした。心もイエス様から離れ、親から離れることができたことが嬉しく、周りの友達に合わせて好き勝手な生活を送っていました。派手な化粧や格好を好み、毎日遊んでばかりいて、若者たちが集まる夜のクラブへはよく行っていました。最初は月に1回くらいのペースで行っていたのですが、次第に週に1回は行かないとイライラしてしまうほど依存してしまっていました。
しかし、どんなに友達と遊んでも、長い時間を共に過ごしていても、ありのままに自分のことを話せたわけでもなく、どんどん化粧や行動で自分を隠し背伸びしてばかりの生活をしていました。

そんな生活を続けていたある日、突然原因不明の蕁麻疹が発症しました。何か食べ物にアレルギーを持っているわけでもなく、病院にいけば原因不明と言われ、一人暮らしの私にとっては頼れる人が傍にいず、一気に恐怖と不安でいっぱいになりました。すぐに母に連絡をし、蕁麻疹も悪霊からくるものだから武具(御言葉)を何度も読み、祈って悪霊を追い出すようにと言われ何度も何度も武具を読み、祈りました。今まで牧師からのメールに返信を一切していなかった私ですが、その時久しぶりに牧師にメールをし、蕁麻疹になってしまったことを伝えました。すると、牧師からは「汚れの霊」だと示され、「この世に流されることはサタンに好き勝手にもて遊ばれていることであり、汚れとなっていく。皮膚の病気はその汚れから起こることが多い」と教えてくださいました。
私はその時「そうなんだ!汚れの霊というものが存在するんだ」と思い、病院では原因不明と診断されることも、イエス様は何が原因かもはっきり牧師の口を通して教えてくれるんだ!と驚き、平安な気持ちでいっぱいになりました。
しかし、霊はこのように平安なのですが、肉の欲に負け、蕁麻疹もある程度治ったからいいやと思い、イエス様に立ち返る(集会へ戻る)こともなく、またこの世の生活に流されていってしまいました。
派手な化粧をし、つけまつげを毎日していたことから、何度もものもらいや瞼にしこりができ、その度に眼科へ行っていました。目も色素が薄いことがコンプレックスとなり、今まで視力も良くコンタクトをつけたことがなかった私が、コンプレックスを隠すためにと瞳を大きく見せることができるカラーコンタクトをつけ始めました。髪の毛も明るく、少しでも自分に変化をつけたいがためにエクステをつけていた時もありました。
蕁麻疹も母や牧師に祈ってもらい発症はおさまったのですが、完治したわけではなく2日に1回発症してしまい、薬が手放せず、いつ発症するかわからないという不安と恐れが常にありました。
そんな時、牧師を通して「このまま娘さんを放っておいて、この世に合わせてサタンの好き勝手にさせとくのは危険」と言われた母が急遽大阪へきて、私を集会(イエス様のもと)に連れ戻しにきてくれました。しかし、まだまだ私と母の間には分派分裂があり、母の言うこと全てに猛反発していました。
「まずは今までの牧師に対して背を向けていたことを悔い改めなさい」と言われましたが、牧師と電話で話しても「私は悪いと思っていない。教会へ行く気持ちなんて全くないけれど、それでも行かなきゃいけないんですか!」と言い、また平気で牧師に向かって「うるさい!むかつく!」と言うほど、徹底的に牧師に反発していました。ですが、そんな私を母が何とかしてイエス様のもとに立ち返れるようにと翌日集会へ連れて行ってくれ、私自身も今の生活に虚しさを感じ、また一度怒り出したら止められなくなってしまう自分がどうしようもなく、集会へ行くことにしました。

集会へ行ったものの、もともとぶどうの木の兄弟姉妹に対し自分から話しかけてコミュニケーションをとろうとせず、久しぶりに集会へ行っても明るく話しかけることなど一切ありませんでした。その日も終始ずっとふてくされた態度をとっていて、いざ自分の事の話になったときには「所詮他人のくせに何がわかるんだ!」と言ってしまいました。
その時、今までずっと私の方から背を向けていた兄弟姉妹たちが「本当につらかったね」と涙をながしながら言ってくれる姿を見て、「何でこんな私の為に涙を流せるの?今の私は何が辛くて苦しいのか自分のことさえも分かろうとせずにきたけど、なんでこの人たちは私以上に私のことを想えるの?一緒に生活してきた家族や友達よりも、たった数時間一緒のぶどうの木の人たちの方が本当の私を知っている。これが神の家族であり“霊では一つ”ということなのだ」と分かり、そんな神の家族が与えられていることがとても嬉しく、涙が溢れ、牧師・兄弟姉妹を通しイエス様の深い愛に触れました。

その日、イエス様は牧師を通し、毎週集会に来ることができるようにと交通費をくださいました。そして、私はその週から毎週日曜日はアルバイトも休みを取って、新幹線で大阪から浜松へ帰り、集会へ行くことにしました。すると、それまで2日に1回は発症し、ずっと薬が手放せない状態だった蕁麻疹が、一切発症することもなくなって完治され、もう一生薬を手放せない生活を送らなきゃいけないと思っていたことが、イエス様=ぶどうの木へ繋がった時、一瞬で癒されるのだと驚きました。
毎週浜松へ帰ることも、どんなに帰りが遅くなろうが不思議と一度も疲れたことはなく、どんな時間よりも楽しく、平安な気持ちでいっぱいでした。

集会へ行き、聖書を学んでいく中で一人一人の身体が神の大事な作品であると知った時、毎日欠かさずしていたつけまつげ(酷い時は二枚重ねて使おうとしていたり、下まつげにもつけていたりしました)に対して、自分のまつげに人工の毛を付けるという感覚が嫌だと思うようになり、すんなりとつけまつげを外すことができました。毎週買っていたつけまつげ代も浮き、まつ毛もどんどん増え、素のまつ毛で十分な状態へとなりました。
また、当時ピアスも開けていたのですが、両親が育ててくれた自分の身体に穴を開けるということに対しても嫌に感じるようになり、誰かから言われたわけでもなくすんなりとピアスの穴を閉じようと思うようにまで変えられていきました。

家族とも少しずつコミュニケーションをとるようになり、その変化に両親の心が変えられ、大学2年目からは奨学金でいくようになっていた学費を、家のお金から全額立て替えて出してもらえることになり、利息のつくローンを組む必要が無くなりました。

ばらばらだった家族も、家族全員そろって食事に行くことができるようにもなりました。

また、実際に兄弟姉妹が大阪に来て下さり、私の住んでいる地域中心にトラクトのポスティングを共に行い、今まで兄弟姉妹に反発ばかりしていた私が皆と共に福音の働きをする姿に母も喜んでいました。その時、共にいた一人のある姉妹が「この辺りは部落っぽいね」と言っていたことが、私の耳に残りました。
その姉妹は福岡出身であり、そのような同和教育を受けてある程度は部落といった地域についても知識があったのですが、静岡育ちの私はそのような教育を一度も受けたことがなければ、部落といった言葉さえ聞いたことがありませんでした。ただその時は、単なる地域名だと思っていて、深くその言葉の意味などを考えたりはしませんでした。

<大阪での生活②>

大阪での生活ももうすぐ2年目に入ろうとしていた時、私は同じ大学の同い年の男性と恋愛をし、付き合うことになりました。しかし、その事を肉の家族だけでなく、神の家族にも付き合っている人がいることを話せず、また彼にも自分がクリスチャンであることや、毎週日曜日は浜松に帰って集会へ行っていることを伝えることができずにいました。
付き合ってから2か月たったある日、私が彼との会話の中で、私の住んでいるアパートの大家さんの話になりました。当時の私は大家さんと決して仲が良いとは言えず、いつも避けてばかりいて、彼にも大家さんの事を悪く言ってしまい、何の意味も考えずに「部落の人だから…」と大家さんをバカにするような言い方をしてしまったのです。その瞬間、彼の表情が変わり、私は彼から突然「俺が住んでいる地域は部落だから、そうやって地域に対してそんな風に言う子とは付き合えない」と言われたのです。私はその瞬間、この言葉は言ってはいけない言葉なのだとそこで初めて分かり、ハッとなってすぐに何度も彼に謝りました。彼は「言い方からして悪気があって言っているのではないと思っていたからいいよ。でも大阪では気安くその言葉を言ってはいけないよ」と言われ、何とか許してはもらえたのですがその時初めて静岡と大阪の生活する上での大きな違いを実感しました。

また彼は、私の実家が一軒家であることから自分の家が団地であることを気にし、いつもどこかで私の生活と比較していました。実際に彼が住んでいる所へ行くと、とても暗く、平気で路上駐車やぼろぼろになった車が何台も放置され、今までみたことがない雰囲気で鳥肌が立つほどでした。私は自分ではよく理解できないことだからこそ、イエス様に頼るしかないと思い、牧師に話さずにいられなくなり、その週の日曜日に牧師に付き合っている人がいること、そしてその人が部落出身であることを伝えました。
また、母にも正直に話しました。母は私同様、最初部落と聞いても知識がありませんでした。
彼にも自分がクリスチャンであることや毎週日曜日は浜松へ帰って集会へ行っていることを話しました。また、母が大阪にきていたことから母への紹介も含め三人で会うことになりました。その時、母が自身の証や家族の証をし、それを聞いた彼はイエス様を信じ、受け入れ、救われました。
その翌月、彼はイエス様から思いを入れられ浜松の集会へも来ることになり、その時牧師を通して彼への預言の御言葉が与えられました。

エレミヤ33:14~16
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことを成し遂げる日がくる。その日、ユダは救いを得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。」

この御言葉を通して、彼は部落解放のための器として示されました。
そして、彼を救いに導いた私と母も共に三つよりの綱となって部落解放の為の器として示されたのです。(この約3ヶ月後には彼のお母さんもぶどうの木に導かれ、イエス様を信じ受け入れました。)

その頃の私はまだまだ「部落」という言葉の意味や歴史、そして現状を知らず、牧師からの預言の言葉を受けても「へ~そうなんだ」と思うだけで、全く実感などしていませんでした。
反対に私の母は「部落」について自ら調べ、“差別問題”を知れば知るほど、サタンが母に彼への裁きや差別する思いを入れ、私の母は私と彼との交際を猛反対するようになり、彼に対しても見下すような言い方ばかりするようになりました。

そんなある日、突然母は自分の実家がかつて部落出身であったことを知ったのです。
母は散々部落について知識を深め、他人事のように感じていた分、自分が部落出身であったと知った時、物凄くショックを受け、落ち込み、その事実から逃げるかのようにぶどうの木から離れて行ってしまいました。そして、それがサタンに門を開くこととなり、母は今やカルト化された教えの教会へと行ってしまったのです。その頃の私は、母に対し無関心で部落問題に対しても真剣に向き合っておらず、母のことよりも彼の傍にばかりいて、母がぶどうの木を離れようとした時も止めることをしていませんでした。
彼も私の母への裁きや、この世に巻かれてぶどうの木(イエス様)よりバイト(お金)を選ぶようになり集会を離れてしまいました。
彼が集会から離れても交際は続いていましたが、彼の態度は随分変わり、乱暴な言葉を投げかけてきたり、彼自身すぐにいらいらしたりすることが多くなりました。私は、素直になれていない彼を見ては“どこまでも相手は自分の鏡”と思い、まずは自分から変わることだと思い、忍耐を持って接していきました。
彼は、ぶどうの木と完全に離れたいが為に、私のことも拒み2011年12月に彼の方から別れ話を受け、別れることとなりました。

家庭内は、母が全く違う教えを学ぶようになり家の中が一気に変わりました。
母はその教会の人に言われて高いお金を払って化粧品を一式揃えさせられたり、似合わない派手な化粧をさせられたり、「家族よりもイエス様」とまるでイエス様だけがいてくれたらいいという感じで、母・妻・人としての良識など一切取られ、どんどん周りに無関心へとなっていきました。イエス様に繋がり家族も一つになろうとしていたのにも関わらず、母がカルト化された教えを学ぶようになって2か月後には、父と母が別居することになってしまったのです。その時私はこれまでの自分の無関心さを悔い改め、母にも謝りました。そして、母の解放の為に、毎週浜松へ帰り集会へ参加するのと同時に実家へ帰り、今まで家族の為になど考えたことが無かった私が、家族へ働きかけをしていくことを決心しました。

最初の頃は何度も「何で娘の私が親の為に働きかけなければいけないんだ!」と思っていました。そこには母への裁きがまだ残っていたのです。ですが、神の目からみたら母も娘も関係なく、どんな時も自分とイエス様との一対一の関係であること、その場所(国や地域、学校や家族)で立ちあがる人が一人でもいたら、神はその人を使って必ずその場を変えてくださることを教えられ、主にあって人に働きかけることに肉の関係(立場や年齢)は関係ないことを知り、母を裁いていたことを悔い改め、聖書に「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」と書かれてあるように、母の真の解放に向けて行動に移してきました。
当時、長男の結婚が控えていましたが、これに対し母は「聖書には冠婚葬祭はいけないと書かれてあるから行かない」と言いだし、全く愛のない、とても宗教臭く律法的に聖書を捉えるようになっていました。私はそのような母の現状を見れば見るほど、母が行っている教会の人たちに対し「母を返して!」と何度も思っていました。警察を呼ぼうか、裁判で訴えってやろうかと思ったことも何度もありました。しかし、その度に御言葉を通し、血肉の戦いではなく敵はサタンであることを何度も何度も教えられてきました。

エペソ6:10~12
「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」

マルコ10:17~18
「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。」

私は、この御言葉・権威を握りしめて、母対娘ではなく敵は母を捉えているサタン(特にカルトの霊)だというところに目を向けて、どんな時もそのサタンに打ち勝つことができるイエス・キリストを信じる信仰を持って、母と向き合い続けました。母が兄の結婚式に出るようにと、母に直接会って働きかけることはもちろんのこと、大阪での生活中はメールでも働きかけてきました。

ぶどうの木は、その頃<一つになろうよ~命の糸に会う本~>というタイトルでトラクトを作成していたのですが、長男の結婚式で是非プレゼントして欲しいという思いと母がこのトラクトを用いて福音の為に結婚式に喜んで参加できるようにと兄弟姉妹それぞれ仕事がある中、急ピッチで作業を進め、完成させてくださいました。
母には「聖書には、飲むにも食べるにも神の栄光の為にするように書かれてあるから、このトラクトを持って福音の為に喜んで結婚式へ行こう」と何度も言いましたが、母は「行かない」と言い続けました。
兄は、母が結婚式へ行かないと言っていることにより、相手側のご両親から結婚の了承を得ることができず、「どんな母だろうが自分の親なのだから、その事で結婚できなくなったら仕方がない」と結婚を諦めていました。私はすぐにこの事を牧師に相談し、牧師・副牧師と父と兄と私の5人で交わり、牧師から兄へ、母の状態に対して「精神病」という《知恵の言葉》が与えられました。
翌日、兄はその知恵の言葉を持って、再び相手のご両親に母の状態を伝え、その上で結婚のお願いをしに行ったところ、ずっと反対していた相手側のご両親から了承を得ることができ、兄も「これはイエス様だと感じた」と喜びと感謝の連絡をしてくれました。
母へは結婚式当日まで信仰で働きかけてきたのですが、母は最後の最後まで「行かない」と言い続けました。
私は牧師から「お母さんが結婚式に行くようになることがゴールではないよ。お母さんが本当にカルト宗教から解放されるまで戦いは続くの。この結婚式に関しては、まずお兄さんが相手のご両親にも理解してもらって、無事に結婚式を迎えることができたことが感謝なことなんだよ。聖書には、あなたの労苦が決して無駄になることはないと書かれてある。ここまであなたがお母さんに働きかけてきたこともイエス様は全てご存知であって、その上であとはお母さんとイエス様との関係。聖書には、人は蒔いたものを刈り取るとも書かれてあるからね。やることをやったのだから、あとはお母さんの事もイエス様に委ねて、あなたはあなたで喜んで福音のために行っておいで」と言われ、ここまでの歩み全てがイエス様の御手の中であることを信じ、自分とイエス様との関係の中で結婚式へ行くにあたっての用意をしました。
新婦には、娘としてまた一人のクリスチャンとして、母の状態をお詫びする手紙を書いて送り、また実際に結婚式では、新郎の妹からのプレゼントとして<一つになろうよ>の冊子に手紙を添えて、新婦側のご家族中心に渡し、喜んで受け取ってもらうことができました。
式の後には、改めて相手のご両親に母のことについて娘として謝りにいきました。すると、「あなたが謝ることではないよ。これはご両親の問題だから。わざわざ娘のあなたが直接言いにきてくれるなんて立派だね」とおっしゃってくださり、何か言われるわけでもなく、本当にイエス様に守られた式となりました。

兄の結婚式が終わり一段落つきましたが、母の解放に向けての働きかけは続き、毎週実家へ帰り、母の言動から間違っていることは間違っていると愛を持って何度も教え、イエス様は何ておっしゃっているのか御言葉を持って、神の家族の支えのもと肉の家族に働きかけていきました。



<大阪での生活③>

そんな中、ある日私は大学の先輩の紹介で2歳年上の男性と出会い、その男性とは自分でも驚くくらい波長が合い、お互いに惹かれ合い、2012年7月に付き合うこととなりました。しかし私の中にはいつも母のことがあり、今の私には恋愛をしている余裕などないのではないかという迷いがありました。
また長年とらえられてきた「宗教心」から、牧師たちに恋愛の話なんてしたら何て思われるのだろうと勝手に占い、神の家族へなかなか恋愛自体相談することができず、また彼にも宗教だと思われたらどうしようという思い(占い)からありのままの自分を話せず、それぞれに話せていない状態で、集会に通いながら彼との交際をしているという生活を約1か月半続けてきました。

彼はいつも元気でどんな時も場を盛り上げてくれるような人だったのですが、私は彼と出会ったばかりのころ「そんなに明るく振舞っていて疲れないの?」と聞いたことがありました。それに対し彼が「うん、疲れる」と言ったことがずっと心の中に引っかかっていました。なぜなら、彼の祖父は不動産を経営し、この世でいえば裕福で、家族も仲が良く、何の問題もなさそうな幸せな家庭。私の場合は家庭問題がいつも心の闇となって、それを隠すために明るく振舞っていたから疲れていたけれど、彼には疲れるという言葉の要因が見当たらないと思っていたからです。彼は、アメリカ留学経験があり、その留学時に麻薬(マリファナ)をしていたことも話してくれました。
私は、それはすぐにサタンの仕業だと思い、彼にも伝えなきゃと思っていたのですが、神の家族にも彼とのことを話せていない自分が悪霊について話したって伝わるわけがないよなと勝手に占って決めつけ、自分でイエス様の力を止めてしまい、自分自身も麻薬に対してあまり知識がなかったことから「そうなんだ、でももうしちゃだめだよ」とまでしか言えず、彼の苦しみとも向き合ってあげることができないまま、イエス様に対しても罪を犯してしまっていました。

また、彼と過ごす中で分かったことは、彼がすぐ人に対して「クズ」と言ってしまうことでした。私はその言葉が物凄く嫌で、どこでそんな教育を受けてきたのだと言いたくなるほどでした。その言葉は良くないと言っても、「だってクズはクズじゃないか」となかなか聞く耳をもってもらえませんでした。
そんな中、電話で彼から仕事の話を聞いていた時に、「仕事がしんどい」とばかり言う彼に対し「じゃあ、こうしてみたら」とアドバイスをしたことがありました。彼からすれば、学生の私から言われることなど聞き入れたくなかったのか、「ごめんやけど、かおりの言うことは聞く気はないから」と言われ、私はショックで電話を切った後涙がとまらなかったことがありました。
しかし、その時初めて彼との事で自分の肉ではなく霊に戻ってどうしたらいいか聞くことをし、当時、相手のところまで降りていくことの大切さを集会で語られていたことを思い出し、彼にメールを打ちました。そのメールで、もし私が生意気な事を言っていたならごめんなさいという気持ちと、少しでも彼が私の言葉を聞く耳を持って貰えたらと、当時彼と仕事の同期で私の大学の先輩から仕事のこともよく聞いていて、その上で思ったことを彼に伝えたのだということを伝えました。
その週の週末、彼とご飯に言った時、彼が「メールありがとう。永久保存版だ」と言っていて、いつも黒いTシャツばかりきていた彼が白のTシャツを着ていたことがとても印象的でした。

そして、その帰り道、いきなり彼の方から「クズって言葉って悪口かなぁ?」と聞いてきたのです。彼が自らそんなことを聞いてくると思ってもいなかった私はとても驚き、「すごく悪口だよ!あなたはその人に対して言っているかもしれないけれど、あなたが言うその一言でその人を育ててきた家族や周りの人たちの存在まで否定していることになる。絶対に言ってはいけない言葉だよ」と伝えると、これまで何度注意しても聞き入れなかった彼が、「じゃあ、分かった!直すわ!」と言い、私は本当に聖霊の力だと思い、イエス様に感謝し、その彼の一言は、彼から言われたどんな言葉よりも嬉しい言葉として私の心に残りました。

彼を紹介してくれた私の先輩にもこの彼の変化を伝えると、「え!あの人が!?」と驚くほどでした。

このような体験をイエス様が与えて下さっていたのにも関わらず、私はまだ神の家族に話せず、彼にも本当の自分を話せずにいて、それがどんどん苦しくなり、週末になれば集会よりも彼と会う時間を作らなければと思うようになり、今まで疲れを感じたことがなかった浜松までの道のりも疲れを感じ、集会から離れてしまいました。
牧師・兄弟姉妹から何度もメールで働きかけられ、その度に自分の霊はノックされていましたが、なかなか光に出てくることができず無視し続けていました。すると、私はイエス様から離れてしまったことで完全に癒されていたはずの蕁麻疹が、またいきなり発症するようになりました。すぐにおさまったのですが、またいつ発症するかわからないという恐れと不安が残りました。

また同じ日に彼から、彼が家のガレージに車を入れようとしていた時、いきなり車のナビが壊れてガレージに車をぶつけてしまったという話を聞かされました。私はその時すぐに「自分がイエス様から離れてしまったから、自分だけではなく彼にも影響を及ぼしてしまったのだ」と思い、その時から彼と別れることを考え始めました。
その後、自分の心のどこかでいつも、都会と田舎・社会人と学生というレッテルをつけながら、伝えなくてはいけないことも伝えられずに背伸びをしている自分に苦しくなり、私は彼に、今はきちんと自分の人生と向き合いたいと伝え、別れることとなりました。

ですが、私は彼と別れた後、情による未練でいっぱいになり彼に自分の思いを伝えにいったことがありました。彼はそんな私にはっきり「どんなことを言ったって“わかるとできるは違う”から!今はお互いそれぞれやるべきことをやるってなっただろ!」と言い、その時私はすぐにこの言葉はイエス様からだと気づかされました。

ヤコブ2:14~17
「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠けている場合、あなたがたのうち、だれかが、『安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい。』と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。」

マタイ7:21
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」

その瞬間私は、今まで聖書の御言葉を学び、意味も教えられてきたけどそれを本当に行ってきたのか、その彼の言葉を裏付けするこれらの御言葉から問われました。行ってもないのに、自分の宗教心や情でイエス様の力を止めてきたと思い、すぐにイエス様に悔い改めました。
そしてちょうどその時、自分の人生にも大きく関わってくる就職活動が始まろうとしていたこともあり、改めてこれまでの自分の人生を振り返ってみる時間が与えられました。

いざ振り返ってみると、私の20年間全てにイエス様がいました。
イエス様に出会っていなかったら、大学への進学も開けず、ずっと夫婦の不仲や親子関係に苦しみ、この世の人たちと変わらずにタバコやお酒に逃げ、麻薬にも手を出していたと思いますし、自殺していたと思います。そのくらいサタンの支配下で苦しんでいた私が、悪霊の存在を知り、イエス様によってその悪霊に打ち勝つ力を与えられていること、全ての解決策を知り、希望で満たされる人生を与えられたことがどれだけの恵みであり神の愛であるかを心から実感し、本当にこれまでの20年間イエス様があっての人生、イエス様があっての命であることに気づかされました。

私は以前、牧師にこう言われたことがありました。
「あなたは、もし家族が円満だったらきっとイエス様を信じなかったでしょ!」と。
その時私は図星でした。それまでの私はずっと家族の為のイエス様、大学進学の為のイエス様=【自分の為のイエス様】となっていて、それは他の宗教と代わりのないものでした。だから、その宗教心がいつも邪魔してきて、周りの友達にも堂々と福音ができていませんでした。

ローマ14:7~8
「すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」

私はこれまでの人生を振り返り、サタンの支配下であるこの世から「救われる」ということがどれだけ素晴らしいことであるか、その本当の救いを与えてくれるのは、肉の家族や友達といった人間、またその人間が作りあげた仏教や創価学会などの宗教ではなく、“イエス・キリスト”ただお一人であることを改めて実感し、心からこれからはその【イエス様のための自分】=この救いを伝える“キリストのかおり”になろうと決心し、立ち上がりました。
牧師にもこれまでの態度や何度もアップダウンを繰り返してきたことを悔い改め、集会へ戻り、神の家族の前でも悔い改めて、再スタートをきることとなりました。
イエス様は、神の国と神の義を求めずにイエス様から離れてしまっていた私に、牧師・兄弟姉妹からの働きかけや、彼の口を使って語ってくださり、立ち返らせてくださったのです。

<大阪での生活④>

いよいよ就職活動が始まろうとしてきて、具体的にどの職業かイエス様に聞いていく中で、ぶどうの木がこれまでしてきたトラクト制作が一種の「広告」なのではと思うようになり、広告業に興味を持つようになりました。救われたばかりの頃は、空港で働きたい!と思っていましたが、主にあっての道を歩んでいった時自分の夢・願いさえも自然と変えられていきました。

大学3年生の12月、友達に広告業に興味を持っている事を伝えると、その友達から日本の広告業のトップの会社で働いていらっしゃる方が大学に講師で来ていることを知りました。私は、その方の授業を以前受けたことがありましたが、その方が広告業で、しかも日本のトップ企業で活躍されている方だとは知りませんでした。私は、友達からその方の事を聞いた後すぐにその方のところへ行き、自分が広告業に興味を持っていることなどを話しにいきました。すると、相手の方が「エントリーシートの書き方や面接練習の指導など手伝うよ」とその場で言ってくださり、指導して頂けることになりました。周りの友達からは、本当に羨ましがられる話でした。
(ちなみに、偶然はなくその方の誕生日と、前付き合っていた彼の誕生日が同じで、その方のことを知った日を境に、それまで連絡がとれていた彼との連絡がとれなくなりました。)

就職活動が活発になるのと同時期に、私の母のカルト化が進み、娘の私に対し「教えが違うから」と家へ入れてくれなくなった時もありました。肉では、とても辛いことでした。しかし、以前付き合っていた彼の口を通してイエス様から与えられた知恵の言葉「わかるとできるは違う」が、いつも自分をノックし、愛を学んできた私だけれど実際母に対してできているのかと常に問われていました。
また「血肉の戦いではなく、敵はサタン!」という教えから「本当に苦しいのは私ではなく、悪霊に捕われ、娘との交わりさえもしてはいけないという教えを受けている母なんだ。そして、母だけではない、その向こうにいるそのカルト化された教えに惑わされている人やそのご家族もなんだ。だから、何としてでもこの暗闇から引き出さなきゃ」とキリストの思いで満たされ、必死に何度も何度も母を玄関の外から呼び続けたこともありました。本当に、敵はサタン!!というところに目を向けて、徹底的に戦い、愛を持って働きかけていくことの訓練でした。

また、就職活動においては、その方から指導を受ける中で、何度も注意されたことがありました。つい自分の思いを伝えようとすると、一方通行になってしまうことがあり、その方からは何度も“偉そう”と言われてしまっていました。私は、どんな時もへりくだって聞き、一つ一つ悟り、自分のものへとしていく謙虚さが欠けていたことを、その方が使われて教えられました。

ピリピ2:3~5
「何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって、互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。」

第一テモテ4:12~16
「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらのことを実行し、それを励みなさい。自分のことと教えのこととに気をつけ、それらを常に務めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教えを聞く者たちとを、救うことになる。」

私は人として、またクリスチャンとして謙虚さがなく、高ぶっていたことを悔い改めました。
そして、その週に実家へ帰り、この高ぶりについてその方が使われて私自身に語られたこと(証)を母にも語り、その高ぶりの先にあるのは裁きしかないこと(母には以前から父や牧師に対して裁きの思いがありました)。だから、高ぶり裁いていたことを悔い改めて悪霊に戦い抜くことを話しました。
そして、その時初めて今まで同じクリスチャンであってもお互いの間に分派分裂が働いて共に祈ることができていなかった母と、家族の真の解放の為に心を一つにして共に祈り、悪霊の追い出しをすることができました。
その報告を牧師にした時、牧師から「こうして門が開いているうちに、すぐにお父さんにお母さんの元・自宅に戻るように話して!」と言われ、私はすぐに父を呼び、今まで家に来ることを拒んでいた父も聖霊の力によってすんなり了承し、来てくれました。
そして私は父に、母に話したことや改めて御言葉に基づいて夫・父親とはどうあるべきなのか、またイエス様に従った時必ず家族が一つになることも伝えました。すると隣にいた母が自ら父に、これまでのことを謝り、今までずっと父のことを毛嫌いしていた母が、今後一緒に生活する気持ちがあるということを父に伝えたのです。父も、今すぐには決められないけれど、前向きに考えると言っていました。
私には思ってもいなかった展開で、本当にイエス様にしかできないことだと思い、イエス様に感謝でいっぱいになり、こうして自分の周りの物事や人が使われ、一つの方法・二つの方法で語られることをへりくだって感謝して聞いていく時、全てがイエス様の御手の中であるのだと語られました。

就職活動では広告業の企業へエントリーし、書類を送っていたのですが、選考を通過することができず、どうして信仰でやってきたのに通過することができないのかと思うようになりました。
そんなある日、牧師を通して、就職活動のことで広告業を握っていないかと指摘されました。私は確かに今まで広告業に絞りすぎていたなと思い、もう一度イエス様に聞きながら職種を自分で絞らずに決めることにしました。
そこで示された会社は、住宅系で日本でもトップの会社でした。
私は、イエス様に聞きながら信仰でその会社を受けてみることにしました。すると、時間内に全問解けなかったのにも関わらず、筆記試験を通過することができ、面接では今まで練習をしたことないのにも関わらず、ただ自分の内におられるイエス様に信頼し、堂々とぶどうの木で冊子を作ってきたことなどを話している自分がいて、最終面接まで進むことができました。私は、きっとこの会社で働くのだろうなと思いながら、最終面接の結果を待っていました。しかし、不採用との通知を受けました。その時私は、今までにないくらい落ち込み、なんで!!という気持ちでいっぱいになり、すぐに牧師へ報告しました。

頭の中が真っ白で、どうしようもない状態の私に対し、牧師はどんな時も冷静に堂々としていて、私にこう言いました。「イエス様は生きておられる方で、どんな時も共にいてくださり、なんで!!という思いさえも持っていくことができる存在なの。そして、必ずイエス様は応えてくださるから、どこまでも聞いていってごらん。この世の中はね、すぐに嫌なことがあった時、無かったことにしようとするでしょ。でもね、クリスチャンは自分の思い全てを持っていくことができ、それに対して必ず答えをくださるイエス・キリストが自分の内におられるの。これがクリスチャンの特権なんだよ。」と話してくださり、“救われる”ということの意味の深さ、「なんで!!」という思いさえも持ってきていいと言ってくださっている存在・イエス様がいることがどれだけの救いかを知ることになりました。

第1ペテロ2:6
「聖書にこう書いてある、『見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終わることがない』。」

不採用であったことに触れられたくない思いから、何度も学校へ行きたくないと思い、家で大泣きしながらひたすらイエス様に何で!!と言い続けたこともありました。
しかし肉と霊の思いは真反対で、そうなる度に私は「キリストのかおり」という自分の名前が1本の柱となって、「私の仕事はどんな時もキリストのかおりとして立つことだ。今の世の中、私のように不採用で落ち込んでどうしようもない思いをしている人がたくさんいる。自分もその思いが分かったからこそ、この時を生かして、そこからの本当の救い(イエス・キリスト)を伝えていこう」と立ちあがり、喜んで福音し、友達が救われていきました。



<大阪での生活⑤>

当時の私は、母への働きかけに対しどこか自分の肉で背負いこんでいた部分があったため、だんだんと母や家族の状態が「重荷」と感じるようになっていました。
自分の中でなかなか前の彼への思いが消えないことに対し、「今は家族の為に働きかけていく時なんだから、今の私にとって恋愛は邪魔ものなんだ!」とずっと自分に言い聞かせ、どんどん苦しくなり、次第には自分の酷さを誇るようになり(逆プライドの霊)、母はカルト化された教えに染まっていってしまっているのにも関わらず「私のことを分かっているのは神の家族よりもお母さんだ!」という言葉が口から出たことがありました。
その時牧師から、それが今まで私や私の家族を捉えてきた3代~4代に渡る呪い祟りの霊、特に私の場合は部落の血を引いていたことから、その霊力であることをはっきりと示されました。
私は、今まで血筋*部落のことについて語られてきても、自分の中のどこかで、「別にそのような地域に住んでいたわけではないし、これまで何か被害を受けたとか、自分がその差別を受けてきたという実感がないから、その血筋についての問題は母や最初に付き合った彼の問題だろう」と思っていました。私自身がずっと苦しんできた、どうしても自分の心を守る為に強がって、素直になれなかったことも、私はずっと自分の生い立ちが原因であり、自分ではどうしようもないことと捉えていました。
しかしイエス様は、それは生い立ち以前に、過去に部落差別でずっと苦しみ、自分自身や自分の血縁関係にしがみつこう(カルト化し別人のように変わってしまった母なのに、私は「牧師や兄弟姉妹よりもその母のほうが自分の事を分かっている」と言ったこと)とする3代~4代に渡る血筋が、私たち家族を捉えてきた「霊力」なのだと教えてくださいました。このように血筋を使って、人間を苦しめるのもサタンの策略なのです。
そしてその時、ずっと外したくても自分ではどうしても外すことができなかった、カラーコンタクトに対して、コンプレックスを持たせ、何とかしてそのコンプレックスを隠そうとすることもこの3代4代の血の中からきていたサタンの策略だったのだと分かり、悔い改め、初めてすんなりとカラーコンタクトを外すことができ、反対にコンタクトを入れることができなくなりました。自分の瞳に対しても、全くコンプレックスを感じることもなくなり、とても自然体でいられるようになりました。
これまでの3代4代の血筋からの霊力を見ることができていなかったことに対し、カラーコンタクトを外したことでまっすぐと光(イエス様)を見ることができ、隠されていたこと(3代4代の血筋による霊力)を知って解放されることができたのです。

また、彼の事がどうしても忘れられないと言ったことから、牧師とその彼について話すようになり、彼との付き合いの中で自分が彼に合わせようと背伸びをし、素直な思いを隠して強がってきたこともいかに血筋からの霊力に翻弄されていたかを示されました。人と人との出会いには偶然はなく、同じ霊力の人同士が惹かれあっていくのですが(この世でいう“波長”とは “霊力”のことなのです)、ずっと彼とは何の霊力によって出会い、付き合うことにまでなったのか分かっていませんでした。

そんなある日、私の夢に彼の住んでいる地域の光景がでてきました。私はまさかと思い、すぐにネットで彼の住んでいる地域を調べました。
(このように、今の時代ネットで簡単に差別地域を調べられるようになったことも、どれだけサタンが血筋を使って人間を捉え、苦しめようとしているかが分かります。)
すると、彼の家の地域がかつて部落と呼ばれる同和地区であったことを知ったのです。私はその時、鳥肌が立つくらい驚きました。なぜなら自分だけではなく、私が大阪にでてきて付き合った彼が二人とも部落の血を引いている人だったからです。
同時に、自分が大阪で住んでいる地域が部落だとかつて姉妹を通して知らされていたことを思い出し、何一つ偶然なんかではなく住む場所も霊力によって引き合わされた場所であったのだと分かりました。
決してその人がどうこうの問題ではなく、“霊力”のことであり、このように自分がその霊力(血筋)から解放されなければいつまでもその霊力は自分に引っ付きまわってくるのです。そしてその時はじめて、目に見えるものよりも現実的な霊力ということについて身をもって知ることとなりました。

またずっと自分の頭では分からなかった、なぜ彼が人に対して「クズ」と言ってしまのかということも、この血筋によって人を見下そうとしたり、そのような苦しみ・圧迫から非現実的な道へ走り、麻薬に手をだしたり、救われる前の私がそうであったように心のどこかで闇を抱えて無理して明るく振舞っていたのだと分かりました。
そして、私はその血筋を通して霊力というものを知った時、「私は実際部落差別を受けてきたわけでもないし、そのような地域にも住んでいたわけでもない。全く無縁な環境で育ってきた。それなのに何で、私にもその血筋が影響しなきゃいけないの。何でどこまでも霊力として引っ付きまわってくるの。嫌だ。認めたくない」と思い、恐れの思いがきましたが、そう思えば思うほど、2つの御言葉が自分をノックしてきました。

ヨハネ1:9~13
「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受け入れなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである。」

ルカ10:19
「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。」

御言葉にはっきりと、イエス様を信じ受け入れたときに頂いた、悪霊に打ち勝つ力によって、血筋から解放されること。どんな血筋であろうがクリスチャンはイエス様の十字架の血で清められ、神の子とされていること。私はこれらのことを知り、イエス様は血筋からも救ってくださる素晴らしい方であり、そのイエス様を知り、悪霊と戦う力も与えてくださったことに感謝でいっぱいになり、この御言葉を持って悪霊を縛り上げ、戦い、その霊力を断ち切ることができました。そして、自分も同じところにいた一人として、部落や在日差別など3代4代に渡る血筋で苦しんできた人たちへ、「もうそんなところにいなくていいのだ」と本当の救いを伝える為のキリストのかおりになることを決心しました。

こうして自分が21年間知らずに苦しんできた血筋から解放された時、新たに明るみにされたことがありました。1つ目は、2人目に付き合ったその彼のことです。それは、私が友達とお寿司屋さんに行った時のことでした。
そのお寿司屋さんは、まだ彼と付き合っていた頃よく彼に連れて行ってもらっていた所で、そこの大将と彼のご家族は親しい関係でした。私は決して彼について聞きにきていたわけではなく、一人のお客さんとして友達と行きました。大将と話しながらカウンターでお寿司を食べていると、いきなり大将が彼のご家族のことを話しだし、彼のご家族が在日の血を引いているのではという話を聞くことになりました。私は、自分から聞いた訳でもないのに、まさか大将から彼の血筋について聞くことになるなんて思ってもいませんでした。彼と別れ1年たっているのにも関わらず、イエス様はお寿司屋の大将を使って明るみにしてくださり、私はそのどんなことでも必ず明るみにしてくださる聖霊の力に驚きました。
そして、彼のことを思い返してみた時、どんな思いでこれまで人に対しクズと言っていたのか、また彼や彼のご家族がどんなにサタンの策略にかかり、苦しんできたかを思うと胸が苦しくなり、本当に救われて欲しいとキリストの思いでいっぱいになりました。と同時に、人間の真の救いと解放の為にどんな方法を使ってでも明るみにされようとする神の大きな愛を感じました。

2つ目は私の就職活動についてでした。最終面接で不採用になってしまったことで、私がずっとイエス様になぜなのか聞いてきた事の答えが、牧師を通して与えられました。

ある日私が母の変わってしまった姿(派手な化粧をするようになったこと)に対し、「ギャルみたい」と言いました。その「ギャル」という言葉が《知識の言葉》として牧師の中に残り、また同時にFacebookが就職活動で合否に影響するものとなっていることを牧師は新聞を通して見せられていました。偶然はなく、その時なぜか牧師の携帯に私のFacebookからメッセージが3通も送られていたのです。
そして、牧師はイエス様から「私がその会社で最後の最後に不合格となってしまったのはFacebookが原因!」と示されたのです。
私は、Facebookのアカウントを2つ持っていました。以前から使っていたアカウントにログインできなくなってしまった為、新しくアカウントを作りFacebookを活用していました。実際、そのログインできないアカウントの存在は忘れかけていました。ですがあらためて牧師からFacebookが原因と示されたとき、そのFacebookの自分の写真がとても“ギャル”であったことを思いだしました。その“ギャル”の状態がこれまで3代~4代の血の霊力の中で翻弄され、まかれていた自分(これまでの大学生活)の姿であり、サタンは就職活動でそのFacebookを使い、相手の人事の方に見せたのです。私は、すぐにそのような状態であったことを悔い改めました。
そしてまずは何とかしてそのアカウントを消さなきゃと思い、最初は今まで何度もログインしようと挑戦したけれど無理だった為もう2度とログインすることもできなければ、消去することもできないと思っていたのですが、「人にはできないが、神には何でもできる」と御言葉に書かれてあるように、信仰で「必ずログインすることができ、削除できたことを感謝します」と牧師や姉妹たちと共に祈りました。

そして、試行錯誤しながらログインを挑戦してみると、再びログインすることができ、そのアカウントを削除することができました。これまで心のどこかでその不採用がマイナスとなり就職活動にも前向きになれていなかった私でしたが、原因もはっきりと牧師を通して教えられ、悔い改めて、その霊力を断ち切ってすっきりとした気持ちで就職活動を再開することができました。


まさか自分がこの大阪での大学生活で、自分をとらえてきた血筋による霊力というものについて知ることになるなんて思ってもいませんでした。もしそのまま静岡にいたら気づくことはなく、今も部落や在日といった血筋による差別や地域が残っている大阪に行き、そこで生活してみて初めて気付けたことでした。そして、この私の大阪への大学進学を通して、私の家族がずっと抱えてきた問題、長年どうしても上手くいかない・どうしようもないこととしてとらえてきた夫婦の不仲やそれによって苦しんできた子供の状態こそ、この3代4代の血筋によるものだと知り、解放されました。大阪への大学進学は、一つになってほしいという神の大きな愛によってのご計画であり、祝福であったことが分かりました。だからこそ、この全てをご存知のイエス様は最初に牧師を通して、家族皆がイエス様を信じ、受け入れ、サタンに打ち勝つ力・聖霊も与えてくださり、そこから私のこの大学進学がスタートしていったのです。
その中で、イエス様は私の母の願い通り、私が「キリストのかおり」として立つようにと毎週交通費を与えてイエス様・ぶどうの木と繋げて下さり、そのぶどうの木を通して訓練してくださって、最初はキリストのかおりの意味さえ分からず反抗ばかりしていた私が自ら自分の意志で立つようになりました。
これまで自分を捕え、苦しめ、自分でもどうしようもないと思っていた数々の問題が、血筋からきていることを、牧師を通して気づかされ、解放され、今では何に対しても縛られない自由な自分がいます。

第2コリント3:15~17
「今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」

ガラテヤ5:1
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」

箴言19:21
「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、御旨だけが堅く立つ。」

この世(第1第2の天)から見たら、母はカルト化された教えの教会へ行くようになり、人としての良識さえも失われ、それにより夫婦も別居という大変な状態でどうしようもないと思うと思います。しかし、霊の世界(第3の天)から見た時、この私たち家族一人一人にとって祝福となるこの私の大学進学を何とかしてサタンが潰そうと母を使って攻撃してきていることなのです。ですが、どんなにサタンが潰そうとしてきても神の御旨だけが堅くたって、ここまで金銭的にも守られ、大学4年生を迎えることができました。
もし私が、この世しか知らず、霊の世界を知らなかったら、母や夫婦の状態に振り回されて兄の結婚も私の大学進学も実現しなかったどころか、何の希望も喜びもない絶望の日々だったと思います。でも、私はイエス様と出会い、悪霊の存在や霊の世界があることを知り、その霊の世界こそ見える世界(この世)よりも現実的であることを体験してきました。そして何より、全ての問題の原因となっている悪霊に打ち勝つ力が与えられ、サタンに勝利されたイエス様が24時間自分の内にいてくださっていることが最高の喜びであり、希望であり、力でした。

ヨハネ16:22~24
「このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。」

ヨハネ16:33b
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」

第1ペテロ5:9~10
「この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたの兄弟たちも、おなじような苦しみの数々に会っているのである。あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとしてくださるであろう。」

第2コリント4:16~18
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」

救われる前の私は、聖書なんて大嫌い!と思っていましたが、いつしか私にとって無くてはならないものとなっていました。霊の世界がいかに現実的なことかを知ればしるほど、その霊の世界について教えその上でどう生きていけばいいのかを教えてくれる聖書は神様から私への最高のプレゼントなのです。
だからこそ、まだまだこの本当のこと・霊の世界について知らない人に1日でも早く知ってもらい、サタンの支配下であるこの世から救われて最高に祝福された人生を歩んで欲しいと思います。

特に私が体験・体得してきたこの「血筋」については、人間皆が生い立ちや環境など3代4代の中で受けているものです。当たり前のようにサタンの策略で作られ、存在している宗教も3代4代の血筋によるものなのです。この血筋はイエス様を信じることでしか断ち切れず、イエス様を受け入れることしでしか、血を清めることができません。またそれだけではなく、イエス様によらなければ天国にいけないということもはっきりと語られてきました。霊の世界・霊力について知ることに対して、もしかしたらすぐに受け入れられないこと、私が血筋について知った時のように、とても衝撃的で逃げたくなることもあるかもしれません。でも、もしこの霊力について知らなければ私は一生解放されず、ずっとどうしようもないこととして苦しみ、それは決して自分だけの問題ではなく、私が体験してきたように人との出会いや家族にまで大きく繋がってくることなのです。
しかしイエス様を信じ救われたら、決してそこで終わりではありません。イエス様を信じる信仰によって悪霊と戦い、勝利していった時、自分自身はもちろんのこと、周りも変えられ、最高に祝福された人生が待っているのです!
全てはまずその霊の世界・霊力というものについて知ることから始まるのであって、相手の真の解放・救いの為にその事をはっきりと教え、共に戦い、できていない事があったら戒め、訓練してくださる神の家族の姿を通し、これが人間の情(この世の価値観の中でいう愛)ではない、本当の愛なのだと分かりました。実際、私がイエス様から離れてしまった時、牧師・兄弟姉妹は私に対して同情するのではなく、離れているからこそはっきりと私ができていないこと、捕われている霊力を教えてくださり、その愛によって私の目が覚まされ、しっかりと光(イエス様)のもとにくることができました。

今私は、受ける側から与える側へと立ち、その愛を持って家族へ・特に母へ働きかけています。もちろん家族だけではなく、全世界の人々に対してもそうです。

使徒行伝16:31
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われる」

ヨハネ15:12~17
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

第1コリント13:1~8
「たといわたしたちが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしたちは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを信じ、すべて望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」

ローマ5:2~5
「わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰よって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」

どんな時もこの神の愛と、希望に満たされ、毎日が喜びでいっぱいの人生はこの世の富・お金には決して変えられないものです。そのことを思う度に、イエス様への感謝でいっぱいになり、「今日はどんな事を語ってくださるのだろう」「どんな出会い・計画が私には待っているのだろう」と、毎日がとてもわくわくした歩みとなります。

第1テモテ6:17~20
「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。」

エペソ2:7~10
「それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜った慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」

一人でも多くの人がこの真理・本当のことを知り、サタンの支配下であるこの世から救われるよう、これからもますます至るところでキリストのかおりを放つ器として使っていただけたことを感謝し、すべての栄光をイエス様に帰します。