兄弟姉妹への裁き

 
 

今週の日曜集会でぶどうの木の兄弟姉妹に対して『裁き』の霊が働いている事を語られました。

先日、姉妹の誕生日のお祝いが若者達の間で行われました。ぶどうの木は、20代の若者が多く食事をしながらの交わりをすることがよくありました。

私には、23才の娘と22才の息子がいます。現在息子は交通事故で四肢麻痺となり一人で行動するのは難しい状態です。なので、若者達の集まりがあっても、誘われる事もなく交わる事がありませんでした。

今回の姉妹の誕生会も娘には声がかかりました。私も今の状態では仕方ないと思っていました。しかし、その度に「また、今回も息子は参加出来ないなぁ」と、私の中で若者達の交わりに参加出来ない息子が可愛そうだという思いがありました。決して「仲間外れにされている!誘ってもくれない!」とか、そういう思いとは違いました。

ずっと私の中にあった、そんな思いが明るみに出されたのは、娘が今回の誕生会に『弟も連れて行きたい』と副牧師に相談したことが切っ掛けでした。食事をする場所までは、両親で送迎をし、レストランでは娘が兄弟姉妹と協力して、息子の面倒をみるという事になりました。
そうは言っても身体が不自由なだけではなく、呼吸器も付けているので娘だけで『もし器械に何かあったら』という心配もあり、今まで母親である私が側にいるのが当たり前の生活をしていたので不安はありました。しかし神の家族である兄弟姉妹のなかで、イエス様の守りのなかでの交わりである事から息子を手放し全てを委ねました。今回の若者達の交わりで、いつも側にいた私がいない事もあり、子供達は色んな会話ができ楽しく過ごす事が出来たようです。

今回の事で副牧師から、『何度か若者達で交わりをしてきたが、息子さんの事を気に掛けていなかった』と、気が付かない所で無関心となっていた事に対する謝罪を受け、若者たちも悔い改めてくださいました。

それと同時に私も、気が付かないうちに兄弟姉妹を裁いていたことが分かりました。
息子が若者達と交われない事に対して、今まで自分の中にあった思いを明るみに出した事で『自分は兄弟姉妹を裁いているのではないか!?』という思いがありました。そして、その思いも副牧師によって明らかにされました。

人の悪口を言ったり、相手の事を嫌ったりする状態が裁いていることだと思っていました。私は、兄弟姉妹の悪口を言ったわけでもなく、兄弟姉妹のことを嫌っている訳でもありません。しかし、神の目からみると聖い自分ではないのです。ずっと、辛い思いを抱いている事は私達クリスチャンにとって『ハレルヤ』ではありません。その思いが、いつか相手を妬むようになり裁きへと変わってしまうからです。霊の世界で裁きの思いが生まれているのです。

ある姉妹が、車を運転していて前の車がおかしな運転をしていた時に『イラッ!!』とした事があると話しました。そんな事は、日常においてよくあることです。でも、私達クリスチャンにとっては裁きの霊が働いてしまっているのです。本当に些細なことです。でも神の目からみたら聖くないのです。

今回の事で、私の兄弟姉妹への裁きの思いが明るみに出され、神の御前で悔い改め、霊力を断ち切る事が出来ました。私達クリスチャンは、そうやって前進していきます。全ての事に清く・聖くなくてはいけません。私達ぶどうの木は、牧師やキリストの肢体が遣われ、愛にあって真理を語り、互いに励まし合い、支え合い、祈り合って、迷っている羊(兄弟姉妹)を祝福と霊的勝利への道へと導いていく神の家族です。
この事は、ぶどうの木トラクト『神の国は力である』 P32《兄弟姉妹とは》にも書かれています。ご参照ください。

ローマ14章13節
それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。

ローマ12章10節
兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。