ライオンキングを観て語られたこと

 
 

1月4日に、劇団四季の「ライオンキング」を観てきました。
2012年7月に観た「美女と野獣」同様、今回もたくさんの事をイエス様が語ってくださいました。

ライオンキングのあらすじは、こちらからご覧ください。
ライオンキングのあらすじ


それでは、語られたことを書いていきます。

父ムファサから、プライドランドの向こうから先には行ってはならないと告げられていたのに、シンバは禁断の場所に向かってしまい、ハイエナに襲われたところを危機一髪で父に助けられます。「なぜ、行ったのか!?」と叱られたシンバは、「僕は勇敢だから!」と答えますが、父ムファサは、「勇敢と軽率は違う!」と諭します。この言葉がすぐに【知識の言葉】として、私の霊に入ってきました。
イエス様とつながって物事に向き合う勇敢さと、自分の肉の思いで動く軽率。イエス様の声を聞かずに行動しているクリスチャンがどれだけ軽率か、どれだけサタンにチャンスを与えているか・・・何事も主にあって行うことが大切であると語られました。

また、ムファサとシンバには責任を担っているプライドランドという範囲があったように、神は私たちにも責任を持って守るべき範囲を与えておられるのだと思いました。福音をしたら、その人の霊の責任を担っていくことになりますし、神の家族も、神が定めた1つの単位であり、牧師が命をかけて守っていかなければなりません。ですから、クリスチャンが自由に教会を出入りすることはそれだけ霊力を動かすことになりますし、神が定めた神の家族の単位を乱す行為です。私たちは、置かれた場所、家族の中での営みを維持し、キリストの肢体としての役割を果たしていかなければならないのだと語られました。

ライオンキングを霊的に観た時、シンバはイエス様であり、叔父のスカーはサタンだと思いました。シンバの父であるムファサ王を殺し、プライドランドを支配したスカーでしたが、スカー(サタン)が支配した世界は、飢え乾いていきました。スカーは、この状態を脱却するために妻(助け手)を持ち、子孫を残して代々自分の血を引き継ぐ者を王として君臨させたいと考えますが、結局は妻になってくれる者はおらず、当然子も産まれないので繁栄することはなく、滅びに向かっていきました。

神が選んだ者、正しき者が王とならなければ国は滅びます。それは、今の日本の首相はじめ、上に立てられた権威の在り方にもつながります。一国の主の信心と男の義による靖国神社参拝のせいで、アメリカからは失望したと言われ、その他の国からも非難の声を浴び、日本は孤立状態です。首相が日本のために正しい判断をしたとは思えません。男義で政治を行なってきた結果、日本は発展と共に、戦争によってたくさんの命を犠牲にしました。この日本が、再び同じ過ちを繰り返すことのないよう、真の神を知り、神のみ旨にかなった器がこの国を導かなければなりません。そのためにも、日本の土台をイエス・キリスト(聖書)にすることが絶対条件であると、私はライオンキングを通しても語られました。結局、毎年起こる靖国神社参拝問題も、西洋文明の上っ面だけを取り入れて聖書の教えを学ぼうとしなかった日本人が、神への知識がない故に繰り返している事だと思いますから・・・。

箴言12:28
正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。

自分のせいで父親が死んでしまったと思い、プライドランドを出たシンバは「ハクナ・マタタ(気にするな)」という言葉に救われます。私は最初、“これは古いものが過ぎ去って、すべてが新しいという聖書のみことばにつながるな”と思いました。しかし、ライオンキングが伝えようとしたかったことは、もっと深い事でした。
幼なじみのナラから、スカーの悪政下にあるプライドランドの荒廃ぶりを聞かされたシンバは、「過去の事はもういい!前だけ見て行く!ナラも一緒にここで暮らそう!」と言って、プライドランドに戻ることを拒みます。そんなシンバに対して、ラフィキ(年老いたヒヒ・呪術師)が「過去から逃げて生きていくのか、それとも過去から学んで生きるのか、道は2つ!どちらを選ぶのだ!」と、祝福の道と呪いの道の選択を迫るのです。
私はこの場面から、クリスチャンとしての歩きが語られました。
「救われてよかった。過去の事はもう気にしない!忘れてしまおう!」・・・ではないのだという事。もちろん過去の罪が許され、新しく生まれ変わったことに感謝することは大切ですが、クリスチャンとして歩み始めたら、過去から学んで、二度と同じ失敗を繰り返さないという決心・決意・覚悟・決断をして、実行しなければならないのだと語られました。その時本当に、古いものは過ぎ去って、すべてが新しい土台の上に建てあげられていきます。
そして、そのように過去から学んで生きることができる人間か、悟れる人間かどうかもここでは問われているのだと思いました。

第2コリント5:17
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

ホセア14:9
知恵ある者はだれか。その人にこれらのことを悟らせよ。悟りある者はだれか。その人にこれらのことを知らせよ。主の道は直く、正しき者はこれを歩む。しかし罪びとはこれにつまずく。

また過去に自分が犯した罪に対しては、まいたものを刈り取るとも聖書には書かれています。だからこそ、聖霊が思い出させてくださった罪に対しては、しっかりと清算して進むことも大切であると語られました。例えばぶどうの木では、自分に対して何か恨みをいだいている人や喧嘩したままになっている人がいるなら和解をしに行きなさいと教えられています。

マタイ5:23~26
だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

シンバは、過去から学ぶことを選び、プライドランドに帰る決心をしました。もともと王の血統であったシンバには、生れた時から神に与えられている権威がありました。霊的には、内にいただいた賜物があったとも言えます。それは、プライドランドを離れたからと言ってなくなるものではありませんでした。召しと選びは変わることがないという神の約束ともつながると思いました。

ローマ11:29
神の賜物と召しとは、変えられることがない。

さらに偶然はなく、私はライオンキングを観に行く前日に、ダニエル書からみことばをいただいていました。

ダニエル1:3~4
時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。

王の血統・・・前日にいただいていたこのみことばの意味が、ライオンキングを観て分かりました。

そして、シンバは王座を取り返すために、プライドランドを出て行くようスカーに命じます。この場面では、サタンの愚かさを改めて語られました。スカーは、最後に自分が兄であるムファサ王を殺したと告白し、怒ったシンバに詰め寄られると、今まで仲間だと言ってきたハイエナたちを悪者にして、その場を逃れようとしました。人間の中にある言い訳、人のせいにするパン種だと思いました。
最終的にはシンバが手を下さなくても、スカーは自ら誤って谷底に落ちてしまいます。そのスカーをえさにする裏切られたハイエナたち。聖書に書かれてある【内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。】(マタイ12:25)というみことばを思い出しました。そして、善であるシンバ(イエス様)は、悪であるスカー(サタン)に対して対等に戦う必要はなく、悪は自ら滅びていくという真理も改めて語られました。

ライオンの世界が面白くなかったハイエナ。シンバが後継者であることを快く思わなかた叔父のスカー。どちらもねたみの霊です。ねたみを持っている者同士が手を組んで、悪を企てましたが、闇は光に勝たなかったのです。

ヨハネ1:5
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

シンバが王となった時、暗黒だったプライドランドに太陽が昇り、本来のあるべき世界に戻りました。そして、妻(助け手)となったナラとの間に子供も生まれ、命は継がれていきます。2014年元旦にいただいていた「繁栄」という知識の言葉を思い出しました。イエス様が真にこの地、まずはこの日本を支配された時、今の悲惨な日本の状態からも解放され、繁栄していくのだと強く思いました。

ヨハネ3:16~21
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

また、父ムファサと息子シンバの関係からは、旧約聖書に出てくる父ダビデと息子ソロモンの関係を思いました。私は2007年に母と大空書店で働き始めた時に、歴代志上と歴代志下からソロモンについてのみことばを預言としていただいていたので、ムファサがシンバに語りかける場面は、自分の召しと選びを改めて語られていると思い、胸が熱くなりました。

歴代志上28:9~10
わが子ソロモンよ、あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。それであなたは慎みなさい。主はあなたを選んで聖所とすべき家を建てさせようとされるのだから心を強くしてこれを行いなさい。

歴代志上28:20~29:1
ダビデはその子ソロモンに言った、「あなたは心を強くし、勇んでこれを行いなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。主なる神、わたしの神があなたとともにおられるからである。主はあなたを離れず、あなたを捨てず、ついに主の宮の務のすべての工事をなし終えさせられるでしょう。見よ、神の宮のすべての務のためには祭司とレビびとの組がある。またもろもろの勤めのためにすべての仕事を喜んでする巧みな者が皆あなたと共にある。またつかさたちおよびすべての民もあなたの命じるところをことごとく行うでしょう」。ダビデ王はまた全会衆に言った、「わが子ソロモンは神がただひとりを選ばれた者であるが、まだ若くて経験がなく、この事業は大きい。この宮は人のためではなく、主なる神のためだからである。

歴代志下1:7~13
その夜、神はソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。ソロモンは神に言った、「あなたはわたしの父ダビデに大いなるいつくしみを示し、またわたしを彼に代って王とされました。主なる神よ、どうぞわが父ダビデに約束された事を果たしてください。あなたは地のちりのような多くの民の上にわたしを立てて王とされたからです。この民の前に出入りすることのできるように今わたしに知恵と知識とを与えてください。だれがこのような大いなるあなたの民をさばくことができましょうか」。神はソロモンに言われた、「この事があなたの心にあって、富をも、宝をも、誉をも、またあなたを憎む者の命をも求めず、また長命をも求めず、ただわたしがあなたを立てて王としたわたしの民をさばくために知恵と知識とを自分のために求めたので、知恵と知識とはあなたに与えられている。わたしはまたあなたの前の王たちの、まだ得たことのないほどの富と宝と誉とをあなたに与えよう。あなたの後の者も、このようなものを得ないでしょう」。それからソロモンはギべオンの高き所を去り、会見の幕屋の前を去って、エルサレムに帰り、イスラエルを治めた。


今回の会場が浜松町にある自由劇場というところだったのですが、そこのマークがぶどうで、私たちはイエス様がかしらの観劇であると確信しました。
そして一番驚いたのは、今までシンバの父であるムファサ王に仕えていた執事が、スカー(サタン)の悪政下となったプライドランドを嘆いて、「この苦しみ(の世界)を取り除けるのは、イエス様だけ!」と言ったことでした。
今年15周年を迎えたライオンキングですが、15年間ずっとこのセリフがあったのならどれだけの人がイエス様のお名前を聞いたのだろうと思いますし、もし、今年特別に加えられたセリフであるならば、私たちはすごいタイミングで観に来たことになります。どちらにしろ、こんな短いセリフであっても、その場にいる何百人という人がイエス様のお名前と力を知ることになる。本当に影響力のある一言、福音だと思いました。
家に帰り聖書を開くと、ここに書いた通りライオンキングの内容を裏付けるみことばがたくさん与えられました。劇団四季のルーツにはイエス様の教え、聖書があるのかも・・・。

どんな事でも、イエス様に繋がっていたら霊にたくさんの事が語られます。だから真のクリスチャンは、「これもイエス様だ!これもイエス様からのメッセージだ!」と全てに感謝して生活することができます。皆さんは、ライオンキングを観てどんな事を感じるでしょうか?私はぜひ、ぶどうの木の兄弟姉妹たちにも観てほしいなと思いました。きっとまた違う感想が聞けることでしょう。
2014年の始まりに、イエス様がたくさんの事を語ってくださったことに感謝します。