奇跡の和解~無条件の許し~

 
 

今回私はイエス様の愛、無条件の許しで奇跡を体験させて頂きました。

私は2011年6月離婚しました。
私の今までの結婚生活は、仏教にとても信仰があつい家庭の嫁として仕えてきました。
日頃から嫁として仏壇、お墓に供え物を上げて拝むことをしていたわけではないですが、姑が毎日のように、また何かあると仏壇にすがるように、拝む姿が絶えないのを見てきました。私がクリスチャンになって何年か経った時、姑から「仏壇、お墓を拝まない嫁は家の嫁ではない!クリスチャンをやめて、家の嫁として仏壇、お墓をしっかり守ってくれるならいいけど、そうでなかったら家から出て言って欲しい!」と言われました。

私は突然のことで驚きました。何で今更とも思いましたが、主人に相談したら主人も同じ思いで、私の知らないところで姑と話が決まっていたのです。
主人からも、私の中でイエス様を信じていくことは別に構わないけど、これからは集会に行かないこと、同じイエス様を信じている人達にも会わないこと、夫婦として一緒にお墓に拝みに行くことを条件に出されました。
私は主人の言葉を聞いて、頭の中が真っ白になりました。今まで何十年間、一緒に過ごしてきたけど、この時ほど夫婦として冷めきってしまったことを実感させられたことはありませんでした。
家庭の中では舅、姑とのいざこざは耐えませんでした。舅がお酒に酔った時、物を投げられ怪我をし、恐怖で何も持たず子供だけを抱き上げ、裸足で飛び出し実家へ逃げて行ったこともありました。舅が倒れ入院した時は、舅が貯めてあった小銭のお金がなくなったことや、舅名義の通帳がなくなったことで、私が盗んだと犯人扱いされたこともありました。結局は姑が持っていたのがわかったのですが、私に対しての謝罪はありませんでした。
舅が亡くなった時は、お通やから家族と思われず、お手伝いさんとして扱われ働かされていました。主人に言っても無関心で私の気持ちなど受けとめてくれませんでした。ここからの家庭生活は姑が権力を持ち、何に対しても私のやることは気に入らず、主人も一切何にも言わずにきていました。

益々、私の中に姑への憎しみ裁きが強くなり、同じ屋根の下で一緒にいることも苦痛になり、主人との間も冷えきってしまいました。こんな生活嫌だ!もううんざりだ!と思う中、私はある男性と不倫をしました。2011年3月に出されている証【仏教の弊害からイエス様によって解放されて】を読んで見て下さい。

私は霊的監督者である牧師に姑と主人のことを話しました。今回のことは牧師を通してイエス様からのメッセージ、仏教からの迫害であると聞きました。そして今まで家族間の中でお互いに話し合いが出来てなかったこと、無関心であったことを言われ、家族で話し合うことをしていきなさいと言われました。話し合いの場を作り、久しぶりに話し合いをしていきました。結論としては私がイエス様の信仰を捨てない限り、仏教を信じている主人の気持ちは変わらず離婚の話になっていきました。
私自身は離婚はしたくないし、イエス様への信仰も捨てたくない、ここから新しくやり直していきたいと思っていましたが、イエス様に聞いていったとき離婚しなさいと言われました。

Ⅰコリント7:15
しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいけない。神はあなたがたを平和に暮らさせるために、召されたのである。

私はこのみことばを握りしめイエス様に従い離婚しました。
離婚するにあたって、私が生計できるまでのお金を頂き、驚きました。普通でしたら、私が慰謝料を払わないといけないのに、これはイエス様からだと思いました。
そしてイエス様から、今まで元夫を家族を騙し、裏切ってきたこと(不倫、中絶)を正直に伝えなさいと言われました。私はそんなこと絶対無理!と思いました。そんなこと言ったら何を言われるかわからないし、どうせ離婚すれば関係ないし、墓場まで持っていけばわからないし!と思っていたからです。
しかし、それはすべて自分の清さの為にと言われました。 

テトス1:15
きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。彼らは神を知っていると、口ではいうが、行いではそれを否定している。彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、いっさいの良いわざに関しては、失格者である。

私はイエス様に信頼し元夫に、家族に今までのことをすべて伝えました。
正直、その時の私は暴力をふるわれるかと、恐れと不安でいっぱいでした。
しかし、イエス様に従っていったとき、元夫は怒ることもなく、責めることもなく黙って聞いてくれました。そして一言だけ「おまえはイエス様に許してもらってるかも知れないけど俺は許せない!」と言われました。
そんな気持ちがわかった時、イエス様から謝罪しなさいと語られました。
しかし私の中には、謝罪!?何で私が謝らなければいけないの?私がこうなったのは、あの人達の責任なのに!という裁きの思いがありました。
牧師を通して、イエス様は愛、無条件の許しなので、その気持ちは違うこと、もし自分が相手の立場になった時、どんな思いになるかわかる?人として、その人の気持ち考えてごらん?と語られました。私は、元夫が私を許せない気持ちに対して、会って許してくれるまで謝ろうと意志を向けました。会ってくれるか心配でしたが、連絡したらすぐに会ってくれることになり、とにかく許してくれるまで謝ろうと思い、行っていったとき「もういいよ!頭上げて」と笑顔で言ってくれました。こんなに直ぐに許してもらえるなんて思ってもいなかったので、びっくりしました。いつの間にか、私の中の重荷(不倫、中絶、裁き、憎しみ)が取り除かれていました。

2012年12月思いもよらないことがありました。それは私達、ぶどうの木の食事会の時、娘が使われ主人を誘っていたのです。
聞いてはいましたが、来るとは確信できず、突然来ることがわかり驚きました。その帰りも娘が送って行ったと思ったら、途中で降ろしてもらい私に送って行って欲しいと連絡してきたのです。
まさか、私に連絡してくるとは思いもよらなかったので驚きました。この日はちょうどクリスマスの日でしたのでイエス様からの素晴らしいクリスマスプレゼントだと思いました。

もう一つ嬉しいことがあったのです。
実は、私は離婚して一人で暮らしていくにあたって、仕事を見つけなければいけなかったのです 。今まで主婦でしたので、いちからの出直しでした。いろいろな情報を見てさがし電話をかけましたが、年齢もいっていたので、なかなか条件にあった仕事は見つからなく焦っていました。ある時、牧師の口から「介護の仕事はどう?」と言われ、介護の仕事!?知らない人の世話をしたり排泄の世話、そんな汚ない仕事なんて私には絶対無理!やりたくない!と思いました。だけど牧師からの言葉は、すべてイエス様からのメッセージなので従っていきたい、従おうと思い意志を向けることにしました。まずは、資格をもってなかったのでヘルパー2級を取ることから始めました。1ヶ月の短期で取得することができ、修了する直前には仕事も決まり、すぐに働くことができました。
そして、入社して1年と少したってから正社員の話がありました。この歳で正社員になれるとは思っていなかったので驚きました。正社員の契約がちょうどクリスマスの日で、私にとって二つの素晴らしいイエス様からのクリスマスプレゼントだったのです。
それからは、娘の誕生日には親子三人で祝うことができ、毎月、元夫から食事に誘われ、誕生日には素敵な場所を与えられ、プレゼントも頂き祝ってもらいました。
本当に次々と考えられないことが起こりました。
改めて、元夫と逢うようになり、これまでない新鮮な気持ちに満たされここまで回復しました。

さらに神のみこころは、元姑との和解でした。結婚してから元姑を裁いてきたことに対して、イエス様は無条件の許しと無条件の愛を語ってくださいました。

マタイ6:14~15
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

ヨハネ20:23
あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう。

イエス様は、あなたを傷つけた人、害をなした人にむけて許しを注ぎ出しなさい!とおっしゃいました。
私はこのみことばを握りしめてきました。

今年の2月2日、娘が使われ頂いたミカンを祖母(元姑)に持って行くとゆうことで、離婚してから初めて家に行きました。私は車の中で待っていました。娘が家の中に入って行き、元姑に
「お母さんも一緒に来ているよ。顔を見たいし会いたいって言ってるよ。」と伝えたら、すぐさま靴を履いて家から出てきました。驚きました。今まで家族が何処かへ誘っても断り、何かお願いしても頑としてお尻をあげない、自己中心的な元姑でしたので本当にイエス様からだと思いました。

家から出てくるなり「お母さん(=私のこと)ごめんね」と何回も言いながら頭を下げてきたのです。元姑の顔を見ると大粒の涙が流れていました。あの元姑が!涙?一度も自分が悪いと思って謝ったり涙を見せたことのない人だったので本当にびっくりしました。
私は元姑と抱き合い「元気だった?体は大丈夫?」と声をかけました。その間もずっと涙を流し謝っていました。
帰り際も私達が見えなくなるまで、手を振り見送ってくれました。私はこの出来事は何?と呆然とするとともに不思議な思いでした。すぐに牧師に連絡しました。
牧師を通して、「相手が謝ってきたのは、あなたの愛が相手を騙してきた悪霊に打ち勝ったのよ。今まで何年にもわたって二人の間にあった憎しみ、裁きの和解よ!」と語られました。私は胸がいっぱいになり涙が溢れ、とまらなくなっていました。本当に凄い奇跡が起こった事を実感しました。

コロサイ1:13~20
神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪の許しを受けているのである。御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれたかたである。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。そして自らは、そのからだになる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生まれたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

Ⅱコリント5:16~19
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

いつのまにか私の中で、元姑に対して憎しみ、裁きが取り除かれていました。まさかこんな奇跡が起こり和解ができるとは思っていませんでしたのでイエス様に感謝します。

離婚してもうじき3年になります。
イエス様と出会い此処までの歩きを振り返ってみると、前回の証にもありましたが、私の人生は不倫、中絶、事故、嫁姑問題、夫婦生活も離婚に至り壮絶な歩きでした。もしイエス様に出会ってなかったら今頃、残りの人生どうなっていたか想像すると恐ろしく思います。
この証通り、普通に考えたら離婚もしたくありませんでしたし、今まで隠してきたことをばか正直に言うなんてできませんでした。仕事に関しても自分のやりたい仕事とは、真反対の仕事で、特に元姑を許すなんて(殺したいと思っていましたから)とんでもない!と思っていましたから、すべてが自分の思いと反対のことばかりでした。
これもすべて、イエス様に出会い世界のベストセラーになっている聖書を学び、私に与えられたみことばを握りしめてきたこと、そして霊的監督者である牧師を通して語られた、知恵の言葉をひとつひとつ行ってきたことで、すべてが新しくなり、生まれ変わることができました。今は何も重荷もなくすっきりとして、いつも平安で新しい気持ちでいます。そして、元夫との復縁を求めています。なぜなら、私は元夫のあばら骨から造られた、たった一人の女で、夫婦は一体と聖書に書かれているからです。神のみこころで新たに夫婦となり、再出発できるよう求めていきます。
本当にイエス様に出会い、救われ、180度生まれ変わることができ、イエス様に感謝します。すべての栄光はイエス様に帰します。