“西大門刑務所歴史館”で語られたこと

 
 

3月21日に、私は牧師である母と姉妹2人と一緒にソウル市内にある“西大門刑務所歴史館”に行きました。
私は今まで、他の姉妹たちと一緒に戦争記念館、独立記念館に行き、韓国の歴史や日本軍の侵略からどのように独立していったのかを学んできました。刑務所歴史館は留学時に一度行った事があったのですが、今回そのような日韓の歴史的場所に行くのが初めての母(牧師)と、無条件の許しについて証を書いたばかりの姉妹2人と行ったことで、無条件の許しと、和解の福音をイエス様に強く語られながら観覧することができました。

“西大門刑務所歴史館”については、配布されていたパンフレットに次のように記載されていました。
【近現代期、韓民族の受難と苦痛を象徴した西大門刑務所を保存・展示している博物館です。日本帝国主義時代には、祖国の独立を勝ち取ろうと日本帝国主義に立ち向かって戦った独立運動家達や、解放後の独裁政権期には、民主化を成そうと独裁政権に立ち向かって戦った民主化運動家達が監獄暮らしの苦しみを味わい、犠牲になった現場です。このような苦難の歴史にも屈服せず、韓民族は世界史上類例がない短期間で独立と民主化を成し遂げました。まさにその底力と精神が宿っている西大門刑務所歴史館は、大韓民国の独立と民主に向けた闘争の歴史がこめられている現場です。】

私たちは、日本軍が韓国人に対してどれだけひどい事(拷問)をしたのか見せられました。日本軍が考える拷問はあまりに卑劣で、そのような事を平気で行える精神状態も異常・・・まさにサタンが入って行ったとしか思えず、地獄の様子を思いました。しかし、真理(悪霊の存在)を知らない人からしたら、これは日本軍がした事であり、生身で地獄を経験した人たちの思いは計り知れません。実際に収容されていた人が当時の事を語っている映像も流れていましたが、今でも心身ともに深い傷を負い、日本への憎しみにあふれた表情を見せられた時、このような人たちがまだ生存しているという事実に、自分たち日本人のあるべき姿を考えさせられました。この国で起きた歴史を知らない日本人が観光に来ている事・・・歴史を知っていたら容易には来れない国であろうと思いました。それほどまでに、卑劣で残酷な歴史がここにはありました。
日本軍が韓国に対してした事は歴史的事実としてこのように残り、世界にも伝えられているのに、日本政府が過去に犯した過ちに対して謝罪しなかったり、なかった事にしようとしている事はやはりあり得ない事だと思います。男義の霊(素直に謝ろうとしない)に支配された政治はいい加減にしてほしいものです。

そして、私たちが韓国人に対して「1つになろう!」と呼びかける時、この歴史の上に今の自分たちがあり、韓国人には、日本軍の侵略よって傷つけられてきた先祖代々の血が流れているという事・・・その憎しみ、「恨」(社会的抑圧に発する諦念と悲哀の情緒が自己の内部に沈殿し、積もった状態をさす朝鮮語)を越えて初めて本当に1つになれるのだと語られました。

それは、肉(頭)で考えたら、あまりにも難しい事、遠い夢のように思えます。
でも、人はイエス様によって変わることができます。過去の歴史は変えられなくても、イエス様によって今を生きる人の気持ちは変えることができるのです。
イエス様の第一の戒めは、【互いに愛し合いなさい】です。人の気持ちの中で一番大切な「愛」の部分から、人は変わることができるとイエス様は教えています。
私たちは、西大門刑務所歴史館に行き、改めてイエス様がなぜ「互いに愛し合いなさい。許し合いなさい」と強くおっしゃっているのか分かりました。この戒めさえ人間が守れば、このような悲惨な出来事も戦争も起こらず、すべての問題が解決するからです。

ガラテヤ5:13~15
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。

ヨハネ13:34~35
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。

第1ヨハネ4:19~21
わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

そして、「愛し合う」という事は、許し合う=【無条件の許し】という事です。イエス様は聖霊によってそれができるとおっしゃっています。誰のために許すのか・・・それは自分のためにです。自分が神の御前で清くあるために、自分がイエス様の戒めを行う事によって平安を得るためにです。自分が憎しみ裁きから解放されるために、相手を許すのです。
相手を許した心を見て、神は相手を変えてくださる・・・それが真理です。

ヨハネ20:22~23
「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

ローマ12:17~21
だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい。

私たちは改めて、このとてもシンプルな真理を伝えるために生かされているのだと語られました。そして、真の和解に向かって、霊的にはまず西大門刑務所で亡くなった方々との和解のためにイエス様が私たちをこの場所に導いてくださったのだと語られました。根底から人の心を変える大きな神の愛によって、日本と韓国が1つになれたことを感謝します。

第2コリント5:11~21
このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人人に答えうるようにさせたいのである。もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

アーメン。