真の和解

 
 

私は、4月27日の日曜集会で、ずっと気になっていた方と和解する事ができました。
相手は、息子の交通事故の加害者のおじい様(Kさん)でした。

2008年10月に息子が交通事故にあいました。
事故当初、Kさんが孫の起こしてしまった事に悲観し、入院先の病院に「孫のしてしまった事を許して欲しい」と何回かお見舞いにみえました。
当時の私は、謝罪してもらっても許せるわけない!顔も見たくない!と、会うことを拒絶し看護師さんに追い返してもらっていました。お菓子をもらっても開ける事なく、そのままゴミ箱に捨てていました。

その後、私はイエス・キリストを受け入れて救われ、聖霊をいただいてクリスチャンとなりました。そして、『無条件で人を許す事』を教えていただきました。
救われる前の私が犯してきた罪は、イエス様が全て背負って十字架にかかってくださったことで許されているのだという事を知りました。私はこの真理によって、人生の中で背負ってきた全ての重荷から解放されました。
イエス様に罪が許された自分が、他者を裁くことなんてできません。私は、自分も許されたのだから、どんな相手も無条件で許す事を教えていただきました。
私が絶対に許せなかった相手は加害者でしたが、イエス様の教えであるみことばに意志を向けて従っていく事で、いつの間にか加害者を許せている自分へと変えられていきました。

加害者を許す事で、加害者親子もイエス様を受け入れて救われ、今は一緒に聖書を学ぶ神の家族となりました。
しかし、私はKさんの事がずっと心に引っかかっていました。
事故当初、Kさんに対してとった私の態度・行いを謝りたいと思っていました。
普通に考えたら、被害者の家族である私が加害者の家族に謝罪するなんて考えられない事だと思います。しかし、聖霊をいただいた私は、内側が変えられ自分の清さの為にも謝りたいとずっと思っていました。そして、その機会をイエス様は与えてくださいました。

今週の日曜集会にO兄弟(加害者の父親)が、Kさんを集会に連れて来てくださいました。
Kさんは89歳になります。O兄弟が私たち家族を紹介してくださいました。Kさんは、目もあまり良く見えず、耳も聞こえにくく感謝な状態でした。しかし、「息子が事故をおこしたSさん家族だよ」と、O兄弟がKさんに伝えた瞬間、Kさんは目に涙をため「申し訳ありません。」と何度も謝罪してきました。救われる前の私たちと同じように加害者の祖父として、ずっと重荷を背負っていました。
Kさんが日曜集会に導かれ、神の御前で謝罪をすることが出来ました。交通事故もお孫さんが悪いわけではなく、たまたま被害者・加害者という立場に立たされているだけで、全ては悪霊の仕業だという事も伝えました。もしかしたら加害者、被害者の立場が逆だったかもしれない事も伝えました。最後に改めて私がKさんの手を握り「あの時はごめんなさい。Kさんも重荷を降ろして、ここから元気になって長生きしてください」と謝ると、「もったいない」と涙を流しておられました。

交通事故によってそれぞれの家庭にあった重荷が、イエス様の十字架の和解により取り除かれ、解放された事を感謝します。
嬉しい事に、Kさんは謝罪からの和解により、イエス様を受け入れ、聖霊を受けて救われました。私が「私の後に続いてイエス様を受け入れる祈りをしませんか?」と尋ねた時には、「目も悪いし耳も聞こえないし、言われたこともすぐ忘れてしまう」とおっしゃいましたが、「大丈夫ですよ!イエス様を受け入れたら癒されますよ」と伝えると、「やってみます!」と元気な声で応えてくださいました。救いの祈りも89歳とは思えないほど、はっきりと言葉に出して言うことができました。こうしてKさんも私たちぶどうの木の“神の家族”となりました。

エペソ2章
さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。

二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き
被害者、加害者の二つの家族の間にあった敵意という隔ての中垣を取り除き、和解させてくださいました。

詩篇136篇
主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
ろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
エジプトのういごを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
イスラエルをエジプトびとの中から導き出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
強い手と伸ばした腕とをもって、これを救い出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
紅海を二つに分けられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
イスラエルにその中を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
パロとその軍勢とを紅海で打ち敗られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる王たちを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
名ある王たちを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
アモリびとの王シホンを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
バシャンの王オグを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
彼らの地を嗣業として与えられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
そのしもべイスラエルに嗣業としてこれを与えられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
われらが卑しかった時にわれらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
われらのあだからわれらを助け出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
天の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

詩篇138篇
主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、もろもろの神の前であなたをほめ歌います。
わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、み名に感謝します。あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。
あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、わが魂の力を増し加えられました。
主よ、地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。彼らはあなたの口のもろもろの言葉を聞いたからです。
彼らは主のもろもろの道について歌うでしょう。主の栄光は大きいからです。
主は高くいらせられるが低い者をかえりみられる。しかし高ぶる者を遠くから知られる。
たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。
主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。あなたのみ手のわざを捨てないでください。

アーメン。

事故から6年半が経ち、イエス・キリストを受け入れ6年目を迎えたこの時に、この世では考えられない家族の和解ができました。本当にイエス様でなければ出来ない事を、まだイエス様を知らない沢山の方に知っていただきたいです。

エペソ1章13~16
あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。
こういうわけで、わたしも、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを耳にし、わたしの祈のたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝している。

ローマ11章34~36
「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

O家族と、私たちS家族の真の和解ができた事を感謝します。
全ての栄光をイエス様に帰します。アーメン。