O兄弟の思い〜和解の集会を経て

 
 

今週の集会では、被害者家族と加害者家族(O兄弟と父親であるKさん)が重荷をおろすことができました。
O兄弟の息子が交通事故の加害者となったことで、Kさんも孫が犯した過ちに責任を感じていました。事故当時は、被害者家族に謝罪に出向いたこともありましたが拒絶されたまま月日が経っていきました。その後、被害者家族はイエス様によって救われ、みことばに従って加害者家族を許したことで加害者と父親であるO兄弟が救われ、父親であるO兄弟がぶどうの木で共に聖書を学ぶようになりました。

そんな中、私たちは「Kさんも被害者家族と和解できるように連れてきてあげたらどうか?」とO兄弟に伝えてきたのですが、O兄弟はずっと、父親であるKさんを被害者家族の前に連れて行くなんてかわいそうだと思っていました。一緒に生活していると突然泣き出すことがあったKさんの事をかかりつけの医者に話すと、「過去の事は思い出させないようにしてあげてください」と言われていたため、余計に酷な事だと思っていました。
しかし、それはO兄弟の男義から来る占いや不信仰であることを伝え、私たちは、前の集会で「Kさんが必ず重荷を降ろして解放されるから連れてきてあげてほしい」と改めて話をしました。そして、O兄弟は「分かりました、来週必ず連れてきます」と決心し帰っていきました。

そして、O兄弟はKさんと集会に出席するにあたって以下のみことばをいただいたそうです。

イザヤ41:10
恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

イザヤ41:13
あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとってあなたに言う、「恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」。

詩篇55:22
あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。

詩篇119:130
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。

箴言3:5~6
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。


さらに集会前日には、牧師を通してエペソ2章からみことばをいただき、「アーメン」と感謝して集会に出席することができたそうです。

エペソ2:10
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。

エペソ2:14~16
キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。

エペソ2:18
というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。


そして、Kさんは被害者家族との和解によって長年の重荷を降ろすことができたのです。

集会後、O兄弟は次のように報告してくれました。

「S家(被害者家族)、兄弟姉妹の働きで父親も救われ、自分の思い煩いも晴れて、心から感謝しています。許し愛し祝福することの凄さが良く分かりました。父親は『背中にあった重荷が取れたような感じがする』と大変喜んでいました。自分もそうです。イエス様に感謝します。
この勝利、栄光は、すべてイエス様に帰します。ここからは何事もイエス様が頭、喜んで信仰していきます。」

O兄弟の内にあった男義がイエス様の愛と力によって打ち砕かれ、主に信頼して歩む真の信仰が生れたのだと分かり感謝でした。


イエス様は、KさんとO兄弟の心の重荷と願いをご存じでした。
被害者家族に会わせるなんて、世間一般的には酷な事、いじめのような事だと言われるかもしれません。しかし、何がその人にとって善なのか、心を平安にする事なのかは、神のみが知っていることであり、その声に聞き従う事によって神のやり方を体験することができるのだと改めて実感した集会となりました。神の和解の力が働いた場は、本当に愛で満たされていました。

人間は皆、自分でも分からないほどに悪霊に翻弄されて生きていますし、“これが自分だ”と思い込まされています。それが重荷となっています。だからこそ、私たちは自分を捕えてきた悪霊から解放されることが、本当の平安な人生の始まりであると思っています。

【すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。】(マタイ11:28~30)

今週の集会で、気休めではない真の解放、表向きではない真の和解は、イエス・キリストにしかできないのだという事を確信し、ますますこの真理を伝えていかなければならないと思いました。

第2コリント13:8
わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。

アーメン。