日本人は飼う者のない羊

 
 

国家神道は、キリスト教を真似た、偽キリスト教でした。
 キリストとは、「救い主」のことで、人間をサタンが支配するこの世から救ってくださる神のことをいいます。イエス・キリストの代わりに天皇を、聖書の代わりに古事記を、といったように都合のいいようにアレンジしたとしても偽物は偽物です。天皇は神ではなく人間であって、救い主などではなく、そこに何の力もなかったにも関わらず、日本人は、それの為に命を捨てて偽の神に仕え、サタンの思うがままに滅びの道へまっしぐらに進んでしまいました。

 救われクリスチャンとなった私がこれまでの人生を振り返る時、子供の頃からある一つの思いが、ずっと自分の中に植えられていたように思います。それは大人になった今も忘れてはならない事として自分の中にあり続ける思いです。
 その思いとは「戦争」についての思いです。私は島根で生まれ育ちました。小学校6年生の時の担任の先生は、第2次世界大戦中の自身の戦争体験を事あるごとに私たちに話してくださいました。先生は、生徒が「○○に原爆落とす」とか「水爆落とす」とか言う言葉を冗談で簡単に使う事に対してもとても厳しく、「それがどういうことなのか分かって言っているのか!」と私たちを戒められました。「対馬丸」というアニメ映画も、学校で上映されることになり、自分と同じぐらいの学童を乗せた疎開船が沈没し、多くの命が無くなったことも学びました。島根と言う土地柄のためなのか、小中学校の修学旅行はそれぞれ広島と長崎でした。二つの都市に共通することは「原爆」です。小学校の時は広島の原爆資料館を訪れましたが、私は、「何十年か前に、ここでたくさんの人が悲惨な死に方をした」その事を想像すると、その地に降り立つのがとても怖くなり、仮病を使って、先生に「私はバスに残りたい」と頼みました。しかし先生はしっかり見てくるようにと、バスに残ることを許してはくれませんでした。しぶしぶ向かった資料館の中の展示物や証言は本当に恐ろしく、目を背けたくなるものばかりでした。現実にこんなことがあったのか、この人達はどんなつらい思いだっただろう、自分だったらどうしよう…など気持ちは落ち込むばかりでした。
 つらいし、目を背けたいし、そんな悲惨な出来事があったことなど過去の事で、自分の人生には何の関わりもないことだろうから、いちいち深く考えず楽しく生きた方がいいという思いと、もう一方で、決して目を背けて生きていってはならないという、二つの思いが自分の中にあったように思います。
 時が経ち、大人になって、家族で沖縄旅行に行きました。ガイドブックで、沖縄の歴史と、ここにも平和祈念館があるという事を知り、当時まだ4歳と2歳で幼かった二人の息子を連れて沖縄県立平和祈念館を訪れました。子どもたちには分からないかもしれないけれど、沖縄の華やかなレジャーの部分だけを味わわせるだけではなく、それとは真反対にある痛ましい歴史の部分、場所も見せておきたかったからです。自分の中にある、戦争によって起こったことに目を背けてはならないという思いは自然に強くなっていました。
 そして今年のお正月に、再び沖縄に旅行に行くことになりました。そして今回は、沖縄県立平和祈念館だけではなく、ひめゆり平和祈念資料館も初めて訪れました。この二つの場所から語られてくることは、「一人一人の人間に与えられた命の尊厳」そしてそれを脅かす「教育の恐ろしさ」でした。
 1989年に創設されたひめゆり平和祈念資料館でしたが、創設当時の言葉には、このように書いてありました。『あれから40年以上たちましたが、戦場の惨状は私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。…未だ紛争の絶えない国内・国際情勢を思うにつけ、私たちは一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません。平和であることの大切さを訴え続けることこそ、亡くなった学友・教師の鎮魂と信じ、私たちはこの地に、ひめゆり平和祈念資料館を建設いたしました。…』
 また、沖縄県立平和祈念館を訪れた時も、沖縄の人たちが持つ独特の歴史社会と文化を政府によって統制されていく「琉球処分」から始まり、国民が天皇に忠誠を誓う事を要求された、洗脳とも呼べる、「皇民化教育」によって、人々が戦争に向かわせられる道筋を見せられました。
 「教育の恐ろしさとは何だろう…」教育とは、私たちが社会生活を営んでいく上で最も重要な学びであると思います。教育によって、心や体が育ち、善悪の判断を知り、一人の健全な人間として、人間社会の中で豊かな人生を生きることができる。しかし、その、「教育」が間違って与えられたとしたら、ひめゆりの人達が言っていた、「何の疑問も抱かず、むしろ積極的に戦場に向かい…なぜならそれが正しいことと信じていたから…憎み合い、殺し合い、傷つけ合って、恐れに支配され、悲しみと絶望、後悔と苦しみを負い続ける」人生を送らなければなりません。
 なぜ、そのような苦しみを味わわなければならなかったのか。そこには国家神道という、日本国民を洗脳していった、とんでもないカルト教育がありました。今回、これについて調べることによって、国が戦争へと暴走していった経緯をよく理解することができました。


〈幕府の封建的支配から天皇中心の国づくりへ~欧米に感じた劣等感と大和魂というプライド~〉

 1853年ペリーが浦賀に来航し、その様子を目の当たりにした日本人たちは、自分たちが鎖国の中にいる間に行われていた諸外国の圧倒的な発展に驚嘆し、恐れと混乱を感じて右往左往するばかりでした。これまで封建的に日本を政治支配してきた幕府も、欧米との外交については全くの弱腰であったため、大名や武士の間で、幕府がだめならば、天皇を中心としてこの日本を守っていくのだ。という、王政復古(天皇中心の政治を行う)・尊王(天皇を敬う)攘夷(外国を排斥する)の思想が持ち上がり、明治維新へとつながる大きな波になっていきます。また、万世一系の皇室を他に類のない日本の伝統として「一君万民:いっくんばんみん」(天皇のもとで、すべての国民は平等である。天皇と国民が親子のような絆を持ち、天皇は国民のために祈り、国民は天皇に忠誠を誓う)を掲げ、これによって新しい日本を一つにし、建て上げて行こうと考えられました。
 1867.11.9 第15代将軍である徳川慶喜は、その政権を以前の朝廷政治に返還(大政奉還)し、明治天皇のもとに、明治政府が誕生し、新しい政権が誕生します。


〈欧米に支配されない強い国づくり~独自の神・偶像礼拝によって国民を統制していく~〉

 明治政府が誕生し、新しい日本を作ろうとしますが、明治維新の大きな働きをした薩長の両藩は幕末に攘夷を起こし、イギリスなどと戦い敗れ、その圧倒的な力を知った経験から、「攘夷(外国を排斥する)などできるはずがない。新政府は大胆な開国政策で欧米文化を取り入れていかなければ日本は滅びる。」と考えていました。
 明治維新によって初めて民族国家となった日本は、欧米文化を積極的に取り入れる形で新しい国を形成しようと進んでいきます。
 しかし、欧米の制度や文化を輸入することはできても、その精神的なバックボーンとなっているキリスト教だけは取り入れるわけにはいきませんでした。なぜなら、欧米諸国はキリスト教の伝道を使命として植民地拡大を正当化していたからです。
 欧米による植民地支配を恐れた日本政府は、キリスト教の代わりに国家神道を国教として徹底的に国民を強化し、「富国強兵」、「帝国主義国家」の体制を固めようとします。明治政府は、イエス・キリストの代わりに天皇陛下を、聖書を古事記に当てはめて、一神教のようにして他の神々を異端として抑圧し、皇室の祖先である天照大神を最高神としました。思想、言論の自由も同様に抑圧し、政府の掲げる国家神道に違反する者を投獄していきました。
 同時に、仏教に対しても抑圧していきます。明治以前の日本に、「神仏習合:しんぶつしゅうごう」と呼ばれる神道と仏教様々な習合が成り立っていたのを「復古神道:ふっこしんとう」(日本固有の文化や精神を明らかにしようとする学問にある教義)の思想のもとで「神仏分離令」を布告し、この二つを分離して、長年に渡って徳川幕府の支配の下で特権を享受してきた仏教を退けていきます。
 このようにして、明治政府は、神道家たちを中心として、国家神道一本で国をまとめ動かす政策を進めていきます。


〈国粋主義・我が国こそ神の国~教育による国民への洗脳支配、戦争への暴走~〉

 1889.2.11に発布された「大日本帝国憲法(明治憲法)」は、大日本帝国というのは「現人神:あらひとがみ」(人間として現れた神)である天皇によって統治される国であるという思想に基づいた憲法でした。信教の自由が記載されていたにも関わらず、実際には国民に与えられた信教の自由は、極めて制限されたものでしかありませんでした。しかも政府は、神道は宗教ではなく(神道非宗教説)、国家の祭祀であり国民に義務があるとして国家神道を強制していきました。
 1890.10.30 明治天皇は「教育勅語:きょういくちょくご」と呼ばれる勅語(天皇が国民に対して発表する意思表示)を発布して教育の基本原理を示し、国民が守るべき徳目を挙げています。その中には、日本という国が歴代の天皇によって神話の時代から連綿と統治されてきた国であるという宣言と、天皇に対する「滅私奉公:めっしほうこう」を命じている内容もありました。その後、全国の小学校に「御真影:ごしんえい」と呼ばれる天皇皇后の写真が置かれ、天皇を神として最敬礼することを求められました。また、天照大神を祭神として伊勢神宮が聖地となり、神道に儒教を加えた、「教育勅語」を経典とした「国粋主義:こくすいきしゅぎ」(大日本帝国の主権者である天皇は、全世界の中の最高位の神である天照大神の直系の子孫であるから、われらの国こそが神の国であり、最も優れている)の思想に基づいた教育が行われ始めます。「忠君愛国」、「滅私奉公」、「一億一心」、「神州不滅」などの標語があちらこちらで見られるようになりました。
 このようにして天皇への忠誠を強要した「皇民化教育:こうみんかきょういく」は進んでいきました。
 この教育の目的は徴兵や植民地支配の強化にあり、特に沖縄やアジアの占領地においてはそれぞれの民族や伝統文化を破壊し、人々の人権を奪い、暴力的に教育支配していきました。
 日本各地に、また、植民地や占領地にも数々の社が建てられ、人々に参拝を強制していきました。また、国(天皇)のために命を捧げた者たち(国事受難者)を祀る「招魂社:しょうこんしゃ」と呼ばれる社を建て、彼らを追悼する儀式も行われました。東京に建てられた招魂社は現在「靖国神社」と呼ばれています。
 満州事変から始まる戦争の時代になると、政府は「八紘一宇:はっこういちう」(全世界を一つの家にする)というスローガンを掲げ、この戦争は天皇の威光を全世界に及ぼすという、神聖な目的を持つ聖戦であると、侵略戦争を正当化しました。また、国民に刷り込まれた「皇民化教育」「国粋主義」の教育によって、ますます大日本帝国の「軍国主義」、「制覇主義」は膨張していきました。
 太平洋戦争において、敗戦の色が濃くなり始めてもなお、「神の国は不滅である」と主張しつづけ、玉砕、神風特攻隊、本土決戦論といった、「国民すべて滅びようとも天皇一族とその神たる証しの三種の神器だけは厳然と残らねば・残されねばならない、そして最後には日本が勝つのだ」という思想が横行し多くの命が失われていきました。
 小学校で習う歌に「さくらさくら」というものがありますが、この当時の「さくら」は、その潔い散り際を、天皇のために命を懸けて戦い散るという姿を日本人の美徳として重ねるために子どもたちに刷り込んだ教育のひとつでした。また、恐ろしいことに当時使われていた日本軍の用語は、ことごとく戦争を美化する意味合いのものとなっていました。例えば「全滅」のことを「玉砕:ぎょくさい」(玉=天皇の兵が砕ける)と言い、「降伏」という用語は存在しませんでした。「撤退」することも「転進」という用語でごまかしていました。地上決戦の場になった沖縄では、兵士に「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦時訓をたたきこみました。日本軍は軍の機密が捕虜から漏れると考えていたため、負傷兵が捕虜になることは許されず、そうなる前に彼らは自ら命を絶つことを命令されていました。(ジュネーブ条約に基づいてアメリカ軍は負傷兵を捕虜として殺さず収容することになっていたが、日本軍はこの条約の存在を兵士に知らせることもしなかった)また、民衆には敵は人間ではない恐ろしい「鬼畜」であると教え込んだり、「敵に投降する者はスパイとみなして射殺する」と警告していたため、捕虜になるのを恐れて自決に追い込まれた人々もたくさんいました。聖戦のために戦う軍隊の足手まといにならないようにと、民衆に集団自決を強要し、家族が互いに殺し合うという悲惨な出来事が各地で起こったのも、同時期にあったことです。このような異常な教育支配の中、1945.6.23沖縄戦における最高司令官である牛島司令官が自決しました。しかし、最後の言葉として「自分の自決によって日本軍の組織的戦闘は終わったが生き残っている者は生きている限り最後まで戦え」という命令を残していったために沖縄戦は終わりのない戦闘になってしまいました。


〈最後まで貫いたプライドによって失われ続ける命〉

 1945.7.26 アメリカ合衆国、中華民国、イギリスは「ポツダム宣言」と呼ばれる共同宣言を発表しました。この宣言は、日本に対して無条件降伏を要求するとともに、軍国主義の除去、思想の自由と基本的人権の確立を要求したものでした。しかし、日本はこれの受諾を即決しません。理由は、これまで建て上げてきた「国粋主義」の思想からなる、天皇によって統治されるべき神の国という体制の維持に固執したからでした。日本政府が答えをださないまま、1945.8.6広島に、1945.8.9長崎に原子爆弾が投下され、おびただしい数の死者、負傷者を出しました。その後の1945.8.14ポツダム宣言を受諾し、1945.8.15昭和天皇の「玉音放送」によって、太平洋戦争の終結が国民に伝えられました。
 そして戦後に日本国憲法が制定され、政治の場から神国思想を排除するために、政教分離原則の厳格化と信教の自由の導入が行われ、日本社会の表舞台から神国思想は衰退していきました。


 これらの歴史から分かるように、日本人は、欧米諸国に感じた劣等感と、島国である日本独自の才覚を誇りに思う大和魂というプライドをもって、「和魂洋才」(日本人が伝統的な精神を忘れずに西洋の文化を学び、巧みに両者を調和させること)を主張して、国家神道という独自の宗教を生み出し「富国強兵」という名のもとに日本を欧米と並ぶほどの国にするため、必死に国づくりを進めました。そして欧米に遅れまいと武力による植民地獲得と支配の野望を追及してきました。各地に次々と社を作り、天皇を神とする神道をアジアの国々に広めようとする姿は、まさに欧米諸国の模倣でした。欧米と対等に…その思いはいつしか、欧米を追い越し我が国が世界の中心であるかのようにおごったものとなっていきました。そのプライドによって国民の人権と尊い命は置き去りにされていったのでした。それはまるで、国のために人々があるようなもの。決して、人々のために国があるのではありません。国を愛し、守り、誰もが身分関係なく平等で住みやすい世の中をと望んだ明治維新から始まった国づくりは、最悪の形で終止符を打つことになりました。


 一国のリーダーが道を誤ると、国にある尊い命が粗末に扱われ、奪われる。そのリーダーの内にあるものは何か、この世で得る金銭的な豊かさか、人より優れていると思える地位か、人々からあなたは素晴らしいと称賛される名声か、自分はここまで働いてやったという自負と誇りか。自分なりの正義か。しかし、それらのどれもが、人間の尊厳という神から与えられた宝の前には、何の意味も価値もありません。そのようなリーダーに導かれる国のいく先はどこであるのか…何世紀にも渡って繰り返されてきた戦争と、侵略、支配という人類の歴史が証明している通りです。


 私はクリスチャンとなって聖書を学んできました。聖書には、この世で起こるすべての問題の原因と、それを解決する方法が書かれてあることを知りました。どのようにしてか。それは、サタン(悪魔)の存在と、それに圧倒的に勝利した唯一の神であるイエス・キリストの力について知ることから始まります。
 サタンとは、この世の中を支配している「世の神」です。サタンの目的は、人間を殺し滅ぼし、地獄に連れて行くことです。聖書には、この世で起こってくる問題の原因には、必ず、このサタンの使う悪霊の存在があると書かれています。しかも悪霊の種類は6000ともいわれ、働きは悪霊同士が複雑に作用し合えば無限です。病気、突然の事故、貧困、争い、深刻な結婚・離婚問題、いじめや人間関係の問題など、私たちの身近においても、よく聞く話であり、実際に誰もが体験していることではないでしょうか。
 これらの問題を引き起こすサタンが、最も効率的にその目的を果たす方法、それこそが、「戦争」です。サタンとサタンの使う悪霊どもは、簡単に人間に出入りすることができます。戦争は、「人間を人間でなくする」という言葉がある通り、サタンに入られてしまった人間と、そこにある残虐性は、サタンの性質そのものです。また、サタンはこの世の神なので、この世のすべての事に働きかけて支配することができます。教育もサタンが使えば、これまで調べてきた国家神道から分かるように、人々の良心を殺し、善悪の判断を狂わせる、極めて恐ろしい洗脳の道具になります。韓国人が反日感情を植え付けられていつまでも日本と和解できない事や、イスラム過激派による聖戦という信条のために人を殺しても良いと思い込ませられるのも、サタンが使う教育の弊害です。
 このサタンの使う悪霊によって、明治維新から始まった国の舵取りが大きく狂わされてきました。日本を悲惨な戦争に駆り立て、多くの犠牲を出すのに使われた悪霊は、「男義の霊」です。この男義の霊は、自分の正義を貫くことに必死になって、周りを顧みることをしない霊力です。どんなに頑張っても、何の力もなく、たくさんの犠牲を出しますが、意地とちっぽけなプライドだけを握りしめて間違いを認めません。そして最終的には無責任で終わります。先の沖縄戦で日本軍司令官の取った行動、また、敗戦間近の政府が取った行動に、その男義の霊力によって翻弄された国のリーダーの姿を強く見せられました。この男義の霊力によって国家神道・偶像礼拝は生み出されました。そして男義の霊に支配された日本のリーダーたちは、どんどん高ぶり、豊かさと利益を追求して東アジアの国々に侵略し、戦争を起こして国を破壊し、人々の人生を狂わせ、命の尊厳を奪っていきました。
 どんなに自分の知恵知識や経験、信条に従って正義を貫こうとしても、そこに本物の正義はありません。聖書には、神の目から見てそれは、「偽善」と書かれています。本物の正義ではないということです。なぜなら、人間にとって本物の正義とは、唯一の神の中にしか見出すことはできないからです。私たち人間を創られた唯一の神だけが、人間の正しい生き方をご存知です。


 これまでさまざまなサタンの策略によって、日本人は、偽の神にばかり目を向けさせられ唯一の真の神を見えなくさせられてきました。
 明治維新後の日本人は人間である天皇を神として崇めるように教育されましたが、そもそもそのようなものをすぐに受け入れてしまう土壌が人々にはありました。
 それは八百万の神を祀る多神教と、例えば「天皇は万世一系の神の血筋」という表現にあるように、人を神として祀ることは当然としてきた日本人独特の感覚からきています。が、人間は神にはなり得ないのです。神に、人間と同じ血が流れる「血筋」などというものはありません。
 日本は、島国であり、農耕民族であったことから、「山川草木:さんせんそうもく」に神が宿ると考えた自然崇拝(神社神道)が始まり、やがて天皇の祖先を祀る天つ神を中心とする神話が作られました。その神話の中で自然神の他に生殖や創造の力をあらわすムスビの神が現れたり、天皇の祖先となる人格神が、天孫降臨によって日本を治める使命を与えられたりしました。日本人はそのような神々を祀って社を作り、事あるごとにその社に出向いてそこに住んでいる神に手を合わせ拝む行為を行ってきました。それが、先祖代々受け継がれ、今や、日本を象徴する日本人の文化のようになって人々の生活に浸透しており、日本人の中にある「神の概念」を作り上げてしまいました。
 しかし、日本古来の…と言い続けてきた日本人が、心(もはや当たり前の文化、伝統、いわゆる日本・日本人の心)を開いて広い視野で物事を見た時、日本人がまだ想像したことも出会ったこともない、唯一の神の存在があることに気づくことができます。「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があるように、世界は広いのです。島国日本から飛び出して、地球規模、宇宙規模で人間が生かされている世界を今一度、見つめ直す必要があります。

 日本人が気づくべき、この唯一の神とは、人間一人一人を大切に造り、誕生させてくださった、天地創造の神のことを言います。宇宙とその中にある地球を創り、山川草木を創り、誰にも平等に日を照らして空気と水を与え、私たちの住む地球の生命活動を保っておられる唯一の絶対神です。人間が作り上げ、祀ってきた偶像の神ではありません。木や井戸に宿る神と同等に数えられる神でもなければ、神社や寺に祀られて、困った時に思い出して拝む神でもありません。これらはすべて「偽善」を生み出す偽の神であって、人間が作り出した昔からの言い伝えや、教育によってサタンが人間に拝ませた偶像です。

 聖書には次のように書かれてあります。
「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。」【使徒行伝17:22b~28a】

 この方は、サタンに翻弄されて滅びていこうとする人間を愛し、憐れんで、その一人子なるイエス様を約2000年前に救い主(キリスト)として地上に送ってくださいました。そして、イエス様がサタンとの戦いに勝利され、十字架上で死んでくださったのを、三日目に死人の中から甦らせるという奇跡によって、不可能を可能にする神の力と、人間に対する愛をあらわしてくださった方です。そして、サタンに打ち勝ったイエス様を、人間ではなく、本当に神が遣わされた神の一人子であったと信じて、受け入れる者にはサタンの支配から救われ、それに翻弄されない祝福に満ちた人生を生きられることを約束してくださいました。


 神は全人類に平等に命を与えて下さいました。人間をご自分の似姿に似せて人間を造ってくださり、一人一人を特別に大切な存在としてこの世に送り出してくださいました。私たちの髪の毛の数までご存知、心の内に何があるかも、すべてご存知でいてくださいます。自分以上に自分の事を知ってくださっている神は、私たち人間にとって、天にいらっしゃる「お父さん(造り主)」なのです。
 神は愛ですから、そのようにして造り、送り出した人間同士が傷つけ合ったり憎み合ったり、殺し合うなど、決して望んでおられません。「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。」【Ⅲヨハネ1:2】と願ってくださり、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」【マタイ22:39】「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」【ヨハネ15:12】と他者に対する愛も教えてくださっています。
 神が私たちに命を与えて下さったのは、自分を大切にして、その尊厳を守ること、そしてその思いを自分だけでなく、他者に対しても向けること。そうやって互いの間に「尊く厳かな」愛のある関係を築きながら、生きていくためです。
それが、神が人間に求められる命の使い方であり、神の愛・真理なのです。
 そして神は、私たち人間に「聖書」を与えて下さいました。聖書の言葉・みことばは、神の言葉であって、神が直接語ってくださる人間へのラブレターです。神に造られた人間がこの地上で生きていく時、一番必要な事は何か、互いの尊厳を守る愛とは何か示されており、そのためにはどのように生きれば良いかという生き方の指針が書かれてあります。
 世界の多くの国は、日本のように八百万の神々信仰ではなく、唯一の神を信じ、聖書を信じています。その証拠に、聖書は一番多くの言語に訳されており、ずっと世界のベストセラー本です。
 しかし、日本人には聖書の知識がほとんどありません。「男義の霊」によって聖書の教えが入って来ることを拒んできた歴史があったからです。その結果、仏像や位牌を偶像礼拝し、仏像や仏壇の前に座ったらそこに神・先祖がいると思って平安になったり、ご利益があると思って拝み、神社に行けば会える神、お賽銭を投げれば祈りを聞いてくれる神が、戦後の日本人が信仰してきた神という存在でした。日常生活のほんの一部にだけ神様がいるという日本人の感覚は、国内では当たり前であっても、世界から見れば、理解され難いものです。世界の多くの国が信じている“神”=“常に自分と共におられ、すべてをご存じである神”という認識と比べたらあまりにも小さいものなのです。日本人は神を目に見える形にして拝み(国家神道もそうでした)、世界の人々は自分の内におられる姿は見えない神の御手の中で生きている…ここに大きな違いがあります。日本人はこの大事な真理を拒み、国家神道によって見えなくさせられてきたのです。


  一人一人の中にある価値観や考えによって生きれば、人間は本来の命の使い方から迷い出てしまいます。
 魚は水がなければ生きていけません。しかしその水が淀んでいれば、病気が蔓延して弱っていきます。同様に人間にも、生きるための水である、導きが必要不可欠です。しかし、偽物の中であったとしたら…人間もまた侵され、やがて死に至ります。魚が清い清流の中でいきいきと生きられるように、人間も、神が与えて下さった聖書・神の言葉という、聖い清流の導きの中で、初めて生きることができるのです。
 明治維新から敗戦までの約80年間は、日本人は「男義の霊」によって生み出された、淀みきった国家神道という間違った教えによって翻弄されて傷つけられ、瀕死の重傷を負いました。そしてその後、今日に至るまでの69年間は、信じて歩む、生き方の指針を奪われ、まるで糸の切れた凧のようにそれぞれが自分の心のままに、好き勝手に生き始め、戦争中に味わった困窮の反動で、経済的・物質的な繁栄を目指してひたすら走り続けてきました。その結果として起こってきたのは、今日よく耳にする、家庭崩壊、孤独死、自殺、いじめなどからなる、数々の社会問題です。
 日本人は、聖書に書かれてある「飼う者のない、弱り果てて倒れている羊」【マタイ9:36】そのものです。日本人だけではありません。サタンの策略によって、今なお淀んだ水の中で傷つき苦しんでいる世界中の人々も同じです。
 私たち人間は、国も人種も関係ない、一人の父なる神によって創造された子どもたちです。みんなが、この真理を知り、淀んだサタンの支配から抜け出して神の言葉という清流の中を生きる時、弱り果てて倒れていた羊たちの傷は癒され、立ち上がり、唯一の神のもとで、一つの群れとなるでしょう。【ヨハネ10:16】そこには争いや憎しみや悲しみもなく、戦争もありません。ここにこそ、全人類が一つになれるという望みがあるのです。