金銭・物欲に囚われた人生

 
 

今年の春、娘が美容専門学校を卒業し東京の美容室に就職が決まりました。
就職が決まり、新しい住まいを探さなくてはいけませんでした。今までの住まいでは、本人が働いた収入で生活できる家賃ではないので、もう少し安いところをと思い探していました。
就職が内定したのが1月半ばで、今まで住んでいたマンションは2月末には契約が切れてしまうので慌ただしい中で新しい住まいを決めました。
私たちは、新しい住まいを求めるにあたり、東京から埼玉に引っ越すので今までより家賃が安く・広い部屋・できたら新しいところ!!と、自分達の理想ばかりを求めていました。いただけるであろう給与の半分は家賃となり、洋服か何かを我慢すれば何とかなるだろうと安易な考えで部屋を決め引っ越しをすませました。
そんな時、牧師と副牧師から御言葉をいただきました。

箴言14:12
人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。

ルカ14:28~30
あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。

私たち夫婦の救われる前からの金銭感覚に焦点があてられました。
私達は、不思議と困った時に大きなお金が入ってくる人生でした。
20年前に家を建て、その時の住宅ローンが義父の死により、3年程返済しただけでローンが返済不要になりました。会社の横領でお金を返すのに、義父の生命保険のお金を、義母に借り返済する事ができました。4年前の息子の事故により多額の賠償金が入り、それにより義母に借金を返せました。全てイエス様からの祝福されたお金では無く、サタンの支配下で翻弄されて得たお金ばかりでした。普通の会社員では、買えないブランド品を躊躇することなく購入したり、子供達にも欲しい物があれば何でも与えてきました。

2年前、娘が東京の専門学校に通う為の住まいを決めた時も初めての一人暮らし・知らない都会という事からも土地の治安・通学に最適・駅近など娘が快適に住める場所をと思い探していました。通学も乗り換えなし・駅から徒歩5分・新築と、この世的には好条件の物件に巡り合ったと思っていました。東京23区・駅近・新築であれば、多少部屋は狭くてもそこそこの家賃はします。

2年前と今回の住まい選びの基準が何ら変わっていませんでした。むしろ、救われる前の自分達と何も変わっていなかったのです。子供が欲しがるものは、出来る事なら与えてあげたい!やってあげたい!と思っていました。普通のサラリーマンの所得では限界があります。しかし、心のどこかに息子の賠償金のお金があるという思いが、贅沢でも躊躇しなかった理由だったと思います。その「金銭感覚・物欲」を抑える事が出来ていませんでした。

今回の住まい選びも何が優先されていたか・・・物欲だけでした。2年前も今も、イエス様を頭とした歩きではなかった事!自分達の快楽だけが優先されていた事!に気づかされました。

箴言22:15
愚かなことが子供の心の中につながれている、懲しめのむちは、これを遠く追いだす。

子供がまだ体験していない事・知らない事を親が教えていかなくてはいけません。

箴言22:6
子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

何でも与えるのではなく、子供の進む道に従って何が悪いのか!霊・魂・身体が傷つくことの無いように教えていかなくてはいけません。
安易な親の考えで子供を誤った道にいかせないようにしなくてはいけません。

箴言23:13~14
子を懲らすことを、さし控えてはならない、むちで彼を打っても死ぬことはない。もし、むちで彼を打つならば、その命を陰府から救うことができる。

箴言23:25
あなたの父母を楽しませ、あなたを産んだ母を喜ばせよ。

親として、社会人となり生活していく娘にこの世の常識を教える事が出来ていませんでした。
社会に出て行くという事は一人立ちしていく事であり、金銭面に於いても親からの支援をあてにしてはいけない事。自分がいただいたお給料の中で生活をしていくというのはどういう事なのか!を教えるべきなのに、それもできず身の丈以上の住まいを与えてしまっていたのです。親自身が古い所にいた頃の『金銭感覚』『物欲』から解放されしっかりと立ち上がっていないのですから、とうてい子供達に教える事などできるわけがありません。

お金を握り、お金と姦淫していた事を悔い改め、娘が社会人として最善のスタートがきれる様に、生活設計を最初から見直す事にしました。
先ずは、ルカ14:28【あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。】からも語られている様に、これから娘がかかるであろう費用(イエス様にお返しする十分の一献金・聖書勉強に行くための交通費・食費・光熱費など)も計算する事から始め、その中で、いくらなら家賃に使えるかを考え、もう一度住まいを探す事に決めました。

イエス様を土台に住まいを探す事に決めた瞬間、牧師を通してイエス様から主人に語られました。
「これから、あなたのお金で生活をしていくうえで、家族が協力しその中で余裕があるのであれば、家族の愛として子供に支援してあげたらいい」と。
家族がそれぞれ、握っていたものを手放した瞬間でした。

これからは娘も一人立ちし、私たち自身も主人のお給料に感謝し一つ一つイエス様に聞きながら生活していきます。息子の賠償金をあてにすることで、親として息子に負担をかける事のないようにします。今のままでは、息子が立ち上がる事にも負担となってしまっている事をしっかりと自覚し、忌み嫌って、今までの自分達の金銭感覚を正常なものとしていきます。

すべての栄光はイエス様に帰します。