お金からの解放

 
 

今回、娘の東京での就職にあたり、これからのお金の使い方・夫婦の今までのお金の使い方にスポットをあてていただき、悔い改めにいたりました。その証をさせていただきます。
この春、娘が埼玉県の美容室に就職が決まりました。今まで住んでいた東京の住まいから埼玉県に引っ越すにあたり、今までよりも広く、そして綺麗なところを求めていて今後の給料の事も考えず、いただける予定の給料の半分以上の家賃の所に決め引っ越しをしてしまいました。
父親として「まあ何とかやっていけるだろう。もしやれなかったら少しは援助してやればいい」と、簡単に考えていました。後からそれは、男義、情であると牧師を通して教えていただきました。

ルカ14:28
あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。

牧師・兄弟姉妹から「日曜集会に参加する為の交通費は?献金はどうするか?光熱費・その他の経費を差し引けば、ほとんど残らないのでは?」と指摘されました。
目の欲・肉の欲が先行していた事、現実をよく考えて身の丈に応じた生活を考える事を改めて教えていただき悔い改めに至りました。

元々こんな生活をさせていた自分達の責任でもありました。私達夫婦の金銭感覚が問題でもありました。
救われる前の話ですが、20年前に私の父との共有で新築した家のローン、わずか3年返済しただけで父親が亡くなりローンの返済がなくなってしまった事。昔、夫婦で勤務していた会社で横領をしてしまい、その返済金額を父親の生命保険で母親に肩代わりをしてもらい、事件にならなかった事。息子の交通事故により多額の賠償金が入り、そのお金で母親に返済ができた事。
今、考えるとサタンに翻弄され続けて得たお金ばかりでした。そういう金銭感覚で娘に専門学校へ通わせる為の住まいも、最初から贅沢な暮らしをさせていたなと思います。

2年前、牧師の知恵の言葉で、2年間の専門学校生活においての費用は、私の給料でまかない、それ以外の家族の生活は息子の賠償金でまかなう様にと言われました。娘の研修旅行の費用は私のボーナスから全て援助しました。しかし実際は、毎週集会へ来るための交通費や授業料などもあり、私の給料では足らず息子の賠償金からねん出する事もありました。本来ならば、娘の2年間の学生生活は、私の給料で賄うべきでしたが娘にも贅沢させてしまい給料の枠におさめることができませんでした。今までの古い自分達と何も変わっておらず、何時しか自分達の物欲から息子の賠償金に手を付け始めていったのです。

古いパン種、目の欲・肉の欲・持ち物の誇りに翻弄され、肉欲のままに必要な物は金額を気にせず購入していました。息子の事故によって得たお金で自分達は贅沢をしていたことによって、霊的に息子が事故にあった事を良しとしてしまっていたことになるのだと、牧師から教えていただきました。

ここから夫婦で今までの事を悔い改め、娘をしっかりと御言葉によってしつけ、神に喜ばれる正しい道を教えていきます。
これから社会人となっていく娘に対して、牧師・兄弟姉妹から知恵の言葉をいただき感謝します。

先ずは、娘一人でやってみて、それでも無理ならば私の給料から援助できる分を娘に援助する。それは男義・情ではなく、神の愛・家族の愛が土台の支援になるのだと知恵の言葉をいただきました。

マタイ11:25~27
そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

イエス様は常に最高のものを与えようとしてくれているのにもかかわらず、目の前の欲に直ぐに足元をすくわれてしまう。その恵みに与るためには、先ずは忠実に行う事。その心を神は見られて祝福を与えてくださる。
今回の解き明かしを受け家族全員がしっかりと信仰に立ち、忠実に歩んで行けた事感謝します。

ローマ6:11~14
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

万事を益とされ最高の道を備えてくださったイエス様に感謝します。
すべての栄光をイエス様に帰します。