トルコ旅行で語られた事

 
 

僕は、3月25日~4月1日までトルコに行ってきました。
僕が、今回のトルコ旅行で一番心に残ったことはカッパドキアのギョレメ野外博物館です。特にカランルク教会(暗闇教会)にある壁画です。その壁画にはイエス様が生まれたところや最後の晩餐のところなど、周りの壁がすべて絵で埋めつくされていました。この絵を見てとても感動したし、本当に2000年前にこの絵を描いたクリスチャンがいたのだと改めて思いました。しかし、その他の教会の名前に、ヘビの教会というのがありました。ヘビは、聖書の中ではサタンをあらわす言葉なので、ヘビの教会という名前はまちがっているのではないかという事も感じました。

他にも、エペソの古代遺跡の中にある円形劇場では実際にパウロがここで話したという事もとても心に残りました。

カッパドキアやエペソなどの地方とは違ってイスタンブールは人が多いしイスラム教一色になっていました。市内ではコーランがたびたび聞こえました。どこにいてもコーランが聞こえるぐらいモスクが大量にありました。中にはもともと教会だったところがイスラム教徒たちによって礼拝所にされてしまった所があります。それがアヤソフィアです。アヤソフィアの中に入ってみるとイエス様の絵が上から塗りつぶされていたり、モハメッドと、その弟子の名前が書いてある大きい円ばんがありました。そんなアヤソフィアの前にはブルーモスクがあります。中には礼拝をしている人たちがたくさんいました。昔はキリスト教が中心だったのにどうしてイスラム教中心になってしまったのかと、僕はブルーモスクを見て思いました。その他、トプカプ宮殿には、モーセの杖がありました。しかし、その杖がある所にはコーランを読みあげている人やイスラム教関係の物がたくさんありました。その場所にはたくさんの人がいて、ほとんどの女性がスカーフをかぶっていました。トルコはイスラム教の国なんだと思いました。
僕は、今回のトルコ旅行に行く前に、トルコに行く事を友達に話しました。その友達は「イスラム国がいて危なくない?」と言ってきました。日本にいるほとんどの人がトルコはシリアやイラクの近くだから危ないと思っています。でも今回は、何事もなく無事に行ってくることができました。本当にイエス様の守りの中にあったと思います。イエス様にとても感謝しています。さらに、今回の旅行は天気にも恵まれました。カッパドキアでは、来る前日が雨で、観光の日は晴れ。そして帰る日が雨というように一日だけ晴れて気球が飛んでいる姿も見ることができました。このトルコの旅行はとても充実した素晴らしい旅行になりました。

僕は、旅行中と帰ってきた時にみことばを一つずつもらっています。
へブル人への手紙11章33~40節が旅行中カッパドキアの洞くつホテルでもらったみことばで、帰ってきた時にもらったみことばはヨハネの福音書1章9~18節までです。

カッパドキアでもらったみことばからは、まさにこの場所で迫害にあいながら洞くつに身をかくして信仰を貫き通したクリスチャンのように信仰の強い人になりなさいという事が語られました。またイエス様は2000年前に本当にこの地上にいたという事を、ヨハネのみことばと、実際にトルコで見聞きしてきたこととで実感しました。そしてよりいっそうイエス様への思いが強まりました。僕は今後、カッパドキアの洞くつに隠れていたクリスチャンのように信仰の強い人になりたいです。

<へブル11:33~40>
彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。 さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。

<ヨハネ1:9~18>
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。


今回のトルコ旅行では、トルコがどんな国なのかを学ぶことができました。また、カッパドキアなどの世界遺産を見て僕たちが学んでいる聖書の世界が本当にあったということを実感しました。トルコ旅行に行かせてくれたイエス様、お父さんお母さんに感謝します。