男義の霊に打ち勝つ
僕は以前、御霊の実について、クリスチャンである自分の性格は御霊の実の性格だけだという証を書きました。しかし、神の義とは真反対の男義の霊によって、自分の中から御霊の実の性格が一つずつ取られてしまい、御霊の実の性格とは真逆の性格になってしまいました。
中学生になってから僕はあるゲームによって喜びのない日々を過ごしてきました。そのゲームは暴力的な表現がされているゲームで霊的にもこの世から見ても危ないものでした。そのゲームをサタンが使い、僕にとってゲームがなければ何も楽しいことがない、常にイライラする、将来に希望も夢もないと思わせ、まるでそのゲームが麻薬のようになり、自分は中毒者のようになってしまいました。
そのゲームの持っている邪悪な霊力によって、何もかもが面倒くさくなってしまい、親や友達とまともにコミュニケーションを取ろうともせず、口数が減り、態度も顔つきもどんどん悪くなっていき、友達からも「変わったね」と言われ、先生からも心配されるほど悪くされていました。
それだけではなく、僕はだんだんと暴力的になり、弟や妹にも暴力的な態度をとってきました。そのせいで妹もいつしか僕に怖いというイメージを持つようになり、妹は圧迫されて肺炎で入院してしまいました。僕は父から、「妹が入院してしまったのは男義の霊に君が使われたからだ。血肉の戦いではないが、使われて傷つけてしまったことはしっかり悔い改めよう。そのままトルコに行くと、同じ邪悪の霊であるイスラム国をひきつけるぞ」と言われ、妹を傷つけてしまったことをイエス様に悔い改め、妹にも謝りました。
妹が入院したのは、トルコへ行く2日前でした。ドクターからは「退院までに最低でも5日はかかる」と言われ、トルコへ行くことは不可能でした。しかし、悔い改めた僕の心を見て、イエス様がゆるして、妹をすみやかに癒してくださいました。妹は、奇跡的に2日で回復しトルコに行く当日の朝に退院してトルコへも無事に行くことが出来ました。この世の常識をくつがえしてしまうイエス様の力はすごいと感じました。
男義の霊は、真理であるイエス様の神の義とは真逆であり、神のみことばに逆らい、自分の考えが全て正しいと思い込ませて周りからの助言を一切受け付けさせなくします。神と戦って地獄に落ちたルシファーもこの男義(=高ぶり)によって神に逆らいました。
男義の霊は、主に男の人にあって、世間でいう「反抗期」は、この霊力が引き起こしています。「これぐらい何が悪い」「あいつにだけは言われたくない」といった思いも男義の霊の仕業です。僕はそのゲームがイエス様からのものではないと示された後でも男義の霊が邪魔をして自分の肉の欲に打ち勝つことができず、自分から戦おうとせずに男義の霊とずっと仲良くしてきました。だから握っていたゲームをなかなか手放せませんでした。ですが、「あなたは神の子だから握っているもので滅ぼされてはいけない」と牧師に教えられ、肉の思いを握っていたことを悔い改め男義の霊を追い出すことが出来ました。
<Ⅱコリント13:8~9>
わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。わたしたちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜ぶ。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが完全に良くなってくれることである。
このみことばは、トルコに行く前にもらったもので、はじめはトルコのイスラム教の人達を真理に導く、と解釈していました。しかし、今回の事を受けてこのみことばは僕自身が男義の霊から完全に解放されることをパウロも願っているということが分かりました。
悪霊から解放された僕は3月25日~4月1日までトルコに行ってきました。トルコは聖書にまつわる歴史や遺跡が多く残る国でありそれらを自分自身の目で見て、聖書の世界を体験して信仰を深めるのが目的でした。エペソやパムッカレ、カッパドキアなど様々な所に行きましたが、僕が一番印象深く残ったのはカッパドキアです。カッパドキアには長い年月をかけて風雨がけずった奇妙な形の岩があり、その岩を迫害されていたクリスチャン達が洞窟や地下都市にして住んでいました。多くある洞窟の一つに、中に絵が描かれている場所がありました。その絵には聖書に出てきて僕も知っているイエス様の誕生の場面や最後の晩餐の場面、十字架の場面が描かれていました。
さらに地下都市にはクリスチャンが住んでいた痕跡がはっきりと残されていました。それらを見て、2000年も前から今までイエス様の教えを守り通して僕たちの時代まで福音を伝えてくれた忠実なクリスチャン達に感謝をしました。
トルコに行っている間にみことばをもらいました。
<エレミヤ33:10~11>
主はこう言われる、あなたがたが、『それは荒れて、人もおらず獣もいない』というこの所、すなわち、荒れて、人もおらず住む者もなく、獣もいないユダの町とエルサレムのちまたに、再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、および『万軍の主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。それは、わたしがこの地を再び栄えさせて初めのようにするからであると主は言われる。
僕は全身を布で覆ったイスラム教の女性たちや、コーランの教えをトルコの全土に流すために至る所に建てられたモスク、かつてはクリスチャン達が使っていた聖堂をイスラム教の祈りの場として変えられてしまったアヤソフィアを見ました。このようなトルコをイエス様は再びイエス様が中心の場所に変えるとみことばで教えてくれました。
<マタイ6:30~34>
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
男義の霊からの解放と、トルコでの体験を通して僕は、男義の霊と御霊の実の性格は真逆だということ、男義の霊に従っても自分に平安がなく、むしろ滅びに向かうばかりだということを語られました。
思い返せば2年前に中学の部活を決める時、パウロのDVDを見せられていました。その時から「パウロのような、自分のすべてをイエス様に明け渡したクリスチャンになれ」と語られていました。今回の男義の霊に打ち勝つという神からの訓練もトルコ旅行もすべてパウロになるために用意されたものでした。
かつて同じ男の器であるパウロも男義の霊と戦って打ち勝ったと思います。だから僕も常に働きかけてくる男義の霊を払いのけて神の義に立ち、御霊の実の性格を守って現代のパウロになりたいです。そして語られた事をエペソで多くの人の前で真理を語ったパウロのように、様々な人に伝え広めていこうと思います。
僕が悪霊に完全勝利するために、ぶどうの木の牧師、兄弟姉妹は自分の時間も削って神の家族として、男義の霊がどれだけ危険なものかを教えてくれたり、悪霊からの解放のために共に祈ってくれたりと様々な面で僕の力になってくれました。
牧師は僕の状態を親身になって聞き、僕を支配してきた霊力を教え、僕が男義の霊によって反抗しても何度も何時間もかけて交わってくださり、戒め、共に祈ってくれました。
N姉妹は、僕が男義の霊ではなく、パウロのような本物のクリスチャンになれるようにトルコにある聖書の舞台を見て、信仰を持てるようにトルコ旅行をすすめてくれました。
副牧師は僕の男義の霊からの解放と、イエス様への信仰を強くするために、共に祈り、愛を持って厳しく指導してくれました。また、トルコ旅行にも同行してくれました。旅行の中で、霊も肉も平安で過ごせるように祈ったり、トルコの説明をしてくれたりと様々な面で協力してくれました。
そして僕の両親も僕が男義の霊に勝利するまで朝から夜遅くまで忍耐強く交わり、男義の霊から解放されるように祈ってくれたり、男義の霊がどんな悪霊かわかりやすく教えてくれました。
弟や妹も、僕が暴力的な態度をとっていたにも関わらず僕を裁かずに自分のやりたいことを後回しにして共に男義の霊と戦ってくれました。弟はすぐに男義の霊から離れられなかった僕に霊の兄弟として助言してくれました。妹も邪悪な霊によって暴力的になっていた僕を許してくれました。
R兄弟は僕が男義の霊と戦っている時に同じ男の器として自分の経験を話してなかなか口に出せなかった僕の気持ちを代弁してくれました。
他のぶどうの木の兄弟姉妹も霊で一致して僕が男義の霊から完全に解放されるまで祈り続けてくれました。
たくさんの兄弟姉妹から受けた恩はずっと忘れないようにします。
そんな牧師、兄弟姉妹に感謝すると共に、すばらしい神の家族を僕に与えてくれて、僕にとって益となる訓練をしてくださったイエス様に感謝します。
中学生になってから僕はあるゲームによって喜びのない日々を過ごしてきました。そのゲームは暴力的な表現がされているゲームで霊的にもこの世から見ても危ないものでした。そのゲームをサタンが使い、僕にとってゲームがなければ何も楽しいことがない、常にイライラする、将来に希望も夢もないと思わせ、まるでそのゲームが麻薬のようになり、自分は中毒者のようになってしまいました。
そのゲームの持っている邪悪な霊力によって、何もかもが面倒くさくなってしまい、親や友達とまともにコミュニケーションを取ろうともせず、口数が減り、態度も顔つきもどんどん悪くなっていき、友達からも「変わったね」と言われ、先生からも心配されるほど悪くされていました。
それだけではなく、僕はだんだんと暴力的になり、弟や妹にも暴力的な態度をとってきました。そのせいで妹もいつしか僕に怖いというイメージを持つようになり、妹は圧迫されて肺炎で入院してしまいました。僕は父から、「妹が入院してしまったのは男義の霊に君が使われたからだ。血肉の戦いではないが、使われて傷つけてしまったことはしっかり悔い改めよう。そのままトルコに行くと、同じ邪悪の霊であるイスラム国をひきつけるぞ」と言われ、妹を傷つけてしまったことをイエス様に悔い改め、妹にも謝りました。
妹が入院したのは、トルコへ行く2日前でした。ドクターからは「退院までに最低でも5日はかかる」と言われ、トルコへ行くことは不可能でした。しかし、悔い改めた僕の心を見て、イエス様がゆるして、妹をすみやかに癒してくださいました。妹は、奇跡的に2日で回復しトルコに行く当日の朝に退院してトルコへも無事に行くことが出来ました。この世の常識をくつがえしてしまうイエス様の力はすごいと感じました。
男義の霊は、真理であるイエス様の神の義とは真逆であり、神のみことばに逆らい、自分の考えが全て正しいと思い込ませて周りからの助言を一切受け付けさせなくします。神と戦って地獄に落ちたルシファーもこの男義(=高ぶり)によって神に逆らいました。
男義の霊は、主に男の人にあって、世間でいう「反抗期」は、この霊力が引き起こしています。「これぐらい何が悪い」「あいつにだけは言われたくない」といった思いも男義の霊の仕業です。僕はそのゲームがイエス様からのものではないと示された後でも男義の霊が邪魔をして自分の肉の欲に打ち勝つことができず、自分から戦おうとせずに男義の霊とずっと仲良くしてきました。だから握っていたゲームをなかなか手放せませんでした。ですが、「あなたは神の子だから握っているもので滅ぼされてはいけない」と牧師に教えられ、肉の思いを握っていたことを悔い改め男義の霊を追い出すことが出来ました。
<Ⅱコリント13:8~9>
わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。わたしたちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜ぶ。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが完全に良くなってくれることである。
このみことばは、トルコに行く前にもらったもので、はじめはトルコのイスラム教の人達を真理に導く、と解釈していました。しかし、今回の事を受けてこのみことばは僕自身が男義の霊から完全に解放されることをパウロも願っているということが分かりました。
悪霊から解放された僕は3月25日~4月1日までトルコに行ってきました。トルコは聖書にまつわる歴史や遺跡が多く残る国でありそれらを自分自身の目で見て、聖書の世界を体験して信仰を深めるのが目的でした。エペソやパムッカレ、カッパドキアなど様々な所に行きましたが、僕が一番印象深く残ったのはカッパドキアです。カッパドキアには長い年月をかけて風雨がけずった奇妙な形の岩があり、その岩を迫害されていたクリスチャン達が洞窟や地下都市にして住んでいました。多くある洞窟の一つに、中に絵が描かれている場所がありました。その絵には聖書に出てきて僕も知っているイエス様の誕生の場面や最後の晩餐の場面、十字架の場面が描かれていました。
さらに地下都市にはクリスチャンが住んでいた痕跡がはっきりと残されていました。それらを見て、2000年も前から今までイエス様の教えを守り通して僕たちの時代まで福音を伝えてくれた忠実なクリスチャン達に感謝をしました。
トルコに行っている間にみことばをもらいました。
<エレミヤ33:10~11>
主はこう言われる、あなたがたが、『それは荒れて、人もおらず獣もいない』というこの所、すなわち、荒れて、人もおらず住む者もなく、獣もいないユダの町とエルサレムのちまたに、再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、および『万軍の主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。それは、わたしがこの地を再び栄えさせて初めのようにするからであると主は言われる。
僕は全身を布で覆ったイスラム教の女性たちや、コーランの教えをトルコの全土に流すために至る所に建てられたモスク、かつてはクリスチャン達が使っていた聖堂をイスラム教の祈りの場として変えられてしまったアヤソフィアを見ました。このようなトルコをイエス様は再びイエス様が中心の場所に変えるとみことばで教えてくれました。
<マタイ6:30~34>
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
男義の霊からの解放と、トルコでの体験を通して僕は、男義の霊と御霊の実の性格は真逆だということ、男義の霊に従っても自分に平安がなく、むしろ滅びに向かうばかりだということを語られました。
思い返せば2年前に中学の部活を決める時、パウロのDVDを見せられていました。その時から「パウロのような、自分のすべてをイエス様に明け渡したクリスチャンになれ」と語られていました。今回の男義の霊に打ち勝つという神からの訓練もトルコ旅行もすべてパウロになるために用意されたものでした。
かつて同じ男の器であるパウロも男義の霊と戦って打ち勝ったと思います。だから僕も常に働きかけてくる男義の霊を払いのけて神の義に立ち、御霊の実の性格を守って現代のパウロになりたいです。そして語られた事をエペソで多くの人の前で真理を語ったパウロのように、様々な人に伝え広めていこうと思います。
僕が悪霊に完全勝利するために、ぶどうの木の牧師、兄弟姉妹は自分の時間も削って神の家族として、男義の霊がどれだけ危険なものかを教えてくれたり、悪霊からの解放のために共に祈ってくれたりと様々な面で僕の力になってくれました。
牧師は僕の状態を親身になって聞き、僕を支配してきた霊力を教え、僕が男義の霊によって反抗しても何度も何時間もかけて交わってくださり、戒め、共に祈ってくれました。
N姉妹は、僕が男義の霊ではなく、パウロのような本物のクリスチャンになれるようにトルコにある聖書の舞台を見て、信仰を持てるようにトルコ旅行をすすめてくれました。
副牧師は僕の男義の霊からの解放と、イエス様への信仰を強くするために、共に祈り、愛を持って厳しく指導してくれました。また、トルコ旅行にも同行してくれました。旅行の中で、霊も肉も平安で過ごせるように祈ったり、トルコの説明をしてくれたりと様々な面で協力してくれました。
そして僕の両親も僕が男義の霊に勝利するまで朝から夜遅くまで忍耐強く交わり、男義の霊から解放されるように祈ってくれたり、男義の霊がどんな悪霊かわかりやすく教えてくれました。
弟や妹も、僕が暴力的な態度をとっていたにも関わらず僕を裁かずに自分のやりたいことを後回しにして共に男義の霊と戦ってくれました。弟はすぐに男義の霊から離れられなかった僕に霊の兄弟として助言してくれました。妹も邪悪な霊によって暴力的になっていた僕を許してくれました。
R兄弟は僕が男義の霊と戦っている時に同じ男の器として自分の経験を話してなかなか口に出せなかった僕の気持ちを代弁してくれました。
他のぶどうの木の兄弟姉妹も霊で一致して僕が男義の霊から完全に解放されるまで祈り続けてくれました。
たくさんの兄弟姉妹から受けた恩はずっと忘れないようにします。
そんな牧師、兄弟姉妹に感謝すると共に、すばらしい神の家族を僕に与えてくれて、僕にとって益となる訓練をしてくださったイエス様に感謝します。