無条件の許しについて
(体験体得させていただき語られたこと)

 
 

私は28歳女性、会社員です。
私は救われて、日々多くの事をイエス様に語って頂き数々の証を頂きました。そんな中で、私が最も語られた「無条件の許し」について証させて頂きます。
私は、曲がった事が嫌いな、この世で言う「正義感の強い人間」でした。人として誤った行いをした人を裁き、非難し、許しとはほど遠い歩きをしてきました。しかし、イエス様はそんな私の事も全てご存知で、秩序正しく「無条件の許し」について語ってくださり、訓練して下さったのです。
私の家には仏壇があり、誰かが亡くなると仏式で行う程度の、今の日本に多いであろう仏教の家庭で育ちました。そのような環境で育った私は、祖父母が病気をした時は仏壇に手を合わせたり、有名な神社仏閣を巡っては病気の癒しを祈ったのですが、その祈りが聞かれる事はありませんでした。この体験がきっかけで、私は「神様はいない。空想なんだ。」という考えを持つようになっていました。そんな私に大学時代一番仲の良かった友人は、自分がクリスチャンであることや、これまで体験してきた沢山の証を話してくれたのです。その中でも、友人のお母さんが十万人に一人の難病を癒された証や車いすの方が突然走り出した証を聞き、聖書とは全く無縁だった私の中に、「そんなことってあるの!?」という不思議な思いよりも、純粋に「神様って本当にいるんだ!」という思いが芽生えたのです。同時に自分が今まで信じてきたものは何だったのだろうという疑問を持つようになりました。

【ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。 使徒行伝10章44】
まだ救われる前の大学1年生も終わり頃、私は自転車で横断歩道を渡っている途中、前方を確認していなかった乗用車にはねられ、約3ヶ月間ほど通院する事になりました。事故に遭った私は、後日人身事故という事で事故の相手に対してどのような処分を取るのかを回答する為に母と警察署に向かいました。事故の相手は自治会長などをされている方でしたが、事故後のあまりに誠意のない対応に私の両親は呆れ怒り、警察署に同行した母は、人一倍正義感の強い娘の私は尚更怒り心頭であろうと思っていました。しかし、警察官から「加害者を訴えることも出来ますが、どうしますか?」と説明された際、私は迷う事なく「許します」と答えたのです。母は驚き、警察署を出た後の第一声が「あなたの事だから、怒って“許しません!”と暴れるかと思った」と言われました。私も自分では全く意識していませんでしたが、聖霊が働いて下さり、私は聖霊の力によって事故の相手をすんなり許す事が出来たのです。

【そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたが許す罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪はそのまま残るであろう」。 ヨハネによる福音書20章22~23】
またイエス様は母に対しても私の変化を見せて下さり、聖霊による「許し」という事を見せて下さいました。その後すぐ、私は初めに福音してくれた友人とその母親である牧師を通して救われ、神の力である聖霊と異言を頂きました。そして、自分自身もイエス様は今も生きておられるという体験をして、聖書勉強会に参加するようになりました。

【まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのもの(あなたがたに必要なもの)は、すべて添えて与えられるであろう。 マタイによる福音書6章33】

その中で、「許す」ということはただ口先や、魂(知性・意志・感情)で「許す」のではなく、主イエス様にあって聖霊により「無条件で人を許す」ことであると学びました。
起こったことや、周りの人の“状態”を肉(魂・体)でそのまま受けるのではなく、イエス・キリストに救われて聖霊をいただき、聖書のみことばを蓄える事、そこに働く霊力(悪霊)を見極める事の大切さを語られました。初めは「頭ではよく分からないが、そのような存在があるんだ!アーメン!」という位の理解力しかありませんでしたが、聖書には、その霊力(悪霊)の存在と〝サタンの策略"について書いてあり、それらと戦う権威は救われた私達人間に与えられていること、イエス様はすでにこの世に勝利されているのだから、霊力を見極め、サタンと戦い抜いて許せない思いに勝利していかなければならないことを知り、実践していくようになりました。

【もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるしてくださるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。 マタイ6章14~15】
【さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使いたちとが、龍と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使たちも、もろともに投げ落とされた。黙示録12章7~9】
【信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち彼らは私の名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。 マルコ16章17~18】
【わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 ルカ10章19】
【あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。 ヨハネ16章33b】


また、私は日本と韓国という、国と国の間にある問題を通しても「無条件の許し」について神から語られました。私が体験体得したのは、悪霊に対するみことばを霊から魂(知性・意志・感情)に連動させて、許す事でした。その訓練に使われたのが、近くて遠い国と言われている韓国でした。
私は生まれも育ちも九州の福岡県の為、韓国と近い場所にあり韓国の方が多く来ているはずなのに、知り合いは一人もおらず、韓国を身近に感じることもありませんでした。そんな中、静岡県浜松市の大学に進学して初めて韓国の方達と出逢いました。似ているようで、言葉はもちろん生活習慣も異なり、驚く事が沢山ありました。現在、戦争時代の問題や領土問題等、日本と韓国の両国間にはあらゆる問題があります。救われる前の私は日本の政治家や万人の意見同様に、領土問題においても「竹島は日本のものだ!歴史の授業でそう教わった!」と思っていましたし、文化の違い、自己主張の強い国民性、日本人から見ると理解しがたい言動や行動に、受入れがたい印象を持っていました。
また、子供の頃に周りの大人が話していた韓国に対する批判的な言葉や、テレビや新聞で取り上げられる事を鵜呑みにしていました。実際に韓国を訪れた事もなく、韓国の歴史も知らなければ、韓国の方と接した事もないのに、周りから間接的に受ける情報が自分の中に植えつけられてしまっていたのです。自分では気付かない間に、私は教育やマスコミの影響をそのまま受けて、韓国という国と韓国の方達を裁いていました。イエス様はそんな私を韓国の方と出会わせてくださり、韓国へも導いて下さいました。
初めて韓国へ導かれた際、イエス様は私に今ある韓国がどのようにして成り立ったのか、韓国の文化、なぜ今の韓国があるのか、韓国の土台を知りたいという思いを入れて下さいました。そしてその土台は戦争の歴史、長い長い戦いの歴史にあるのでは?という思いから、イエス様は霊においてはもちろん、肉(魂・体)においても、今の韓国の土台となるものを、特に知性においても理解ができ納得できるように戦争博物館へ行く機会を与えて下さいました。

【あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 ピリピ人への手紙2章13】
戦争博物館には特に第二次世界大戦終戦後、連合軍軍政期以降に起こった朝鮮戦争について詳しく展示されていました。私はその展示を見るまで朝鮮戦争時に韓国が北朝鮮に攻め入れられ、一時はプサン周辺のみの領土となった歴史があることを初めて知ったのです。この韓国で起きた戦争の歴史を見せられ、私に語られたのは、韓国という国がいつ再び戦争が勃発するか分からない、本当に心休まる瞬間のない国であること、自分を主張していないと周りの国々から攻込まれ、奪われ無くなってしまうという不安の中で暮らしている国であることが語られました。
また、韓国へ向かうにあたって牧師を通して語られていた、『この世のあらゆる問題も肉(知性・感情)で見ずに、まずクリスチャンとして神から頂いた霊の目で見ること』という教えが思い出され、この戦争博物館で語られた事を神の目から見たとき、韓国という国が戦争というサタンの策略によって領土や富をめぐる争いに翻弄され、傷ついてきた国であることが分かりました。それと同時に、日本人や韓国人など関係なく、真理を知って救われて欲しい!悪霊の存在を知って欲しい!という強い思いを入れられたのです。
また、イエス様は副牧師を通して韓国人の若者と交わる機会を与えてくださいました。その交わりの中で、韓国人姉妹の一人が「竹島問題について日本人としてどう思う?」と尋ねて来ました。救われる前の私であれば迷う事なく、自分に長年植えつけられてきた感情や知識から「竹島は日本の領土です」と答えたと思います。しかし、この質問をされた時にすぐに自分の霊から出た答えは「この地球は神様が作られたものなので、日本のものでも韓国のものでもなく神様のものです」という言葉だったのです。
私は救われて韓国人の兄弟姉妹との出会いや実際に韓国への導きを通して、いかに自分が受けてきた教育、メディア、周りの大人たちの言葉に翻弄され、韓国や韓国の人々のことを何も知らないにも関わらず、分派分裂の霊に囚われ裁き続けてきたのかを示され、イエス様に悔い改めました。そして聖書の学びの中でみことばや牧師・兄弟姉妹を通してイエス様から「誰一人として例外はなく神様は一人ひとりを神の作品として大切に作られ、その一人ひとりが神様にとって『貴いひとり』であること」という教えを思い出し、私達は互いを思い合って神が作られた地球に暮らす『地球人』であることを語られました。領土の所有権をめぐり、争い、互いを傷つけあうことや自国の利益だけを求めることは分派分裂から戦争を生み出すサタンの策略です。私たちが戦う相手は他国ではなくサタンなのです。

【わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 エペソ人への手紙6章12】
私は韓国人の兄弟姉妹との交わりを通して、国や人種、言語、文化の違う若者がこのように交わりを持てることを体験し、同じ『地球人』としてイエス様にあって必ず一つ思い一つ心となれるのだと確信しました。
【あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 ガラテヤ人への手紙3章26~28】
この初めての韓国への導きから、日本と韓国についてというところで、日本人であり日本で生活しているので日本側の教育・情報しか分からないことを韓国側の視点から見たとき両国間でどのような事があったのか「日韓関係の土台を知りたい!」という思いをイエス様は私に入れてくださり2年後に、独立記念館に導いてくださいました。そこは肉にはあまりに重い雰囲気が漂う空間で、苦しくなる場所でした。記念館には韓国のルーツを紹介したブースから始まり、周りの国々からの侵略の歴史、そして日本からの侵略の歴史、韓国としての独立の歴史についての展示がありました。その中でも、特に日本が韓国を侵略した際に行われた数々のひどい拷問に関する展示については、内容があまりにもひどく目を覆いたくなるようなものでした。
また、独立記念館には韓国の小学生くらいの子供たちが先生を囲い、韓国の歴史はもちろん、日本からの侵略、朝鮮戦争などの歴史について学んでいる光景を多く目にしました。先生がどのような話を子供たちに行っているのかは分かりませんでしたが、私がもし韓国人としてこの展示をみたら、「日本は悪い国だ!怖い!嫌いだ!」という感情でいっぱいになると思います。ここで学んだ子供たちは日本や日本人に対して反日感情を持つようになるであろうと思い、救われるの前の自分自身と同じように子供たちは教育やメディア、周りの大人たちの言葉によって、私が韓国・韓国人に抱いていた思いと同じ思いを抱いていってしまうのだと語られました。だからこそ、真理によって一つになり、聖書の教えに従って互いを許し・愛し・祝福し・尊敬し、無条件の許しに立たなければなりません。そのためには、聖霊様を頂き救われること、悪霊の存在とサタンの策略を知りイエス様のお名前によって悪霊と戦い勝利していく事で、必ず無条件の許しを行うことが出来るのだと語られました。そして、私はこの独立記念館にきて初めて、これまで出会ってきた韓国の兄弟姉妹についてある思いが生まれました。それはこれまでたくさんの韓国の兄弟姉妹に出会い交わってきたのですが、皆さん本当に親切にとても良くしてくださいました。しかし、そんな彼らもこの韓国で教育を受け、ニュースを見て、この独立記念館にも来て日韓の歴史を勉強してきたはずだが、彼らは実際どのように思っているのだろうという思いが生まれてきたのです。
その思いに対してイエス様は牧師や兄弟姉妹を通して答えてくださいました。それは日本人であろうが韓国人であろうが、皆が神の御前で同じ貴い人間であり、何よりクリスチャンとなった自分がみことばを土台にして生きてきた中でイエス様によって出会った人たちであるから、歴史から生まれる感情を超えてきたのだということでした。
さらに、牧師を通して国と国ではなく、イエス様を土台とした人と人とのつながり重要であり、それがイエス様が言われている「一つになりなさい」という事なのだと語られました。また私は、両国間にある裁きの霊、分派分裂の霊などの悪霊から解放して下さるのはやはり、イエス様しかない!日本と韓国、同じ『地球人』として、真理によって互いを無条件で許し、必ず一つになることが出来るのだと確信したのです。

【わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 ヨハネによる福音書17章23】

【さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。 エペソ人への手紙4章1~6】

【最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言をとりなさい。」絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。 エペソ人への手紙6章10~18】

【イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる。」 ルカによる福音書18章27】

【しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。 ヤコブ3章17~18】
そして、実際の韓国の方達との交わりや韓国の歴史についての学びの全てを通して『相手の立場に立つ』ということ、『神の愛を持って接する』ことの大切さを語られました。救われる前の自分はただ肉の思い、自分の感情のままに相手を非難し、裁いてばかりでした。しかし、この韓国への導きを通して、神の愛を持って相手の立場に立ち、なぜ、そうなってしまったのかを聞き、神の目からみてどうか、聖書のみことばにはどのように書いてあるかを聞くことの出来る自分に変えられていたのです。

【イエスは言われた、「『心をつしくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』これが一番大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。』これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 マタイによる福音書22章37~40】

【わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネによる福音書15章12】

【愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。 コリント人への第一の手紙13章4~8】
このように、イエス様は私のクリスチャンとしての成長に合わせ、分かるように霊・魂(知性)においても「無条件の許し」について訓練して下さいました。そして、最終訓練として、家族が使われる事となったのです。

我が家は普通の家族で、平穏に暮らしていたつもりでしたが、ある日突然、父の長年の不倫が明らかになりました。私は、当時初めてその事実を知ることになり、母は私が生まれる前から、今に至るまで、ずっと父の行為に気付きながらも、胸に秘めていました。子供達には将来があり、結婚に失望してほしくないという気持ちから、私達には決して分からないように我慢し過ごしていたのです。しかし、そんな母もついに気持ちが飽和していっぱいになり、父に泣きながら今までの自分の気持ち、自分の夫を信用できなくなったこと、信じてきて裏切られ続けた辛さをぶつけ、責めました。
私は、黙って何も言えない父を前に、『自分の親が不倫をしていた』という事実があまりにも衝撃的で、「父はなぜそんなことを?!」「自分の家族の間でこんなことが起こるなんて」といろいろな思いがありましたが、私はショックのあまり言葉を出すことができず、ただ黙って両親の話を聞いていました。母は長年にわたり、同じ事を繰り返してきた父に対して、「今まで何度もやめるように伝えて来たのに、私や娘、息子、家族を裏切って!私はもう、あんたを信用する事はできないし、許せない! 結婚生活26年を返して!」と泣きながら訴えました。このことは、両親の結婚26年目の記念日を目前にして起きました。父に対して「許せない!」と繰り返し、母は私にも「私達はずっとこの人にだまされてきたんよ!あんたも許せんやろ!」と問いかけてきました。自分が生まれる前から、母を悩ませずっと家族を裏切り、嘘をついて不倫を続けていた父を、この世の中で考えたら、許せないのは当然であり、不倫が原因で離婚に至る夫婦も多いと思います。

【それから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって、知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。コリント人への第二の手紙5章16】

私自身も、救われる前の真理を知らない古い自分であったら、確実に母の問いかけに対して、「本当に許せない!今までお母さんをこんなに苦しめて!私達をだまして、よその女の人とそんな関係を続けて、汚らわしいし、情けないし、軽蔑する」という言葉を発したでしょう。そして、すぐに母へ父との離婚を勧めていたと思います。この家族の状況を目の前にし、当時の私は必死に、これまでのクリスチャンとして歩んできた中で語られてきた「誰をも、その人自身を見て裁いてはいけない」という事と「悪霊の存在」という真理が強く思い起され、自分ではどのような言葉を発し、今どのような行動をとれば良いのか分からず、ただただ「イエス様!!!」と問い、異言で祈ることしか出来ませんでした。

【御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。 ローマ人への手紙8章26~27】

すると、新しく生まれ変わり聖霊をいただいていた私は、母からの「私達はずっとこの人にだまされてきたんよ!許せんやろ!」という問いに対して、不倫という事実を知った瞬間に湧き上がった肉の思いではなく、「人を裁いてはいけない!許しなさい」という霊の思いに忠実にみことばを行う!という事に意志を向けることが出来ました。その瞬間、「私はクリスチャンになってサタンの存在を知ったから、これはお父さんに悪霊が入り、お母さん達、そして私達家族をばらばらにさせるサタンの策略だと分かるから、私はお父さんを裁かないし、責めたりしない!許すよ」と自分でも驚くほど超自然に、まさに聖霊の力によって答えていました。
そして、「お前に迷惑をかけて本当にすまなかった」と号泣しながら自分自身を責め続ける父に対して、私は人生で初めて父と抱き合い、「私はお父さんを軽蔑したりしない、汚らわしいなんて思ったりしない。お父さんとお母さんは、何があっても世界にたった一人の私のお父さんとお母さんだよ」と伝えると、父は泣きながら何度も「ありがとう」と伝えてくれたのです。
不倫という人の道を外れるような行いをまさか自分の親が行っていた事に対し、肉ではさまざまな感情や思いが沸き起こりましたが、すぐに「肉の思いと霊の思いは真反対」という霊からの思い(みことば)により、霊では平安で、冷静で落ち着いている自分がいました。

【なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。ローマ人への手紙8章5】

【わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊に欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互いに相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。 ガラテヤ人への手紙5章16~17】
私はその日一日、自分ではどうすることも出来ない事態を、一方的な神の哀れみによって乗り越えることが出来ました。私達家族が破壊の霊力とサタンの策略により崩壊してしまう所を聖霊が働いて下さり一家離散の危機から救ってくださったのだと語られ、改めて爆発的な『聖霊の力』を体感し経験したのだとイエス様に感謝しました。

【今わたしは、そのことが起こらない先にあなたがたに語った。それは、事が起こった時にあなたがたが信じるためである。わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。 ヨハネによる福音書14章29~30】

また、このことがきっかけとなり、両親に対して悪霊の存在とサタンの策略について解き明かし、福音する事が出来ました。すべてを益に変えて下さった神に感謝すると共に、私は喜びに満たされました。そして、聖霊の爆発的な力が働き、両親はお互いを裁き続ける事なく、奇跡的に26年目の結婚記念日を共に過ごす事が出来ました。その週末は、私は聖書勉強会の交わりの為、浜松へ行く予定でしたが両親を残して行くことに肉は不安でした。しかし、そんな不安をよそに当日両親2人でドライブに出かけ、私を2人そろって浜松へ送り出してくれたのです。そして、今も家族皆で仲良く一緒に過ごす事が出来ています。

ここまでが私に与えて下さった証であり、私は無条件の許しに立って解放されたと思ってきました。
しかし今回、私は証を書き進める中で、この証を読むと家族がまた当時のことを思い出してしまうのではないか、特に母親が再び傷つくのでは?という肉の思いから、イエス様から示され聖霊に促されていることを忠実に表現することが出来なくなっていたのです。
このような私の状態に対し、牧師や兄弟姉妹を通して父の不倫について完全に無条件の許しに立てていないことを示され、私は父親の不倫が発覚してからの数年間、九州という土地にある『男義の霊力』に流され、完全な霊・魂・体の無条件の許しに立ち続ける事が出来ておらず、母の為、家族の為に自分の中に再び生まれてきた父に対する裁きの思いを『我慢』し封じ込めてきたことが明るみにされました。それは、母親が父親の不倫をずっと我慢してきたのと同様、私はそれが母親からくる3代から4代の『我慢の霊』であることが語られました。

母親は26年間、父の不倫を知りながら私や弟、家族に話すことなく我慢をしてきました。私自身も我慢をすることは良いことであると小さいころから教えを受け、自分では知らず知らずの間に、この父の不倫についても、イエス様の教え(無条件の許し)ではなく、母の教え(我慢の霊)にとどまっていました。そんな私に対して牧師とある姉妹を通して『魔女の宗教』という知識の言葉が与えられました。
また、この『我慢』は母の為、家族の為と言いつつも、一番は自分が当時のことを思い出し傷つきたくないからという『自己愛の霊』から来ているのだと牧師や兄弟姉妹を通して明るみにされ、そこには『傲慢の霊』、『自己憐憫の霊』、『自殺の霊』など様々な霊力も関わっていると語られました。
(※『我慢』と聞くと、この世的には良いことのように聞こえますが、“御霊の実以外の思いは神から来ない”ということを教えられてきた中で、御霊の実に『我慢』はありません。)

私はこれらの霊力によって神のことを思わず人のことを思い、本当の神の愛が見えなくなっていたのです。肉の家族においても、“情ではなく本当の神の愛とは何なのか?!”という事を悟り、両親や弟に対して一人の人間として、これまでどんな霊力のもとに支配されて来たのかを見極め、家族の中で真理を語ることこそが神の愛であることを語られました。
【「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」 使徒行伝16章31】

【こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人人の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。 エペソ人への手紙4章14~15】
【彼はわたしに言われた、「人の子よ、立ち上がれ、わたしはあなたに語ろう」。そして彼がわたしに語られた時、霊がわたしのうちに入り、わたしを立ちあがらせた。そして彼のわたしに語られるのを聞いた。彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの民、すなわちわたしにそむいた反逆の民につかわす。彼らもその先祖も、わたしにそむいて今日に及んでいる。彼らは厚顔で強情な者たちである。わたしはあなたを彼らにつかわす。あなたは彼らに『主なる神はこう言われる』と言いなさい。彼らは聞いても、拒んでも(彼らは反逆の家だから)彼らの中に預言者がいたことを知るだろう。人の子よ、彼らを恐れてはならない。彼らの言葉をも恐れてはならない。たといあざみといばらがあなたと一緒にあっても、またあなたがさそりの中に住んでも、彼らの言葉を恐れてはならない。彼らの顔をはばかってはならない。彼らは反逆の家である。彼らが聞いても、拒んでも、あなたはただわたしの言葉を彼らに語らなければならない。彼らは反逆の家だから」。 エゼキエル2章1~7】

また、私はいつの間にか、人を無条件で許すのは自分のため、許さなければ自分が一生苦しいという所で“許そう”としていたのですが、今回改めて牧師を通して「あなたはそうやって父親をずっと裁き続けているけど、その両親の血はあなたにも流れている。その血を継ぐあなたも凄い罪人だったのよ!でも、イエス様によってそこから救われた。許されたの。だから、あなたも許しなさいと聖書には書かれてあるでしょ?!」と言われたとき、これまで牧師や兄弟姉妹を通して語られてきた、主にあっての無条件の許しの原点を思い出さされました。“私も許されたのだから誰をも裁かない”“イエス様は私を許してくださったのだから私も父の罪を許す”ということが、頂いてきたみことばと連動して、自分の中にあったこれまで肉(我慢)で抑えてきた裁きの思いがスッとなくなり解放されたのです。
そして、母から受けてきた『我慢の霊』(魔女の宗教)から完全に解放され、それまでは当時のことを思い出し、証を読み返すたびにこぼれていた涙はぴたりと止まり、自分は置かれた所で光となり主にあって、みことばを曲げず真理に立ち、真理を語らなければならないと決意することが出来たのです。
【わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目ざめるとき、あなたと語る。戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。 箴言6章20~23】
そして、このみことばに出てくる【母】が肉の母の教えとなっていたことを悔い改め、牧師を通して【父】は天の父、【母】は牧師であることを語られ、【父】(天の父)の戒めを守り、【母】(牧師)を通して語られる教(みことば*知恵の言葉)を留め、霊の思いに忠実にみことばを行う事こそが、クリスチャンとして置かれた所での歩みの土台であることが語られました。
神の訓練は肉では当座は喜ばしくはない訓練です。ですが、後に与えられる恵みに感謝して、真の平安の義の実を結ぶことが出来るという信仰によって、霊では平安、そしてそれは魂*体と連動し、肉においてもいつも平安で、喜んで感謝に満ち溢れている自分がいました。

【すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。ヘブル人への手紙12章11】

救われる前の私は、人生で初めて誰一人として知り合いのいない、土地勘も無い浜松という土地に導かれ、大学入学当初は第一希望の大学に行くことが出来ず、肉の思いのまま嘆いてばかりの自分でした。しかし、浜松に導かれ、そこでの出会い、私に忠実に福音してくれた牧師や友人を通じて救われ、真理を知ることが出来た事。これまでの自分の歩みを振り返った時、福音を聞くことが出来、救われた事も本当に一方的な神の愛・哀れみでした。
そして、神は一人ひとりを神の作品として造られ、私達の髪の毛の数までもご存じであり、私の生い立ちの事も、私自身の事も、家族の事もすべてをご存じで、訓練して下さっていることが分かりました。私はそれまでの全ての出来事がその日を迎えるための訓練であった事に、神の愛を感じ、イエス様によって改めて新しく生まれ変われる事の素晴らしさを教えていただき、心から『イエス様を知っていて良かった』と思いました。
また、母から私の曾おじいさんのお墓のある長崎県のお寺は、もとは教会である事は聞かされていたのですが、父の不倫が発覚した後に行った家族旅行でその教会は長崎で最初の教会堂として建てられた教会であることが分かったのです。この事からも今自分がこのようにイエス様によって救われ、クリスチャンとして聖書を学んでいる事にも偶然はなく、自分が生まれるずっと前からも神の素晴らしいご計画があったことや、忠実に信仰を貫いてきた先祖の思いと祈りが家族崩壊の危機から救って下さった事が分かりとてもうれしく思いました。
私が無条件の許しに至れたのは、特別に寛容で善人であったからではありません。救われ真理を知り、聖書*みことばに「裁かない」「ゆるしなさい」と書かれてある事を素直にただただ「アーメン」と霊で受け、みことばを信仰によって行う意志を向け実行する事『自分もイエス様に救われ罪を許されたのだから、他人をも裁かない』という土台の上で、「無条件に人を許すこと」が出来る自分に変えられていたのです。
相手を憎み、裁く事は肉では一見楽に思えるかも知れません。しかし、その憎しみは地球の裏側に行っても消えることはなく、自分の重荷となり、相手も獄に閉じ込める事になります。また、たとえ自分では許しているつもりでも、サタン(悪霊)が動けば、何かの拍子にまた憎しみや裁きの思いが生まれ、その許しは覆ります。この世では時間が解決するという言葉をよく聞きますが、悪霊に捕われれば、一生許せないという思いに追いかけられるのです。
しかし、イエス様による「無条件の許し」はそのような状況の変化や出来事に左右されません。憎しみ裁きの思いが来た際に、「この思いは神からはこない!受付けない!」とスイッチが切り替わるようにすぐに「イエス様にこの霊力は何でしょう」と聞き、状況の変化や出来事を肉で受けるのではなく霊力を見分け、示されたその霊力・悪霊を縛りあげ戦うことのできる権威が与えられているので、無条件の許しに立つことができ、そこに時間は関係ないのです。
霊力*悪霊の存在とサタンの策略について、私は聖書*みことばや、牧師や兄弟姉妹を通してクリスチャンとして幼子だった時から徹底的に語られました。これらの主の訓練の中で霊→魂→体で体験体得する事が出来た真理により、目の前でどんな事が起こっても「無条件の許し」という所に主にあって立つ事が出来ました。ただ許すのではなく、“無条件で”許せるのは、この真理を知ったからであると、今はっきりと分かります。

【そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。 第一コリント2章4~5】

【わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。コリント人への第二の手紙13章8】