現実の感情より、目に見えない神を信じて従う!

 
 

男義は3つの龍に分けられます。
第1の龍は、脅しや暴力など力ずくで相手を黙らせ(特に女性は太刀打ちできない)、無知と心の硬化とによって肉の思いのまま生きているヤクザ的な男義です。
第2の龍は、高学歴、高収入、高身長というように、女性が憧れるものを兼ね備え、紳士的で、この世の男社会の中でも成功者として世界を動かしてきた男義です。第2の龍が目指し、求めているものは、地位、名誉、お金であり、彼らはサタン崇拝者です。
第3の龍は、日本という国の中で、先祖代々受け継いできた和魂=墓、仏壇を守り、日本伝来の和を尊び、何の疑問もなく仏教・神道行事に従う保守的な男義です。
ぶどうの木には、今までたくさんの主婦が導かれてきましたが、「うちの仏壇を守ってくれないと困る」と言われて、仕方なくご主人に従った方たちがいました。また、第3の龍は、「君たちのやっていることは素晴らしいけど、他者に押し付けるのはよくない。他の宗教も認めるべきだ。君たちの学んだことは、君たちの中にとどめておきなさい」と、平等や人権尊重を掲げて、この世的には理解ある人間だと思われますが、神の目から見たら情が強く、善悪の判断が狂い、物事の本質を見えなくさせられているだけです。

私は、40日間に渡ってこの中の第2の龍と向き合い、勝利することができました。私の霊は、私の頭が知らないことを知っていました。
ここからは、私自身の体験・証を記したいと思います。

10月10日、私は婚活パーティーでAさんに出会いました。プロフィ―ルカードを交換して、3分間の自己紹介をしただけで、フリータイムの時間は一言も話せずに終わったのですが、私は高身長でルックスも収入も良く、タバコも吸わないAさんのことが気に入り、出来ればもっと話をしたいと思い、自分の連絡先(アプローチカード)を書き、最終投票でAさんを選びました。しかし、彼は恐らく参加者の中で一番人気でした。カップルになってはいないだろうとあきらめつつ、帰りに結果表をもらった私は、自分がAさんとカップルになっていた事にとても驚き、飛び跳ねるぐらい喜びました。
カップルになっていたら、男性が入口で待っていることになっていたのですが、なんと彼はそこにはおらず、私はすでに遠くの方を歩いている彼の後ろ姿を見つけました。“なんで!?”と思いながら、結果表が入っていた封筒に連絡先がないかと探しましたが入っておらず、(後に、封筒の中に彼の連絡先が入っていたことが分かったのですが、その時は気が動転して見つけられませんでした)私は「イエス様、どうしましょう・・・カップルになりましたが、違うということですか?」と聞いていました。すると、Aさんから「今から食事に行きませんか?」とメールが来て、無事に会うことができました。私が自分の連絡先を書いていたことで、聖霊が働いて下さったのです。

レストランに入り、「なぜ私を選んでくれたんですか?」と聞くと、Aさんは「他の女の子は事務職やOLだったけど、文筆と翻訳って書いてあったからすごいと思って!」と答えました。また、私が、「Aさんみたいな人は、きっと彼女もいたでしょうし、たくさん出会いがあったのでは?」と尋ねると、「いやいや・・・・」と笑い、さらに「彼女とはどうして別れてしまったんですか?」と突っ込んで尋ねると、「けんか・・・」と小さな声で答えました。この時の曇った表情は、私の中にずっと残ることになりました。

婚活パーティーでは3分間しか話さなかった分、質問したい事はたくさんあったのですが、Aさんが聞き上手だったため、主に私が自分の事を話す事になりました。どんな本を書いているのかという質問から、クリスチャンである事も伝え、母が十万人に一人の難病が癒された証や、ここまでの歩みも簡単に話していったのですが、特に自分でも驚いたのが、家柄について詳しく話してしまった事でした。先祖はどんな人たちか、祖父母の家柄、父の出身大学や仕事のことなど、初対面の人に話すようなことではない事をベラベラ話し、彼はとても興味深そうにその話を聞き、「すごい、すごい!」と驚いていました。
最後に持っていっていた絵本と、中日新聞に掲載された絵本の紹介記事を渡し、その日は別れました。Aさんから、帰りの電車の中で絵本を54ページまで読んだとメールが来ました。

今まで何回か婚活パーティーに出席して、カップルになることはありましたが、自分の中では偶然はなく出会った男性の魂の救のために福音をすることが目的であったため、心から“この人がいい!”と思ったことはありませんでした。しかし、Aさんとの出会いは、“イエス様が出会わせてくださった、わたしにあばら骨をくれた相手かも!?たった一人の人に出会えた!!”と思えました。その日から2、3日は胸がキュンキュンしてどうしようもなく、恋心が芽生えていることが分かりました。また、Aさんと出会った週は、クムラン出版社に最終原稿を出稿した週でもあったため、時にかなって美しく、韓国語版の完成を機に、いよいよ結婚に向けて進んでいけるのだという確信もありました。

2回目(10月22日)に会って食事に行った際には、すぐに「絵本読んだよ。知識として身につけると、とても有益に行動できる本だね。聖書のエッセンスを頂いた」と感想を聞かせてくれました。そこからまた、兄弟姉妹たちの証(特に、加害者と被害者が聖書の教えに従って和解できた証)や、ぶどうの木とは、聖書に書かれている事を実際に行なって、それが本当かどうか調べている集まりであること、聖書の中で唯一神を試してもよいと書かれているのが十分の一献金であり、忠実に行なうことによって経済的にも社会的にも祝福を受けてきたことを話しました。さらに、26日から韓国に行くことが決まっていたため、真珠の友達との出会いについても話しました。
そして、1回目同様、こんな事まで話していいのか!?と思いながら、両親が家庭内別居をしていた時があり、妹が20歳になったら離婚することになっていた事、小学生だった私は夫婦喧嘩のたびに泣いていたが、イエス様に救われて母がみことばに従うようになってからは父に仕えるようになり、家族関係が回復した事も話しました。
Aさんの事についても色々質問することができ、ここまでの経歴や、100年続く会社の4代目であること、会社の上に立つ者として誰にも弱音を吐けないことや、今の仕事に必要な全ての資格をとってもうやり切ったから、他の事を始めたいという思いなども聞かせてくれました。約3時間の交わりでした。

10月26日~29日まで、私はクムラン出版社から完成した絵本を受け取るため、母と韓国に行ったのですが、Aさんから「写真を送ってね」と頼まれたため、初めて来た時のような気持ちで、たくさん写真を撮っては送りました。27日には、私に韓国人の友達(女性)を紹介してくれたRさんのお店で、彼女と、彼女のご主人と娘二人に会い、皆で韓国語版の絵本の完成を祝い(彼らは韓国語版の絵本の主人公になりました)、私にとっては一つのけじめがついた日でもありました。その日から、私に対するAさんの対応も変わり、韓国にいる間に、敬語だったAさんがタメ語に変わり、毎日メールするようになりました。国民日報の取材を受ける事になった時も、タイムリーにメールで報告し、Aさんは私の韓国での働きの証人となりました。

帰国して2日後の10月31日に、韓国土産を渡すために会う事になりました(3回目)。ちょうどAさんの誕生日が近かったため、誕生日プレゼントもあげようかと考えていたのですが、まだお付き合いをしているわけでないのだからと母に止められ、お土産と、日本語に訳したクムラン出版社版の絵本の紹介文と推薦文をプリントして持っていきました。
この日も一緒に食事だけしたのですが、「俺は無神論者で、目に見えるものしか信じない。昔聖書の映画で、地面が割れたり、虫が大量発生したりするのを見て、聖書は恐いもの、ホラーだと思っていた」という彼自身の中にあった疑問や考えを聞くことになりました。そして、カトリックとプロテスタントの違いについて私が話すと、「〇〇ちゃんは、プロテスタント?」と聞いてきました。実は、この時初めて名前を呼ばれました。
また、Aさんは仕事関係の付き合いが多く、いろんな会に参加している事は知っていたのですが、この日、さらに幼稚園に雪を運んだり、流しそうめん台を設置するようなボランティア団体に所属している事も分かりました。その話の流れで、私が「子供好きですか?」と尋ねると、Aさんは「子供ねぇ・・・」と言って、目をそらし、また顔が曇りました。1回目同様、なぜか私には引っかかるものがありました。
この日も、約3時間の交わりをして別れました。

家に着いた事を報告すると、Aさんは私と別れたあとに、もう一軒立ち寄ってお酒を飲んで帰ったと言ってきました。前回も今回も、私と一緒にいる時にもお酒を飲むAさん。お酒は付き合い程度だと聞いていましたが、メールをしていると、毎日お酒を飲んでいる事が分かり、完全にアルコールの霊にまかれていることが明るみとなり、私は彼を捕えているアルコールの霊を縛り上げるようになりました。

4日後の11月4日に再び会う事になりました(4回目)。この日は17時に会う約束をしていたので、私はAさんに会う時間まで、クリスチャントゥデイの記者に、クムラン出版社から絵本を再出版したことを記事にしてほしいと電話で伝え、記事の材料となるここまでの経緯をまとめていました。しかし急遽、Aさんの仕事の都合で、15時30分に会う事になり、途中で切り上げて待ち合わせ場所に向かいました。私は家で仕事をしているので、突然の変更にも対応できましたが、普通は対応できないと思います。
彼の仕事と仕事の合間の時間でしたが、この日は私が幼稚園教諭を辞めるきっかけとなった長老家族との出会いや、クリスチャン書店の店長になるまでの導きからぶどうの木発足に至るまでの証をしました。ぶどうの木の長老は、不妊治療医でもあり、イエス様に救われて最初に頂いた祝福は、娘の愛ちゃんの誕生であった事、命の誕生は何よりも祝福である事や、長老の奥さんであるS姉妹が虐待の霊から解放された事を伝え、悪霊の存在についても改めて話すことができました。Aさんは、うなずきながら聞いていましたが、目が違う方を向いていたり、ボーっとしているようにも見え、何かもやがかかっているような様子でした。
そして最後に、聖書の教えは宗教ではない事、ぶどうの木はカルト団体でもない事を伝え、「私が変な人に見えますか?私が世の中的に変な人に見えたら、Aさんも私の話を聞かないですよね?聖書は人間としてどう生きていくべきかが書かれてある本です。これに従っている私がそれをしっかりと証明する事が大切だと思っています」と話すと、「変な人じゃないよ。そうだよね、すごいね!」とAさんは答えて、その日は別れました。

そして、夜は姉妹たちと共に「WAR ROOM 祈りのちから」という映画のDVD(字幕)を見ました。

次の日(11月5日)、外出先から戻ると、母がDVDを吹き替え版で見ていました。私もそのまま一緒に見ていると、同業者との旅行中のAさんからメールが来たので、少しやりとりをしました。韓国から帰ってきて以来、私たちのメールは、「おはよう、いってらっしゃい」から始まり、「ただいま、おかえり」で終わるようなやりとりで、互いの予定も把握している仲になっていました。婚活パーティーで出会っているわけですから、2、3回会って話をして、互いのことが分かり合えたのであれば、交際に発展してもいいはずです。しかし、やりとりしているメールは、交際しているカップルと変わりないのに、私たちはいわゆる交際はしていない状態でした。Aさんは一体私の事をどう思っているのだろう?これってもう付き合っているのかな?・・・そんな風に思う日々が続いていました。
DVDを見終わると、前日途中になっていた、記事にしてもらうための材料となるここまでの経緯をまとめ、、紹介文、推薦文、新たに追加変更された箇所も共にクリスチャントゥデイ送りました。すぐに夕食の時間となり、その日は母と二人だったので、一緒に食事をしていると、なぜか突然“Aさんは、結婚歴があるのではないか・・・もしそうだったらどうしよう・・・”という胸騒ぎがしました。母にも伝えると、「私も今同じことを思った」と言われました。
出会った日から、Aさんの顔が曇るたびに“もしかして?”と思うことはありましたが、すぐに“まさかね!第一、私が最初からそんな人を選んでいるはずがない。プロフィ―ルカードにも結婚歴を書く欄はあるし、私はそこを見た上で選んだはずだ!”と思って打ち消してきました。また、鎌を掛けるような質問もしてきましたが、Aさんがそのような事実を言うことはなかったので、大丈夫だろうと言い聞かせていました。
しかしその日から、私の不安は募る一方でした。

翌日(11月6日)に、紹介文を読んだAさんから「素敵な話だったし、〇〇ちゃんの考え方も素晴らしいと思います」とメールが来ました。こんな風に自分の信仰を受け止めてくれた事がうれしく、Aさんの肩書き、見た目も含め、私にとっては理想的で、やっぱりこの人がたった一人の人なのだと改めて思いました。そして、次に会った時には、絶対に結婚歴があるかどうか聞かなければと思いました。

次は、11月13日(日曜日)に会う予定でしたが、Aさんに予定が入り、一週間後に延期になりました。
13日の集会では、推薦文、紹介文、絵本の本文を皆で読み、霊的に改めて皆が絵本に対して一つ思いになれたその日の夜に、待ちに待っていた韓国国民日報に記事が出ました

14日には、今まで絵本出版に関わってきた方々に報告しました。
その中に、昨年私に、「日韓の歴史を変えたい!」と宣言させるためにつかわれ、記者会見を終えた際には、「おめでとうございます!でもここからですね!」と言ってくれたHさん(産婦人科医)がいました。彼もこの世の知者で、家柄も良く、第2の龍の男義の人でした。そんな彼に記事を送ると、「すごいです!その行動力と実現力には頭があがりません。一つ目標をこえられたことは、本当にすごいと思います。キリスト教の教えの強さというのは、政治では解決し得ないものも、解決し得るのかもしれませんね。おめでとうございます!」と、返事がきました。
昨年は、彼が証人となり私の韓国での働きを見守ってくれていました。その彼に、何の肩書もない32歳の私が、ただただ神の力によって日韓の歴史を変えることができた姿を見せることができ、ちゃんと実を成らせた記事を読んでもらえたことも感謝でした。
そして、今年はAさんがその証人となってくれました。Aさんにも記事を送ると、私が翻訳する前に自分で翻訳機を使って読んでくれ、ただただ「すごいね!」と言ってくれました。
神の目から見たら、2人のこの世の知者、自分の力で努力して今の地位を築いてきた人に対して、神の力と、私たちぶどうの木がおかしな宗教団体ではない事を証明するために、韓国で大きな事が起きるタイミングで出会わされたのだと語られました。

そして、20日の日曜日、私は集会後に車で迎えに来てくれたAさんと会いました(5回目)。
その日の集会は、群れの中にいた第1の龍(やくざの男義)がM兄弟を通して現れ、牧師が直接対決をし、いつまでたっても反逆を続ける態度に、最後は「地獄に行きたいですか!?なら好きにしなさい」と言って終わっていました。(1時間後すぐにM兄弟は悔い改めてきました。)私は、こんな日に会うなんて、Aさんとの交わりでも繋がるものがあるのか・・・と思いながら、車に乗り込みました。
以前からダンテの神曲を基につくられた「インフェルノ」(地獄)という映画を一緒に見に行こうと話しており、Aさんはその日、見に行けたらと思っていたようですが、時間が合わず、いつものように食事をしに行くことになりました。

食事中、Aさんが聞いてきたのは、ぶどうの木の収支についてでした。誰が献金を管理しているのか、月謝袋のようなものにいくら献金したのか書いて払っているのか質問してきて、自分の会社の経理がどうなっているのかも教えてくれました。私が、「収入の十分の一を皆献金していますが、誰がいくらしているかは分かりません。献金を管理しているのは母(牧師)ですが、その週の献金の合計金額しか知りません。皆、神と自分との関係の中でしています。私たちは聖書勉強というサークルですので、バレーボールサークルであれば、ボールと体育館使用料をサークル費から払うように、献金も、施設代や、今回の絵本出版費用や、私たちの韓国への渡航費など、すべて神の働きのために使われています」と説明すると、彼は、「そうなんだ・・・本当に性善説なんだね・・・」と深く納得していました。
そして、「じゃあ、献金がなくなったら、赤字ってことでしょ?」と言うので、「赤字はないですよ。解散して、また家庭で聖書勉強会をするだけです。私は今はぶどうの木のために全ての時間を捧げて報酬も頂いていますが、この働きがなくなれば、また幼稚園教諭に戻るなりして働くだけです。何も握ってるものはありません」と話すと、「すごいね~」と感嘆していました。
毎回食事代を払ってくれるのですが、この日初めて彼がブラックカードで支払いをしていることが分かり、驚きました。本当に高収入の人なのだと思いました。
その後、彼の車でドライブに出かけ、その中で木曜日に映画を見に行く約束と、12月にイルミネーションを見に行く約束をしました。また、先日の国民日報の記事でも「牧師」と記されている通り、自分は牧師である事を話すと、「プロテスタントだよね?」と聞いてきました。2回目だったので、なぜそんなに確認してくるのか不思議に思いましたが、私は「そうですよ」と答えました。

初めてAさんの車に乗って不思議なことが2つありました。
ガソリンの表示がおかしくなっていて、突然エンプティになるのです。油の注ぎが満タンになったり、ゼロになったりする・・・私は、イエス様の十字架の血を注ぎながら乗っていました。
もう一つは、後部座席に誰かが乗っていたのではないか?この車はファミリーカーで、子供が乗っていたのではないか?と感じたのです。結局、私は彼に聞かなければと思っていた大事なことを聞けずにいました。彼といると楽しいし、理想的な人・・・映画を見に行く約束もしたし、イルミネーションも一緒に行きたい・・・・まさかね~イエス様がそんな人に出会わせるはずがないと自分に言い聞かせていました。

そして、コーヒーショップに入り、1時間ほど彼が所属しているボランティア団体の話を聞くことになりました。年会費が37万?で、経営者が多く、アメリカが発祥、世界大会もあるような団体だと聞かされ、私はもしかして友愛団体、フリーメイソン?と思って尋ねましたが、彼はフリーメイソンではないが突き詰めたら宗教だよと言うだけで、最後まで名前を教えてくれませんでした。
私は、その話を聞いて、彼がなぜ毎回ぶどうの木に対して質問をしてきたのかがよく分かりました。最終的に、「性善説だね」と言ったことも。自分の利益を一切求めず、神と自分との関係を土台に運営し、社会問題に切込み、韓国で絵本を出版するだけの力があるぶどうの木は、Aさんが所属している団体とは真反対だったのでしょう。恐らく、男義社会の利得によって運営されている団体・・・自分がなぜここまで詳しくぶどうの木について説明しているのか分かりませんでしたが、100%善で行なっている団体がある事をAさんに伝えることが出来た事は、大きな神の計画であったのだと分かり、感謝しました。
最後は、Aさんのしている仕事は聖書に書かれている素晴らしい仕事であること、砂の上に家を建てたら倒れてしまう、岩の上に家を建てることが大切であり、聖書はその土台となる本であること、良い地に蒔いた種はちゃんと育つことなど、聖書のみことばを抜粋して話している自分がいました。

計5回の交わりを終え、この日が最後のデートとなりました。

家に帰ると、父が妹と「WAR ROOM 祈りのちから」のDVDを見ていました。父は救われていますが、第3の龍の男義(保守的男義・和魂)があり、私たちのしていることは認めてくれていましたが、日本という国が持つ霊力に逆らえずにいました。今回、DVDを見たことで、私たちのしていることや、クリスチャンとはどういうものであるのか、日本・日本人にはない教えを改めて知らせることができたことは感謝でした。


Aさんと出会ってから今までメールが来るだけで嬉しかったり、メールをいつしようか思い悩んだりしながら日々を過ごしていました。恋愛ができる事も、イエス様に感謝していました。
しかし、11月21日(月)は一日中、なぜか自分の心が冷めているような感覚になっていました。木曜日に会うことが決まっているから、自分の気持ちに余裕ができているのかな?と思っていました。(今となっては心の準備をさせられていたのだと思います。)
しかし、早く結婚歴があるのか確認したい思いは強くなっていく一方でした。
木曜日に会ったら聞こうか、今すぐメールで聞こうか、それともイルミネーションを見に行った帰りに聞こうか・・・そんなことを思いながら22日(火)も過ごしていると、夕方に思いがけずAさんから電話がかかってきました。電話の用件は、仕事の都合で木曜日に映画を見に行けるか分からないというものでしたが、私は今日が聞くタイミングなのだと分かり、というより聞かずにはおれず、Aさんに「結婚歴がありますか?」と尋ねました。すると彼は、「なんで?」と少し笑いながら聞いてきました。私が咄嗟の知恵で、「Aさんのように立派な方なら、結婚していたことがあるのではないかと母に言われたんです」と言うと、「そうか~なるほどね~」とはぐらかそうとしたので、「で、どうなんですか?」と再度尋ねると、「正式にお付き合いする前に、いつか言わないとと思っていたんだけど、実は結婚していました」と告げられました。
彼の応対の仕方に覚悟はできていましたが、直接事実を知らされた私は今まで受けたことのないようなショックを受けました。婚活パーティーのプロフィールにその事を記入していなかったことや、他にも偽っていた部分があったことも明るみとなりました。
がむしゃらに働いて家庭をかえりみなかったことが原因の離婚で、元の奥さんが二人の子供を育て、養育費を払っていることも聞かされました。そんな中で彼が、「調べたんだけど、カトリックは離婚した人と付き合うのはダメでも、プロテスタントは大丈夫なんだよね?」と言ってきた時、私にプロテスタントか確認してきた理由もよく分かりました。しかし、Aさんのケースの場合、プロテスタントの私は彼と結婚することはできません。ましてや、私は悪霊の仕業で離婚してしまった夫婦に復縁を勧めてきた立場であり、子供にとっての父親であるAさんを奪うようなことはできません。肉は動揺とショックで涙が出そうになりながらも、私の霊はクリスチャンとして、牧師として立ち上がっていました。Aさんに、真理(悪霊の存在)を伝えて復縁を勧めました。彼は、「復縁は考えられない。自己推薦するわけではないけど~」と言って、最後に自分の持っているもの(社会的地位、経済力)を私の前に並べて来ましたが、それが私の心を動かすことはありませんでした。偶然はなく、昼間にN姉妹を通して、イエス様に救われて復縁を望んでいたN姉妹の知り合い(子供3人を引き取ってシングルマザー)が、最近、別れたご主人も離婚を後悔して復縁を望んでいる事を人から聞いたそうで、私は、その事もAさんに伝えました。そして、電波が悪くなり、電話は切れました。
Aさんはすぐにかけ直してきましたが、相変わらず電波が悪く、私は、これ以上電話で話すことはないと思ったため、改めて連絡するとメールをして、ひとまず終えました。

牧師である母に、電話の内容を伝えながら、私は涙が止まりませんでした。どうしてこんなことになってしまったのか・・・イエス様が出会わせて下さったと思っていたのに・・・こんな形で終わりを迎えるなんて・・・肉の思いがあふれました。でも霊は、深みにはまらなくて良かった!イエス様の御手の中で守られたのだ!と喜んでいました。映画やイルミネーションなど、本格的なデートに入ってからでは、情が動いて、断ち切ることが難しくなっていたでしょう。肉の快楽を求めるのではなく、霊の清さによって今日という日に事実を確認し、復縁を勧めて彼と離れることができたことに、私は自分の肉と霊が完全に聖別されたことが分かりました。
牧師は、肉の母親としても慰めてくれた後、牧師としてさらに私の霊に語ってくれました。「あなたが自分で彼が言わずに隠してきた扉をこじ開けた。10月10日に出会ってから、11月20日の最後のデートまでちょうど40日。荒野の40日だったね。やっぱり、私たちの霊は、頭が知らないことを知っていた。さっきの電話はあなたがどれだけ霊の清さを守ることができるかのテストだったね。あなたの霊がすぐに立って、彼の一番の幸せを願って復縁を勧められたことに、イエス様は『忠実な僕、よくやった』とおっしゃっているよ。多く与えられたものは多く求められる。あなたは牧師だからなおさらだね」と言われ、私は、最後に改めて彼に真理を伝えなければと思い、メールを打ち始めました。
肉の悲しみに浸っている暇はない、クリスチャンとして伝えるべきことをしっかりと伝えなければという思いに満たされていました。

以下、送ったメールです。
『衝撃が大きくて、電話ではちゃんと伝えられるか分からないので、メールにします。
今日は11月22日、「いい夫婦の日」ですね。Aさんと出会って、絵本に書いてあったように、私は「この人が自分にあばら骨をくれた人かな?」と思っていました。だから、真剣にお付き合いしていきたいと考えていましたが、なぜかずっと結婚歴があったらどうしようという不安がありました。なかなか聞けませんでしたが、次に会ったら絶対に聞こう!と思っていたところに電話がかかってきて、事実を知るに至りました。正直、さっきの電話は動揺とショックで、うまく話せていたか分かりません。でも、はっきりとこれ以上の付き合いは考えられないと思いました。
Aさんは、もう一度、奥さんと子供たちと向き合うべきです。家族のために、家族を守るために働いてきてすれ違っただけなら、Aさんが変われば、やり直せます。私にしてくれたように、写メや仕事の事をメールする余裕が、今はあるじゃないですか。ちゃんと私と向き合う余裕があったじゃないですか。
私はAさんが毎晩お酒を飲んでいる事が心配でしたが、お酒を飲みたくなるのは、嫌なことを忘れたい、寂しさを紛らわしたいからで、どこか満たされない気持ちがあったのではないですか?どんなにがむしゃらに働いても、大事な人を失ったら虚しいです。何のために働いているか分かりません。
私は、Aさんに心が動いたこと、この約1か月間は何だったの!?って思って、実はさっきまで涙が止まりませんでした。でも、私はAさんが素晴らしい!と言ってくれた聖書を学んでいるクリスチャンとして、神に直接問えるクリスチャンとして、この出会いの意味をイエス様に聞きました。そして、Aさんが幸せになれるのは、復縁して奥さんと一緒に子供たちをしっかり守り育てること、それを伝えるために出会ったのだと分かりました。
聖書には、「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのである」という言葉があります。Aさんは、神様に愛されています。私には到底分からないAさんの今までの人生、離婚した時の気持ち、がむしゃらに働いている今の気持ちも、全部神様はご存知です。Aさんにはちゃんと帰る場所があります。いい夫婦に戻るべきたった一人のあばら骨の相手、奥さんがすでに与えられています。絶対に、奥さんは待っていますよ!子供を二人抱えて生きていくことはどれだけ大変か・・・これは同じ女性として伝えたいことです。
Aさんが復縁に意志を向けたら、必ずやり直せます。なぜなら、復縁を望まない気持ちをAさんに持ってくるのも、離婚に至らせたのも悪霊の仕業だと聖書には書かれているからです。だから、私はAさんの復縁を願って祈ります。私の祈りは力があるんですよ!
(家族についての)絵本を最初にプレゼントしたのも、今となっては偶然ではありませんでしたね。ぜひ、もう一度ゆっくり読んでみてください。そしてぜひ、声に出して読む祈り(救いの告白)もしてみてください。Aさんの心の願いをはるかに越えて、イエス様は叶えてくださいますよ!
Aさんが幸せになれたら、私も嬉しいです。今日大事な事を知れて本当に良かったです。今までありがとうございました。Aさんの祝福を心から祈っています。』

聖霊の強い力によってメールを打ち、送信した私は、肉の自分に戻ってまた大泣きしました。たった40日間でしたが、彼への強い思いを入れられていた私は、彼を失ってしまった喪失感と、どうすることもできないこの状況に、メールでは答えを出しているにも関わらず、イエス様に「なぜ彼と出会ったのですか?」と問わずにはおれませんでした。
そんな私の状態を分かっていた牧師と妹は、「祈ろうか?」と声をかけてくれました。二人の前で泣き崩れた私に、牧師は「イエス様への信仰がなくなった?」と聞いてきましたが、今回の事で信仰がなくなる私ではありませんでした。しかし、「私は独身者に生まれついたのかもしれない」という不信仰な言葉を出してしまい悔い改めました。

改めて、牧師が「こんな結果になる前に、結婚歴があるかどうか、もっと早く確認できたはず。私たちは悔い改めなければならないのか?」と言うと、今度は妹に油が注がれ、「悔い改める必要はない。お姉ちゃんは、Aさんと出会って最初から最後までイエス様のために一生懸命福音をしてきた。悔い改めたら、それが間違っていたという事になる。Aさんは、お姉ちゃんを通してイエス様と出会い、復縁に至る道を教えられた。Aさんにとっての一番の幸せを知る事ができた。それにクリスチャンであっても、Aさんがお姉ちゃんに好意をもって、結婚を真剣に考えようとしたことも、最近までクリスチャンだから結婚できないと思っていた私にとってはすごい証だよ」と語ってくれました。
牧師も私も、その言葉をアーメンと感謝して受け、3人でAさんが復縁に意志を向けられるように、救われるように、復縁に至れたことを感謝して悪霊を縛り上げ、追い出して祈りました。

そして、その日私は、Aさんとの出会いから今日に至るまでの事に対して、イエス様から3つみことばを頂きました。

ローマ15:13
どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。

イエス様が私を励まして下さっていることが分かり、神の愛を再確認しました。


ローマ15:16~21
このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。だから、わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである。わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。すなわち、「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりである。

改めて、40日間の交わりを振り返った時、彼の人生の全てを御存知のイエス様が異邦人であったAさんを神の御前で従順にするために、イエス様がわたしを用いて、言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったのだと語られました。私の両親が不仲で離婚を考え、子供として傷ついていた時期があったが、イエス様に救われて家族関係が回復した話、長老にとっての一番の祝福は娘・命を授かったという証をした事も、聖霊でした。私は、Aさんがイエス様を見ることがき、聖書の言葉によって悟ることができたことを感謝して祈りました


ヨハネ12:24~26
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。

アーメン。
今回、このみことばが自分の霊に強く入ってきました。まさにこのみことばを体験したのだと思いました。【一粒の麦が地に落ちて死んだとき、豊かに実を結ぶようになる】・・・今は分からなくても、やがて豊かに実を結ぶことが約束されていることに、神の大きな愛を感じました。もし、わたしが微塵でも自分の命(肉の思い)を愛していたら、全てを失い、彼の祝福さえも奪っていたでしょう。しかし、イエス様に仕える者として、【肉の思いは死、霊の思いは命と平安】というみことばに立ち、Aさんと向き合うことができた事に感謝しました。


ローマ8:5~10
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。


23日(水)の朝、Aさんからは辛く悲しい思いと、本気になってしまった分、こうなることが恐くて話ができなかった事への謝罪と、もう一度話をして気持ちを伝えたいとメールがきました。前日、牧師と妹を通して、彼に一番「WAR ROOM 祈りのちから」のDVDを見てもらいたいねと話していたので、直接話す思いはありませんでしたが、最後に以下のメールをしました。

『私の気持ちは変わりません。Aさんが、あの日プロフィールカードに誠実に書いていたら、私は最初からAさんを選びませんでした。気持ちを伝えてくれたことは嬉しいですが、Aさんが復縁することにまさる喜びにはなりません。二人の子供さんにとっては、どこまでも血の繋がっている父親ですから、今は復縁を考えられなくても、いつか目が覚めた時にすぐにやり直せることを私は求めて祈ります。
以前、「WAR ROOM 祈りのちから」という映画のDVDを見たと話しましたよね。ソニーピクチャーズの部長さんがクリスチャンで、全米で大ヒットを記録したこの映画を、採算度外視で、日本で上映(今年の7月)できるように動いたそうです。その内容は「家族の回復」です私たちぶどうの木がずっと掲げてきたテーマでもあり、映画の中で行われる事は、まさに自分たちがしてきたことだと思いました。この映画のDVDをぜひAさんに見てもらいたいです。気休めの宗教ではない、本当の神の力があることを知ってもらいたいです。私にできることはそれだけです。』


第2の龍の男義男性であれば、離婚していても、子供がいても、いくらでも女性は寄ってくるでしょう。恐らく彼もそう思っていたと思います。イエス様が荒野の40日の訓練の最後に試されたように、Aさんも電話の最後に、自分が持っている栄華を私に聞かせ、霊的には「これが欲しくないか?俺に従え!」と私を試してきました。しかし、私はイエス様に従うことを選び、断ち切ったのです。

マタイ4:8~11
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて、言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。


離婚、そして子供までいる事を大した問題ではないと思っている人が多いからこそ、今の世の中は平気で再婚します。そこに子供を授かって、また離婚をします。私は、絵本「一つになろうよ!!命の絵本・命の糸に出会う本」を書いたものとして、命の繋がり、父親母親としての責任を、神からとことん教えられました。妻(夫)と別れることも聖書では許されないことですが、それ以上に、その夫婦の間に新しい命・新たな人間が誕生した時点で、離婚の罪はより大きなものとなります。命を授かり、育てる責任は、養育費を払っている云々ではありません。
Aさんとの出会いを通して、私は改めて自分が著者となった本が、神が求める家族の在り方を世の中に教え、問うものなのだと再確認することができました。そして、Aさんに対しても、私との出会いを通して、たとえがむしゃらに働いて全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の意味もないこと、離婚し、子供と離れていることが今後どれだけ自分の人生にとって重荷となっていくことなのかを悟ってほしい、後悔したうえで、復縁に意志を向けてほしいと心から思いました。

肉の思いと霊の思いは真反対ですので、霊が立ち上がっている分、私の心は今まで思いを入れられていたAさんを根こそぎ抜かれたような感覚で、まさにぽっかり穴が開いたような状態でした。少しでも肉の思いに戻れば、嘆きの霊によって涙が出てきてしまう状態でした。
11月23日(水)の夜は、ベッドで一人「イエス様、この訓練はきついです。私に分かるように、もっともっと教えて下さい」と祈り、泣き疲れて眠りにつきました。

11月24日(木)、牧師である母と昼食を食べようとした時、母が「昨日イエス様からみことばを頂いた」と言ってきたので、確認しました。

ヨハネ21:18~19
よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

イエス様は、牧師である母を通して、「ペテロがどんな死に方をするかと言っているのではない。どんな死に方で、神の栄光をあらわすかと言っている。肉が傷ついたのは十分に分かるが、一人の罪人が悔い改めたら、天での喜びは大きい。Aさんが復縁に至れた時、あなたは御使いのような存在であったと思うでしょう。あなたと出会ったのだから、Aさんはすでに神の御手におり、愛され救われる計画にある人。なぜ出会ったのか、なぜ好きになってしまったのかと思うかもしれないが、ヨブ記2:1~6に、神がサタンに許したと書かれてあるように、このような結末になることを神は御存知で、あえてあなたにAさんへの思いを入れて遣わした。思いが入れられたからこそ、あなたは彼と5回も会ったし、熱心に福音もした。Aさんにもあなたへの思いを入れた。彼は、あなたを通してでしかこの福音を聞けない人だったから。そして、みことばにある通り、Aさんがあなたに帯を結びつけ、行きたくない所(今回の結末)に連れて行った。でも、見事にちょうど40日。あなたは何も失っていない。深入りするような交際に発展することもなかった。だから、神の栄光をあらわせたことに感謝して、あなたは私に従ってきなさい」と語られました。

このみことばが、まさに私の昨夜の祈りの答えだと分かりました。私の霊から魂にすっと入り、感謝と喜びの涙があふれ、真に解放に至ることができました。

ヨブ記2:1~6
ある日、また神の子たちが来て、主の前に立った。サタンもまたその中に来て、主の前に立った。主はサタンに言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。主はサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなくかれを滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。サタンは主に答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。

アーメン。

私が、牧師に昨夜の嘆きと祈りについて話すと、「私も昨夜突然嘆きの思いがきた。“これは私ではないですよね。イエス様、誰ですか?”と聞くと、あなただと教えてくれたの。だから、悪霊を縛り上げて、ずっと祈っていた。そして聖書を開くと、このみことばが与えられたの」と教えてくれました。
牧師は、私たち羊の霊の監督者です。常にイエス様に自身を明け渡しています。だからこそ、自分の内に思いがきたときに、もちろんまずは自分を吟味しますが、「イエス様、誰ですか?」と聞き尋ねることができるのです。そして、私たち羊の霊を立たせ、肉を励ます生ける水の川(みことば)を流してくださいます。
今回の私の体験一つとっても、どれだけ自分を明け渡しているのか問われました。
私は、Aさんを好きになった事も、自分の肉の感情だと思っていました。しかし、生きているのは私ではありません。イエス様が私の内に生きておられます。

ガラテヤ2:19~20
わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

私がAさんを好きになった事も、【あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。】(ピリピ2:13)と書かれてある通り、明け渡した器に神が思いを入れた事にすぎないのだと語られました。
そして、私たちが、いつまでも自分の内に生まれる思いを“自分”のこと、自分の思いと思っていること、また、自分の問題だと思っていることが、サタンの策略にかかっている証拠なのだと語られました。いつまでも、自分の問題解決のために生きていたら、私たちはイエス様の僕として、キリスト・イエスの良い兵卒として、福音の大使として役に立ちません。
自分の中に、神・イエス様と、“自分”が共存することはできないのです。
自分のこと(問題)は神にゆだね、いつもイエス様のことを思っているのがクリスチャンであること、また、様々な思いが来た時に、まず自分を吟味し、霊の世界は繋がっていますから、同じ状況にいる人(誰か分からない場合もある)のために祈るのがクリスチャンであると語られました。

第2テモテ2:1~10
そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠を得られない。労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。

アーメン。


私たちクリスチャンは、救われて霊が生き返った時から霊の生き物です。
私自身も今回の体験を通して、私の霊は私の頭が知らないことを知っていること、霊の世界は肉の世界(自然のこと)よりも現実的であることを改めて知り、体得しました。
霊の世界は、自分自身がしっかり第3の天(神の目)から見なければ、サタンの攻撃を肉に受けて流されてしまいます。目先のことで、感情に流されたらサタンの思う壺であり、私自身も、もしAさんを握り、追いかけてしまっていたら、滅びでしかありませんでした。
自分の置かれている状況を、離れて見た時=第3の天から見た時、たくさんの神の御計画と御旨があったことを知ることができました。私が見えない事は、牧師や兄弟姉妹たちが教えてくれました。

そして、この40日間だけでなく、もっと神の御計画があった事を私は知りました。
11月24日(木)の昼に、ヨハネ21:18~19を通して、「わたし(イエス様)に従ってきなさい」と語られた私は、牧師を通して前から誘われていた英語サークルに行ってきてはどうかと言われました。Aさんの事実を知る事がなければ、24日はAさんに会っていたかもしれない日でもありました。二人で「インフェルノ」、霊的に「地獄」に行くことがなくて本当に良かったです。
私は1年半前から英会話に通い始めたのですが、そこで知り合った子から2週間前に英語サークルがあることを聞かされていました。その子の英会話力がとても上がっていることに驚いていた私は興味を持ったのですが、“いつか行けたら・・・”と思っていました。
私は牧師に言われた時に、一瞬「もう、気持ちを切り替えて英会話!?」と思いましたが、霊は「イエス様のための新たな一歩だ」と思い、行く事にしました。
行ってみると、アメリカ人、イギリス人、シンガポール人、インド人、韓国人、フィリピン人がいて、英語が飛び交い、まるで別世界でした。日本語を学びたい外国人と、英語を学びたい日本人で構成されているこのサークルは、ファミリーレストランの一角を使って毎週開催されているのですが、そのファミリーレストランは、なんと私が2007年に初めて韓国人のRさん(韓国人の女友達を紹介してくれた男性)に韓国語を教えてもらった店でもありました。この時も、Rさんへの強い思い(恋心)を入れられ、私は韓国語を習得し、その後、留学して真珠の友達に会い、絵本出版に至ることができました。
今度は、絵本の英語版に向けての出会いがあるのだと、英会話サークルに行って確信しました喜びに満たされ、Aさんの事もすっかり忘れている自分がいました。


振り返ると、私がAさんに対して結婚歴があるかも?と胸騒ぎがした11月5日は、クムラン出版社から絵本が発行される日であり、クリスチャントゥデイに記事に必要な原稿を送った日でした。クリスチャントゥデイの記事は、そこからなかなかアップされず、誰が霊的に止めているのかとイエス様に聞いていました。
私がサークルに参加して帰宅したのは、日が変わって25日の0時半でした。そこから、牧師(母)に報告をして、2時半に布団に入ったのですが、クリスチャントゥデイが気になり、検索してみました。記者からはアップしたらメールすると言われていたので、“まさか出てはいないよね”と思っていたのですが、トップに記事が出ていて驚きました。1時31分にアップされていました。
恐らく、私が英語サークルに参加していた時間に、記者に油が注がれ記事を完成させて下さったのだと思います。記事が出るのを止めていたのは私だったのです。というより、そこに書かれている内容を見た時、私は牧師として名前が出ており、この世に対して、キリスト教界に対して、剣を投げ込む発言をしていました。これだけの事を言うのであれば、霊の清さ・聖さと、肉と霊の聖別を求められるのは当然です。私自身が、神の国の国家試験に合格してはじめてこの記事は世に出され、力を放つものとなって世界に発信されたのだと語られました。


記事はこちらからご覧ください↓
christian today記事

また、クムラン出版社からインターネット販売が開始された事も、昨夜11月28日に確認できました。改めて、霊の世界の方が現実的であることを実感しました。

11月22日に隠されていたAさんの秘密が明るみになり、今日11月29日でちょうど1週間が経ちました。ここに書いてきた通り、40日間と、この1週間で本当に肉にも霊にもたくさんの事が起こりました。しかし、たった1週間で私の気持ちはすでに英語版作成に向いています。
イエス様のために生きる自分としてここにいます。現実の感情より、目に見えない神を信じて従った時、クリスチャンは日々新しく生まれ変わる事の証です。

ローマ8:18
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

アーメン。


今日、牧師を通して、「日本においてはクリスチャントゥデイで、韓国においては国民日報とクムラン出版社の本のネット紹介で、あなたが牧師として社会的に認められ、祝福されたのだ」と語られました。
9年前に幼稚園教諭を辞めたあと、私は自分の働きについて悩んだ時期もありました。家でブログを書いたり、トラクトを作ったりしている事に意味があるのかと思った時もありました。しかし、イエス様は常に私の心を見ていてくださり、人知では到底成し遂げることのできない成果を下さいました。それは、クリスチャンにとって、最も喜ばしい事です。だからこそ、私はこれからもイエス様が共におられるという確信を、主に従って積み上げていきます。

Aさんと出会えたことに感謝し、Aさんが救われ、復縁に至れたことを感謝します。
皆が聖書に書かれている真理を知って従えるように、絵本もそのきっかけに用いられること、全世界の人々が神に喜ばれる人間にもう一度生まれ変わることができたことを感謝します。
全ての栄光はイエス様に帰して、感謝して祈ります。
アーメン。