今週のぶどうの木メッセージ

 
 

「齊藤諒の生きる力」本日発売!!
2017/9/1 ブログより

 
本日、「齊藤諒の生きる力 四肢麻痺と人工呼吸器装着の僕が伝えたいこと」が、全国書店にて発売されます!!amazonでもお買い求めできます!
 


 
運命を変えて、天命を生きる!
16歳という若さで四肢麻痺となった著者が綴る、渾身のノンフィクション。
「死んだましだ!だからといって自分で死ぬこともできない・・・・・・この前まで、大好きな野球に明け暮れていた自分が、こんな身体になるなんて!」
絶望の淵から救ってくれた「聖書」の教え。
苦しみの中で希望を得た著者が今、この時代を生きる人たちにもっとも伝えたいことを書く。


著者の齊藤諒兄弟からです。

待ちに待っていたこの日がいよいよ来ました。

イエス様は僕にとって新たな一歩を与えてくれました。

マタイによる福音書5章14節~16節
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

聖書は真っ暗だった僕の心に光を与えてくれました。

今度は僕が聖書の光を伝え広げていきます。

イエス様、文芸社の皆さん、ぶどうの木の神の家族たちに、感謝です。ありがとうございました。

これからも感謝し福音していきます。

全ての栄光をイエス様に帰して。

アーメン。


ぶどうの木10年目最後の日という素晴らしいタイミングで、イエス様はこの本を出版させて下さいました。
読者の皆さんに「生きる力」を与える一冊です!!
ぜひ、ご一読ください。

イザヤ12:3~6
あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。その日、あなたがたは言う、「主に感謝せよ。そのみ名を呼べ。そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。そのみ名をあがむべきことを語りつげよ。主をほめうたえ。主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。これを全地に宣べ伝えよ。シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」。

アーメン!
 
 
 
 

神に知られ、神を知る私たち
2022/11/21ブログより

 
 
holygirlです。
 
今まで福音する中で、「キリスト教は戦争を起こして来た歴史があるじゃないか!結局、宗教は戦争をするんだ!」と言われた事があります。キリスト教を受け入れない常套句です。戦争は、私たちクリスチャンも到底認められる行為ではありません。それは聖書に反している事です。私たちとは似て非なる“キリスト教”、日本人が“キリスト教”として認識してきたのは、ローマ帝国(カトリック)、イルミナティ、フリーメイソンがつくりあげてきた宗教、今暴かれてきたディープステート・白人ユダヤ人(国際金融資本家)が利用してきた宗教です。彼らは、自分たちに都合よく聖書を利用し、戦争による軍需産業で金儲けができるように仕掛けていきました。クリスチャンの国として建国されたアメリカも、今やこの“キリスト教”に支配されています。第2次世界大戦時に、「God Bless America (アメリカに神の御加護を)」と歌った後、長崎の教会目掛けて原爆を落としたことからも、彼らが真のクリスチャンであったとは思えません。
また、彼らは聖書には書かれていない神学校制度もつくり、神の霊感によって書かれた聖書を霊で読むのではなく、歴史的書物として学び、霊的体験(聖霊体験)をせずに机上の空論で聖書を教える牧師を誕生させていきました。地位、名誉を追い求めるフリーメイソンの霊力が土台にあるため、多くの牧師は教会堂を建てたがります。牧会の目的が教会堂を維持・建築する献金集めとなり、神より富に仕える教会運営となっていったのです。罪のゆるしをお金で買う免罪符をつくったカトリック、罪のゆるしと先祖の呪いをお金で断ち切れると教えている統一教会など、お金で物事を解決しようとする異端の教えも人々をつまずかせてきました。
 
しかし感謝なことに、このコロナ禍で、「聖書は“キリスト教の本”ではない」という言葉をよく聞くようになりました。いわゆる世間が言う「陰謀論」を信じている人たちが、陰謀を追求していくと聖書預言(特に黙示録)にたどり着き、そこから教会に足を運ぶということもあります。「ワクチンは、黙示録に書かれている666の刻印ではないか」と、私たちが導かれたワクチン講演会でも、専門家が紹介していました。参政党では、アドバイザーの牧師から「世界を読み解く聖書の話」という題目で、聖書について学んでいますし、日ユ同祖論(聖書の神と日本人の関係)も実証されてきており、聖書を知らずにきた日本人の中でも、聖書に興味を持つ人が増えてきました。
そんな中で、誤解してほしくないのは、“キリスト教”と“キリストの教え”は違うという事です。先に書いたように、“キリスト教”は政治的侵略をしていくために利用されてきた宗教であり、“キリストの教え”には反しています。“キリストの教え”とは、イエス・キリスト(の十字架)が神の愛の象徴であり、人類の罪のあがないのために地上に来られた救い主であり、神の言そのものであるという事です。イエス・キリストは悪霊と戦い勝利された方ですから、助け主聖霊の力によってイエス・キリストを信じるクリスチャンも悪霊に勝利でき、悪霊の存在を知る事で無条件の愛とゆるしを行なうこともできます。
 
「聖書は一神教のキリスト教のものであり、イエス・キリストは西洋の神様。多神教(八百万の神々を信じる)の日本とは対立している」と思ってきた日本人ですが、多神教は世界から見たら異様なものであり、世界の土台は聖書です。聖書を知らずして、国際理解はできないほど共通の言語になり得るものです。そして、日本人はじめ全人類が認識を改めなければならない事は、聖書はキリスト教徒だけが読む本なのではなく、地球人皆に与えられた書物であり、創造主である神が人間(被造物)に対して、生きていく上で必要なことを教えている書物だという事です。
そして、今まで外国の宣教師たちが「日本人一人を救うのは、他国で千人救うより難しい」と思うほど宣教師泣かせの国である日本ですが、多神教であっても神に対して信心深く、道徳教育がなされている日本国民が聖書の神を信じたら、神に対して最も従順なクリスチャンになると言われてきました。今や非キリスト教文明の日本が聖書的で、キリスト教文明である西洋の方が非聖書的なのです。日本人の常識に聖書の教えは近いからこそ、一番理解しやすいはずです。
 
先週トランプ氏が2024年の?大統領選挙の出馬を表明する演説をしましたが(マスコミがそのように報道しましたが)、それは通訳が先読みしただけで、実際は「2024年の大統領選挙に出馬する」「『アメリカ合衆国』の大統領になる」とは言っておらず、「アメリカ大統領への立候補を発表する」と言っただけであったと、後に正しい翻訳によって実証されています。なぜなら、彼は2020年の不正選挙後もアメリカ合衆国大統領のままであり、かつ軍の最高司令官だからです。彼はアメリカ合衆国の大統領選挙に出馬する必要はなく、目指すは『アメリカ共和国』の19代大統領です。共和国の大統領は18代までで終わっており、そこからアメリカはディープステートに支配されていきました。それゆえ、霊的にトランプ氏が目指しているのは、ディープステートの“キリスト教”が土台になっているアメリカに、建国精神=“キリストの教え”を取り戻すことなのです。実際彼は、任期中一度も戦争をしませんでした。“キリストの教え”が土台になれば、戦争はしないのです。
 
私たちはこの日本で、聖書に書かれてある真の神、生きた神と出会えました。創造主である神が直接聖書から語って下さるという体験をしています。1つ目のみことばの意味が分からなかったら、さらにみことばをもらい、それでも分からなかったらまたもらい・・・そうやってみことばがみことばを解き明かしていき、神のメッセージの深みを知っていくことができます。
そして、毎週の集会では、牧師を通して神が今の自分に必要なことを語って下さったり、この先何が起きるかを御存じの上で、あらかじめどうするべきかを教えて下さいます。神が直接語って下さる時、当然自分の感情や考えに合わない事もあります。救われる前は、神社に行き、自分の感情のままに「これをして下さい!これを叶えて下さい」と拝み、おみくじを引いても、良い所だけ信じていたのに、救われたら、神側から命令・訓戒が与えられ、自分自身の感情や考えとは真反対のことを行なって、自分が変わっていかなければなりません。救われる前は、熱が出たら病院に行って熱が下がるのを寝て待つのが当たり前だったのに、救われてクリスチャンになったら「寝込むな!熱の霊と戦いなさない!」と教えられます。自分の常識、家庭の常識など通用せず、全世界共通に与えられた聖書が、全ての事に対する常識となります。
私たち日本人は、多神教と言いながら、実際は人間がつくった神、自分がつくった神(人)を偶像にしているだけであり、それは自分の感情に従ってくれる都合の良いものでしかありません。結局は自分という人間の在り方を変えたり、反省することなく、自分自身が神になっている自分偶像崇拝者なのです。創造主の神より、被造物の自分の方が偉いと勘違いし、自分勝手に生きて心身ともに滅ぼされ、今や国そのものも、外資(外国)や中国共産党に侵略され乗っ取られそうになっています。
 
創造主である神の御心を知らないまま、神の御心(的)から外れた生き方をしてきた自分を正すために聖書があります。自分の体を健康に保ちたいなら、好き嫌いせずに何でも感謝して食べなさい!いつまでも人を裁き、憎み、恨んでいないでゆるしなさい!と言われます。また、今までの考え方、感じ方を変えて、素直に正直に誠実に神と隣人と向き合いなさい!主にあって何事もするこができるのだから、一歩踏み出して行なってみなさい!と聖書は教えてくれます。それに「アーメン」と言って従っていく時、何の思い煩いもなく、健康と社会的経済的祝福が約束された平安な日々、感謝と喜びに満ちた日常を送ることができるのです。
 
また、人間が木や石、金銀でつくった神や、偶像にしている人間(アイドル、教祖)に力はなく、先のことを預言することも到底できません。しかし、人間をつくった神にはそれをする力があります。特に聖書預言のスケールの大きさが解るのが、旧約聖書のイザヤ53章に書かれている、イザヤという預言者が、イエス・キリストの御姿(十字架刑に至るまで)について預言者した箇所ですので、紹介します。
 
イザヤ書53章
だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。
 
アーメン。
イザヤが預言者として活躍したのは、紀元前740年前から紀元前690年頃です。つまり紀元0年にイエス・キリストが誕生する約700年以上前に、救い主が来て私たちの罪のために十字架に架かって下さることを預言していたのです。迫害者は、「ここは十字架刑を見た弟子たちがあとから旧約聖書の中に差し込んだのではないか!?」と言いますが、その口を封じるかのように、1947年に初めてイスラエルのクムランという場所で、イザヤ書を含む死海文書(約2千年前に書かれた世界最古の聖書を含む古文書)が発見されました。イザヤ53章も、イエス・キリストが生まれる前に書かれたことが証明されたというわけです。さらに、2021年にも65年ぶりに死海文書が発見され、私たちの記憶にも新しいです。
つまり神は、壮大な御計画、イエス・キリストの十字架刑にある御心を、まだイエス・キリストを見ぬ旧約時代の預言者にまで知らせ、人類に教えて下さっていたのです。聖書は預言書とも言われますが、聖書に書かれてある預言は着実に成就してきました。黙示録のみことばは、神学的にはここから未来に向けての預言でもありますし、霊的には、今の自分に対するものや、これから自分の身に起きることを教えてくれる場合もあります。私たちはその神に知られ、出会い、信じているのだということを、今週の集会では語られました。そして、ものすごく大きな愛の交流、心の通い合いが創造主である神とできること、自分には分からない未来のことも御存じの神が、細く安全な道を着実に進ませて下さること、そして、神の力を受け、励まされ、導かれて自分を変え、キリストに似た者になるということがいかに素晴らしいことであるのか、兄弟姉妹の証を通しても再確認することができ、宗教ではない!人としての在り方を聖書から学んだ結果の実であると思いました。
 
マルコ11:22~24
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
 
ローマ4:17b
彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。
 
コロサイ1:17
彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。
 
マタイ5:16
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
 
アーメン。
 
兄弟姉妹の証の中で、今月84歳を迎えたD兄弟の証が日本人の神観に対する勝利の証でしたので、ここで紹介します。
D兄弟は今、妻と息子夫婦と孫2人の6人で集会に参加しています。以前は、お宮と仏を大事にし、毎月参拝に行き、悪い運気を取り除くために盛り塩をし、熱心に神仏行事を行なってきました。それが家族の幸せに繋がると思ってきました。しかし、家族が順番にイエス・キリストに救われて行き、5人で集会に通うようになった時、自分だけが別のものを信仰していたら、家族は幸せになれないのではないかと思い、神社との関係を断ち、家にあった神棚や様々な偶像も撤去して、5か月前から集会に参加するようになりました。
D兄弟は生まれてすぐ片耳が聞こえなくなり、もう片方の耳も年齢が上がると共に聞こえづらくなりました。さらに「自分勝手に生きてきて、全身病気の巣になりました」と言うほど、心臓や大腸など、生死にかかわる手術を何度も受けた結果、人工肛門になりました。耳がよく聞こえず、人工肛門のためいつ便が漏れ出すか分からない不安から、集会参加を躊躇していたD兄弟でしたが、神の守りの中で、大きな問題もなく、毎週元気に3時間半の牧師のメッセージに耳を傾けてきました。そして、最初は家族のための信仰から始まりましたが、学び初めてイエス様しかいないのだと気持ちもまとまり、洗礼も受けることができました。それでも本人曰く身勝手さは残っていたのです。
 
先週の土曜日に、D兄弟のお誘いで、私と夫のK兄弟が食事を御馳走になり、そこで交わりの時間が与えられました。D兄弟は、今までの学びの中で分からないことを質問してくれました。【あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取り戻されようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。】(マタイ5:13)というみことばの【塩】とはどういう意味か?というD兄弟の問いから、D兄弟が盛り塩を良しとして、イエス様に祈りながら盛り塩をしていることが明らかになりました。結局、自分の今までのやり方は変えずに、神社の神が、イエス・キリストに変わっていただけだったのです。私が、「塩は、イエス様のことですよ!イエス様の十字架の血によって全て清められますから、盛り塩は必要ないです。それは罪になります」と話すと、ようやく塩の意味が理解でき、目が開かれたD兄弟でした。
 
また、「家族には言っていなかったけど、いずれはぶどうの木を抜けて、独学で聖書を学んでいこうと思っている」と言うので、なぜそのような思いになったのかを聞いていくと、「イエス様は西洋の神で、日本には日本の神がいて風習や文化もある。うまく融合させてやっていけないのだろうか。今までやってきたことをやめて、イエス様だけと言われても受け入れられない人もいるでしょ?」と言い、二心者になっていたことが分かりました。さらに、娘さんが新興宗教を信じており、娘に対する信仰表明ができていない状況で、娘との距離を近づけるためには、自分は独学で勉強していたほうがいいのではないかという情の思いも明らかになりました。そこから今週集会で語られたような教え、創造主である神との関係を伝え、独学で学んでいくことは独り善がりの解釈になっていくこと、離れていた姉妹たちがどのような状態で群れに帰ってきたかも思い出してほしいと話しました。そして、日本人は日本人にしか救えない、日本人の神観を理解できるのは日本人だけであり、やはり外国から来た宣教師には分からないから、なかなか救ってこれなかったのだと話しました。だからこそ、D兄弟のように3世代で聖書の学びをしている家族が、各世代に向けて福音宣教をしていくことが大切であり、そのために選ばれたのだと伝えました。
D兄弟は、素直に私やK兄弟、兄弟姉妹となった家族からの話を聞き、改めて一つ一つ理解していきました。そして、自分のやり方をしてきたことを悔い改め、悪霊を追い出し、もっと自分に分かるように教えてくださいと祈り求めました。
 
箴言12:14
人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。
 
アーメン。
 
ここからが素晴らしい証なのですが、D兄弟は上に書いたような蛇が内にいたので、なかなか教えが聞こえず、入らず、2週続けて人工肛門による問題で集会を休んだことがありました。2,3か月に1度、2,3日おりものが元の肛門にたまるそうで、それがとても気持ち悪かったそうです。集会には参加できませんでしたが、意志を向けて聖書を開いてみると、戒めのみことばばかりだったそうです。そして、2週目の集会も休んだ後に、家を訪ねてきたH姉妹を通して、「D兄弟、サタンの追い出しを生易しくやっていたらダメですよ!『サタンよ、出て行け!』って大きな声でやらないと!」と言われたそうです。その追い出しの声があまりにも大きく、厳しく強い声だったため、びっくりして後ずさりしてしまったそうですが、H姉妹に教えられた通りにやってみると、翌日には気持ち悪さが消え、次の集会には参加できたのだと証してくれました。今も、おりものが軽くて済んでいることにも感謝していました。
そして、D兄弟もイエス様から素晴らしい約束のみことばを頂いていました。
 
マルコ7:31~37
それから、イエスはまたツロの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通りぬけ、ガリラヤの海べにこられた。すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお願いした。そこで、イエスは彼ひとりを群衆の中から連れ出し、その両耳に指をさし入れ、それから、つばきでその舌を潤し、天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。イエスは、この事をだれにも言ってはならぬと、人々に口止めをされたが、口止めをすればするほど、かえって、ますます言いひろめた。彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」。
 
アーメン。
しっかりと信仰に立てば、耳も癒される!健康な体を取り戻せる!それがD兄弟に対する神の御心です。神の声をしっかりと聞ける者となって、福音宣教に生きる人生の始まりであることを感謝します。集会では証した後に、「家族と共にこれからも学んでいきますし、もっと積極的に発言していきます。よろしくお願いします。」と決意表明することができ感謝でした。
 
イエス様は、別名「ドクター・ジーザス」であり、体の病だけでなく、心の病も癒して下さる神です。そんなイエス様の前に自分の胸元を開いてさらけ出せる人は、間違っているところを正してもらいながら成長していけます。戒めを嫌がり、戒める人に怒りをあらわす人は、不必要なプライドがあり、逆に皆の前で恥をかきます。D兄弟は今回、家族の中で一番年長者でありながら、プライドを捨てて神の言にへりくだり、自分の思いを理解してもらおうと説明し、間違った理解をしていると指摘されれば、反発するのではなく素直に受け入れて、神の御前で自分自身をさらけ出すことができました。その姿勢こそが神に喜ばれる姿勢であり、自分を変える近道であるのだと語られました。
 
箴言12:16~22
愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない。真実を語る人は正しい証言をなし、偽りの証人は偽りを言う。つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである。悪をたくらむ者の心には欺きがあり、善をはかる人には喜びがある。正しい人にはなんの害悪も生じない、しかし悪しき者は災をもって満たされる。偽りを言うくちびるは主に憎まれ、真実を行う者は彼に喜ばれる。
 
箴言13:13~14
み言葉を軽んじる者は滅ぼされ、戒めを重んじる者は報いを得る。知恵ある人の教は命の泉である、これによって死のわなをのがれることができる。
 
アーメン。
 
最後になりましたが、ドクター・ジーザスの導きで、メタトロンを知らされたところから3か月間食事改善に取り組んでいた牧師は、先週2回目のメタトロンを受けてきました。潰瘍性大腸炎の症状である下痢には一度もならず、ぐっすり眠ることができるようになり、日々力が内側から沸き起こってくる日々になったそうです。定期検査をした主治医からも、「何の問題もない!食事だけでこんなに良くなったのですか!?」と驚かれ、自分がしてきた食事を教えることになったそうです。そして、メタトロンの結果を診た医師からは、「95点です!よく頑張りましたね!」とほめられ、あとはよく噛んで食べるようにと指導を受けたそうです。
日本人は縄文時代から野菜、肉、魚、木の実など、1500種類のものを食べていましたが、同じ時代に欧米人はオリーブ、トマト、木の実ぐらいしかなく、何でも食べるしかなかったそうです。だから、硬いものでもかみ砕けるように奥歯もとがっていると。しかし、日本人は食べるものが豊富だったため、よく噛んで唾液を出すことによって自分の体に合うものは取り込み、排泄してきたそうです。そのため、口に入れたら30回噛んでから飲み込むこと、食事中は水分を取らない方が良いなど、新たな知識を得ました。
そして、西洋医学の血液検査で異常なしであっても、メタトロン(東洋医学)では、未病、気を付けた方がいいという体の箇所があらわされ、数日後にその箇所に影響が出ていることも実感したそうです。西洋医学では見抜ける事と見抜けない事があり、西洋医学では潰瘍性大腸炎は難病で治らない病気であっても、東洋医学では食事に気をつければ治る病気であるなど、本当に私たちが当たり前に受けていること、鵜呑みにしていることから一つ一つ解放され、様々な視点から物事を見れるようにならなければならないと語られました。また、感情の面では、前回の同情、気遣いに続き、新たに冷静沈着が加わったのですが、その反対の「そそっかしい」も示されました。「そそかっしい」は、自分の計画を握って忙しくしている周りの人の波動であると言われたそうです。私たち羊たちが自分の計画を握り、神の的からはずれて生きていないか?も問われました。
自分に神が語って下さったことをしっかりと自分の霊で消化し、一つ一つ聖霊の導きで示されていることを忠実に行ない、神の偉大さを実感しながら、今週も喜んで歩めたことを感謝して祈ります!