今週のぶどうの木メッセージ

 
 

「齊藤諒の生きる力」本日発売!!
2017/9/1 ブログより

 
本日、「齊藤諒の生きる力 四肢麻痺と人工呼吸器装着の僕が伝えたいこと」が、全国書店にて発売されます!!amazonでもお買い求めできます!
 


 
運命を変えて、天命を生きる!
16歳という若さで四肢麻痺となった著者が綴る、渾身のノンフィクション。
「死んだましだ!だからといって自分で死ぬこともできない・・・・・・この前まで、大好きな野球に明け暮れていた自分が、こんな身体になるなんて!」
絶望の淵から救ってくれた「聖書」の教え。
苦しみの中で希望を得た著者が今、この時代を生きる人たちにもっとも伝えたいことを書く。


著者の齊藤諒兄弟からです。

待ちに待っていたこの日がいよいよ来ました。

イエス様は僕にとって新たな一歩を与えてくれました。

マタイによる福音書5章14節~16節
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

聖書は真っ暗だった僕の心に光を与えてくれました。

今度は僕が聖書の光を伝え広げていきます。

イエス様、文芸社の皆さん、ぶどうの木の神の家族たちに、感謝です。ありがとうございました。

これからも感謝し福音していきます。

全ての栄光をイエス様に帰して。

アーメン。


ぶどうの木10年目最後の日という素晴らしいタイミングで、イエス様はこの本を出版させて下さいました。
読者の皆さんに「生きる力」を与える一冊です!!
ぜひ、ご一読ください。

イザヤ12:3~6
あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。その日、あなたがたは言う、「主に感謝せよ。そのみ名を呼べ。そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。そのみ名をあがむべきことを語りつげよ。主をほめうたえ。主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。これを全地に宣べ伝えよ。シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」。

アーメン!
 
 
 
 

主を喜ぶことが力!―遊女に門を開かない―
2023/6/5ブログより

 
 
holygirlです。
 
先週の集会で、教育現場の異常さ(生徒が先生に別の生徒を注意してほしいと頼む。頼まれた先生は、その生徒の名前を伏せて注意する)について語られたのですが、その話に兄弟姉妹からも心当たりがあるという反響がありました。ある兄弟は、次のようなコメントをくれました。
「学校での大声の注意の話を聞いて、僕自身も似たような経験があり、聞いていて思うことがありました。仕事での気になる点を指摘される際に、いつも先輩を通して伝えられ、陰口を言われているような気分になったり、嫌われないようになのか、面倒な事にならないようになのかは分かりませんが、そのようなやり方をする上司に対してずるいといつも思ってしまいます。しかし、エペソ4章のように、憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。無条件の許しで相手を祝福する事、不満の状態でサタンに門を開けたままにしない事に気をつけて過ごさないといけないと語られました。」
 
直接言わないのは相手のためなのか、自分が嫌われないようにするための自己防衛なのか・・・学校や職場では今やよくある事ですが、そこには“誰が私のことをそのように思っているの?”と詮索したくなったり、人間不信に陥らせる占いの霊が動きます。ぶどうの木牧師は、牧会で気をつけている事として、何事も直接羊本人に言うようにしているとおっしゃいました。「牧師があなたのことをこう言っていたよ」と他者から聞くことほど嫌なことはないからです。親の管理下にいる子どもなら、親と子それぞれに話をします。他者が間に入ると伝える側の感情が入りますし、表情や声色も分からないため、“牧師はすごく怒っていたのではないか”と思ってしまうこともあります。この世では当たり前のように、「○○さんがこう言ってたよ」という発言が飛び交い、聞かされた本人もそれを直接確認しようとはしません。だから、占いの霊や分派分裂の霊が動くのです。何かのきっかけで、確認できた時には、「えっ!?そんな事言ってないよ」「そういう意味じゃないよ!」と言われることもあるでしょう。
 
戦後、牧師がまだ子供の頃には、家庭でも、近所の人間関係においても、直接伝えあうのが当たり前だったそうです。特に子どもたちのしつけについては、家庭だけではなく、地域の人皆で行なっていました。あいさつができなければ、「あいさつは?」と求められ、自転車の乗り方が危険だったら、「危ないぞ!」と注意され、日常的によく話しかけられたそうです。子どもたちは大人がまっすぐ向き合ってくれる中で、人間関係を学び、子ども同士でも素直に思いを伝えあってきました。いつから、そのような当たり前の人間関係が破綻したのでしょう。近所で声を掛け合うことはなくなり、声をかけられたら警戒する。少し注意すれば恨まれ、刺される。迷惑だと思っても、陰口を言うだけで本人に直接は言わない。迷惑をかけている相手を正すのではなく、自分が黙ってその場を去る方を選ぶ。何かしら横の関係・隣人に悩まされています。
 
また、昔の家庭では、靴の脱ぎ方、箸の持ち方、座り方、食べ方など、いちいち祖父母、両親から注意され、今の時代のように“祖父母はただ優しい”という感覚もなかったそうです。親を敬い、年長者の言うことは絶対的でした。そして、皆きまって「あなたのために言ってるの!あなたが将来恥をかかないように言ってるの!」と言ってくれました。その愛が子供にちゃんと伝わっていました。その時は厳しいと思っても、大人になった時には教えてきてもらえて良かったと感謝するのです。
感謝なことに、私の母(牧師)はそのような感覚のもとで育ちましたから、私に対してもそれが当たり前だと思って育ててきてくれました。「あなたのために言ってるの!」と何度言われたか分かりません。「他の家はこうだ!」と反発しても、「うちはうちです!」と返され、その時はふてくされても、納得できるだけの一本筋の通った姿勢が母にはありました。
 
参政党の演説で、よく「大和魂!日本を取り戻そう!」と皆を鼓舞していますが、確かに昔の家庭の在り方、近所付き合い、また戦後変わってしまった食に関する問題を聞けば聞くほど、日本人は“日本人らしさ”を失ってしまったのだと痛感します。本来、一番聖書を理解できるのは、欧米人ではなく日本人のはずです。震災で混乱している時でも、配給やタクシー乗り場に整列して並ぶ日本人の姿に世界が感動したほど、日本には道徳教育があり、一定基準の気遣いや礼儀は当たり前の事として身についています。聖書が教えることを、何の疑問もなく当然の事として考えられ、行なえているのが日本人であり、他国の宣教師からも「もともと聖書の教え通りの言動をしている日本人が、真の神を信じてクリスチャンになったらいっきにリバイバルが起きる」と言われてきました。
先週、北海道旅行で札幌時計台(札幌農学校跡地)に行った牧師は、そこで、明治2年に、アメリカ・マサチューセッツ農科大学から来たクラーク博士を通して、日本全国から集められた優秀な青年たちが、熱心に農業や植物学を学び(午前中1時間、午後4時間必ず復習)、イエス・キリストに対する信仰まで得て洗礼を受け、日本の礎をつくる人材、クリスチャンになっていったという歴史を知ることになりました。旧5千円札の肖像にもなった教育者、思想家、農業経済学者である新渡戸稲造、キリスト教界の土台をつくった内村鑑三、植物学者で植物園の初代園長になった宮部金吾などが卒業生となっています。この頃から、日本人は少し学んだら極めていく人種であると驚かれていたそうです。「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」はクラーク博士の名言として今も語り継がれていますが、その前に言ったのは、「be gentleman(紳士になれ)」でした。上品で礼儀正しく、教養の高いりっぱな男性になるということ。日本人としての誇りをもって、卒業生たちは各分野で、世界で活躍していったのです。
 
日本には日本の良さがあります。世界一歴史を持っている国です。四季があり食べ物の種類も豊富です。今回のコロナパンデミックにより、みそ汁や納豆といった日本食がコロナウイルスや、ワクチン後遺症に効果的であることを知り、日本食の良さを改めて実感しています。そんな日本、日本人を妬み、滅ぼそうと、アメリカや中国といった大国が狙ってきています。アメリカで受け入れられない基準の食べ物、余ったワクチン、武器を買わされ、中国には土地をどんどん買い占められ、中国人の帰化が増え、内部から乗っ取られようとしています。
西洋文化が入ってきて、着物から洋服になり、正座からイスに変わり、高度経済成長の中で、テレビ、自家用車、電子レンジや冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電話、電卓、パソコンなど電化製品が入ってきたと共に、日本の食生活も生活スタイルも急激に変わりました。最近では、目まぐるしいデジタル化により、スマホ一つあれば何でもできます。それによって手続きや注文をスマホやタブレットですることが当たり前になりました。人と会話することなく、画面操作で終わらせる社会、AIが主体となっていく社会に向かっています。
全てが画面上の手続きとなり、個人情報もそこで管理されるため、一人でいくつものパスワードや暗証番号を持ち、忘れてしまったら再度それを取得することから始めなければなりません。「時代の申し子」という言葉通り、その時代に生まれてきた子どもはすぐに対応できますが、高齢者は時代の変化についていけず、切り捨て状態です。
そんな中で、今度はマイナンバーカードが普及しています。デジタル化すればするほど、不備もあり、マイナンバーカードにも様々な問題が出てきています。健康保険証が原則廃止となる改正マイナンバー法が成立し、来年24年秋には、健康保険証と結びつけるという事ですが、すでに他人の情報が出てきてしまったり、病院では専用のカード読み取り機や職員への研修が必要ということで、反発が起きています。紛失したら個人情報漏洩のリスクがあるため、本来一つのカードにまとめることは危険です。セキュリティー面では世界の動きに日本は逆行していると言われていますが、あたかも日本はデジタル化が遅れているように皆を洗脳しています。
認知症の老人を看る介護施設では、マインナンバーカードを預かる必要がありますが、すでに暗証番号を忘れてしまっている老人も多いため、暗証番号まで他人に教えてしまう状態が生まれています。ここまでは入居者の保険証を管理し、体調が悪くなったらその都度保険証をコピーして病院とやりとりできていますが、家族に管理してもらった場合は、緊急時に病院とのやりとりがすぐにできません。様々な問題が起き、これからも起こってくるであろうことを察知して、病院や施設から反対の署名活動が始まっているそうです。
 
人とのコミュニケーションを大切にし、物事をよく考えて新しいものを創り出す力のあった日本人が、どんどん弱体化させられ、今や右へならえで、政府の言いなりです。おかしいと思っても「おかしい!」と声を上げられず、人にどう思われるかばかり気にしています。挙句の果てに、コロナワクチンまで「皆が打つから打つ」と言って、よく調べもせずに打ち続け、今や世界で一番の接種率です。日本人としての誇りはどこに行ったのでしょう?
私たちはクリスチャンとして、この世界は悪魔崇拝者対真の神を信仰するクリスチャンの戦いであるということを知りました。ディープステート(国際金融資本家)と言われるわずか1%の人間が支配する世界で、99%の人間が家畜のように平気で傷つけられ、殺されてきたのです。なぜ、99%の人間がたった1%の人間の言いなりになる必要があるのか。皆、神の御前で平等につくられた「人間」にすぎません。だからこそ、日本人としてのプライド=大和魂を取り戻し、自分たちの生き方を変え、物事をよく見聞きし、感じ、考えて、危険なもの、おかしな事には抵抗して、立ち上がらなければなりません。これ以上言いなりになるのなら、日本という船は沈没してしまいます。
それでも私たちクリスチャンは、全ての人間が神の支配下にあることを知っているから平安でいられます。助け主聖霊によって、危険を察知し、言いなりになることなく、逃れる道も常に与えられてきました。マインナンバーカードも、2月の集会でイエス様が牧師を通して危険だとおっしゃり、「今の政府が信用できない」という理由で、皆返納しに行きました。それから数か月後には今のあり様です。闇が暴かれ、ここから世界がどんどん変わっていく中で、来年の秋に保険証と結び付くのか、この日本がどうなっているのか分かりません。政権一つ変われば、決まってきた法案も覆されていきます。だからこそ、クリスチャンは現状に振り回されたり、この世のことで煩う必要はないのです。それよりも、激動の時代の中で、身を守るだけでなく日本を取り戻すことをを求めること、自分が神の御前で妥協していないか、問われている部分がないか吟味することのほうが重要であると語られました。
 
この地上で与えられた70年~80年の命をどう生きるのか、全ての人間は神から心を見られ、試みられる人生です。そして、【わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。】とおっしゃったイエス・キリストを信じて地上を去る者だけが天国に行き、信じなかった者は地獄に行くことが定められています。
今週の集会では、箴言2章から私たちの人生を神から離して狂わせる遊女の霊について確認し、神・イエス様との関係が第一であると語られました。
 
箴言2章
わが子よ、もしあなたがわたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。彼は正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。そのとき、あなたは、ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。これは知恵が、あなたの心にはいり、知識があなたの魂に楽しみとなるからである。
慎みはあなたを守り、悟りはあなたを保って、悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、その道は曲り、その行いは、よこしまである。慎みと悟りはまたあなたを遊女から救い、言葉の巧みな、みだらな女から救う。彼女は若い時の友を捨て、その神に契約したことを忘れている。その家は死に下り、その道は陰府におもむく。すべて彼女のもとへ行く者は、帰らない、また命の道にいたらない。こうして、あなたは善良な人々の道に歩み、正しい人々の道を守ることができる。正しい人は地にながらえ、誠実な人は地にとどまる。しかし悪しき者は地から断ち滅ぼされ、不信実な者は地から抜き捨てられる。
 
アーメン。
何度も同じ過ちを繰り返してはぶどうの木に戻ってきていたA姉妹は、過ちを犯すきっかけにいつも母親が使われてきました。それが箴言2章に出てくる遊女(の霊)であると語られました。自分を乳児院に入れた母親とは、母子関係をうまく築いてはこれませんでしたが、A姉妹は神の家族がどれだけ愛を注ぎ出しても、肉の母親を求めてしまい、その母親の言動に翻弄されてきました。今回も母親が介入してきたことで、せっかく立ち上がろうとしてきた土台が崩れてしまい、同じ過ちを犯したため、牧師、兄弟姉妹からみことばと共に訓戒されました。
肉の思いが強い時は、訓戒に対して、“皆は私が嫌いなんだ”と誤解し、悪態をつくA姉妹でしたが、頭を冷やして落ち着いてくると霊の思いに満たされ、皆からもらったみことばを読み始めました。そして、【わが子よ、主の懲しめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。】(箴言3:11~12)と書かれてある通り、戒められることが愛なのだと分かっていきました。それでも同じことを繰り返す自分は皆のもとに戻っていいのか、戻るべきなのかと頭の中でグルグル考えていたそうですが、聖書を開く思いになり、与えられたのがこの箴言2章と続く3章12節までだったのです。
 
箴言3:1~12
わが子よ、わたしの教を忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。そうすれば、あなたは神と人との前に恵みと、誉とを得る。
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。あなたの財産と、すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。わが子よ、主の懲しめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。
 
アーメン。
A姉妹は、この箴言2章から3章のみことばがスッと霊に入ってきたそうです。そして、自分に関わってきた人たちを裁き憎しむ気持ちから、“私が最初に変わって皆を救わなければ!肉では苦しい状況だけどこれを乗り越える!”と思えたそうです。
牧師はA姉妹の思い(悔い改め)とみことばを受け、まずはA姉妹が聖書を開く意志を持てたことが霊は神の子である証拠であるとイエス様に感謝を捧げ、改めてクリスチャンの初歩の教えをして下さいました。
 
クリスチャンは、救われた時に家系・家族から出て“個”となり、肉親の関係より神との関係が一番になります。十字架があらわすように、私たちは縦がイエス様と自分の関係、横が家族・隣人と自分の関係であると教えられてきました。A姉妹は母親が遊女の霊につかわれると、慎みと悟りを忘れて縦の関係がなくなり、横の関係しか見えなくなり、富と自己愛がカシラである遊女のみだらな言葉にだまされてきました。遊女の霊は聖霊の知識と知恵に至らせず、視野が狭くなって圧迫されていきます。そうなると滅び・陰府にまっしぐらです。
A姉妹が教材となり、私たちも神・イエス様との縦の関係が一番でなくなると、この世(常識、教育、医学、義理人情、ヒューマニズム、道徳教育)や周りの言動に流されてしまうのだと語られました。(先述した通り、道徳教育は日本人を正すものでしたが、道徳教育がカシラになると神の愛や力が見えなくなることがあります。イエス様のみことばと照らし合わせて善悪を判断することで、真の道徳教育に至れるのです。)サタンは神との縦の関係を捨てさせ、横の関係だけに戻してこようとしてきます。だからこそ、サタンにすきを与えないために、横の隣人との関係を整えたいのであれば、まず縦の関係を強固なものにするのです。イエス様との関係を築いていくのには忍耐が必要ですが、忍耐の先には平安な義の実を結ぶことができます。イエス様は心から喜びを与えて下さいますから、忍耐する期間はあっても、圧迫、恐れはありません。喜びがなくなるなら、独り善がりのカルトになっているため、遊女の声を聞いていないか、立ち止まって吟味し、命の道に戻らなければなりません。
 
生きた神との交わりは死ぬまであります。その中で、神に生きるために私たちは律法によって律法に死にました。どんなに借金があっても、病気の体でも、人間関係の不仲を抱えていても、それはこの世の律法であって、私たちはその律法にとらわれる必要はありません。縦の関係が強固であれば、これらの問題は神の力と聖霊の知識と知恵によって解決されていくのです。それゆえ、どんな状況になっても、巧みな遊女の霊に惑わされる事なく、主に信頼し、慎みと悟り、みことばに留まらなければならないと語られました。
血肉の戦いをして相手を憎んだり裁いたりするのではなく、神との関係を握りしめ、心をつくして主に信頼していれば、善良な人々の道に歩み、正しい人々の道を守ることができます。いつくしみと、まこととを捨てなければ、神と人との前に恵みと、誉とを得ることができます。そのようにみことばを通して語られ、神との関係の大切さを再確認しました。
A姉妹も「みことばの解き明かしを聞き、遊女の霊・サタンがもってきていること、そこに流されたら滅ぼされていくこと、サタンに打ち勝ち、霊を強くイエス様との関係をしっかりと保ち、どんな時でも縦のイエス様の関係が一番でなければ何もできず、周りの人も救えなくなること、わたしが変わり、慎み悟りを得ることができたらイエス様が周りも変えてくださるのだと語られ、感謝でした!そして、愛するものを主イエス様は訓戒をして訓練していくこともアーメンでした。横の人、周りの人がどんな事を言っても1番はイエス様を信頼し、縦の関係がしっかりと立っていれば、どんな時でも守られることにアーメンでした!」と集会後に感想をくれました。あわれみは裁きに打ち勝つという先週の教えをまずは私たちが神の家族がA姉妹に注ぎ出し、A姉妹が集会に戻れたことを感謝します。そして、ここからはA姉妹が自分が受けた愛とあわれみを注ぎ出して裁きに打ち勝ち、すべての道で主を認め、主を恐れて悪を離れ、歩んでいけたことを感謝して祈ります!
 
さらに神がいかに偉大な方であるのか、クリスチャンに対するあわれみと勝利のみことば・預言を、旧約のホセアと詩篇を通して与えられました。
 
ホセア10:12
あなたがたは自分のために正義をまき、いつくしみの実を刈り取り、あなたがたの新田を耕せ。今は主を求むべき時である。主は来て救いを雨のように、あなたがたに降りそそがれる。
 
詩篇121:1~8
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。
 
アーメン。
静岡は土曜日に大雨だったこともあり、ホセアのみことばから救いの雨であったこと、今は主を求むべき時であり、新田=まだ福音を聞いたことのない人々にますます福音を宣べ伝えていかなければならないと語られました。そして、私たちが主の御心を行う時、助けは主から来ることを詩篇のみことばを通して確認しました。
 
そして、新約の使徒行伝からもこの時代に対する預言が与えられました。
 
使徒行伝13:16~35
そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。
「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。
 
使徒行伝13:42~49
ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。
次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。主はわたしたちに、こう命じておられる、
『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。
異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。 
 
アーメン。
私たちは霊的イスラエル人と語られてきましたが、神は私たち日本人を選び救ってくださり、神の心をことごとく実行する者として召してくださいました。エジプトで囚われていたイスラエル人が神によって導き出されたように、私たち日本人も弱体化させるサタンの策略、霊力を足の下にして、日本を取り戻すために立ち上がらなければならないと語られました。
この6月は、旧約、新約の預言を通して、勝利の月であると語られています。イエス様にも天の父との縦の関係があり、イエス様が天の父の御心に従って十字架にかかり、死人の中から復活されたことによって、全人類は罪のゆるしを得、神の言と、栄光、力は、全世界に宣べ伝えられるに至りました。その福音を侮る者たちは滅び去れと神ははっきりおっしゃっていますが、私たちは滅びる者を見つけるのではなく、救いに至る者を探し求めて福音することに意志を向けることが任務です。神との縦の関係があることを伝えるのが福音です。肉体があるのは横の関係を築き、福音を伝えるためです。遊女に門を開かず、主を喜ぶことを力にして、6月も福音宣教に励み、多くの異邦人が救われたことを感謝して祈ります!