今週のぶどうの木メッセージ

 
 

「齊藤諒の生きる力」本日発売!!
2017/9/1 ブログより

 
本日、「齊藤諒の生きる力 四肢麻痺と人工呼吸器装着の僕が伝えたいこと」が、全国書店にて発売されます!!amazonでもお買い求めできます!
 


 
運命を変えて、天命を生きる!
16歳という若さで四肢麻痺となった著者が綴る、渾身のノンフィクション。
「死んだましだ!だからといって自分で死ぬこともできない・・・・・・この前まで、大好きな野球に明け暮れていた自分が、こんな身体になるなんて!」
絶望の淵から救ってくれた「聖書」の教え。
苦しみの中で希望を得た著者が今、この時代を生きる人たちにもっとも伝えたいことを書く。


著者の齊藤諒兄弟からです。

待ちに待っていたこの日がいよいよ来ました。

イエス様は僕にとって新たな一歩を与えてくれました。

マタイによる福音書5章14節~16節
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

聖書は真っ暗だった僕の心に光を与えてくれました。

今度は僕が聖書の光を伝え広げていきます。

イエス様、文芸社の皆さん、ぶどうの木の神の家族たちに、感謝です。ありがとうございました。

これからも感謝し福音していきます。

全ての栄光をイエス様に帰して。

アーメン。


ぶどうの木10年目最後の日という素晴らしいタイミングで、イエス様はこの本を出版させて下さいました。
読者の皆さんに「生きる力」を与える一冊です!!
ぜひ、ご一読ください。

イザヤ12:3~6
あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。その日、あなたがたは言う、「主に感謝せよ。そのみ名を呼べ。そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。そのみ名をあがむべきことを語りつげよ。主をほめうたえ。主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。これを全地に宣べ伝えよ。シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」。

アーメン!
 
 
 
 

時代の転換期―神に臨まれ用いられる器―
2024/2/19ブログより

 
 
holygirlです。
 
2007年4月に私が幼稚園教諭を辞め、後に牧師となる母と共にクリスチャン書店「大空」で働き始めた時、書店に置かれている『神学校問題への提言―諸集会の間に「聖書に反する方法」が広まることへの警告―』(マイケル・ブラウン著/伝道出版社)という冊子に目が留まりました。その冊子には次のような事が書かれていました。
 
『彼らはすぐれた知的能力と学識を持っていたが、集会の中で認められたものは、学問的な能力ではなく、霊的な賜物のみであった。「集会の草創期」の指導者や教者たちは(他人と比較した場合)「霊的な巨人」であったが、神学博士といったような学位や称号を用いた者はその中に一人もいなかった。それどころか、そのような「名誉」を押しつけられたとき、彼らはその受け入れを断固として拒否したのである。彼らは有名になりたいとも思わなかった。教者としての信用をさらに高めるために、自分の名前に学問上の肩書きを付け加える者が多かったが、彼らはそのようなことには見向きもせず、それどころか、自分の著作に自分の姓名の頭文字だけしか書き込まないのが普通だった。彼らが与えようとしていた教訓は次のようなものであった。すなわち、自分たちが提供しているのは聖霊の教えであり、自分たちはそのための単なる「管」にすぎず、したがって自分たちの教えは聖霊の霊的な力と魅力に基づくということだった。
以上、書き記したことは、現在、私たちの間で行われていることと何と大きな違いがあることだろう。一般の「教会」では、どのような肩書きや学位を書き添えることができるかによって、一人の人間の地位や評判があらかじめ決定されているのである。そのような肩書きを与えてくれる教育機関への参加を奨励することは、そのような態度を助長することになる。このようなことはあるべき姿ではない。』
 
ぶどうの木牧師は聖霊を教師として学んできたため、神学校で学んだことはありません。なので、神学を教えている既成の教会とは全く違う形式で集会(礼拝)を行なっています。その集会に参加して下さった牧師方からは、「ぶどうの木は初代教会のようだ」と言われてきました。逆に、かつて肉と霊の聖別の訓練に耐えられず群れを出て行った羊たちの悪口だけを聞いた牧師方からは、神学校を出ていない牧師が牧会しているという事で、「異端・カルト」と言われてきました。しかし、木は実で判断します。自分の教会の羊が良い実(証)を成らせ、この教えを受けたことで180度変えられているか、状況・状態が悪くなっている人はいないか、それによって神に喜ばれる教会であるかを吟味してきました。
そして、この冊子の内容を受け、世の中の教会の在り方と違うから、牧師が神学校を出ていないからと言って、異端・カルトではない事、聖霊によらなければ牧会はできない事、牧師は神学を教えるのではなく、常に自分の感情・意見をゼロにしてイエス様に自分自身を明け渡し、羊とイエス様の間の「管・透明なストロー」となって、羊に100%聖霊からの聖い水を流し出すことが必要である事を知りました。自分の地位、名誉など当然求めません。名前を明かすことすら、神から忌み嫌われることです。ぶどうの木牧師も、自分の名前を明かすことには慎重になってきました。全ての栄光をイエス様に帰さなければ、高ぶり誇り、サタンに倒されてしまうからです。
また、悪霊の存在を伝え、悪霊を追い出しているだけ、異言を語るだけで「カルトだ」と言う人もいますが、その判断も大きな誤りです。神学校の弊害を痛感します。悪霊の追い出しと異言は、使徒行伝の時代で終わったのではなく、今の時代まで続いています。現に私たちはそれを行い、証明しています。
 
そもそも、カトリックが教理を自分たちの都合に合わせて変え、教えるためにつくったのが神学校です。まさに聖霊の教え、聖霊の力を奪うサタンの策略でした。
神学を学ぶだけでは霊の世界は見えませんし、自分の知性と感情がしっかりとある古い革袋に教えを入れているだけでは、神の言が臨んでも自分の肉が反発し何も変わりません。運転席をイエス様に明け渡さず、イエス様を助手席に座らせて自分が運転の主導権を握っているクリスチャンは自分の願いだけを叶えてほしいご利益宗教をしているだけです。しかし、それは神の御心ではありません。聖霊のバプテスマを受けて聖霊の力を得、古い革袋を捨てて新しい革袋に教えを入れるクリスチャン、自分がまず変わる意志を向けるクリスチャンだけが、霊の世界における聖霊対悪霊の戦いに勝利し、神の御心を行なうことができます。古いものが過ぎ去らないまま、握ったものを持ったまま(自分が何を握っているか気づかないまま)では、主が臨んで下さっていることが分かりません。先週は、韓国から来た兄弟姉妹たちを迎え、毎日様々なメンバーで交わりましたが、振り返った時、聖霊の霊的な力と魅力に基づく管となって、自分自身をあらわせていたか、自分の証を積極的に語ることができていたか問われました。
“私”というものがすっかり無い自分かどうか、神に降参して、自分を明け渡せているか改めて吟味するところから、今週の集会は始まりました。
 
第2コリント4:7~10
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 
 
アーメン。
このみことばは、先週の集会で与えられたみことばでもあります。私たちは今まで「牧師=イエス様」という言い方(書き方)をするたびに、牧師とイエス様は同等ではないと批判を受けてきましたが、イエス様が牧師を通して100%表されていること、イエス様の命が牧師の身に現れていなければ、牧会も、福音宣教も神の御心を行なっているとは言えないと、私たちはこのみことばを通して教えられてきました。牧師が自分の義で、自分の心・相手の心を基準に「こうすれば良い」と意見を言い、自分が良かれと思っていることを行うだけ、自分の力で何とかしようとしているだけで、みことばに戻ることをしていないのであれば、信徒が良い実を結ぶことはないのだと語られました。【心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。】(エレミヤ17:9)とはっきり書かれているのに、なぜみことばではなく、心を基準に生きているのか、相手の心の状態に左右されているのか・・・心に忠実に生きることがいかに恐ろしいことであるかは、救われる前の自分の人生を振り返ればよく分かるはずです。やりたいようにやって、好き勝手に生きてきて、心に、体に、たくさんのものを刈り取り、一歩も行けないところから救われたはずです。心に従って生きる者のカシラはサタン・悪魔です。人間は簡単にサタン・悪魔に支配されていきます。社会的には、その最たるあらわれが、LGBTQ容認です。広島でのG7サミットに間に合うようにと、LGBT法案を可決した日本ですが、ふたを開けてみれば、法律にしたのは日本だけです。それによって、今や心が女だと主張する男性が、女湯に入ってきても罰せられない社会になってしまいました。性転換していなくても、“心”の主張が通るのです。
LGBTQ当事者は、嘘つきの声を聞かされてサタンに翻弄されている被害者です。心の主張を受け入れるのではなく、神が与えた本来の性別と、そこに伴う心をもって生きられるように、福音宣教し、悪霊を追い出していくことが私たちクリスチャンの役割であると、ずっと語られてきました。
 
改めて、牧師だけではなく、全てのクリスチャンがイエス様の死を身に負い、イエス様の命を身に現さなければならないと語られました。そうなれてはじめて、神の力を周りの人々に知らせ証明することができます。自分が自分の肉の思いを出して相手に語っても、相手は教えを押し付けられているだけだと不快に感じ、語れば語るほど嫌悪感を抱いてしまいます。相手のことを一番ご存知の神・イエス様に明け渡して語ることの大切さ、イエス様が内におられる自覚を持つことの大切さを先週に引き続き語られました。どんな語り方をしているのか、相手の状態を見て“きっとこう思っている”と占って語っていないか、語るべきことを100%語ってきたのか、日々クリスチャンとして問われることです。
 
そして、この4年間のコロナ禍を通して、クリスチャンであるかどうか関係なく、分断の霊が家庭、社会の中に動きました。このブログでも何度も語ってきたことですが、ワクチンを打つ人と打たない人の分断、マスコミの言うことを信じる人とマスコミが伝えない真実を得て信じる人との間の分断、「ワクチンをこれ以上打たないで!陰謀論じゃないのに、なぜ分からない!?」と目覚めてきた人々は必死に訴えますが、必死になればなるほど、ワクチンを打ってしまった人、マスコミの言うことを信じる人は嫌悪し、「陰謀論者だ!これ以上言うのはやめてくれ!」と怒り、家族関係、人間関係に亀裂が生じていきました。聞ける人と聞けない人・・・神が一人一人の心を試し、ふるいにかけられている期間であると私たちは痛感してきました。
 
その中で、ついに、世界が転換期を迎えたと言われる大きな出来事がありました。それが2月6日に行われたロシアのプーチン大統領と、アメリカの保守派政治コメンテーター(元FOXニュースの看板キャスター)であるタッカー・カールソン氏の2時間以上に及ぶ対談です。本当のことが知りたくて、世界中が注目していた対談は、すでに2億6千万回以上再生され、トランプ氏とカールソン氏の過去の対談動画の再生数(2億回)を越えています。ロシアの歴史、ウクライナとの戦争、ノルドストリーム爆破、米ドルの縮小、ロシア国民のアイデンティティなどについての話題となり、その中で、CIAや、このブログでも伝えてきたディープステート・闇の権力者の存在が様々な出来事の背後にあると明かされました。日が経つにつれ、対談内容を多くの方が翻訳したり、解説動画を出したりしています。一つ前のブログでは、ぶどうの木の諒兄弟もブログにまとめていますので、ぜひ、そちらもご覧ください。
 
おそらく日本人の多くは、今までマスコミの偏向報道や、歴史認識の中で、ロシアに対して良いイメージを持たずにきたと思います。相変わらず、日本のマスコミは今回の対談についても、プーチン氏に対して批判的な角度で報じていますが、私たちはこの対談を通して、ロシア人の国民性、プーチン大統領の考えが明確に分かり、トランプ氏同様、自国のことを良く知り、一番に考えている賢い大統領であることがよく解りました。しかし、翻訳者、解説者が2人の対談を聞いても、真意が分からないと言われる発言もあります。なぜなら、プーチン大統領は、ロシア正教会(ローマカトリックの教理に対抗してできたギリシャ正教が土台)のクリスチャン、カールソン氏は、聖公会(プロテスタント)のクリスチャンであり、クリスチャン同士の対談でもあったからです。根底に聖書・キリスト教精神があるうえでの質問、考え方があり、それはクリスチャンにしか解き明かせないことでありました。
先週、韓国の兄弟姉妹を迎えた集会で、ぶどうの木牧師は、神の霊・聖霊によって、二人の対談をいち早く解説されました。今最高に神に用いられている2人が語ったことは、目には見えない霊の世界、イエス様・聖霊対サタン・悪霊の戦いについてでした。霊の世界にこそ真実があり、真理が隠されています。目に見える様々な出来事の背景にある巧みなサタンの策略を分かって話をしているからこそ、霊がよみがえっていない人間(イエス様を救い主として受け入れていない人間)には理解できない事があったのです。
 
カールソン氏の鋭い質問に、賢く答えるプーチン大統領の対談でしたが、2人があえて話題にしなかったことがあると言われています。それは、2020年9月30日に行われたプーチン大統領の演説の中での「これは人間対人間の戦いではなく悪、悪魔崇拝者との戦いである」という発言です。カールソン氏も、同じような発言をしたことがあります。サタンに魂を売り渡した人間がこの世に存在し、悪魔崇拝者(サタニスト)として、子どもを殺して生贄にし、食する儀式を行っている事実。人間を人間だと思わず、「グローバリズム」という言葉のもとに、1%の権威ある者(悪魔崇拝者)の支配下に99%の人間を置き、世界を一つにしようとする動きがあること。現世界人口約80億人を5億人しようとしている人口削減計画があること。その計画の一つとして、コロナウイルス、コロナワクチンという生物兵器がつくられたこと。二人の認識はそこにありました。
そして、ロシアは自分の領土を拡大するためにウクライナに侵攻したのではなく、ウクライナに生物兵器製造工場があることを知り、それを爆破するために入ったのです。さらには、悪魔崇拝者の生贄とされてきた小児たちを誘拐して監禁し、人身売買して、小児性愛者の性欲を満たしてきた地下基地もウクライナにあったため、それを爆破し子どもたちを救出する目的もありました。子どもの人身売買の背後には、元アメリカ大統領のオバマ氏や、現大統領のバイデン氏一族が関与していたことがすでに明かされています。グローバリストと言われる世界のトップ、西側諸国の人々のとんでもない悪事と戦ってきたのが、プーチン大統領であり、トランプ氏であり、それ(サタン・悪魔崇拝者たちとの戦い)を、聖霊により祈りで支えてきたのが世界のクリスチャン達なのです。先に書いたLGBTQ容認の動きの最終目的も、小児性愛者の欲求を満たせるよう、何歳同士でも年齢に関係なく結婚できる世の中にすることだそうです。こんなことは許せない!!と立ち上がる人間がなぜ「差別するな!」と周囲に言われるのか。差別ではなく、「男は男、女は女」と区別された社会に戻すことに批判が集中する世の中、人々こそ、すでに悪魔崇拝者たちの支配下にいることを知らなければなりません。
 
日本も韓国も、西側諸国、特にアメリカの言いなりであり、実質植民地状態でここまで来ました。文化も食べ物も欧米化し、日本人の腸に合わない小麦粉主流の食事によって、癌患者が今や二人に一人、さらに潰瘍性大腸炎、クローン病という難病に若くしてなる人も増えています。そして、日本人には今や若い世代ほど愛国心や、アイデンティティというものがありません。韓国には兵役義務がありますが、日本の若者は「国のために命をかけて戦うなんてあり得ない!そんなことになったら逃げる!」と言います。自国に無関心になればなるほど、どんどん他国にひそかに侵略されていっています。日本を平気で他国に売ろうと考える売国奴・政治家たちもいます。
 
また、日本人は、ウクライナ対ロシアの戦争は、ロシアがある日侵攻して始まった、ウクライナ人がかわいそうだと洗脳され、ウクライナに対して多額の支援を行ってきました。他国は、すでに支援をやめているにもかかわらず、日本だけはいまだに国民の血税から支援を続けています。それによって戦争を継続させれば、たくさんの兵士がさらに犠牲となり、日本人は人殺しに加担することになりますし、戦争をして武器でお金を儲けたいネオコン(アメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想)に、裏金・資金を提供しているだけになります。正月に能登半島地震が起きた日本です。日本国の復興を第一に考え、そこに税金を投じてまず日本国民の生活を守ることを考えるべき政府が、完全にアメリカのポチ、ウクライナ(バックにアメリカがいる)の言いなりです。しかし、国民が声を上げないから、それ以前に知識がなく、この異常さに気付けていないから、好き放題されているのです。
余談ですが、たった半年行われる大阪万博にもどれだけのお金が投じられるか知っていますか?デザイナーズトイレ1つに2億円です。それを6つ建設予定だそうです。大阪維新の利権、万博後に総合リゾート・カジノが控えているから、やめられない利権だそうです。何に税金を使っているのか、大阪府民が知ったらアホか!!の話ではないでしょうか。
 
日本人が聖書を知らずに今だけ金だけ自分だけになっている間に、知っているはずのクリスチャンも、本来神から与えられた働きをしていない間に、とんでもない社会、世界になっていることを思い知らされている今です。お金に頼り、必死に貯金をしていても、基軸通貨が米ドルではなくなる時がすぐそこまで来ているとも言われています。この時代の変化に、どれだけの日本人が適応できるでしょうか。自国発信のテレビや新聞という狭い視野で、情報を得ていても、井の中の蛙で取り残されていくでしょう。他国に頼らず、それぞれの国の民が立ち上がり、おかしい事はおかしい!と言って、自分の国をグローバリストたちから守って、国力をつけていく事が求められる時代の転換期であることを、一人一人が痛感しなければなりません。そして、立ち上がらなければなりません。
 
聖書が教える世界が一つになる事と、グローバリストたちが言う一つになるとでは全く土台が違います。聖書は、ヨハネ17章に書かれてある通り、イエス・キリストをカシラに、霊によって一つになること、自国を守り、他国を尊重して、一つの家族のように互いに愛し合うことを教えています。皆がその土台に立たなければなりません。しかし、その教えさえも、神学校の存在によって、教団教派が生まれ、クリスチャンという世界であっても一つになれず、分裂が生じているのが現状です。どれだけのサタンの策略が巧みに張り巡らされてきたことでしょう。分断と分裂を繰り返し、人類が一致団結して向き合うべき敵・サタンに目を向けられないようにさせられてきたのです。
プーチン大統領とカールソン氏の対談では、悪魔崇拝者の存在とコロナウイルス・ワクチンは生物兵器であるという真実は話題にされず隠されることになりましたが、最終的に人類に明かされるのは、サタン・悪霊の存在とその働き、そして聖霊の力であると、私たちは先週、今週の集会で語られました。今こそ、聖霊のバプテスマを受け、血肉の戦いをせず(人を見ず)、悪霊を見極められるクリスチャンが必要です!
そのようなクリスチャンは神学校で神学を詰め込み、聖書通読をしているだけでは育ちません。聖霊に支配された霊の交わりからみことばを学び、その中で生まれた証を聞いたり、自分自身が実際に聖霊対悪霊の世界を体験体得することで、成長していくことができます。人間は皆、救われる前はこの世の神であるサタン・悪魔を崇拝してしまう悪しき心を持っていますが、救われ、その心をまっすぐに神に向けるなら、神の的を射た人生を新たに歩むことができ、どんな病気も癒され、健康を勝ち取ることもできます。
 
詩篇22:25~31
大いなる会衆の中で、わたしのさんびはあなたから出るのです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。
 
詩篇23:1~6
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴(供給の食卓)を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
 
アーメン。
私たちクリスチャンには、霊の糧であるみことばを得ることのできる宴・供給の食卓が必要です。こうべ=頭は、一番の戦場になります。読むものや関わる人との交わりが悪ければ、どんどん自分なりの意見が生まれ、混乱させられ、真理の教えから離されていってしまいます。霊のことをストレートに教え導く牧師の言うことに反発したくなり、裁くようにもなります。ですから、頭ではなく、自分の霊が語っていることに目を向け、常に生ける水の川が霊から流れ出る器となるために、神が人や物事を使って何を語って下さっているかを、まずは感じられる魂を持たなければなりません。魂を殺して感じる心を失えば、周りが見えず、独り善がりのカルトになっていきます。また、「イエス様を信じているけど、自分には何も起こらない」という羊がいますが、そんな事は決してないとぶどうの木では断言できます。感じる心が欠けているだけ。肉が強すぎて聖霊の導き、神の御業を悟れないだけです。
 
今週の集会では、最後に牧師の潰瘍性大腸炎からの癒しと解放の証を改めて聞くこととなりました。いつお腹が痛くなるか、下痢をするか分からなければ、出掛けること、食べることに恐れが生まれ、どこに行ってもまずトイレを探すようになり、一生治らないと宣告されたことで先の人生に対して悲嘆的になっていきます。食べるという事は、神が人間に与えた楽しみでもあり、食欲は3大欲求のうちの一つでもあるわけですが、自分の体のことを思い、何をどのように食べるのか、自由な発想をもって食することは、みことばを頂く姿勢にもつながるのだと語られました。暴飲暴食は体(神の宮)を破壊しますが、“これを食べたら気持ち悪くなりそう”、“やせている方が楽”という先入観から、喜んで色んなものを食べれないことも、同じく神の宮である自分の体を破壊することです。ある姉妹は、そのような先入観を持ち続けてきたために、メタトロンを5回受け、5回とも感情面で「けち」という診断を受けました。韓国の姉妹と交わる中で、それは食べることに対して霊的に「けち」になっていたと解き明かされました。暴飲暴食は、みことばの意味を深く理解しないまま、ただアーメンと受けているだけで実を結ばない状態と同じですし、偏食は「このみことばは受け入れられない!」と、自分の意見を言って拒んでいることと同じであるのだと語られました。せっかく与えられている集会、交わりの席=供給の食卓についても、自分の考えややり方を握っていては、何の益にもなりません。聞いて終わりではないですし、聞いて文句つぶやいているなら聞かない方がいいと言われるでしょう。聞いたら、守り行なうのがクリスチャンです。
 
私たちは、内に頂いた神の賜物を燃え立たせて日々生きているか、自分が置かれている家庭や職場、学校のため、また日本社会のため、世界のために異言でとりなし祈ることができているか、み使いが陣をしいて仕える自分であるか、何も握らず、喜びの油を多く注がれ、イエス様のために生きているか、イエス様と共に歩むこの世の旅人となれているかと牧師から問われました。そうでなければ、この時代に主の宮に住んでいるとは言えません。コロナワクチン接種を拒んだことがきっかけで長年通い続けた教会から出され、ぶどうの木に導かれた姉妹は、今週の集会でのメッセージを受け、「今までは牧師の言うことに従えた達成感、人と比較して、他の兄弟姉妹はできなかったけど自分はできたという喜びしか分からなかったが、ぶどうの木に来て、主の中にある自由と喜びを教えられ、日々喜んでいられる自分がいる。律法にとらわれると自由がなくなる」と証してくれました。神学だけでは、信仰生活における喜びを感じることはできません。一人一人が自分の日常生活を反省するに至った集会となったことに感謝し、主を知る知識が地に満ちる今、全世界にいるクリスチャンが聖霊充満の今週、毎日であったことを感謝して切に祈ります。そして、聖霊のバプテスマを受け、聖霊と悪霊の教えを知っているクリスチャンとして、この時代に皆がしっかりと置かれた場所で神の召しをまっとうし、聖霊の力を行使できたことを感謝します!!
 
第2テモテ1:6~14
こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。わたしは、この福音のために立てられて、その宣教者、使徒、教師になった。そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。あなたは、キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもって、わたしから聞いた健全な言葉を模範にしなさい。そして、あなたにゆだねられている尊いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。
 
アーメン。
 
サタン・悪霊の存在と動きについて詳しく知りたい方は、ぜひ、トラクト『あなたを苦しめているのは誰』をご一読ください。