東北地方太平洋沖地震において被災されました皆様方に
心よりお見舞い申し上げます。

 
 
今、私たちにできること・・・2011年3月11日以降、毎日一度はこの言葉を耳にし、考えさせられるようになりました。被災地の皆さんは、絶望と悲しみの中にありながらも、国内をはじめ世界中からたくさんの支援を受け、励まされながら力を合わせて立ち上がろうとしています。そんな姿を見聞きしている今、私たちは自分達の知っていることを伝えずにはいれません。
皆さん、聖書を読まれたことがありますか?聖書には、過去、現在、そして未来のことまでもが、神様から人間に宛てられたラブレターとして書かれています。ですから、今回の地震、大津波、原発の問題、そこから広がる様々なききんや疫病についてもはっきり書かれているのです。世間が、「想定外」と言っていることが、聖書を読んでいる私たちには、全て「想定内」のことでした。

マタイ24:16~21
『預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取りだそうとして下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起こるからである。』

聖書に書かれてある通りのことが起こった今、神を恐れるしかありません。人間は、神に対しては無力でちっぽけなものだと痛感しました。被災地の皆さんは人の力に助けられ、その愛やあたたかさによって励まされて日々を過ごしていることと思います。しかし、これから復興のためにどれだけの時間と年月がかかるか分からないのが現状です。人はどこまで愛と善の気持ちで寄り添い続けることができるのでしょうか?もはや、被害は被災地だけにとどまらず、世界規模へと進展しています。そんな中で、被災地の皆さんの苦しみや絶望を、この国は全て受け止めていけるのでしょうか?実際には、私たちが知らされていない現状がたくさんあるはずです。さらには、被爆の恐怖から救い出すことも、被爆された方をいやすことも私たちにはできません。また、いつどこで起こるか分からない地震や津波を止める事すらできません。人間の愛だけでは、守ることも助けることもできないことだらけです。
しかし、この全ての問題を解決できる方がたった一人だけおられます。それは、神様と私たち人間の仲介役であり、神の長子であるイエス・キリストです。被災地の皆さん一人一人の心の奥底に秘めた苦しみも悲しみも、全て受け止め解決して下さいます。イエス様が十字架にかかって流された血は、被爆からあなたを守ります。被爆した方を癒す力があります。危険と言われている食糧や水を摂取しても、害を及ぼされることはありません。「イエス様の十字架の血をかけます」と、言葉にするだけで全てが清められ、周りがどんな状態であってもあなただけは守られるのです。私たちは、そんな世界中で一番優しくて、全ての不安や苦しみから救い出して下さる唯一の神を知りました。あなたを守るのは、仏壇でも神棚でも先祖(お位牌)でもありません。それらは津波が来たら簡単に流されてしまいました。お寺も神社も、被害にあいました。でも、イエス・キリストは違います。この先どんなことが起きても(聖書には、これからもっとひどいことが起こってくると書かれています)、24時間365日あなたの内に住み、共におられる神様です。絶対にあなたから離れません。裏切りません。必ずあなたを守り、正しく安全な道に導いて下さいます。恐れも不安もない、全てが想定内の人生を歩けることほど平安なことはありません。被災地の皆さん、今、ここからでも遅くはありません。イエス様は、万事を益に変えて下さる神であり、無から有を生み出す神です。イエス様に従っていけば、新たなスタートをきることはたやすいことです。これだけ強く言いきれるのは、私たち自身が、イエス様からのたくさんの祝福と、この方を信じて間違いない!という確信を頂いているからです。このすばらしい特権は、全ての人に平等に与えられています。だからこそ、私たちは、まだほとんどの日本人が知らないこの重大な知らせを、まずは被災地の皆さんに一刻も早く伝えたいと思いました。なぜなら、これが「今、私たちにできること」だからです。
ぜひ、このホームページをご覧になって、イエス・キリストの力を知って下さい。被災地の皆さんが、今起きている全ての現状から解放され、神の大きな愛の内を歩いていかれることを心から祈っています。

「ぶどうの木」一同より

イザヤ65:1
『わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、「わたしはここにいる、わたしはここにいる」と。』

エレミヤ29:10~14
『主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈りを聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。』


聖書は、この先何が起こるのかを預言しています。興味のある方は、続けてお読み下さい。

マタイ24:16~31
『預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取りだそうとして下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起こるからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民(イエス様を信じるクリスチャン)のためには、その期間が縮められるであろう。
そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡を行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が「見よ、彼は荒野にいる」と言っても、出て行くな。また「見よ、へやの中にいる」と言っても、信じるな。ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。』