イエス様と共に生きる

 
 
私はイエス様に救われて、聖書を学んで10年になります。
ですが、この10年間クリスチャンとしての生き方が全くできていませんでした。

2018年1月14日父が帰天しました。

イザヤ40:1~2
あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」。

牧師から父の死について解き明かしをしていただき、この御言葉から父は天国へ行けたのだとイエス様に感謝をしていました。

(詳しくは、ブログ「秩序正しい神②-兄弟の召天-」をご一読下さい
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しかし、霊では理解していても自分の肉は、なかなか父の死を受け入れられず、「今まで仕送りしてくれていたお父さんが死んだら、私の夢と生活はどうなるの?全部終わりだ。私が結婚するとき、バージンロードをパパと歩けない」と、言って自暴自棄になり父の死に嘆き悲しみ、結局、父の病気が治らないなら、交通事故で四肢麻痺となった弟だって、立ち上がれるわけがないとイエス様を裁きました。「これからどうなるの?」と、自分の事しか考えておらず、自己中心的で、聖書も全く開かず安息日も求めない、やめたと言いながらずっと煙草を吸い続けていました。

父が亡くなって、ちょうど一年が経った2019年1月14日、私は昔の地元の友人から、誕生日会という飲み会に誘われました。最初は、東京から浜松へ帰る交通費が無い為、断ったのですが、「交通費も宿泊費も出してあげるから」と言われたので、その誘いにのりました。もちろん、家族にバレたら怒られると思い、内緒で浜松に帰ってきていました。パパも死んじゃったし、祈っていても何も変わらなかったし、どうせ自分もいつか死ぬなら、好きな事だけをして死にたいと思い、昔の友達からの誘いを拒む理由が見つかりませんでした。
サタンは私を滅びに導く為に友人を使って昔の思いを入れ、私はサタンの策略とも知らずに、しばらく会っていなかったのに誘ってくれてうれしいと思っていました。ですが偶然は無くイエス様は全てお見通しで、兄弟姉妹に私が誕生日の席で煙草を吸っている姿をSNSで見せました。牧師や兄弟姉妹からの戒めも、その時の私には鬱陶しく感じてしまい、そのSNSを見せられた姉妹の事を裁きました。

私は、ずっと父と同じ霊力があると言われていました。
父は、結局、自分の肉欲の強さを自制する事ができず、サタンの矢に当たり放題になっていたのです。そんな父と同じ目にあわせてはいけないと思い、神の家族、そして、肉の家族も必死になって愛で戒め、道を正そうとしてくれました。しかし、当時の私には何も響かないし、うるさいだけでした。
ずっと教えを聞いていても、煙草を吸い続けていた私は、煙草の煙に巻かれて、その時は理解しても、その教えが自分の中に留まることがありませんでした。煙草も「何が悪い」という感じでした。この世的には父がなった咽頭癌も煙草が原因でしたが、自ら自分の身体に毒を入れ続けていました。結局は、自分で目の前の煙草を止める事ができず、すぐに煙草に逃げてしまう・・・自己愛、自己中、自滅、情欲、姦淫の霊と戦う事ができなかった、自制をすることができませんでした。
やりたい事をやる!欲しい物を買う!そんな生き方を変える事ができていませんでした。救われる前にそういう生き方をしてきたから、煙草、入れ墨、覚せい剤、不倫、妊娠、中絶…今、書き記していても本当に恐ろしい人生を送ってきました。その時は、怖いもの知らずでした。本当にサタンの矢に当たり放題、その姿が、父の一年目の命日に明らかにされたのも神を畏れなくてはいけないし、神がわたしを憐れんでくれていることにも気が付かなくてはいけませんでした。飲み屋で馬鹿騒ぎをしたり、煙草を吸い続けてきたことも家族や神の家族に「バレなきゃいい」と思っていて、一番恐れなくてはいけない神は全てをお見通しだという所にいませんでした。全てが煙に巻かれ、善悪の判断をすることができませんでした。

マルコ4:21~25
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。聞く耳のある者は聞くがよい」。また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。

神は、私の心、行動、全てをお見通しであると語られました。

ヨハネ11:9~10
イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。

私が救われた時に頂いたみことばです。
このみことばを頂いた事により、中卒だった私は今までしていた夜の仕事を辞め、高卒認定を取得し今の職業に就く事ができました。
今がある事への感謝は絶対に忘れてはいけないのに、父が亡くなってからは集会に出てもブログを読んでも兄弟姉妹から戒められても、全く頭に入りませんでした。
その時に与えられていた本、「主の似姿に変えられたいあなたに」(バジレア・シュリンク著/カナン出版)が見事に今の自分の状態と当てはまっていて、これまでの肉の思いや言動を吟味しました。

『憐れみの心のなさ』

ヤコブ2:13
あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。

ルカ6:36
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

マタイ25:31~46
人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたかまた、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。

人を憐れむ心が全く無かった事に気付きました。イエス様が自分を憐れんでくださったように、自分も憐れみ深い者となります。


『恩知らず・感謝のない心』
私は今までイエス様から沢山の恵みを頂いてきました。ですが、自分の肉で気にくわないことや、イラっとする事がある度にその感謝を全部取られてしまい、イエス様・牧師・兄弟姉妹を裁いていました。

Ⅰテサロ5:16~18
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

自分が頂いた恵みにだけではなく、今自分が置かれている場所で生活ができている事、健康な身体でいられること、日々の生活の一つ一つの出来事に感謝する事。これだけは絶対に取られてはいけないことです。

 
『高ぶり・高慢』

Ⅰペテロ5:5
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。

ルカ16:15
そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。

自分は正しい、できていると思い込み、人から何か言われても素直に受け入れる事が出来ず、うるさいなといつも他人を裁いていました。しかし、人を裁くことは神の目から見たら最大の罪です。他人を裁くことをせず、愛をもって戒め、正してくれる人達へ感謝の気持ちを忘れてはいけません。

 
『肉の欲』

ヤコブ1:15
欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

ローマ8:3~9
律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。

肉の思いを完全に忌み嫌って生活ができていませんでした。気付かぬうちにたくさんの罪を犯してしまい、悔い改めにも至れないことがあるかもしれません。これくらい大丈夫なんてことはありません。日々の生活をどれだけ吟味して生活できているのか、一つ一つの行動をイエス様に聞いていくことが大事です。集会に出ているから大丈夫、ブログを読んでいるから大丈夫ではありません。自分の行動を吟味して生活していなければ、集会でメッセージを聞き、ブログを読んで頭で理解しても何の意味もありません。肉で判断することなく、霊で判断し、神に喜ばれる者となることが大事だという事が語られました。

 
私は中学生の時から「美容師になりたい」という夢をもっていましたが、高校を中退して夜の仕事に就き、年齢も20歳を過ぎていたのであきらめていました。しかし、イエス様は、高卒認定取得、東京での2年間の美容学校での学び、そして美容師としての国家資格取得、東京の美容院に就職するという夢をかなえてくれました。
美容学校に通っている間は、毎週東京から集会に出席していたのですが、就職と同時に、日曜日を聖別することが出来なくなりました。「美容院で日曜日に休むなんて無理!」と自分で決めつけ、求めることもしていませんでした。まったく、クリスチャンとして必要な霊の糧を得る事なく生活していました。ですから、段々とこの世の人と同じ生活をし、善悪の判断もできませんでした。しかし、自分の中の聖霊は、私の心に「ノック」をし続けていました。だから余計に、「集会に行ったら何か言われる」と後ろめたくなり、避けていくようになりました。そんな、私にイエス様は、父の死、SNSでの姿を通して警告されました。【安息日を聖別しなさい】と。
私が聖書を学ぶクリスチャンだという事は、職場の社長はじめ従業員のみんなが知っていました。しかし、自分から福音をすることができていませんでした。それは「何て思われるか、宗教の勧誘だと思われたくない」という思いからでした。私自身が、宗教ではなく真理、神の力を体験体得しての今があるのに、感謝もなく勝手に宗教にしていたのは自分でした。
ある日、社長に日曜集会に出るための休みをお願いしました。そうしたら、快く月2回の日曜休みを与えてくれました。しかも、その時に「日曜日に休むから、給与が減るけど」と言われましたが、集会に意志を向けたことで結局は「頑張ってるから給与は減らさない」と言われました。本当にイエス様はすごい!と思いました。

 
2019年8月4日に、水のバプテスマを受けさせていただきました。2010年8月1日に家族と共に水のバプテスマは受けていましたが、この10年間、ずっと肉欲と情欲から聖別できずにいたので、今回「変わりたい!」と思い、2回目の水のバプテスマを受けました。その時牧師を通して、イエス様から3つの御言葉を頂きました。

イザヤ48:17~19
あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。

イザヤ49:1~3
海沿いの国々よ、わたしに聞け。遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。主はわたしを生れ出た時から召し、母の胎を出た時からわが名を語り告げられた。主はわが口を鋭利なつるぎとなし、わたしをみ手の陰にかくし、とぎすました矢となして、箙にわたしを隠された。また、わたしに言われた、「あなたはわがしもべ、わが栄光をあらわすべきイスラエルである」と。

イザヤ49:5~6
ヤコブをおのれに帰らせ、イスラエルをおのれのもとに集めるために、わたしを腹の中からつくってそのしもべとされた主は言われる。(わたしは主の前に尊ばれ、わが神はわが力となられた)主は言われる、「あなたがわがしもべとなって、ヤコブのもろもろの部族をおこし、イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、いとも軽い事である。わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう」と。

私が家族三人の中にしっかりと加わる事が、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせる為に必要だったという事、そこに弟の癒しも約束されており、今までどれだけサタンが嫌がって私に攻撃をしてきたかと解き明かしをして頂きました。
「特別扱い」という解き明かしもしていただき、私たち家族がどれだけ神に愛されていたのかという事を改めてイエス様に感謝し、ここから先、サタンに一切隙を与えることなく、家族一致団結してイエス様の栄光をあらわしていきます。
そして、イエス様は「あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。」と、御言葉からも約束してくださいました。ずっと、神を裏切ってきた10年でしたが、イエス様に従って歩きたいと意志を向けたことで、御言葉から、こんなに愛してくださっている事を知る事ができ、感謝の思いしかありません。
すべての栄光はイエス様に帰します。アーメン。