精神崩壊から立ち上がった母娘の証
〜ブログより〜

 
 
2年前の10月に、高校1年生のA姉妹と、A姉妹の母親がぶどうの木に導かれてきました。
A姉妹は、両親はじめ周りの大人の声を聞き、それに従い、応えようと一生懸命になった末、ついに頭も心もパンクしてしまい、学校を飛び出して自殺をしようとするほど追い込まれていました。
A姉妹の母親は、学校から、病院(カウンセリング)に行くことを勧められたそうですが、心療内科に電話をしてみると、2、3か月待ちと言われ(それだけ、心の病いにかかっている人が大勢いるという事です)、インターネットでカウンセリングを受けられるところを調べたらたくさん出てきて、どこに行けばいいのか分からなかったそうです。恐らく、A姉妹が病院に行けば、〇〇障害と病名をつけられていたでしょう。実際本人は、双極性障害、強迫性障害、ADHD(注意欠陥多動性障害)、不思議の国アリス症候群、発達障害、パンセクシャル(全性愛:男性女性関係なく、あらゆる人々に恋をしたり、性的願望を抱く)など、たくさんの精神疾患があると思っていました。

イエス様はあらかじめAさんの母親の元にクリスチャンを遣わしていました。A姉妹の母親と長年の友人であったぶどうの木のN姉妹は、自身が救われた後、A姉妹の母親に福音をしていました。また、牧師を通して聖書を教えてもらい、正しい道に導いてもらっている事を証していました。その話を思い出したA姉妹の母親は、すぐに「助けてほしい!牧師さんに会いたい!」とN姉妹に連絡をしてきたのです。
そして、牧師と私はすぐにA姉妹の自宅にかけつけたのです。

私たちの前に座ったA姉妹は、たくさんの悪霊に支配されている状態でした。A姉妹は私たちに、いじめを受けて来た自分の生い立ちや、家族、両親への不満、今回パンクするきっかけとなった出来事(宝塚に行きたくないのに周りの大人の声にのせられて、宝塚音楽学校受験を目指していた)など、自分の事を1時間話し続けました。話しているのに目をつぶって眠っており、話ながら、「そっか!私はこういう気持ちがあったんだ!」「今はっきりとこう言えたという事は、これが私の本当の気持ちなんだ!」と自分を分析したり、「あれ?なんでこんな事まで話してるんだろう」と驚いたり、「許せねぇ!」と裁いたり、笑ったり、泣いたりと、様々な感情を出していました。
私たちは話に耳を傾け、質問をしながら、彼女の霊的状態をイエス様に聞いていました。偽善者の霊、高ぶりの霊、妬みの霊、裁きの霊、恐れの霊、自分と周りの人間への偶像礼拝の霊など、様々な悪霊が示されました。そして、彼女の話がひと段落した時に、悪霊の存在と、イエス・キリストは唯一悪霊に勝利した方である事、A姉妹の中には、たくさんの悪霊がいることを話していきました。すると、A姉妹は突然「キャー!怖い!」と言いながら耳をふさいで倒れ込みました。A姉妹の中にいた悪霊が姿をあらわしたのです。牧師は異言で祈り、私が話を続けていくと、その悪霊はA姉妹の中から出て行き、一気に顔が変わり、目がぱっちりと開きました。
私たちは、悪霊の追い出しの祈りをしたわけではありません。しかし、イエス様は後に、「相手の話をとことん聞き、愛にあって真理を語り、神の愛で悪霊を追い詰めた時に、悪霊が出て行く事。これは最も愛のある悪霊の追い出しである」と教えて下さいました。

A姉妹が解放された後、さらに話を聞いていく中で、宝塚という世界に動く特殊な関係や姦淫の気持ちを受け付けられないと思いながらも、LGBTを否定するキリスト教が受け入れられないという思いにとらわれていた事も明るみになりました。
LGBT問題については、否定しているのではなく、悪霊を追い出す事によって、神が定めた本来の性に戻ることができる事、それを私たち人間が情で“認めてあげなければかわいそうだ”と、人権問題にすりかえてしまうことは高ぶりである事を、牧師が話しました。(詳しくは、トラクト「クリスチャン医師と考えるLGBT問題」に書かれていますので、ぜひご一読下さい)そして、納得したA姉妹はイエス・キリストを受け入れ、聖霊のバプテスマを受けて救われました

N姉妹がA姉妹の母親に福音をした時は、ちょうど「クリスチャン医師と考えるLGBT問題」のトラクトが出来上がったばかりで、N姉妹は主にLGBT問題について話をしたそうですが、その時のA姉妹の母親は、「そんなにNちゃんが深く考えなくていいわよ!LGBTを容認したら人類破滅だなんて、そんな事になるわけない。私たちには関係ない話だよ」と終始笑っていたそうです。しかし、その時神は警告していたのです。今回A姉妹の母親は、自分たちが宝塚という世界にどっぷり浸かってしまった事によって、自分の娘の身に起りかねない問題であった事、また、A姉妹が中学3年生の時に、LGBTを応援するポスターを書いていた事、その後宝塚音楽学校受験をしないかと声がかかり、目指すようになった事など、全てが繋がったそうで、LGBT問題を自分の事としてとらえることができたと話していました。

私たちが帰宅したあと、A姉妹は、「こっちの自分が本当!こっちの自分で生きれば良いのだ!こっちの私でやってみる!」と喜んでいたそうです。しかし、悪霊はすぐに戻って来ようとします。本来の自分(神の子である霊の自分)と救われる前の自分(肉の自分)が葛藤し、全く別世界にいるようだと戸惑ったり、色々と考えてしまって不安定になる事もあるので、悪霊と戦わなければなりません。A姉妹は牧師に教えてもらったように、「イエス・キリストの御名によって命じる。うそつきの霊よ、私の中から出て行け!私は神の子だ!二度と戻って来ることを許さない!」と祈り、戦っていました。

その後、A姉妹の母親から、A姉妹が美容師の言葉によって「このままでいいんだ!」と喜んでいるという連絡がありました。しかし両親が見て彼女の姿はどこか違和感のあるものでした。牧師は、「美容師との交わりはあなたからですか?」とイエス様に問いました。両親が抱いた違和感は、霊のA姉妹に対する違和感なのか・・・しかし、霊のA姉妹は肉のA姉妹に内住するものであり、神が支配されているのであれば、嫌な違和感はありません。両親が心配するような違和感があるとするならば、A姉妹の肉に、新たにイエス・キリストではない光の天使に擬装した悪霊が動き、言葉ではなくて、その言動に違和感を覚えている事になります。イエス様は、その事に対してはっきりと分かるように教えて下さいました。
救われた後、A姉妹は宝塚(受験)と決別するために、自分で髪を切ってしまい、整えるために美容院に行ったそうなのですが、そこで、「牧師さんに会って本当の自分を取り戻したのだけど、LGBTの事だけはやっぱり納得できない」と言葉にしたそうです。すると、美容師に、「あまり難しく考えずに、AちゃんはAちゃんのままでいいんだよ」と言われ、その言葉を受けて気持ちが楽になったそうです。サタンが光の天使に擬装し、A姉妹を再び自分の側に引っぱったのです。明らかに、「Aちゃんのままでいい」という発言は、「救われる前の自分の心のまま生きればいい」という悪魔のささやきでした。

この事が発覚することも奇跡でした。A姉妹の髪を切ったのは、2か月に一度N姉妹が通い、福音をして救われていた美容師だったそうで、A姉妹が行った3日後に美容院に行ったN姉妹がその事実を聞く事となったのです。同じ美容院に行っていた事に驚き、神のあわれみだと思いました。美容師はN姉妹から事の経緯を聞き、「余計な事を言ってしまった」と悔い改め、自分の吐く言葉が神から来ていないものであった事を恐れ、自分を聖書も学んでいきたい思いになりました。今では美容師を通して、たくさんの人たちが導かれ、聖書を共に学んでいます。
万事が益となり、A姉妹は改めて諒兄弟の書籍「齊藤諒の生きる力」の中でLGBT問題についてふれている章を読み、もう一度、神の側に立つことができました。
A姉妹が本を読んでいる間に、娘の事で心が騒ぎ、なかなか救いの告白を読むという行為ができなかったA姉妹の母親も、トラクト「未来へのプレゼント」を通して救いの告白と聖霊のバプテスマを受けて、救われました。救われてすぐに、必要ない物や守り神とされるシーサーなどの神々の置物などを捨てたくなり、宮掃除をしたそうです。
A姉妹の母親はミッションスクールに通っていたので、週に一度、6年間宗教の時間に聖書を学んでいました。今回、救われた事をきっかけに、A姉妹の母親が学生時代に使っていた聖書を引っ張り出し、開いてみると、たくさんの赤線が引いてある事に驚いていました。当時は、読んでもよく分からず、何を学んだかも記憶になかったそうですが、集会でたくさんのみことばを頂き、兄弟姉妹たちの証を聞いた事で、「聖書を読まないなんてもったいない!読みたくなりました!」と言っていました。ミッションスクールは何を教えているのか?救いに導くこともできず、その後の人生に何の益にもならない学びをさせている事は問題であると改めて痛感しました。

悪霊は「心」に働きかけて私たちを滅ぼそうとしてきますそれは、A姉妹に対して最も神が伝えたいメッセージでした。

エレミヤ17:9a
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。

A姉妹は、「こっちの自分が本当!こっちの自分で生きれば良いのだ!こっちの自分でやってみる!」と何度も言っていました。しかし、「こっちの自分」と言う時、そこにはもう一人の自分が存在する事になります。
それは、霊の自分(神の子とされた本当の自分)と肉の自分(救われる前の自分)です。
A姉妹は、救われた事によって、霊の自分に戻る事ができたのですが、サタンに先導されてきた肉の自分にも良いものがあったと思っていました。ですから、今まで関わってきた人々に対して「今までの私は違った」とうそはつきたくないという気持ちから、その事について考えだすと頭が痛くなると話していました。霊が生き返った人間が、頭に戻って考えだしたら迷路であり、頭も痛くなります。そこに答えはありません。答えは聖書を通して、まず霊に頂くものであり、そこから、魂(知性・感情)に連動させて理解していくものであると聖書は教えています。

牧師は、「救われる前のAさんは、サタンに翻弄されていたのであって、Aさんではありませんでした。今、聖書に従って生きたい!と思っているAさんが本当のAさんであり、そのあなたしか、存在していません!『今は、こっちの自分』と言うものではありません。私は完全に神の子になったと悪霊に宣言しなければなりません」と語りました。
救われる前の人間の心は、サタンに惑わされた偽りのものであり、聖書ははっきりと、「はなはだしく悪に染まっている」と教えています。A姉妹は、両親をはじめ、周囲の大人、友達の心から出た言葉によって、つくられ、左右されてきた人生でした。A姉妹だけではなく、全ての人間が生れ出た時から、家庭や学校の中で、人の心から出た言葉によって形成されてきました。
周りがA姉妹のためを思って言ってくれているような言葉であっても、神から見たらそれは無責任であり、結局は自分の利益のための言葉であったり、その人の意見でしかありません。A姉妹が、それを忌み嫌って捨てる事ができなければ、「こっちの自分」と「もう一人の自分」という二重人格の人間になってしまい、苦しい歩きとなってしまいます。そこに、サタンは美容師を使い、「あまり難しく考えずに、AちゃんはAちゃんのままでいいんだよ」「自分の心に従って生きればいい」と、ささやいてきたのですから、A姉妹が混乱するのは当然です。
牧師は、聖書のみことばからさらに、新しい人生=霊の自分として生きる人生を歩き始めるとはどういう事であるのかを伝えました。

第1コリント2:9
しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。

第1コリント2:11~12
いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。

第1コリント2:14~16
生れならがの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

アーメン。神がどう思っているかは、神にしか分かりません。しかし、霊がよみがえった私たちクリスチャンには、神の思いが分かるようになるのです。生れながらの人(救われていない人間)、この世に満足している人間にとっては、神の御霊の賜物は愚かなものであり、神がご自分を愛する者たちのために備えられた祝福を理解することができませんが、霊がよみがえった人間は、この世の常識や律法にとらわれることなく、それによって判断される事なく、全く新しい人生を歩んでいくことができるのです。

A姉妹はその後、「こっちの自分」を選択して生きるのではなく、「霊の自分・神の子としての自分」として生きていくために聖書を学んでいくことを決心し、悩みが生れてから読むのではなく、悩みが生れないように読むのが聖書である事を牧師に教えてもらい、喜んで信仰生活を送り始めました。

A姉妹には、長年自分をとらえ苦しめてきた自殺の霊、死の使いの霊がおり、金縛りや、恐れと不安の苦しみが押し寄せる事がありましたが、救われてからは、「絶対に死にたくない。それだけは許せない。死んでたまるか!」という思いで、キリストの権威を行使して必死に抵抗できるようになりました。


世の中には、A姉妹のように、サタンによって心が崩壊してしまっている子供たちが大勢います。心療内科(カウンセリング)の予約が2、3か月待ちの現状からもよく分かります。小学生であってもリストカットをし、自ら命を断とうと考えてしまう世の中です。私たちが住む静岡県では、年間600人の自殺者がおり、10代~30代の死因の1位は、自殺だそうです自殺の原因は、いじめでしょうか。A姉妹のように、両親や周りの大人の期待に応えようとして心がパンクしてしまった子もいるでしょう。
最初に、心がパンクしたA姉妹の状態(霊的には悪霊が入り込んでいる状態)を見た保健室の先生は、「Aさんは泣いたり、突然笑い出したり、いろんな人格がいるようだ。私が今まで20年~30年見てきた子の中で、一番重症だ」と言ったそうです。そして、A姉妹は学校側からカウンセリングを勧められたのです。本人だけではなく、母親も、カウンセリングの予約をされてしまいました。その後、牧師のカウンセリングを受け、救われ、解放されたわけですが、学校側は診断書を求めました。
病名がついたら、安心なのでしょうか?その子は、一生貼られたレッテル(病名)に苦しむことになります。社会で生きて行く上で重荷となります。聖書と、そこに書かれている悪霊の存在を知り、真の医師であるドクタージーザスの治療によって、完全に癒される事を体験すると、精神的な事が、処方された薬でよくなるとは思えません。全ての病の原因は心に働きかけて来る悪霊にあり、心の状態が身体、表にあらわれるのですから。
霊的に薬依存は、麻薬中毒と同じです。薬なしでは生きられない子にしてしまう恐れがあります。そして、たとえ一時的に良くなったとしても、どんな病も霊からの癒しでないと再発してしまいます。
A姉妹の場合は、自殺の霊、死の使いの霊を追い出し、まずは自分をいじめた相手、それに加えて、両親や学校の先生、保健の先生をゆるす事が霊からの癒しとなりました。

悪霊の教えと、許しの教え、さらには、イエス・キリストに救われたクリスチャンには悪霊と戦う権威が与えられます。A姉妹は、この2年間、エジプト(救われる前の自分)に戻そうとしてくる悪霊と戦い抜いて、造りかえられてきました。
救われた最初の頃は、霊の事ばかりに敏感になってカルト的になってしまい、家族が理解できずに苦しんだり、先生、友達が離れてしまった時もありました。自分の義で言動した結果、問題児のレッテルを貼られて退学通告を受けたり、勉強を裁いて進級が危ぶまれる事があったり、自ら他の高校に編入を考えた時期もありました。
しかし、A姉妹は人間関係からも、勉強からも逃げ出さずに留まることができました。自分自身を見つめ、みことばと照らし合わせて言動する事に意思を向けていった結果、A姉妹は、志望大学に対する公募推薦を学校側からもらうことができました。一度は退学処分になりそうだった子が推薦を頂けるなんて、普通ではあり得ない話です。紆余曲折を経た2年間でしたが、イエス様はA姉妹の心を見て良しとして下さり、A姉妹に対する学校側の見方も全て変えて下さったのです。
そして先週、A姉妹は推薦入試によって、見事に志望大学に合格することができました学力では模試でE判定が出てしまうほど到底合格は不可能な大学でしたが、推薦入試は面接と小論文だけであったため、聖書を土台にして生きている自分を表現する絶好の場となり、A姉妹の人間性を見てもらえての合格でした。それは、精神崩壊を体験したA姉妹にとっては、何よりの癒しの奇跡でもありました。
そして、今まで関わって下さった先生たちに合格の報告をすると、涙を流して喜んでくれ、祝福してくれたそうです。友達からも、「Aちゃんのような生き方がしたい!」と言ってもらうことができ、真に神の栄光をあらわし、皆の光となれたとA姉妹自身も喜んでいました。もちろん神の家族も大いに祝福し、喜びを分かち合いました

A姉妹はここから与えられた時間で、証を書くと言っています。救われる前の自分と同じように苦しんでいる人たちが解放されるように、自身が体験した証を伝えたい思いに満たされています。今の時代、どれだけの人がA姉妹の証を待ち望んでいることでしょう。神が今年中にA姉妹を受験から解放させたのは、神の働きを遂行するためであると確信し、神の家族としてA姉妹の証の完成を祈ります。

また、A姉妹の変化と、合格までの道のりには、何があっても忍耐して共に歩み続けてきたA姉妹の母親の存在がありました。
A姉妹の母親は、救われた当初、子供のために、良い学校、良い就職先を求め、習い事をさせ、少しでも可能性を伸ばしてあげたいという親心がありましたが、それは結局、子供の為と言いながら、自分のプライドや利益のためであり、良い時は良いが、裏切られた時には憎しみや怒りに変わる愛情であったと語られました。そこから、第1コリント13章に書かれている神の愛でA姉妹に寄り添ってきました。

第1コリント13:1~8a
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。

アーメン。
さらにA姉妹の母親には、昨年5月から握りしめてきたみことばがありました。

列王紀下19:29
あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂からはえたものを食べ、二年目にはまたその落ち穂からはえたものを食べ、三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べるであろう。

以下、A姉妹の母親の証からの抜粋です。

「救われて2年目となった昨年は、娘A姉妹の内側において、また親子関係においても180度真反対を向けず、堂々巡りをしているところがありました。しかし、まだ見ぬ3年目の収穫が約束されていることを思い、忍耐に意志を向けてきました。

第1コリント3:6~7
わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。

A姉妹を成長させて下さった神に感謝します。今思い出しても大変な高校生活でしたが、最後は先生からも同級生からも好意を得られ、歌ったり踊ったりしなくても応援してもらえる普通以上の高校生に生まれ変わりました。呪いを打ち砕き、生きる力がみなぎっている事を感謝します。小論文の特訓も、速やかに簡潔に証を生み出すために備えられた訓練の場であったことを感謝し、ますます全てが益となったことを確信して完成を祈ります。
手綱を放さず、A姉妹をここまで導いてくださった牧師、副牧師の愛に感謝します。全ての栄光をイエス様に帰して、ハレルヤ!」

親の頭がイエス様であり、子の心もイエス様に向いていれば、互いのかゆい所に手が届き、一致して進んで行くことができます。A姉妹が救い主イエス様に対して従順でありたい思いの裏には、いつも凄まじい訓練を通されて耐え忍んできたA姉妹の母親の忍耐とイエス様=みことばへの信仰がありました。姉妹たちの証は、今の時代に一番必要とされている証だと改めて思いました。

合格を聞いた時、牧師には、【その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。】(ヨハネ16:23)が与えられました。
副牧師も、【すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。】(ヘブル12:11)を頂きました。
益々、姉妹たちが神のみ旨に従い、最高の証人として、任務を遂行できるように、そして、ぶどうの木の兄弟姉妹たち皆が、主イエス様の愛と力を世に体現していけるようにと祈ります。