自分が変われば相手も変わる

 
 
救われて1年になるM姉妹の証を紹介します。
M姉妹は、昨年4月からパン屋に勤務しています。オーナーの右腕として働いているのですが、働き始めた時は、その男性オーナーがイライラすると物に当たったり、M姉妹のことを無視するため、恐怖で思うように仕事ができず、できていた事もできなくなり、火傷のあとも増えていきました。毎朝出勤前は憂鬱になり、帰宅しても落ち込み、すぐに“辞めたい”と思うようになりました。
しかし、その中で母親から福音を聞いて救われ、聖書の学びを始めた事によって、この世はサタンの支配下ゆえ、血肉で相手を見ないことを知りました。そして、ぶどうの木でつくった「悪魔に打ち勝つ最強の武具」(悪魔に打ち勝つ力強いみことばをまとめた冊子)を毎朝読んでから出勤するようになり、特に冊子に書かれている、【愛は侮辱されても相手を許す。愛は寛容であり愛は情深い】というみことばに留まり、忍耐して実践していきました。
オーナーから、「毎年事故で入院している」という話を聞くと、それはサタンの仕業だと分かり、オーナーに真理を伝えたいという気持ちも芽生えていきました。そして、自分がクリスチャンであることを伝えてからは、みことばや自分のまわりで起きた神の御業について話もできるようになり、オーナーも態度が変わり、コミュニケーションがとれるようになっていきました。
しかし、思うように仕事ができない状況は続いていたため、昨年末に「6月末にやめたい」とオーナーに伝えました。オーナーはすぐに求人をかけ、すぐに10人ぐらい面接に来ましたが、オーナーと馬が合わず一人も採用されませんでした。オーナーを裁いて去るのはいいのか?オーナーは救われていないのに辞めていいのか?という後ろめたい気持ちもあり、M姉妹は本当に辞めてもいいのか、改めてイエス様に答えを祈り求めていました。そのうち、オーナーに第2子ができ、今まで店の経営を手伝いながら第1子を育てていた奥さんが、ついに手伝えない状況となりました。しかし、オーナーは新しい命を授かったことをとても喜んでM姉妹に話してくれたそうです。さらに、オーナーには2店舗目を開きたいという夢もありました。

M姉妹は、イエス様からはっきりと答えを頂きました
6月に入り、「本当にやめるの?どうするの?」と言われたM姉妹は、「神にずっとどうしたらいいのか聞き、分かりやすく教えて下さいと祈ってきました。新しい従業員が決まらず、奥様が二人目のお子さんを授かったことを通して、やめるべきではないと思いました」と伝えたそうです。するとオーナーは、「神はいるんだな!」と喜んでくれたそうです。M姉妹はその言葉に対して、「オーナーも神に愛されているんですよ」と答えたそうです。

自分にとって居心地の悪い職場、関わりたくない人を裁いて逃げても、結局また次の場所で同じような人が必ずあらわれます。クリスチャンはみことばに従うことによって、居心地の良い職場を築き、自分が変わることによって相手との関係も良好なものにしていかなければならない、主にあってそれができるのだと語られました。
オーナーへの裁きがなくなった時、2店舗目を開きたいというビジョンはM姉妹在りきだということも分かりました。M姉妹を一人前として認め、共にやっていきたい思いがあったからこそ、求人をかけても採用しなかったのでしょう。やめたいと思っていた時には、オーナーの発言が重荷にしか思えなかったM姉妹でしたが、今は、自分の将来のビジョンも広がっています。真理に従う人には、神からの好意が与えられ、より良い段階へと進むことができるのです

さらに証は続きます。
M姉妹には付き合っている人がいるのですが、母親から「クリスチャンとして、婚前交渉が良いことかどうかイエス様に聞いてみてね。何かあった時に傷つくのは女性の方だからね」と言われていました。聖書から神の善悪の基準を知り、クリスチャンとしての清さが生まれていたM姉妹は、彼に素直に婚前交渉はやめたいことを伝えたそうですが、彼は納得しなかったそうです。改めてM姉妹が聖書を開くと、エゼキエル44:22~23が与えられました。

エゼキエル44:22~23
また寡婦、および出された女をめとってはならない。ただイスラエルの家の血統の処女、あるいは祭司の妻で、やもめになったものをめとらなければならない。彼らはわが民に、聖と俗との区別を教え、汚れたものと、清いものとの区別を示さなければならない。

このみことばを彼にも読んでもらうと、すでに救われて霊は神の子である彼は、「書いてあるね・・・分かった」と受け入れてくれたそうです。真理を伝えたら彼が離れてしまう可能性もありました。しかし、決心、決意、覚悟、決断をして、言うべきことを伝えたM姉妹の心を見て、神が彼の心も変えて下さったのです。
自分自身を変え、オーナーを変え、彼の心も変えて下さった神。その神の愛と力を実感したら、神から離れることなどできません。
握ったものがあれば、清い・聖い道を神と共に歩むことはできませんし、物事は上手く進みません。祈りがきかれない、上手く行かないと思うなら、まずは自分を吟味です。それでも変わらないなら、時が満ちていないという事もあるでしょう。自分の欲を打ち叩き、自分の意見ではなく、みことばに服従して得たM姉妹の証は、改めてクリスチャンとしての清さを私たちに教えてくれました。M姉妹に、ぶどうの木に、素晴らしい実がなったことを感謝します。

ルカ6:36~38
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

アーメン。

証とは、イエス・キリストにして頂いたことや、生きた神であると確信した体験のことを言います。神様は、ご自身が創られた全てのものや事柄を使い、私たちに日々語りかけて下さっています。
聖書に、【木はその実で分かる】と書かれてあるように、真理(聖書の言葉)に従って歩いているクリスチャン(木)には、次々と“祝福の証(良い実)”がなっていきます。そして、祝福の証が与えられていくことにより、ますますイエス様への信仰が増し加わり、イエス様とクリスチャンは強い絆で結ばれていくのです。
その証を奪おうとしてくるのが、ほえたけるししのように食いつくすべきものを求めて歩き回っているサタンです。しかし、サタンがいくら証を無かったことにしようと、7倍悪い状態を持ってこようとも、証そのものが変わったり、無効になることはありません。今の状況だけを見て、「あの時の証は違った」という嘘つきの声を聞いてしまう人もいますが、その声を受け入れてしまえば、自分がここまで信仰によって築き上げてきたもの、そこで得た喜びも感謝も全て奪われ、ますますサタンの思う壺になってしまいます。
仮に、今回証をしたM姉妹が、この先オーナーを裁いて店をやめ、婚前交渉の誘惑に陥るような事があったとしても、それで、この証が否定されることはありません。時々に頂く証をしっかりと握りしめていたら、引き続きそこから起きて来る状況によって、自分の進むべき道が分からなくなることはありませんし、りっぱに証をした時の自分に戻り、もう一度自分の霊を奮い立たせることができます。自分の歩みを確認することができます。証は、自分と聖霊の協調により産み出されるものであって、神の力を証言し、人を励まし、イエス・キリストの救いに導くものです。しかし、まずは自分自身への神の真実の愛の証明です。自分を一番励まし、信仰を強めてくれるのは、自分の証なのです。だからこそ、絶対にサタンに盗られないように日々感謝をもって語り続けたり、書き残すことによって、信仰の道に杭を打ちながら進むことが大切なのだと語られました。