真実の愛に救われて
~わが子と共に生まれ変わった母親の証~

 
 
■はじまりの日

2017年9月、娘が学校から姿を消しました。娘は当時16才で、県内でもトップを争う進学高校に合格し、夏休みを終えてまもなく1ヶ月が経過しようという時でした。娘は、小さい時から絵を描いたり、お話を考えたりするのが好きで、バレエやミュージカルなど分野を問わず「表現」することに意欲的でした。中学では“表現者”になる夢を掲げ、女優のオーディションにも挑戦しました。結果は惨敗でしたが、私も舞台に立つ娘の姿が好きで、娘の夢を応援していました。家にいる時とは一変、堂々とした面持ちで役を演じ切るわが子の姿は見ていて爽快でした。
中学生の時、演劇を学ぶために訪れたスクールの主催者が元タカラジェンヌであったことから、娘は女優になるため宝塚受験を決心しました。理想的なスタイルを目指し、食事制限に耐えながらレッスンに励んでいた矢先の出来事でした。憧れの高校に入り、勉強とレッスンの両立に葛藤しながら充実した生活を送っているものとばかり思っていました――が、そう思っていたのは私だけでした。

夕方、学校から連絡がありました。
娘は「保健室に行ってくる」と書き置きを残し、1時間目の休み時間に教室を後にしたとのことでした。学校中どこを捜しても見つからず、すでに帰宅していないかという問い合わせの電話でした。娘の朝の様子から、過酷なレッスンが心身にこたえているのは察しがつきましたが、学校を逃げ出すほどの理由は思い当たりませんでした。担任の先生と連絡を取り合いながら娘の行きそうな場所を捜して回りましたが、気づけば空は真っ暗でした。
主人と警察に捜索願いを出しに行きました。「仲の良い友達には連絡をしましたか?」――第一声、娘の交友関係を尋ねられました。残念ながら、娘には親交の深い友達がいませんでした。学校の活動には積極的でしたが、同級生と人間関係を築くのが苦手で、週末は家にいるのが当たり前の子どもでした。青春時代を謳歌できない姿は見ていてもどかしいものがありましたが、この時ばかりは頼る友人もいない娘が気の毒になりました。

夜明け前、警察署から連絡があり、生徒たちが登校する前の校舎をもう一度捜してみることになりました。万が一の事態を想定し、他の生徒への影響を配慮してのことでしょうか。学生の生気みなぎる昼間の校舎とは一変、静まり返った真っ暗な廊下を警察官と歩く時間は地獄でした。娘の変わり果てた姿を想像しながら、いつ対面するかもわからぬ不安と恐怖が私の胸をえぐりました。良からぬ事件に巻き込まれてはいないか、だとしたら自殺の方がまだましなのか…最悪の事態が頭をめぐり、落胆のうちに朝を迎えようとしていたその時でした。私の携帯が鳴りました。娘からでした。
「ママ、ごめんね…」電話は熱海からでした。声が震え、動揺している様子が伝わりました。この時、娘の記憶はまだ曖昧で事実を把握するには時間が必要でしたが、生身の声を聞けたことが何よりもの救いでした。後に経緯がわかりました。娘は登校して間もなく、このままでは自殺してしまいそうな衝動に駆られ、学校を飛び出したとのことでした。市内を歩き、途中出会った子連れの母親に最寄り駅まで車で送ってもらったそうです。ご好意で頂いた1万円で切符を買い、家族旅行の楽しい記憶を頼りに電車に揺られ、熱海をめざしました。途中、携帯の着信履歴の多さを見て自分のしたことの重大さに気づき、もう後戻りはできないと思ったそうです。コンビニで時間を潰し、雨の中をひとり歩き、このまま死んでしまうのか、風俗にでも行って働くほかないのか…そんな事まで考えたといいます。朝の光に促され、電話をくれたようでした。


■精神崩壊

「宝塚なんて受けたくない」娘は家に戻るなり、これまで抑えてきた思いを吐露しました。初めは一時の気の迷いだと思いました。親にしてみれば宝塚受験は金銭面の覚悟が必要で、娘には始める前によく考えることを言いました。娘はこみ上げる思いを全身全霊で訴えましたが、わずか半年前に「やらせてほしい」と意志表明したのは紛れもなく娘本人で、「先生や家族に言われてやってみたがやっぱり違う」という言い分は単なるわがままに聞こえました。私は「やめたければやめればいい、やりたくなったらまた始めればいい」と言って引き返すチャンスを与えましたが、それが逆に娘を苦しめました。落胆の思いを秘めた母の言葉が娘を解放することはありませんでした。
娘はスクールの先生に胸中を告白しました。尊敬する先生からの叱咤激励に相当気持ちが揺らいだようでした。帰宅後、宝塚の舞台映像を無表情で見つめる姿を目にしました。机の上になぜか包丁が置かれていましたが、時間が解決してくれることを願い、そっとしておきました。

週が明けて、娘はこれまで通り登校していきました。宝塚とは距離を置くことで一致し、一件落着だと胸をなで下ろしたところへ、学校から再び連絡がありました。「とても授業を受けられる状態ではないです、お迎えに来て下さい」。娘の感情は収まるところを知らず、校内でコントロール不能となったのでした。精神崩壊です。
学校の養護教諭からは「この仕事を始めて20〜30年になるが、ここまでの状態の子は見たことがない。人格が2人も3人もいるようで非常に重症」と言われ、専門の医師かカウンセラーの受診を勧められました。しばらく学校を休むように言われ、この先の高校生活はどうなってしまうのかと頭が真っ白になりました。この辺りで定評のある心療内科に電話を入れましたが、予約はどこも2ヶ月待ちでした。精神カウンセラーの情報はネット上にいくらでも上がりましたが、どこの誰ともわからぬ先生に娘を差し出すことに抵抗がありました。過食の症状も現れていました。私が話しかけるたびに激しい頭痛を訴え、頭を抱え、体を丸めて苦しむ姿は見るに耐えないものがありました。早く解放してやらなければ…医師でもカウンセラーでも、今すぐ誰かの力が必要でした。携帯の住所録をスクロールし、目に留まったのが後に神の家族となるN姉妹でした。N姉妹は電話口で動揺する私に「神に選ばれたね。治るよ!」と力強く断言され、牧師に会うことを勧めてくれました。医師との繋がりを求めてかけた1本の電話が神に繋がりました。娘の気持ちが少しでも楽になるなら…私はただその一心で、目の前に差し出された藁を掴みました。これがぶどうの木との出会い、新たなる出発点です。


■目覚め

さっそくその日の夜、牧師と副牧師が自宅を訪ねて下さいました。娘は「牧師」という響きに抵抗を表しましたが、一か八か、娘を預けて席を外しました。初対面の高校生を相手にどこから話を始めて下さったのかわかりませんが、途中「目を覚ませ!」と言わんばかりに熱く語りかけて下さる副牧師の声が漏れ聞こえました。3時間近くが経過しようという頃でしょうか、階下で扉の開く音がしました。行ってみると、そこには晴れやかな表情をした娘が立っていました。そして牧師が娘の傷ついた魂の叫びを代弁してくださいました。
「この子は小さな時から仲間外れにされたり、信じていた先生に裏切られたり、お家では両親や家族の不和の間に立たされたりで、いつも自分の言いたいことを我慢して、相手の顔色をうかがいながら言葉を選んできました。この子が“表現者”になりたいというのは、ありのままの自分の気持ちを表現できる自分になりたい!ということですよ」

私は耳が痛いを通り越して、目からウロコが落ちました。娘が学校を飛び出したのは単なる気の迷いではなく、命がけの自己表現であったことを悟りました。娘は「女優の道が開ける」という先生の言葉と期待、それに加勢する両親の勧めに後戻りが出来なくなっていました。学校の成績が思うように伸びない一方で、レッスンに行けば勉強よりレッスンを優先しろと言われ、家では両立を言われ…娘は何が正解なのかわからなくなり、ついにパンクしてしまったのでした。本当は宝塚の魅力がわからず、そもそも女性が男性を演じる事に嫌悪感があったと言うのですから話になりませんでした。

娘のことは何でもお見通しだと高をくくっていた自分に失望しました。牧師はそんな私に「まずこの子の命があることに感謝して!この子はまだ何も失ってないですよ!」と語気を強められました。その言葉に目が覚めました。おっしゃる通り、娘の人生はまだ何も始まっていませんでした。


■神の癒し

娘はそれから眉を剃り落とし、散切り頭で意気揚々と私の前に現れました。自由への目覚め、宝塚との決別でしょうか。私は変わり果てたその容貌に狂気を感じ、言葉を失いました。顔を直視することもためらわれ、“腫れ物”に触るようにひとつ屋根の下で過ごす、息苦しい時間を強いられました。
急激なダイエットの反動からか、過食の症状も見られました。食べ物を求め、着の身着のまま衝動的にコンビニエンスストアへ駆けていく姿を何度か見かけました。ファミレスに一人で入り、テーブル一杯に並べられた料理を懸命に食べていたこともありました。食べている姿を見られることに抵抗があり、特に私の顔を見ると表情が強ばるのがわかりました。「学校へ行きたい、みんなに会いたい」と駄々をこねました。依然、私の言葉が娘の頭痛の種になっているのは明確で、気分転換に娘を外へ連れ出すのがやっとでした。やっぱり牧師ではダメだったか――。これまで全力で頑張ってきた自分の子育てを振り返り、本番はここからなのだと覚悟を決めました。自分の力で絶対に娘を元どおりにしてみせる、そう心に誓い、この世の情報収集に努めました。
そんな私の覚悟をよそに、娘の頭痛は日に日に回数が減っていきました。薄らいでいた思考と理性を取り戻し、今回の一連にまつわる溢れる思いを原稿用紙数十枚にしたためました。そこには神への愛に目覚めた軌跡が記されていました。食の欲求とも自ら戦っている様子が見られ、回復の兆しは目に見えてわかりました。

休学して10日目に、復学をかけた面談の場が用意されました。養護教諭は「この10日間、どういう経過を経てここまで回復したのか教えてほしい」と言われたそうです。思春期にありがちな気の迷い、反抗で片付けられてしまうほどの復活ぶりでした。大人の予想に反し、「学校に行きたい」という娘の願いが速やかにかないました。後になって、娘はこのときすでに聖霊を頂き、神の子として生まれ変わっていた事を知りました。それは神の癒しでした。


■愛とは

私はそれまで自分の子育てを自負していました。子どもが生まれてからというもの、自分の時間を惜しみなく子育てに捧げてきました。子どもの声に耳を傾け、愛情をかけて、ベストな選択で我が子を導いてきたつもりでした。現に子どもたちが地元でいういわゆるエリートコースを歩んでいるのが何よりもの証拠で、自分の“全力子育て”は間違っていないという自信がありました。このプライドがのちに神のカウンターパンチを食らうことになるとは思ってもみませんでした。

初めて招かれたぶどうの木の集会で、群れの教師から私にある御言葉が示されました。

コリント人への第一の手紙13章4節~8節
『愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。』

子育てで初めて味わう敗北感でした。自分が注いできた愛情がいかに自己中心で『愛』とは真逆のものであったか、自分が誇ってきた子育てがいかに愚かで子どもの心に悪い種をまいてきたか――全ては自分の価値観でした。

牧師からは「魔女の宗教」という知識の言葉を頂きました。近年「子どもの人生を支配し、子どもに悪影響を及ぼす親」を総称して“毒親”という言葉が用いられますが、その名のとおり、親の自己中心的な価値観は毒となって子どもの純粋な心を侵します。中でも、子どもにとって“お母さん”の存在は特別です。母親の発する言葉は「魔女」の呪文のように子どもを支配し、言動に影響を与えているのだということを重く受け止めました。

一方、毒に侵された娘はこれまで私に多くの嘘をついてきたことを告白しました。嘘は魔女を喜ばせ、魔女の機嫌を損なわないための術でした。行きたくない塾に行くといい、やりたくないレッスンをやると言いました。それはお母さんに褒められたい、お母さんの前ではいい子でいたいという思いから咄嗟に出た言葉でした。そこで一喜一憂していた私は愚かでした。飴と鞭で子どもの気持ちをコントロールしてきた気でいましたが、それは愛とはほど遠い、子育てという名の「支配」でした。


■牧師の教え

ホセア書10章12節
『あなたがたは自分のために正義をまき、いつくしみの実を刈り取り、あなたがたの新田を耕せ。今は主を求むべき時である。主は来て救いを雨のように、あなたがたに降りそそがれる。』

娘はこれまで握ってきた全てのものを一度手放し、まずは普通の高校生として再出発することを言われました。きらびやかな世界を目指してきたそれまでの日々に背を向け、180度真反対に広がる新田を耕すことに意志を向けました。

家庭では親への反抗が爆発しました。主にあって表現の自由を手にした娘は、これまで私や家族から受けた苦しみを容赦なく態度に示しました。親の忠告にはまったく耳を貸さず、時には私を野良犬のように追い払いました。
一方、愛で真理を語る牧師にはみるみる心を開いていきました。あふれる思いを昼夜問わず報告し、牧師を介して私への苦情が届くという一連のやりとりが続きました。衝突を恐れ、口を開けばすれ違い、息苦しい日々が始まりました。今後の親子関係につくづく嫌気がさしました。

ローマ人への手紙16章19節
『善にさとく、悪には、うとく――』

娘への嫌悪が増す私に、牧師は御言葉を語り、意志を向ける矛先を示して下さいました。そして『裁き』と『無条件の赦し』について言われました。
聖書には目に見えない「悪霊」の存在が書かれていること、悪霊を支配するサタンの企みは家族の分派分裂で、悔い改めて直ちに「裁き」の悪霊を退けること――これが牧師の教えでした。私の母校は中高一貫のカトリック校で、キリスト教には馴染みがありましたが、牧師の話は全く新しいものでした。事実、聖書には悪霊の記述がたくさんありました。悪霊の話は自分たちが置かれた現状を理解する上で、非常に合理的な教えでした。情緒の乱れや性格の豹変、突然降りかかる不幸など、全てが悪霊の仕業であるとすれば、何もかも辻つまが合いました。

そうは言え、娘を無条件で赦すことなど無茶だと思いました。しかし、沸々と込み上げるやり場のない苦しみが娘への憎しみ=『裁きの霊』の仕業だというなら、戦ってみるほかありませんでした。自分を悔い改め、神が愛して造られたたった一つの尊い器である娘を「赦し、愛し、祝福し、尊敬します」と言葉を絞り出しました。硬化した心が和らいでいくのがわかりました。『赦し』は自分を解放するために与えられたクリスチャンの特権であることを知りました。

聖書には、血筋による『三代四代にわたる呪いたたりの霊』についての記述もあります。私と主人の家系には自殺者がいました。その家に生まれ、無意識のうちに捕らえられている血筋による霊力が、娘の自殺願望の引き金となっていたことが明らかになりました。

目に見えない情のもつれが悪霊の名で提示されることにより、感情論ではなく、論理的に自身の問題と向き合えるようになっていきました。プライドが高いと自己憐憫に陥りやすく、高ぶれば必ず恐れがくる…など、霊の世界のロジックに興味すら覚えました。神の前では母も娘も同じ姉妹であり、自分を愛するように隣人を愛するのだということ、祈りに力があること、神に「委ねる」ということも教えて頂きました。徹底的に聖書を土台とした牧師の教えは、大人になって学ぶ機会を失った私にとって新鮮で、心の奥深くで影を潜めていた「信仰の扉」がノックされているようでした。


■訓練

ヘブル人への手紙12章11節
『すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。』

悲しみに明け暮れる苦悩の日々はしばらく続きました。イエス様の愛に目覚めた娘の言動は学校で問題となり、何度も呼び出しを受けました。娘は勉強を裁き、学校を裁き、一時は登校もままならず、成績は進級が危ぶまれる程でした。娘が学校で物議を醸したことで主人との仲も悪化し、私の魂はボロボロでした。牧師からは家族で「よく話し合うこと」を言われましたが、口を開けば言い争いは必然で、時間が解決することを期待するようになりました。

イエス様は、真理を離れこの世に戻されていく私に、
『わたしはあなたを、まったく良い種のすぐれたぶどうの木として植えたのに、どうしてあなたは変って、悪い野ぶどうの木となったのか。(エレミヤ2:21)』
と問われ、その様を
『あなたは御しがたい若いらくだであって、その道を行きつもどりつする。(エレミヤ2:23)』
と形容されました。

体が聖書を拒否するようになると、
『わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい。(コリントⅡ6:13)』
と歩み寄って下さいました。
そして、
『だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。(コリントⅡ4:16-17)』
と宣言し、希望を与えて下さいました。光が差し込みました。私のことを全てご存知の神が、終わりの見えない今の苦悩を『しばらくの軽い患難』と言われ、その先に祝福を約束して下さっていることは何よりものグッドニュースでした。娘に何と言われようが、どんな誤解を受けていようが、イエス様がいつかこの思いを光に出して下さると信じ、言葉を慎むことに意志を向けました。


■二つの試練

娘はどうしても私を赦すことができず、何度も謝罪を要求しました。肝心の「赦し」に意志を向けない娘が滑稽に見えることもありましたが、私の謝り方に気持ちがこもっていないという言い分はある意味真実でした。イエス様に悔い改めることはできても、本人に直接謝罪するとなると「悪かったね」のひと言を絞り出すのがやっとでした。

ある日の言い争いで、娘は再び「謝ってよ!」と言いました。そのころ集会で語られていた「土下座」という言葉が脳裏をかすめました。娘を裁きから解放するためには、大人である私が目に見えるかたちで謝意を示してやるほかないのだと覚悟を決め、土下座して謝りました。この上ない悲しみが伴う試練でした。大事に育ててきたはずのわが子に土下座をしている状況に混乱し、脳がむず痒くなり、頭を絨毯に擦り付けました。顔を上げた瞬間、娘とそばで見ていた義父が笑みを浮かべているのが目に入りました。
自尊心が崩壊寸前でした。嗚咽し、吐き気と頭痛で憔悴した魂は一時感情を失いました。恐怖に怯え、出口の見えない闇に全身を襲われたその時、かろうじて思い出されたのが「聖書に書いてある!」という言葉でした。圧に抗い、声を振り絞ったところでようやく脳裏に一点の光が差しました。子どもたちへの愛が蘇ったことを確認し、娘の命があることへの感謝が再燃しました。

コリント人への第二の手紙12章10節『わたしが弱い時にこそ、わたしは強い――』

後になり、娘が私の土下座を見て笑ったのは、ただ純粋に嬉しかったからだと聞きました。

180度変われない私に、神はさらなる試練を与えました。年末、娘との同席が嫌で集会を欠席した日の出来事です。運転中の信号待ちで、娘のことを考えながらスマホを眺めていた時、ブレーキを踏んでいたはずの足が無意識に緩み、前の車に追突してしまいました。大事には至りませんでしたが、事故処理に当たり、私の車が任意保険に加入していない事実が発覚しました。数十万円の出費は痛手でした。保険更新という当たり前の義務を怠り、ただただ子どもの教育に没頭してきた自分の至らなさにうんざりしました。母親である以前に、まずは人として「このままではダメだ、変わりたい!」と心の底から思わせてもらえる機会を与えられました。

振り返れば娘の一件があってから、大型トラックと接触寸前になったり、高速道路で居眠り運転をしたり、危険な場面が何度もありました。大事故に至っていたら、私の命ばかりか家族の生活まで奪われ兼ねないところでした。イエス様に守られてきた実感がわきました。とっかかりは娘のための聖書理解で、娘の先にいるイエス様を傍観していたところがありましたが、牧師が言われた「人生の主役は自分自身」であることの意味がじわじわとわかってきました。『主は愛する者を訓練し(ヘブル12:6)』て下さっているのだという確信が持てました。

こうしてイエス様と一対一の関係を築けたことで、私は自分がどれだけ子どもの教育や学歴、富や名誉に翻弄されてきたのかがわかりました。娘は周囲を見返したい、関心を買いたい、期待に応えたい一心で女優を目指していましたが、牧師は「動機がそれではかわいそう。仮になれたところで世間から見放されたらまた同じ」だと言いました。その通りでした。どんなに優秀な学校に合格しても、華やかな職業に就いたとしても、精神が崩壊したら何の意味もありません。子どもに変わってほしければ、まずは親が変わること――牧師の導きで、私もこれまで握ってきた価値観を手放し、新たな道の端に立ちました。

コリント人への第二の手紙5章17節
『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。』


■霊からのカウンセリング

当時、心療内科の予約がどこも2ヶ月待ちで、門が閉ざされたことは今思えば神の御心でした。
娘は後に学校の紹介で、県の名医と言われる精神科医のカウンセリングを受けました。娘と対面してわずか15分程度の面談でしたが、医師は通院・投薬を勧め、「早ければ早いほどいい」と言いました。「大丈夫なんだけどな」と呟く娘に、私はすかさず受診を勧めていました。しかし娘は幸いにして、かつて精神病の投薬で苦しんだアーティストの話を聞いていたことからそれを拒みました。正解でした。牧師には「心の病は薬では治せない。これからの長い人生、レッテルを貼られて歩んでいく必要などない」と言われ、私は自分の安心を買うために医師の診断を求めていたのだと気づきました。主人と相談し、娘の中に芽生えている自己肯定感を尊重してやる方向で一致し、家庭の判断で通院しない旨を学校に伝えました。

あるカウンセラーが知人を通じ、助言をくれました。それは「なぜこうなってしまったのかを本人に考えさせないよう気をつけて」という親の心得でした。子どものモヤモヤする思いに「そのままでいい、ゆっくりゆっくり」とブレーキをかけてやるのが、さしあたりこの世の手当てなのでしょうか。別のカウンセラーからは「風邪をひいたら内科に行くように、心をこじらせたら精神科に行けばいい」と受診を勧められましたが、心の問題は疫病とは違います。

牧師のカウンセリングは、硬化した娘の心を表面から丁寧に掘り起こし、悪い根っこを取り除く霊からのカウンセリングでした。娘を捕らえていた誤った認識、独りよがりな考え…みことばによって内に潜む悪霊が浮き彫りになるたび、目覚め、悔い改め、悪霊の追い出しを経て解放を繰り返していきました。牧師は愛で真理を語り、真理はマイナス思考を生きる力に変えました。

また、娘はLGBTの霊力に引かれていた事を告白しました。今となっては珍しい話ではありませんが、それが単なる興味本位ではなく、家庭環境と人間関係のつまずきがもたらした性の混乱である事を知りました。要するに、いつどこにいても孤独だった娘は、自分に優しくしてくれるなら誰でもよく、性別の壁が崩れつつあったのです。

親として驚きを隠せない悪霊が次々と明るみに出されていきました。悔い改めに葛藤が伴うこともありましたが、内側がお掃除されて、娘の心はフカフカの土壌に生まれ変わっていきました。1年が経過する頃には以前よりも確実に心も体も健康になり、過食症などは気づいたらなくなっていました。心の病は紛れもなく悪霊の仕業です。高ぶり、裁き、恐れ、自己憐憫…心の内側にくすぶる霊の正体がわかれば勝利は目前です。薬で気持ちを安定させて、感情まで抑制されてしまっては「たまったもんじゃない」と娘は言います。行き場のない思いを温存しておく必要などありません。


■恥

今思えば、娘を軌道修正してやるタイミングはたくさんありました。
小学校で仲間外れにされた時、もっと違う言葉をかけてやれていたら…と当時が悔やまれます。「相手にするな、毅然としていろ」と勇気づけたところで、子どもの心は満たされません。仲間に受け入れられない心の痛みに寄り添い、なぜ孤立してしまうのか、一緒に解決の糸口を探してやるべきでした。一日も早く友達と仲良く学校生活が送れる子どもに前進させてやるべきでした。
高校を飛び出した時にもサインはありました。日に日に笑顔が薄れ、お風呂場には抜け落ちた髪の束がありました。感覚が研ぎ澄まされ、小さいものが大きく見える瞬間があるのだと視覚の異常を訴えていましたが、過酷なレッスン故の葛藤であると都合よく理解し、聞き流していました。さらに遡れば、娘は女社会に抵抗があり、最初から宝塚は違うと言っていたのでした。娘の夢を何とか叶えてやりたい――ただその一心でしたが、自分の意志に忠実になるあまり、いちばん大事な本人の意志をなおざりにしていました。本当の幸せとは何か、もっと親身に娘の将来を考えてやるべきでした。

過去の私はつまらない情報を収集し、我が子が失敗しないように先回りしてレールを敷くことに必死でした。劣等感を抱かないように、先生に嫌われないように、いじめのターゲットにならないようにと要らぬ心配をし、肝心な子どもの心に目を向けていませんでした。そもそも「うちの子さえ良ければ」という独りよがりな考えが子どもの自己愛を育み、他者に無関心な人間にしてきたのだと思います。甲斐甲斐しく身の回りの世話をし、自分の事もまともにできない子どもに育てたのは私でした。お稽古ごとを詰め込んで、多忙なスケジュールで時間の感覚を奪ってきたのも私です。容姿や身なりについて口うるさく言いすぎた結果、娘は過剰な神経質に苦しんでいました。人と違うことを良しとして高ぶらせ、人間関係をうまく築けない子どもにしてしまいました。娘が家庭で安心して過ごせなかったのは、私が家族の文句を呟いたせいです。素直に甘えてくる息子に癒しを求め、娘の孤独感を煽ってきました。この世の名誉を愛し、人の目ばかり気にして自分を愛せない人間にしてしまったのは、私という存在だったのです。母親である私の価値観は絶対的な物差しとなって、娘の脳裏にへばりついていました。「教育虐待」という言葉があります。教育やしつけといった大義名分も行き過ぎたらただの虐待です。

ガラテヤ人への手紙6章7節
『まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。』

イエス様、ごめんなさい。私は我が子の心の喜びに目を向けず、悪霊に自分を明け渡し、娘の純粋な心に悪い種をたくさんまいてきました。そんな過去の私は「恥」です。恥の子育てを自負してきたことを潔く認め、私の犯した罪を悔い改めます。そして娘が鏡となり、私の悪をまざまざと映し出してくれたことを感謝します。娘にはずいぶんつらい思いをさせました。ここに改めて「ごめんね」を伝えます。


■前進

あれから1年半以上が経ちましたが、娘は無邪気さを取り戻し、私との間にあったしこりは消えてなくなりました。学校が嫌になり一時は転学も考えましたが、イエス様は娘に古い自分を捨て、今の学校で『地の塩、世の光』となるように言われました。神経質や妄想癖からも解放され、目の前に与えられた学業や人間関係に感謝して向き合えるようになりました。自制心が育ち、自分が蒔いた種を静まって吟味できるようになりました。「時間の無駄づかいは命の無駄づかい」であることを学び、娘の中にある時計の針がようやく正常に回り出しました。

世界のベストセラーである聖書が娘の視野を世界に広げました。集会でタイムリーに語られる世界情勢に興味を持ち、地球環境や国際問題に関心を向けるようになりました。世界中で多くの子ども達が戦争や資本主義の犠牲になっている事実を知り、自分が本当に表現したいものが何なのかを見つけました。娘は今度こそ自分の意志で、世界で苦しむ子どもたちの代弁者となる目標に向かって一歩を踏み出しました。きらびやかな世界に憧れ、自分の内側しか見えていなかった1年半前とはまるで別人です。一度は自分を見失い、夢も未来も閉ざされたかに思えた我が娘が、聖書から生きる力を得て、喜び、前進できていることをここに証しします。

子育てひとつとっても、現状に飽き足らず上ばかり見ていたら、私のように躓きます。躓いたことに文句を呟き、どこまでも行く末を案じていたら、実はすでに頂いている神の祝福にすら気づくことはできません。いい時も悪い時も自分の置かれた状況に感謝し、イエス様が私に何を伝えようとしているのか――そこに意志を向けたとき、自然と気持ちが前を向きます。神への感謝は、負の思いを断ち切ります。
聖霊の導きに委ねることを知った私の頭は、痛みを訴えることがなくなりました。宇宙のさらに上にある「第三の天」からの視点を学び、自分の身の回りで起こる出来事がいかにちっぽけであるかに気づきました。些細なことで誰かを裁き、相手の気持ちや事の展開を占い、思い煩う必要などありませんでした。自ら悩みの種を増やすようなばかばかしいことはもうやめました。見方を変えれば喜べることがたくさんありました。こうして私の脳はいつの間にか、マイナスをプラスに変える思考に変えられていきました。


■さいごに

子どもの価値は、学校の成績やスポーツの結果などでは決まりません。大事なのは心の喜び=生きる力です。生きる力が、いずれ世界にひとつだけの大輪を咲かせるのだと聖書は教えてくれました。『木は実で判断する』という御言葉(マタイ7:16-20)がありますが、自分の子育てが正解かどうかは、目を見開いて我が子の顔を見ればわかるはずです。
体調が悪い、学校に行きたくない、忘れ物が多い、勉強ができない、友達がいない、ゲームがやめられない…子どもたちは日々いろいろなかたちでSOSを発しています。どんな問題に直面しているのか、どうか子どもの声に耳を澄ませてあげてください。出来ないことを問い詰める前に、悪い実をならせてしまった自分の子育てを振り返ってみてください。子どものために両親共働きで、結果親子のコミュニケーションが奪われ、子ども達が寂しい思いをしている家庭が多い現代です。寂しさもまた子どもを狂わせます。

子育てもやりすぎれば毒親・教育虐待と呼ばれ、放棄すればネグレクトと非難される時代です。母として、人としてどう子どもに接するのが正解なのか、正しい子育ては聖書が教えてくれます。母親にとっては究極の育児本であり、人としての正しい生き方を教えてくれました。宗教ではありませんでした。イエス様という指針が示されたことで、私はずいぶん身軽になりました。自分の頭で思い悩む必要はもうありません。答えはすべて、聖書の中です――。

テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。』