◆「齊藤諒の生きる力」本日発売!!
2017/9/1 ブログより
本日、「齊藤諒の生きる力 四肢麻痺と人工呼吸器装着の僕が伝えたいこと」が、全国書店にて発売されます!!amazonでもお買い求めできます!
運命を変えて、天命を生きる!
16歳という若さで四肢麻痺となった著者が綴る、渾身のノンフィクション。
「死んだましだ!だからといって自分で死ぬこともできない・・・・・・この前まで、大好きな野球に明け暮れていた自分が、こんな身体になるなんて!」
絶望の淵から救ってくれた「聖書」の教え。
苦しみの中で希望を得た著者が今、この時代を生きる人たちにもっとも伝えたいことを書く。
著者の齊藤諒兄弟からです。
待ちに待っていたこの日がいよいよ来ました。
イエス様は僕にとって新たな一歩を与えてくれました。
マタイによる福音書5章14節~16節
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
聖書は真っ暗だった僕の心に光を与えてくれました。
今度は僕が聖書の光を伝え広げていきます。
イエス様、文芸社の皆さん、ぶどうの木の神の家族たちに、感謝です。ありがとうございました。
これからも感謝し福音していきます。
全ての栄光をイエス様に帰して。
アーメン。
ぶどうの木10年目最後の日という素晴らしいタイミングで、イエス様はこの本を出版させて下さいました。
読者の皆さんに「生きる力」を与える一冊です!!
ぜひ、ご一読ください。
イザヤ12:3~6
あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。その日、あなたがたは言う、「主に感謝せよ。そのみ名を呼べ。そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。そのみ名をあがむべきことを語りつげよ。主をほめうたえ。主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。これを全地に宣べ伝えよ。シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。イスラエルの聖者はあなたがたのうちで大いなる者だから」。
アーメン!
恐れるな、主は生きている!
2026/4/6ブログより
holygirlです。
昨日4月5日は、イエス様が死から復活されたことを祝うイースターでした。
まずは、今週歌った2曲の賛美歌を通して、イースターの意味を再確認しました。
恐れるな 主は生きている♫
恐れるな主は生きている イエス様はよみがえられた
死と黄泉との鍵をもち 世々限りなく生きている
私は主 彼らの神となり 彼らは民となる
ハレルヤ ハレルヤ 主をほめよ
イエスの十字架 勝利の力
この賛美歌は、
黙示録1:17~18
わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。
へブル8:10
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
からつくられました。
イエス様は、生きた神です。日本人が信じている神はどうでしょうか?死んでいるか、実在しないか・・・ではないでしょうか?イエス様は生きているからこそ、自分の内に受け入れて救われると、声(みことば)が聞こえ、聖霊の力もいただく事で、主と共に生き抜くことができます。神社のほこらの中に御神体として入っている方でも、お札になっている方でもないです。そこが一番大きな違いであり、日本人には体験したことのないことです。生きている。よみがえられて、生きている神であるということを、日本人はどうしても理解できません。だからこそ、私たちはイエス様が生きた神であることを、もっと自分の証を通して伝えていかなければならないと語られました。
そもそも、よみがえったと言うからには、イエス・キリストが死んだという証明が必要です。キリスト教界であっても、十字架上でイエス様が「わたしは、かわく」とおっしゃった時、ぶどう酒を含ませた海面をヒソプの茎に結び付けて飲み、その後首をたれて息をひきとられたが(ヨハネ19:28~30)、それが痛み止めであって、イエス様は仮死状態であったのではないかと考える人がいたり、イスラム教はそもそも十字架にかかっていないと教えているそうです。しかし、その時代の反逆者たちが、イエス・キリストに対する妬みと憎しみから、「あいつは罪人だから、確実に殺された!確実に死ぬ方法で処刑された!」と証言しているそうです。
さらに、現在イエス・キリストが葬られたお墓が存在しない事からも、よみがえられた後、天にあげられた事も証明されています。
聖書に書かれてある通り、死後3日目によみがえられたという事は、死にも勝利されたということ。人間が一番恐れる死からも勝利されたのがイエス様です。見るに堪えない残酷な死に方をしても勝利した神!その力を私たちは聖霊によっていただいています。だから、奇跡が起き、証が伴っていくのです。
BLOW THE TRUMPET IN ZION♫
シオンでラッパを吹け わが聖なる山で
警報を吹き鳴らせ 吹き鳴らせ
イエス様は我らの前で声をあげられる
これは神の大軍 その命令に従う
みことばを みことばを 成し遂げるものは強い
シオンでラッパを吹け わが聖なる山で
警報を吹き鳴らせ 吹き鳴らせ
よみがえられた神・イエス様は、私たちの前で声をあげられています。
私たちは主の軍隊です。神の兵卒です。そういう教えをしている教会が、日本にあるでしょうか?今まで一度も聞いたことがありません。
主の軍隊は、イエス様の命令に従います!みことばを成し遂げる者が強いです。
みことば(命令)を言われた時、受けた時に、「そんなことしたら、魂が死んでカルトになる」「やりたくないのに、無理矢理やらされるのはカルトだ!」と言う人がいますが、そうでしょうか?言われているのはみことばです。「アーメン!やります!」と言って意志を向けた時に、聖霊によって成し遂げることができます。証がともなっていきます。そのような歩きをしなければ、人間の根性、救われる前の自分の習性・習慣は変わりません。180度変わることなんてできません。神の言葉の力は、肉(欲)を打ちたたいて、「主よ、やります!やってみます!」と信仰をもって行なうものによってあらわされていくのだと語られました。
そして、神の言と言われたイエス・キリストはどんなことをされても、サタンから十字架につけられても、3日目によみがえりました。生きている神です。日本人が信じている死んだ神は、人間に養われ、人間に都合のよい額のお金で拝まれ、動いてくれる神ですが、それが神でしょうか?私たちが信じる神は、天地創造された神であり、人間はその中で生き、動いています。主体はイエス様にあります。イエス様に自分自身を捧げ、明け渡していった時に、花を咲かせることができます。それができずに、ぐずぐず自分の感情を優先するなら何も始まりません。自分の感情優先で神頼みをしてきて、どんな実を結んできたでしょうか?そのような生き方をしてきて行き詰まり、苦しくて救われたのが私たちです。自分の苦しさ、置かれていた状況の過酷ささえ、自覚できていないほどでした。同じく、他者から見たら、「そんな状況、状態で大丈夫ですか?」と思われるような人が、今この世の中に大勢いるでしょう。
私たちクリスチャン、日本人はまず、イエス・キリストは生きた神であることをしっかりと覚えなければならないと語られました。
そして、イエス様はいつも私たちの前で、特に集会の場において、声をあげてくださいます。私たちは羊の群れでもありますから、羊飼いであるイエス様の声を聞いて歩きます。羊はイエス様の命令に従います。それは世界規模です。思いを一つ、心を一つにするクリスチャンは、羊の大軍となっていきます。
もし、イエス様の命令が分らなければ、牧師を通して、神の家族を通して、教えてくださいます。ですから、躊躇せずに聞くことです。【2人か3人の証人の証言によって確定する】(第2コリント13:1)と書かれてある通りです。その時に、「私の肉が甘いのか?意志を向けていくところなのか?精錬されているところなのか?訓練を受けているところなのか?」と聞き、立ち上がることができるかどうか、神に心を見られています。そのような体験をしてきた人たちがこの群れには大勢います。
さらに、みことばの中には、聖霊によって牧師、兄弟姉妹から出てくる知識の言葉、知恵の言葉があります。聖霊は必ずみことばに基づいた言葉を出します。だから、「牧師にこう言われたけど、それはイエス様ではない」ということはありません。牧師はイエス様に明け渡し、みことばに基づいた言葉を語り、みことばのやり方を教えてくださっています。それを成し遂げるものは本当に強いです。
シオンでラッパを吹け!聖なる山で、いよいよ警報を吹き鳴らす時です。この世の中は世界的に今、人としての善と悪との戦い、光と闇との戦いをしています。神を信じ、間違った生き方をしてきたことを認め、善なる方向に生きようと思うのか、このままで良いと悪に留まり続けようと思うのか・・・お金を握り、保身に走っているようであれば、何が善か、何が神に忌み嫌われるのかは分かりません。自分の内にある悪を指摘してくれるイエス様に明け渡した器、隣人の存在が必要です。だからこそ、私たちは「みことばにはこう書かれているよ!このように言われているよ!イエス様は、こうやって導いてくださっていない?」とお互いに声をかけあい、励まし合って、足並みを揃えていかなければならないと語られました。
今週、3か月ぶりに遠方から集会に出席した兄弟がいましたが、3か月間の内に自分の進むべき道が分からず迷子になり、目先のお金の心配をして勤めた職場で最低の扱いを受けて貧困になっていました。本人はイエス様に繋がって歩んでいるつもりでいましたが、牧師、兄弟姉妹との交わりを通して、喜びを失い、活力がなく、兄弟姉妹の日々の歩みの報告にも無関心で、その心は神から遠く離れてしまっていることが明るみになり、まずは神の国と神の義を求めて、毎週集会に参加する意志を向けるよう語られました。
【隣人愛】、人への関心、配慮があればおのずと祝福されていきます。老若男女が集まる群れ(教会)はコミュニケーション能力を養う場でもあります。一匹の羊が痛みでしゃがみこめば、隣の羊が牧者に、「止まってください!しゃがみこんで動けないようです」と伝えます。トイレに行っていれば、「待ってください!トイレに行ってます!」と伝えます。横と連携し、声をかけ合い、祈り合いながら、足並みを揃えて歩くとはそういう事です。
しかし、皆がやぎになってしまえば、報連相もなく皆が自分勝手に動くため、群れとしてバラバラです。他者に無関心であれば、せっかく隣にいても、身になる話一つできません。言葉が神なのに、言葉を出さなければ何も始まりません。話すことが苦手、群れの羊が喜びの報告をしても抱えている問題を打ち明けても、声をあげられない羊に、福音宣教などできるわけがない!と私たちは何度もイエス様、牧師から訓戒されてきました。
また、相手の気持ちを引き出す語り方が下手なのは、それだけ人と話してきていないのだとも語られました。相手が素直に正直になれず、反発して強がりばかり言う、逆に圧迫されて本音を言えないのであれば、自分の口調、表情はどうであるか、相手の状況や気持ちを理解して発言できているか吟味しなければなりません。家族間、兄弟姉妹間で知らない事が多すぎる、共有していない話題があるという事も、明らかにコミュニケーション不足、無関心のあらわれです。世の中には、「コミュ障」という言葉が生まれ、自分で自分を「コミュ障」と軽く言ってしまう人たちもいますが、それはすでに家庭が崩壊しており、相手と対峙しなくても、無表情でも、スタンプだけで言葉を交わせるスマホに支配されている証拠、一方的に自分の事だけ発信できるSNS、送る文章さえも考えてくれるAIに支配されている証拠だと言えるでしょう。これを言ったら相手はどう思うのか、この言い方で相手は理解できるのか、相手に解るように丁寧に字を書く、分らなかったら質問する・・・当たり前に身に付けるべき事が奪われている今に危機感をもち、まず、私たちが悔い改め変わっていかなければなりません。
私たちが信じる神、イエス様は生きておられるので、私たちの心をいつも見ておられます。心が死んだら、人間は終わりです。目の前にいる隣人にどんな言葉をかけることができているか、日常生活でどんな言葉が出ているか、神は全てご存じです。生きている神!生きた神です!自分でつくりあげていく神、偶像ではないのだと改めて語られました。
今週は、イースターのみことばとして、マタイによる福音書28章をいただきました。トランプ大統領も、預言者ビリー・ブリム女史も、28章からみことばを引用して、イエス様の復活を褒め称え、感謝するメッセージを発信していました。
マタイ28:1〜20
さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。 見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。 この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。
女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。 万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。 そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
アーメン。
十字架上で息を引き取ったイエス様は、墓の中に安置され、入り口には大きな石が置かれていました。人間一人の力では到底動かすことのできない石でしたが、天から下ってきた主の使によってわきへ転がされていました。この御使が最初に語りかけたのは、男性ではなく女性たちでした。女性の地位が低く、女性の発言は軽んじられる時代に、神は女性たちを使われたのです。イエス様の弟子たちは男性であり、それぞれが神に用いられましたが、現実主義であったり、自己保身(ペテロはイエス様がローマ兵に捕まった後、3度イエス様を知らないと言った)になったり、見聞きしても信じないという習性がありました。
ユダヤ教・ユダヤ人がいまだに救い主を待ち望み、イエス様を救い主として認めていないのも、祭司長たちと長老たちが協議し、真実を曲げるために兵卒にお金を払い、【弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ】という事にしたからです。よみがえりを信じないようにこの時にすでにサタンの策略が動いていたことが分かります。
御使は女性たちに次のように言いました。
【恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ
行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく】と。
牧師は、「もうここにはおられない」という言葉が強く霊に語られたのだとおっしゃいました。イエス様は復活され、もう墓の中にはおられない。私たちも、イエス様によって新しく生まれ変わり、もうここにはいない!古いものは過ぎ去り、全てが新しくよみがえったのだ!というメッセージにアーメンでした。そして、このイースターに新しい霊的な事がスタートするのだと語られ、復活された後にイエス様がおっしゃった大宣教命令を改めて心に留める4月最初の集会となりました。
その一つに、絵本『1つになろうよ!』の英語版の完成、出版を求め、聖書に基づいた家族の在り方を全世界に宣教していく思いがあります。姉妹が英語を学ぶために出会った先生が救われ、姉妹を通して真理を知り、陰謀論と言われるような真実を伝える中で、レッスンでの会話も深いものとなり、先生自身のプライベートな問題にも姉妹が親身に助言してきたことで信頼を勝ち取り、今日明日でぶどうの木の兄弟姉妹のために体験レッスンをしてくれることになりました。私たちクリスチャンは、飲むにも食べるにも、何事をするにも、神の栄光のためにします。神の目的・御計画をもって、物事に取り組みます。今回も、ただ自分のスキル向上のために英会話を学ぶのではなく、一人一人がキリストの大使として先生に遣わされるのだという心構えで、主を喜ぶことを力にして自分自身を証できたことを感謝して祈ります。
また、昨年4月4日に霊的第3神殿として姉妹が開店した美容室『Send the Light(センザライト)』が、先週土曜日(4日)に1周年を迎えました。昨年5月のブログで、本格始動したSend the Lightを、次のように紹介していました。
『Send the Lightに、みことばの額がたくさん飾られました。オープンから1か月を経て、本格的にみことばの光を放つお店として始動しました!
私たちクリスチャンは、みことばの中を生きている・・・Send the Lightはそれを表すお店です。世の中の人は、自分の心、他者の意見、占い師の言葉など、鼻から息の出る者を頼り、道標にして生きていますが、クリスチャンの道標は聖書の御言葉、神の言と言われるイエス・キリストご自身です。私たちは24時間365日、生きている神・イエス様と密に会話をして交わりをもち、起きている時だけではなく眠っている時にも必要なことを語られ、自分の進むべき道を示され、それ(みことば)に従って歩むことで、まず神の国と神の義を求めて生きることで、証と祝福が伴っていきます。そのように生きる時、周りの人は神が私たちの内に生きておられることを見る事となり、私たち自身がイエス・キリストの栄光を表す存在となっていくことができます。
Send the Lightという言葉通り、自分自身が光であるイエス様を放ってこそ、人は引き寄せらせ、救われていきます。自分の考えや思いのままに生き、それによって様々な問題が生じると、時に「何のために生きているの?」と自問自答したくなるでしょう。しかし、クリスチャンの生きる目的は、一人でも多くの魂を救うことです!』
そして、今週の集会では、まさに店名通り、イエス・キリストの栄光をあらわすお店としてたくさんの魂を救い、経済的・社会的にも祝福され、信仰通り実を結んだ証を、最強のバディとなったA姉妹とB姉妹から聞くことになりました。
最初は、イエス様や聖書の話をお客さんにしたらどう思われるか?あまりしない方が良いのではないか?と、それがこの世で賢く振る舞う事であると勘違いしていました。肉では生活していくための仕事ですから、客足が遠のいてしまったら困ります。しかし、そこにいる限り、神には喜ばれず、聖霊も働かない!少しでも自分をかえりみてしまえば、神の任務を遂行することはできない!何事もまずイエス様のためでしょ!と牧師から訓戒され、悔い改めた二人は、そこから、堂々とイエス様が臨在されているお店であることをアピールするために、みことばの額を飾り、聖書を置いたのでした。
福音することを躊躇していた二人が、自由に証をし、悩み事を打ち明ける客には、イエス様が救い主であることをまっすぐ福音するようになったことで、神の好意が働いていきました。A姉妹は東京の美容室をやめてすぐに浜松で店を開き、B姉妹は10年以上別の仕事をしていたところから、フリーランス美容師として店に立ったため、全く顧客がいないところからのスタートでしたが、どんどん聖霊が客を連れてくるようになり、多額の借金を抱えて不安だったA姉妹は毎月きっちり返済できるほど祝福されていきました。店の内外で出会った人々にお店ができるまでの証(自分の証)を伝えると、その神業を誰も否定できず、迫害もなく、皆がすごい!教えて!と言ってくれることが喜びへと変わっていきました。
B姉妹は、A姉妹が東京から戻ってきて美容室を開く話が出た時に、イエス様から「美容師に戻りなさい!」と命じられました。
肉では戻りたくなく、新しいことを始めることへの恐れを払拭できないまま、店に立つ日々が続きました。霊的状態は顧客がつかないことに確実に影響し、明るく振る舞っていても、A姉妹には見抜かれ、毎日訓戒されていました。自信のなさ、恐れ、そして、祈ること、悪霊と戦うことを怠り、問題が生じればすぐに不信仰になってしまうB姉妹に、肉では「もういい!やめた方が良いのでは?」と言いたくなる中、A姉妹も語る訓練でした。
今週の集会で、B姉妹は、A姉妹の言い方がきついと感じながらも、「キリストの愛がA姉妹にまっとうされているのが分かった。いつも言いっ放しでは終わらず、必ず引っ張り上げてくれた。分からないことは何度も教えてくれ、とことん掘り下げて話を聞いてくれた。みことばで立ち上がらせてくれた。何とか私を助け起こしたい気持ちが伝わるから、裁くのではなく、自分が変わることに意志を向けることができた」と証してくれました。まさに、【隣人愛】の勝利の証でした。
そして、B姉妹が真剣に心を入れ替え、信仰に立ち、祈り、みことばで戦う姿勢になったことで、客がつくようになり、福音によって救われる人が生まれ、自身の経済も祝福されていきました。A姉妹から、売り上げ目標も提示され、それを達成するために、自分の内に生まれる思い煩いと恐れに対してみことばを宣言して戦うことも習慣となりました。先月末(1周年を迎える前)は、売り上げ目標達成まで、あと数万円足りない状況でしたが、大雨で一人営業・・・最初は午前中に一人しか予約がない状況でしたが、次第に予約が埋まっていきました。それでも、目標には達しない・・・私の何がいけなかったかと吟味していたら、最後の1時間枠にお客が入り、売り上げ達成となったそうです。
B姉妹は、いつも結婚生活の中で夫との金銭感覚の違いで苦労し、常にお金の心配をしてきました。【愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。】(第1ヨハネ4:18)と言われているのに、みことばで戦うことをせず、恐れがあるから懲らしめが伴っていました。キリストの愛がまっとうされず、夫に対しても祈ることをせず、夫が趣味のキャンプをする日に雨が降った時には、「ざまあみろ」と思ってしまうほどでした。
Send the Lightでの1年間の働きを通して、【主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。】(箴言10:22)と語られ、今、貯金ができ経済的不安が解消され、クリスチャンとして訓練を経て成長できたことから、まさにこの御言葉通りであると証してくれました。
A姉妹は、牧師、兄弟姉妹の誰もが認めるほど、本当に180度変えられました。誰がそうさせたのか・・・成長させて下さるのは神であるとしか言えません。A姉妹のために親身に語ってきた牧師、兄弟姉妹がいたこと、不信仰ですぐに悪の道に行きそうになってしまうA姉妹の霊にみことばを蒔き訓戒してきた肉の家族、神の家族がおり、A姉妹は自分が受けた愛と学んだことを、隣人B姉妹の霊に徹底的に蒔いてきたのだと分かりました。A姉妹の信仰が本物であり、神が喜ばれたからこそ、たった1年で皆が驚く業績を出すことができました。Send the Lightができたことで、群れの交わりの場が与えられ、兄弟姉妹も客として利用することで交わりの機会も増えました。その中で、時に厳しく、でも愛を持って語るA姉妹によって、迷子になりそうだった兄弟姉妹が悔い改め、神に立ち返ることができました。そんなA姉妹が、1周年を迎えて頂いたみことばを紹介します。
第1コリント2:1〜16
兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。 わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。 むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。 この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。 しかし、聖書に書いてあるとおり、 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、 人の心に思い浮びもしなかったことを、 神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」 のである。 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。 しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。 「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。
第2コリント9:6〜15
わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
「彼は貧しい人たちに散らして与えた。 その義は永遠に続くであろう」 と書いてあるとおりである。種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。 こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。 すなわち、この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、そして、あなたがたに賜わったきわめて豊かな神の恵みのゆえに、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのである。 言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。
アーメン。
最後に、A姉妹とB姉妹と共に、三つよりの綱として美容室内で糀を販売してきたC姉妹の証を紹介します。
救われる前、人と話すのが苦手、初対面の人にはもちろん自分のことは話さずにきたC姉妹は、糀の『米花』を起業して、様々な人と出会い、その人たちに力強く証をし、救いに導いている自分を客観的に見て、「私、こんな人間だったけ?」と、180度変えられていることを知ることになったそうです。
一人では気づけないところ、古い肉の習性は、A姉妹とB姉妹に訓戒され、悔い改めて立ち上がり、霊力を変えてきました。サタンが動いて何もうまくいかずに行き詰まっていたことも、自分が切り替えて、悪霊を縛り上げて立ち上がると、次のビジョンを聖霊が教えてくれ、その導きに従ってきた歩みでした。そこには計り知れない神の御計画、出会いがあり、たくさんの人に求められる糀商品が生まれていきました。まさに、【あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。】(ピリピ2:13)のみことばどおりであったと証してくれました。
一時期は、幼い娘の子育てが上手くできていない中、仕事も多忙で家事もままならない状況となり、「1番はイエス様、2番目が家族、3番目が仕事」と言われる中、3番目の仕事を神の仕事としてイエス様をカシラに行なっているはずなのに、2番目の家族がおろそかになり、子どもの精神状態も、夫婦関係も悪くなっていることはどうなのかと悩み苦しむ日々もありました。しかし、それは自分のやり方をしていたからであると語られ、夫に相談し、助けてもらうことで、平安のうちに神の仕事を行うことができるようになりました。C姉妹は、クリスチャンファミリーだからこそ、一緒に一つ思いで立つことができ、成し遂げることができたのだと証してくれました。
そして、A姉妹が頂いた第1コリント2章を聞いた時、C姉妹は、『米花』を起業する際に、その前の1章を頂いていたことを思い出し、Send the Lightの今に繋がっていることに感動したと話してくれました。
第1コリント1:26〜31
兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。
アーメン。
無きに等しい自分を選んでくださった神。生きた神の力によって一つ一つ成し遂げてくることができたこの1年。何一つ自分を誇ることはできず、【誇る者は主を誇れ】の歩みでした。
一人一人が神の知恵を求めて、今の自分のポジションで何ができるか考え、聞くことは、キリストの肢体として大事なことです。
自分のためだけに生きるのではなく、隣人のために何ができるか、そして、神・イエス様のために何をするべきかを常に聞いて、生活するクリスチャンに無駄な時間はありません。なぜこの人に出会ったのか、どのような御計画があるのかを考えるとわくわくします。その中で、相手の話を聞き、自分の思い(ビジョン)を伝える対話を繰り返すことで、聖霊が充満し、生きた神を皆が見ることができる!!そこに至れるように、闇の世界で光を放つクリスチャンにますます成っていけたことを感謝して祈ります!
