新生活を迎えるにあたり

 
 

私は、この春から念願であった美容師となります。
高校中退の私は、22才の時に高卒認定試験を受け美容専門学校へと導かれました。
是非、以前の私の証をご覧ください。
暗闇から光へ
今月に2年間通った美容専門学校を卒業しました。
2年間の学生生活の中で、イギリス・パリ・ロサンゼルスへの海外研修にも参加させていただきました。美容の技術・知識たくさんの事を学び、全てが私にとって必要な学びとなりました。
学校だけでなく、初めての一人暮らしで今まで親にしてもらった事も、自分でやらなくてはいけなくなりました。洗濯・掃除・食事と何もやった事のない私だったので、本当に親の有難みがわかりました。
2年間の東京生活の中で、毎週安息日には浜松に帰り、神の家族と聖書勉強をする事ができました。東京⇔浜松往復の交通費もイエス様が父を通して備えてくださいました。

ヨハネ16:23~24
その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

第3ヨハネ2
愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。

姉妹を通して、この御言葉をいただきました。 アーメン。

イエス様を求めた事によって道が整えられ、2年間の学生生活を終え就職先も与えられました。これから社会人として独り立ちするにあたり、健康面・経済的・社会的にも、全てが祝福だと言える人生をイエス様と共に歩んでいきたいと思います。

今回、4月からの新生活を迎えるにあたり、新しい住まいを探さなくてはいけませんでした。今までの住まいでは、家賃が高いので通勤などを考えて埼玉の南部周辺で探していました。
私は、今までの住まいよりも広い所をと求めていました。部屋が広く、バス・トイレ別・できたら新築と自分の理想の住まいを求めていました。求めていた住まいは、すぐに見つかり契約をしました。私は、イエス様に求めたから与えられたのだと思いました。
牧師・兄弟姉妹からは社会人一年目で、その家賃では生活していくのに厳しいのではないかと言われました。最初は、父も「生活が大変だろうから少し支援してあげる」と言っていたので自分でも大丈夫だと思っていました。
しかし、私への支援は学生としての2年間だけだと最初に言われていました。社会人となったら当然、金銭面においても一人立ちしなくてはいけない事を改めて牧師から言われ思い出しました。それでも、新しい住まいを手放す事ができず自分ひとりのお給料でもやれない事はないと思いました。牧師から「では、どういう生活設計をたてているのか?」と聞かれました。私は、先ずはイエス様への10分の1の献金。あとは家賃・光熱費・食費などやってやれない事はないと思うと言いました。
しかし、その瞬間、牧師から「集会に来る交通費は?」と聞かれ、「あっ!」と、気付きました。
私は美容師という職に就くため、日曜日が仕事で今までのように毎週、聖書勉強に参加する事が難しくなりました。それでも安息日を聖別する事をイエス様に求めていこうと思っていました。聖書勉強に参加するには交通費が必要だという事が自分の中でとられていました。
口では「イエス様」と言っていながら現実の事しか自分の頭の中にありませんでした。安息日も「イエス様に求めれば休みも交通費も与えられる」みたいに思っていました。
私のイエス様への祈りは、「あれが欲しい。これがしたい」と、イエス様に注文をつけた祈りでした。「主の御心であれば 」と祈る事が出来ていませんでした。

ヤコブ4章
あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。
よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。

この御言葉が牧師から与えられました。自分の肉の思いばかりを求め、本当にそれがイエス様から与えられたものなのか?サタンが光の天使に擬装して与えられたものなのか?判断が出来なくなっていました。牧師・兄弟姉妹からの忠告がなけれにば、自分の身丈に合わない生活をし、きっと滅ぼされていたと思います。そう、気付かせていただけたイエス様に感謝します。

第Ⅱコリント11:12~15
しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。

ローマ8:5~7
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

私は悔い改めをし、今度はイエス様にしっかりと聞きながら新しい住まいを探す事にしました。現在、契約している住まいも解約し、自分の希望・思いを握る事なく、イエス様に明け渡して探す事を決めました。
その瞬間イエス様から牧師を通して父に、「これから家族が貴方のお給料で生活していくと考えて家族が協力しその中で余裕ができ娘に支援してあげられるのであれば、それは家族の愛としてやってあげたらいい」と話がありました。
本当に握った物を手放した瞬間にイエス様から言われました。神は私の心が欲しい! 神は奪う神ではなく、与える神である!と、気付いた瞬間でした。

マタイ11:10
『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。

エペソ6:1~9
子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。
僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのである。

アーメン。 二つの御言葉をいただきました。
両親(霊の世界ではイエス様・牧師、この世では父・母)を敬い、従っていきなさい。そして、どんな時も御言葉に立ち返ってイエス様に聞いていく事の大切さを再認識しました。これからは、イエス様から与えられた道をイエス様=御言葉と共に歩いていきます!!

箴言6:20~24
わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。
つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。
これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目ざめるとき、あなたと語る。
戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲しめは命の道である。
これは、あなたを守って、悪い女に近づかせず、みだらな女の、巧みな舌に惑わされぬようにする。

全ての栄光はイエス様に帰します。