雨のち晴レルヤ

 
 

第Ⅰテモテ3章8節~13節
それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったなら、それから執事の職につかすべきである。女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。
執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう。 

私は47歳の男性です。妻、娘、息子、母の5人で暮らしています。私達家族は息子の交通事故をきっかけに2009年4月4日、兵庫県にて救われ、クリスチャンとなりました。2014年現在、ぶどうの木教会の執事として牧師、兄弟姉妹と共に聖書勉強をしています。

私は執事として任命された時に頂いた御言葉とは真反対の人生を歩んできました。クリスチャンとして救われる前(約20年前)の私は、市場に勤めており、朝早く昼には終わる仕事をしていました。仕事が終わってもまっすぐ帰らず、ギャンブルをしたり、ゴルフをしたりと毎日ダラダラとした生活を送っていました。家族とのコミュニケーションもあまりなく、夜は早く寝てしまう、そんな生活でした。
宗教といえば会社の社長が真如苑という宗教を熱心に信仰していたので会社のほとんどの社員はただ入信するだけで、特に信仰もなく私もそのうちの一人でした。ある日、遊ぶお金欲しさに妻(同じ会社に勤務)と同僚と共に横領(商品の横流し)をしてしまいました。金額は1200万円を超えていました。横領が発覚し、逃げるように会社を退職しました。それでも何とか返済をしなくてはと思い、母に相談をして1200万円を工面してもらい、会社へは何とか返済をさせてもらいましたが、やってしまったことには変わらず、とても後悔しました。
その後運送会社に入社して一から出直しをしました。少しでも多く稼ぐため、長距離の仕事をしていましたが、不規則な生活が続き、三年が過ぎたころ会社の検診で糖尿病と診断され薬を飲むようになりました。後に牧師から「あなたが糖尿病になったのは昔から自分に対して甘かった、だからなってしまった。」と解き明かされました。

2008年10月28日、高校2年生になる息子が交通事故に遭いました。首の骨折による頸椎損傷、四肢麻痺となってしまい自発呼吸もできなくなりました。息子は小さい時から野球をしており、高校に入ってからも甲子園をめざして頑張っていた矢先の出来事だったため、家族全員絶望の淵に立たされました。加害者の方は任意保険の掛け金を滞納しており、ちょうど期限が切れてしまっていた時の事故でした。今後支払いができない状況で、私たち家族はこれからどうしたらよいか途方にくれました。自分たちがしてきたこと(横領をした事)にバチがあたったんだと自分を責めました。この先真っ暗なところを、イエス様はクリスチャンとして救われる以前からご存じで、私達家族をかえりみてくださっていました。相手の保険が無くても自分達の自動車保険からすべて保障されることとなり、煩うことなく息子の介護に専念できるようになりました。浜松の病院からリハビリ(呼吸器の訓練)のため兵庫県尼崎の病院に転院しました。妻と娘は息子の介護のため、尼崎の病院近くにアパートを借りて息子の世話をしていました。
2009年4月4日、たまたま浜松から私も見舞いに来ていた時、同じく浜松からお見舞いに来てくださった方達がいました。息子の野球部の先輩とその母、姉、そしてぶどうの木の牧師と娘さん二人が来てくださいました。病室でイエス様の話を聞き、息子のために祈って頂き、息子だけでなく家族全員祈って頂き、その場で救われクリスチャンとなりました。(救われても実際に私はこの世の占いや、テレビに出演するような霊能者の方に来てもらったり、気功や絵などイエス様以外の事にもより頼んでいました。)
ぶどうの木の牧師はこの病室の場で私達家族の霊的状態を見抜き、後に集会で、その場で息子を立ち上がらせることはできたが、それよりも深いことがある、それは娘の事だと語ってくださいました。実はこのころ娘は暗闇に入り込んでいました。息子が事故に遭うまでは息子の野球につきっきりで娘はいつも一人でした。
娘は高校中退後ショップの店員、夜は飲み屋で働くようになり悪い付き合いが始まっていました。たばこ、入れ墨、薬物使用、不倫による妊娠中絶と最悪の状況に陥りました。救われた後、ぶどうの木で水の洗礼を受けたとき、偶然はなく副牧師が娘の入れ墨に気づき発覚しました。薬物使用(覚せい剤)、妊娠中絶については娘が180度変えられた時、すべてを光に出し公にして悔い改めたときにわかりました。今は入れ墨の除去も治療中です。
覚せい剤は4月4日に救われた時、息子の病室で体が急に熱くなりスッと抜け二度と使用することはなくなりました。(救われた瞬間聖霊が体の中に入られたことを体験しました。)

息子が尼崎の病院にいるとき、私は某テレビ局に一通の手紙を送りました。その手紙を読んだディレクターさんが目を留めてくださり、息子を取材してテレビで放送してくださいました。その時、元プロ野球選手の栗山氏と出会いました。栗山氏と親交が深まり、栗山氏が出版された本にも息子のことを掲載していただきました。
息子がクリスチャンになって聖い歩きをしていることをこの二冊の本(『はるかなる甲子園 もう一つの高校野球物語』『伝える。 言葉より強い武器はない 』)によって全国に福音ができイエス様の栄光を表すことができました。栗山氏は今では日本ハムの監督となり光輝いています。

息子もリハビリを終え、自宅に戻り、後に救われた母も一緒にぶどうの木の集会に参加しました。その時牧師から私達家族に語られたことが「許し」でした。相手に対してどんなことも許し・愛し・祝福し・尊敬すること、自分も家族もイエス様によって許されているからと語られました。息子の加害者、そして加害者家族を許すことから始めました。それまで許せなかった私は、毎月毎月一生懸命お金を工面してお見舞金を持ってくる加害者の父親に対して、当然のごとく受け取り、「こんな金どぶにでも捨ててやれ!こんな金すぐに使い切ってやる!」という気持ちで、ほとんどをパチンコに使ってしまっていました。今では本当に申し訳ないという思いです。
後に牧師から解き明かされた事は、私達家族も加害者家族も同じ霊力に引き寄せられたためにこの事故が起きてしまったこと、もしかしたら被害者と加害者が全く反対の立場になっていたかもしれないという事でした。息子の事故後、運送会社にいた私は絶望感とイライラなどのストレスでトラックの運転も荒くなり、スピードを出し、危険な運転をしていました。ある日無謀な割り込みをしたと苦情の電話が会社に入り、即解雇になりました。自分の息子が大きな事故に遭っていたのに、なぜこんな運転をしてしまったのだろう・・・こういうところも信仰の浅いところで許すということができていなかったのだと悔い改めました。牧師が語った被害者と加害者が反対の立場に危うくなるところで、イエス様に守られていました。

その後も、私達家族は牧師から解き明かされることを忠実に実行していきました。まず家の中の猫、それは家の中と外を土足で出入りして、悪霊を自由に出入りさせているのと同じであると語られました。我が家の場合は、息子のベッドに飛び乗ったりすることで呼吸器に不具合が起きてしまったら大変なことになってしまいます。猫という動物が悪いのではなく、イエス様を頭にせず、悪霊につかわれている猫を無防備にかわいがってしまうことは違うと教えられました。猫は息子のための自宅の改装中にいなくなってしまいました。その後又、私は二匹目の猫をもらってきました。母がさみしい思いをしないためにと言いながら、実際は自分が好きだったため貰ってきてしまいました。せっかく神が取り除いてくださった猫を再び入れてきてしまった事は、イエス様=牧師の言葉をあざけっていたのだと牧師から戒められ、あざけっていたことを悔い改めて引き取ってもらいました。

次に、仏壇、神棚の処分をしました。これは元々昔からの流れでやっていただけで、位牌を飾ってある仏壇に拝んでも何の意味もないことや、亡くなった先祖によりたのんで毎日お供えをしても、すでに魂は天に上げられているから無意味であること、八百万の神々に力はない事(結局真如苑に入信していても息子の事故は防げなかった事)が聖書を学ぶ中で分かるようになり、処分するに至りました。お墓についてもお寺にクリスチャンになったことを話して檀家を抜け、墓の中の遺骨はすごく少量であったので、自宅の庭に散骨し、寺との関係を断ち切りました。すべて処分ができ、今では神仏行事の出費もなく、近隣住民とも全く普通にお付き合いをし、何の問題、煩いもなく生活できています。
こうしてイエス様によって聖められた我が家は、今では兄弟姉妹が集まる集会の場所としてすばらしい神の宮となりました。私の家は15年前に、父親が建ててくれた家で、新築してわずか4年で父親が死去して、家の支払いがなくなりました。父親の生命保険で母に横領したお金を肩代わりしてもらって事件にならなかったこと、そして今回息子の事故で支払われた慰謝料も、大金であっても決して祝福されたものではないことから、お金のルートがこの世の神サタン=お金から来ていた事を牧師を通して語られ、今まで握っていたお金の事を悔い改め解放されました。この先聖いものとなるため、誠実に忠実に献金をし、イエス様の土台に立つことができました。
以前横領をした会社の社長に謝罪にも行きました。最初牧師に言われた時、正直「今更、謝罪に行くなんて嫌だし、恥ずかしいし、会ってくれないだろう」と思っていました。それでも意志を向けて社長に連絡をとりました。思い煩っていたことが全く反対で社長は「よく連絡してきてくれた!うれしい!ぜひ会いたい」と言ってくださいました。妻と息子を連れ、三人で会いに行きました。
社長は横領の事もなかったかのように、とても喜んでくださいました。息子の体を何度も何度も触り「絶対に治るから」と励ましてくださいました。私たちはクリスチャンになったことを話して別れました。八年もの長い間の重荷がとれ、本当にすっきりしました。
今まで生きてきた人生で最高のハレルヤでした。また会える日を楽しみにしています。

運送会社を退職後、私は「イエス様から大型二種免許を取得する事を言われた」と、ぶどうの木の働き人の会で牧師に相談をしました。牧師にも取得するように言われ、自動車学校に通う様になりました。免許を取得するにも全て最短で取得(実技試験、筆記試験)できました。どんな事でも自分の義で行わず、一つ一つ聖霊に委ね、行う事で実を結ぶ事を教えられました。このイエス様から与えられた免許が武器となり、就職活動がスムーズに行き、やがてO社、E社が与えられました。取得後、すぐに履歴書を書き、新聞広告に募集が出ていたO社と現在募集していない県内でもトップのE社
に飛び込んで行きました。勿論E社には面接はして頂きましたが断られました。O社にはすぐに面接をしてもらい、入社することができました。O社にはIさんという方が当時運行管理をされていて、その方から仕事の全般、そして運転技術をみっちりと学びました。私の出会った中で一番運転が上手な方だと思いました。
一緒に仕事をしている中でIさんも同じクリスチャンと言う事を知り、意気投合しました。ぶどうの木の食事会にも誘い、兄弟姉妹に紹介しました。
しかしIさんはプロテスタントでありながら、飲酒・喫煙・女性問題もあり、クリスチャンとしてあまり良い歩きをしていませんでした。そんなIさんに説得をしているうちに少しずつ関係がギクシャクしてきて、やがて私達クリスチャンにとっての安息日である日曜日にも仕事を入れようと迫害をしてきました。
O社に勤務して一年がたち正社員になった頃、忘れかけていたE社から電話があり「すぐに来てほしい、再度面接をしたい」といわれました。欠員が出たからといわれ、O社に勤めているのも分かっているが退職してでも来て欲しいと言われ、断る理由も見つからず、一つ返事で決めました。O社にはいろんな手続きが終わってから退職届を出そうと思っていました。Iさんには、「正社員にしてやってこれから期待してたのに何だ!」と罵声を浴びましたが、2011年1月22日O社を退職(Iさんに手紙を渡して)となりました。

<Iさんへの手紙>
Iさんへ
一年間という短い間でしたが、いろいろと御指導いただきありがとうございました。同じクリスチャンとして意気投合し、毎日が楽しく過ごせた事、とても感謝しています。今Iさんに伝えるとするならば、それは肉では一歩も進めない状態です。今のIさんの状態は聖書に基づいた歩きをしていないからです。
悪霊(サタン)に翻弄され、遊女の霊にまかれ、現状は男の義・プライド・情で仕上げているため、最後には行き詰ってしまいます。Iさん!!この世の姦淫にまかれてはだめです。情で女性とその家族を養ったり、お酒や煙草でストレス解消したり、サタンの思うつぼです。肉の快楽を求めていった先は滅びしかありません。
以前Iさんは「あなた達はやりすぎだ!熱くなりすぎだ!」とおっしゃいました。そうやって真剣にイエス様と向き合っていないから、いつまでたってもIさんには栄光が訪れてこないのです。
私は最近こんな風に思います。霊がしっかり信仰に立っていると肉の生活、仕事にも影響し、良い方向に進みます。しかし少しでも崩れると、家庭の中は悪くなり、仕事でも失敗し、霊の事は必ず連動していることがわかりました。やりすぎでもなく、熱くもなく、信仰に立てているかです。やがて霊→魂→体となっていくのです。
<わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。>という御言葉もあります。神は必ず、心を見られ、神の御旨を行ったものに対しては必ず祝福をくださいます。Iさん!神を知るあなたなら神の強さも怖さも知っているはずですよね?
熱いか冷たいか!白か黒かです!聖霊に明け渡した器となって、イエス様を一番とした生活を送れるようにと祈っています。

2011年1月23日、ぶどうの木の執事として任命されました。それと同時にE社への職も与えられました。

第Ⅰテモテ3章8節~13節
それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったなら、それから執事の職につかすべきである。女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。
執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう。

どうして自分が?という気持ちでした。この御言葉とは全く正反対の人生を歩んできたし、今さらこんな歩きが自分でもできるのか?と正直不安でした。しかし、みことばも牧師からの知恵の言葉も「アーメン」と受けて従いながら、数々の訓練を受けてきました。2月1日からは待ち望んでいたE社に就職開始となりました。

私はトマス(目に見えるものしか信じない)と言われていながら執事の職を与えられました。イエス様からは、「見て信じるのではなく、霊の世界に目を向ける事で、見ないで信じる者となりなさい。しっかりと信仰を保ちなさい」と言われていました。私は見えるものに左右されて全く信仰に立てず、家族一人一人がイエス様によって変えられているのに、証の場では素晴らしい職が与えられたという自分の事しか証が出来ない、他者に関心が持てない人間でした。私はイエス様から不信仰だと言われている事に気づかなくてはいけませんでした!!

入社後間もなく、会社からは『バスの運転ではなく、営業をやるように』言われ、全く内容も分からずとにかく必死で働きました。私は上司に「まず今ある顧客を取られない様にアフターケアしてくれたらいい。それから徐々に覚えて行ってくれたらいい」と言われました。
しかし一年後、気がついたころには顧客も一番多く、売り上げもトップになり、まさに良い地位を得ることができました。見えない所で聖霊が働き、次から次へと歯車を変えていってくださいました。
一年が経ち、2012年、念願の正社員になりました。仕事も覚え、順調に一日一日が過ぎて行った3月半ば、咳が止まらなくなり、ちょうど車で走っている途中に見つけた耳鼻科に飛び込んで診察してもらいました。鼻の奥に腫瘍らしきものがあるから直ぐに大学病院に行って細胞検査をするように言われ、直ぐに大学病院に行きました。検査の結果、悪性の癌と診断されました。二ヶ月の入院、手術が出来ない為、抗がん剤と放射線による治療と言われ、息子の介護もしないといけないのに、家族にも迷惑をかけてしまう・・・仕事も順調だっただけにかなりのショックでした。なんで自分がここで癌にならなければならないのか?
イエス様と繋がっている自分が病気になってしまったのか?それはその後牧師から解き明かされました。(私が苦しんでいる頃、娘も妊娠、中絶で苦しんでいたことを解き明かされました。)5月から闘病生活が始まりました。2週間後には喉の痛みから、食べ物はもちろん、水さえも飲む事が出来ず退院まで食事が出来ず、一変に痩せていきました。

闘病生活も終わり、退院するころには癌も治療で消えて無くなっていました。さらには以前から患っていた糖尿病も完全に癒されており、掛かりつけの病院の先生も驚いて「こんなことがあるんだね」とおっしゃり、それ以来糖尿の病院には行かなくなり、もう二年が経ちます。(以前の甘い自分を断ち切って信仰に立った結果、奇跡が起こった証となりました。)


<三つの御言葉から語られた事>

ヨハネによる福音書20章24節~29節
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

以前、ぶどうの木に「ヨハネの福音書」というDVDが与えられ、全員がこのDVDを見ました。その中でどこが印象に残ったかを聞かれました。私が、一番印象に残った所は、水がめの水がぶどう酒に変わったところでした。(ヨハネ2章1節~11節)
上の御言葉が、その時牧師を通して頂いた御言葉でした。この御言葉を通して、自分はトマスだと言われました。私は目に見えるものしか信じる事ができず、イエス様に言われたことに忠実に動いたとしても、また暫くすると同じ事を繰り返していました。また、白か黒か、熱いか冷たいかはっきりせず、少しぐらいはいいだろう・・・そんなところにいました。

第Ⅰペテロ1章16節~25節
聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。
あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。

この御言葉は私が癌になり、癒されたにも関わらず2回目の治療を受けようとしていた時の事。闘病生活を送っている時に息子を通して頂いた御言葉です。どうして自分が癌になったのか?牧師から鼻の奥に出来た癌=それは、長年にわたり“家族の中で言わなければならない事!”を言わずに来た、一家の長としての役割が出来ていなかった事が原因だと語られました。実は私は母の事でずっと許せなかった事、娘、娘の不倫相手、加害者家族を許せなかった事がありました。
クリスチャンでありながら、『許す』という部分でこれらの事は許せないでいた事も癌の原因でした。入院中、信仰に立てず、戦う事をしないで、ただベットの上で苦しんでいる私を牧師兄弟姉妹が訪ねて来て下さり、その中で信仰に立ち、戦う事ができない自分を戒め、そして悪霊の追い出しをして祈って下さいました。こんな自分でもイエス様は癒してくれた。それなのに2回目の治療の予約をしていた・・・。
イエス様が唯一の神と言われながらも占いやこの世の神的な物に頼ったり、猫は霊的にだめといわれていたにもかかわらず、また飼ってしまう、同じ事を何度も何度も繰り返し、イエス様をあざけっていました。そののち自分が癌になり癒された自分がいて身を持って体験をして、イエス様に対して悔い改め、そして信仰が深まっていきました。

ヘブル11章1節
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

入院中、私と同様に娘が苦しんでいました。娘は当時不倫男性との間で妊娠をしていて、中絶するか否かで迷い苦しんでいました。
当時、偶然はなくその男性は、私が前に勤めていた会社の同僚の息子さんで知っていたこともあり、こういう付き合いはよくないと実際に会って話をすることができました。そして、クリスチャンであることも伝え、娘と別れるようにと説得をしました。しかしその後は内緒で付き合っていたようで、結局娘は妊娠してしまい、中絶の道を選び、男性と終止符をうちました。
そこから娘は悔い改め、イエス様の愛を知り、神を恐れ、180度変えられていくようになりました。高校中退だったため、高卒認定をしっかり取得し、もう一度今度はイエス様の土台からのスタートとして一歩踏み出し、現在東京の美容専門学校に通い、美容師になることを志しています。この娘の再スタートについては私の働いている給料をすべて娘のための費用(授業料・家賃など)に使うようイエス様から語られました。我が家の生活は息子の賠償金でまかなうよう、秩序正しい使い方を教えていただきました。
娘も今では親のありがたみもわかるようになり、毎日一生懸命勉強しています。すべての罪から解放されて180度変わった娘を見て、人間ってこんなにも変われるんだと本当に驚いています。

自宅療養後、入院から約半年を経て、11月に会社に復帰しました。実は私は2月に正社員になったばかりで、もし正社員になる前だったら会社は契約社員でいた私を契約解除していたかもしれません。そんなところも神はしっかりと守っていてくれたんだと本当に感謝をしています。
翌年の7月には正社員になってはじめてのボーナス(48万円)をいただきました。ちょうど娘の海外研修旅行(ロンドン、パリ)があり、費用がちょうど48万円とぴったりでびっくりでした。こういうところでも秩序正しくイエス様は準備してくれたことに感謝しています。
復帰後は以前のようにバリバリと働いています。そんな中1年がたった10月にぶどうの木の青年もE社に導き、一緒に働くようになりました。この青年は職場を転々としていてなかなか祝福された職場に就く事が出来ず悩んでいました。ある日、職場で一人の営業マンの退社により、急遽募集することになりました。
「このタイミングはイエス様しかない!!!」と思い、会社に面接をしてもらうようにお願いをしました。会社は喜んで受けてくださり、その青年を優先にと、募集をするのを待ってくださいました。その後何度も面接を重ね、合格をいただき、入社にまでたどりつきました。私自身、聖霊の導きによりこの青年が入社できたこと、神の御業のすごさを目の前で体験させられました。そんな中、私もこの青年を絶対に会社に合格させようと、男の義で会社の資料を持ち出して、少しでもこの青年の役に立つようにと、仕事の内容が頭に入るようにと資料を渡してしまいました。
ぶどうの木の教師から「入社前にそういうことはするものではない、男の義でやってはいけない」と戒められ、すぐに資料を返してもらいました。ただ聖霊にゆだねるのみ、男のプライドや男の義でやろうとする(何としても入れてやる、やってやった)のでは何事においても前には進めず、自分の義を求めるのではなく神の義を求めていくことが最善の方法とわかりました。

マタイ6章33節
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 

今では、この青年も訓練の元、E社を代表する一人の立派な営業マンとしてバリバリ働いています。驚くことに、息子の事故の加害者父もE社に誘い、みんなで仲良く聖霊の導きのまま働いています。ぶどうの木の男性3人が同じE社でがっちりスクラムを組み、浜松のど真ん中で福音に務めています。私は会社でもこの二人の責任者となり、霊でも執事という責任者となりました。

2009年4月4日に救われてもうじき5年の歳月が経ちます。息子を立ち上がらせるために救われ、クリスチャンになった今、気が付いたら家族一人一人がイエス様と繋がって歩き出す生活となっていました。今までのひどい人生の所にいた自分たちがこんなに変わることができるなんて・・・もう昔の自分は忘れました。
今後の自分の人生のために大いなる憐れみをかけ、最高の舞台に立たせてくださり、人はこんなに変われるという事、何歳になっても決して遅くない!!と教えてくださったイエス様。
人としてどうあるべきか?・・・今までの事は間違っていたと素直に認めるところからスタートです。自分の義、プライドを神の義に変えていったとき、そこに必ず答えをくださり、心を見られて祝福へと変えてくださるのが神、イエス様です。


<自分達とイエス様とのパイプ役の牧師>
私達にとって牧師とはイエス様からの重要な御言葉を伝えてくれるパイプ役です。私の家族は、以前は仏教だったので既成教会を知らずにぶどうの木に導かれ、救われ、クリスチャンになりました。ぶどうの木の牧師は、常に羊の事を考えてくれています。
韓国、そして全国にいる兄弟姉妹がいつでも迷う事のないように待ち構えてくれています。時には集会での羊たちの言動、表情で察知してくれて霊的にどんなところにいるか教えてくれます。危ない時はすぐにメールをくださいます。すぐに解き明かしをしてくれて解決をしてくれます。牧師は24時間いかなる時でも、世界中のどこにいても霊に反応してくれます。牧師はいつ寝てるの?と思う時があります。   
<戒めの先には必ず栄光が待っている。>そう思える自分がいます。
「自分の命をなげうってでも助け出したい」  以前牧師は息子に対して「息子が立ち上がるなら私の命を差し出してもいい」と言った。 この牧師についていこうと思った。涙が止まらないぐらいうれしかった。絶対息子は立ち上がると信じた。既成教会の牧師はどうなんだろう?いろんな話を聞いていると自分の生活が精一杯で献金集めに必死?ちゃんとイエス様からの真理を伝えられてるだろうか?
疑問に思う事がいっぱいです。人間肉が付いてる以上いろんな事があり、浮き沈みがありますが、ぶどうの木の牧師はすべて御存知で羊が迷っている時にはすぐに助け手となってくれます。みんなが持ち寄った献金もイエス様からきいて、すばらしい使い方をしてくださっています。牧師ってすごいなと思います。イエス様と羊を繋ぐパイプ役ですからすごくなくてはいけないんですね。イエス・キリストの神の言葉をストレートに伝えてくださる事で神の臨在を知りました。
こんなにイエス様から油注がれた牧師に、ぶどうの木の羊たちは心から感謝し毎週日曜日集会に出かけて行きます。社会的にも、健康面でも、金銭的にも、全てにおいてクリスチャンは祝福されてなくてはいけません。ぶどうの木は全てにおいて祝福された教会です。

今では社会が認めてくれる一人となりました。何をやっても恐れない、迷わない、イエス様に忠実にできている自分が自信に繋がります。
すべての栄光をイエス様に帰します。これからも主イエス様と共に・・・アーメン!!        

イエス様によって変えられた私の家族の証も、ぜひ御一読ください。

妻   『イエス様に出逢えてよかった』
娘   『暗闇から光へ』
息子 『イエス様の愛』